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心学「張りぼて」見栄を張るなどは、自分の力量以上に見せる言動。中身が熟していないのに、外見だけを繕う。まさに「張りぼて」と同じ。中身がないから質量は欠ける。ゆえに「張りぼて」は軽い。見栄を張る人間は「軽い人間」と言われる。張りぼては強風が拭けば、どこに飛ばされるか、常に安定しない状態である。自分の資産や所持品、肩書きや履歴など、大きく見せない方が良い。自分が満足しているようでも、人は見抜いているか、やがて剥がれる時が来て、恥
心学「天気」天気は毎日違う。晴天でも気温や湿度は異なる。天地自然の万法は常に一定ではなく、日々変化を続けている。その変化の中で生きとし生けるものを育み、見返りを期待することなくひたすら尽くす。時には災害という試練を与え、人類に知恵を付けさせる。太古より続く天地自然の万法は道理でもあり、我々、人類の修養であり、自分自身への修養でもある。辛苦を迎えたら空を観よ、天地自然の道理であり、「仁の応現」である。それを肝に命じれば艱難を乗
心学「感謝」普段、感謝は自分にとって都合の良いことに述べる人は多いが、不都合に感謝をする人は、実に仁徳深き人間である。自分にとって都合の良いことや利になることは、誰でも感謝をするが、心の成長はそれほどない。しかし、不都合や不利に感謝できる人間は、自省と改善の思いが強い。自分にとって「不」の原因は何かを考え、次回はこの「不」を避ける意識と言動を、継続して行い、「不二」の道を歩む。誰しも失敗や失態はあり、まさに「不」の世界。心身
心学「七福神」神仏の信仰に使われる七福神三神はインド出身二神は中国道教一人は中国の実在した禅僧日本の神は一柱合わせて七福神バラモン教道教仏教神道などまさに神仏習合の組み合わせこれが日本らしい和の信仰である*****************日本の宗教は神仏調和仁徳学問所
心学「心の風景」地獄極楽は宗教や民族によって異なる幼い頃より聞いた見た絵画の影響が脳裏に残り生涯思い続けるすべては心の風景になり宗教や民族それぞれに異なるただ同じなのは生きながらの地獄極楽*****************地獄極楽は心象風景仁徳学問所
心学「忠告」道に外れたことを忠告や助言するそれを素直に聴けば良いが逆に腹を立てる人もいるそのような性格は自分の心が長年掛けて創って来た道に外れたことはやがて自分自身の人格評価につながり損する方が多い自分の人生を豊かにするのも自分自身の心一つである********************自分の心が自分の人間性を創る仁徳学問所
心学「気分」気を分ける気が分かる捉えた方はそれぞれしかし嫌な気分は人に与えない自分の気が持つ資質や強弱が分かる日々変化する自分自身の気この気も自分の心から発する心を学ぶことは自分を学ぶなり*****************気持ちの良い人になる仁徳学問所
心学「運気」運気は天が運ぶ気なのか、自分が運び出す気なのか。天地自然の道理は天に気があり、己に気があることを教えている。天の気は仁でもあり、自分の周囲に充満している。それに気づき、自分の方へ運び出すのが運気。気は生きとし生けるものを守り、生き続けられるように力を与える。これは宗教でもなければ、占術でもない。なぜなら動植物は宗教心がなくとも、天地自然の道理と一体化している為に、守られ活かされている。***********
心学「暮らし」人それぞれ暮らし方は異なる異なる事を比較するのは自由しかしこれを批判することは仁徳に欠ける言動である比較は心の中で思い批判は心の中で抑えるもしこれが反対の立場であれば自ずと思いは分かるはず***************比較と批判を考える仁徳学問所
心学「怨み」人を怨み続けると、怨みの力が増す。これは運動と同じで筋肉強化をするには、必要な運動を強化しなければならない。心にある怨みの運動と同じで、怨みは強化され、さらに人を怨み続けられる。他人の助言や忠告も聞き入れず、ひたすら怨みに走り、やがて独走するようになる。初めほんの小さい怨みだったのが、継続によって大きく強く固くなる。人から観れば無意味に思う感情も、本人にとっては真剣であり、生きる糧になるが、最後には自分自身が疲れ
心学「素直に」素直に成れない人の言葉「でも」「だって」「けど」などこの言葉が出たら助言や忠告しても素直に聴かない人が多い音声では聞いても心では聴かないまずは人より自分がその言葉を言っていないかを自省すること*****************素直になれない人の心仁徳学問所
心学「節約」自分の日常生活で節約できる人は天変地異があって生活の維持が困難になっても耐えることはできるしかし奢侈で暮らした人は被災地での生活に耐えることは苦しい裕福な生活は良いが質素倹約も大事いつ災難が来るかわからない国土である*******************心にも備えが必要心の修養仁徳学問所
心学「七草」心身に良い暦に合った食事その節目季節や旬の食事出来れば地産地消が良い近場で旬であれば添加物が不要自分や家族の健康を重んじるなら食事が妙薬と思うことであろう****************日々の食事が健康の源仁徳学問所
心学「君」君とは徳を修めた人もしくは徳を修養している人君が代とは徳を修めた人の時代歴史では君子や君主などがあった君と言う呼称は蔑んだ表現ではない徳を積み仁を施す人の道を歩もう******************君と呼ばれたら徳の修養を仁徳学問所
慶賀新年心学「心の種」日々、心で思うことは心の種。「一年の計は元旦にあり」と言うが、三日坊主で終わる人が多い。心で思い続ける力が弱い人は、その願いは叶わない。心に蒔いた種を手入れせずに放置するだけ。茂るのは周囲の雑草のみ。心は荒地のままなので、次の種を蒔いても育ち難い。まずは心で思い続け、次に成長する為に必要な為すべきことを、心に掲げ、それを実践し、継続する。それは農法と同じで、種、芽、枝葉、花、実と成る。雑草を抜く、肥料
心学「人を気にする」人を気にする人間ほど自分のことは気にしない人の欠点を探す人間ほど自分の欠点を探さない人を貶す人間ほど自分を貶すことはしない自分では気づかないが人は自分の本心を観ている**************人より自分を観よ仁徳学問所
こんばんちかさっき、仕事とトレーニングが終わって帰宅してお風呂からあがるとリビングのほうから子供の声がして…え???と思うと仁さんが、となりのトトロ観ていましたwwここ数年いて、見たことない光景に驚いているわたしwwえ、もしかして、めっちゃ疲れてる??ww何気ない感じで、ちか:おぉ〜トトロみてるんだぁ???と話しかけてみると仁:うん!僕、トトロ大好きなんだよねもう10回くらいは観てるよかわいいぃ〜ですって知らなかったーで、そのままガン見。ト
心学「仁徳」人はそれぞれに人間としての価値はあり、それぞれに喜び楽しみや夢もある。国や民族、宗教や政治、老若男女、貧富など、違えども一人の人間として生きている。しかし、それを差別する人間も少なくはない。特に劣等感の強い人間は人を見下す悪生を持つ。それぞれの地や立場で生まれたのは個人の責任ではない。一人ひとりを尊重し合えるのも、幼い頃からの教育の成果である。仁は人を差別しないこと、人を慈しみ愛すること、人を平等に接し、重んじることを
神様は乗り越えられる試練しか与えない。死んだら笑えない。生きてなきゃ笑えない。本当にそうだ。めちゃくちゃ泣きました。素敵な言葉ありがとう。試練乗り越えてみんなで笑いたいね。
心学「祈り」祈りが叶うのは願いの実践と継続寺社仏閣に行って祈願しても一回だけでは叶いませんそれを日々心で祈り実行するその実行を途切れることなく続けてこそ叶う植物の種を蒔いて実るまでの生態や栽培と同じである******************祈りが叶うのは実践と継続仁徳学問所
心学「先を読む」自分の性格を省みる人間は、先を読む力をつけることはできる。しかし、省みて自分の欠点を改善しない人間は、先を読む力が劣る。自分の未来は自分の心にあり、過去と現在で未来の種を蒔き育てている。先を読む力を「智」と言う。常の自省を行い、自分の欠点を改善し、実践して、次には同じ欠点を繰り返さないように修養する。時は返って来ない、大事な人生を無駄にせず、自分自身の性格を観て、先の失敗も観る。先の失敗が観えない人は、同じよ
心学「執着」人生の苦悩は過去の執着にある。人間の感情である「喜怒哀楽」を引きずり、思い出しては一喜一憂する。人間誰しもあることだが、怒りや悲しみ、苦しみの執着は喜びや楽しみより数倍強い。その分、自分自身の心を苦しめ、それを与えた人を憎むようになる。では、その執着はどこにあるのだろうか。財布、引出し、金庫、どこにもないはず。あるのは自分自身の心です。それを時折取り出して苦悩するのも、自分の心が為したことです。******
心学「日々の心」日々心の中で思うことが現在の自分を創っている思うことの善悪は思うたびに成長しやがて花を咲かせ実を結ぶ心と田で思という漢字ができる心も天地自然の道理に則して成長し善悪問わず現実を創る人や環境の所為ではなく自分自身の心一つである*****************日々の思いが自分を創る仁徳学問所
心学「活かされている」自分自身は生きていると思うが実は多くの仁より活かされている人間関係食糧身体それぞれに仁によって活かされ生きているゆえに全てのことに感謝をする特に自分の身体を鍛える辛苦にはより大きく感謝を捧げることである*****************全ての事象は自分の為仁徳学問所