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今回の話は幾松について調べている間に偶然みつけたある事柄から思いついた僕の推論、いや妄想といった方が良いかも知れないような話です。ただ、ちょっと面白いんじゃないかと思うので、よろしければお付き合い下さい。幾松の実父は木崎市兵衛といい、若狭国小浜(現在の福井県小浜市)の出身らしいという話は『幾松と新三本木(二)』で紹介しました。若狭の木崎家は名家であったものの平民の家柄だったということも書きましたが、さかのぼれば元々は武士であり、戦国時代に敗れて平民になった家柄なのです。実は若
京都見廻組の幹部隊士(肝煎)で、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋襲撃事件の実行者の一人であった渡辺吉太郎という人がいます。同じく近江屋事件の実行者の一人今井信郎は、箱館戦争で降伏後、兵部省における供述の中に佐々木只三郎先立ち、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、櫻井大三郎、私共都合七人にて河原町三条下ル龍馬旅宿へ昼参り候ところ・・・同じく刑部省での供述においても渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助は二階へ踏み込み・・・とし、名前は「吉太郎」であっ
京都見廻組の今井信郎(いまいのぶお)は、坂本龍馬・中岡慎太郎が殺害された近江屋事件に関して「自分たちがやった」と自供したことで知られています。その今井信郎が剣術教授方として赴任していた上州高崎の岩鼻陣屋から江戸に呼び戻され、京都見廻組への編入を申し付けられたのは慶応三年(1867)五月二十二日のことでした。旅費等の支給が遅れ、実際に京都に赴任したのは同年十月初旬のことといいます。この時、今井に申し付けられたのは肝煎(きもいり)という役目で、これは市中見廻りの組を引率する隊長にあたりま