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いよいよ明後日16日から18日まで丸々3日間お出かけしますのでパソコン🖥は開けません。無事に帰ってきたら19日か20日にブログ再開できると思います。その際は私の人生において初めての船中泊のようすと初めてのアドベンチャーワールドをアップしたいと思います。(o*。_。)oごきげんよう📺朝ドラ(あんぱん)で八木上等兵とたかしを繋いだ(井伏鱒二)の一冊の詩集。井伏鱒二についてググってみました
今日のスケッチ。江戸川の土手からスカイツリーを遠望。井伏鱒二の思い出の記を呼んでいて、奇妙な箇所があった。早稲田大学を休学し、後に復学するつもりが、ある大学教授が教授会で反対したため復学できず、早稲田大学中退となる。なぜ休学したのかというと、井伏の復学に反対した教授を恐れたからだという。井伏によると、その教授は気の毒な人で、たまたま人のいないところで学生を見ると、目の色を変え、身震いする発作を起こすというのである。そのような奇妙な病気があるだろ
井伏鱒二の短編を読みました。今回は、小学館の「群像日本の作家」シリーズ「井伏鱒二」に掲載されていた短編で、まだ記事に書いていなかった作品を少しだけ。前回書いたのはこちら↓作品ごとにリンク貼りました😅山椒魚朽助のいる谷間岬の風景へんろう宿掛持ちシグレ島叙景言葉について寒山拾得夜ふけと梅の花女人来訪屋根の上のサワン大空の鷲今回書いたのはこちら↓13.鯉14.白毛15.かきつばた13.鯉随筆。やっぱり井伏鱒二は律儀な
朝ドラで、主人公タカシが、軍隊へ井伏鱒二の詩集を持って行った、、、というシーンがあり、へぇ~、と思いました。あんな大変な所へ詩集を持って行く、って、どんだけ繊細なんでしょう😅調べてみたら、『厄除け詩集』、という作品だったらしく、まぁ、それならわかるかも。で、家にあった文学全集を引っ張り出し、読んでみました。残念ながらその詩集は掲載されてませんでしたが、一番最初にあった『山椒魚」を、短そうだったので、読んでみました。なんだか切なくなってくるような。今の私かなぁ、、、、最近は卓球本以外は
『山椒魚』、『黒い雨』の次は本作。1957(昭和32)年、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した翌年、高度成長期の東京が舞台である。駅前とは、国鉄(当時)上野駅前。出稼ぎ、修学旅行生、慰安旅行、出張者・・・と大忙しで、本作はその番頭が主人公のユーモア物語。ドタバタ劇。旅館ってえのは何でもありってえもんだい、ねえ、読者さんよお。という江戸弁が飛び交う。お客さんのお出迎えやら、観光案内やら、歓楽街への案内やら、喧嘩の仲裁やら、捻挫した客の患部に貼るドジョウ(そんな迷信あったんで
毎年8月、戦争や平和に関する書物を読む。昨年は、硫黄島総指揮官/栗林忠道を書いた『散るぞ悲しき』。そして今年は『黒い雨』。戦後20年経った1965(昭和40)年、井伏67歳の時の作品。軍関係の被服工場従業員による、8月5日~15日の「被爆日記」という体裁になっている。自らの被爆体験に、出会った人々の証言を克明に文章にしている。貴重な証言だ。広島に呼び寄せた姪は直接被爆してはいないが、直後に「黒い雨」と放射線を浴びており、暫くして発病する。結婚も破談となるが、ゆえに本作は当初
息子小学6年生。共働き一人っ子の夏休み。……忙しい……(私が)。息子は外出する日もあるけれど、基本的にはのんびり。宿題したりゲームしたり、習い事行ったり。児童館に遊びにいったり、夏っぽいイベントにも色々参加して、満喫しているっぽい。とはいえ、何もない平日…実は寂しくないのかな?と気になってしまう私。トイレ休憩の時に、家に電話をかけてみた。「寂しくしてない?」と聞いたところ、「クスン…寂しいよ…クスン」と。「えっその泣きはマジなやつ?」と聞くと、「や、さすがに冗談だけど」と。
今日・6月13日は、日本文学界にその名を残し、今でも生家を訪れるファンが絶えないという作家、太宰治の命日・没後77周年にあたります。太宰(本名:津島修治)は、1909(明治42)年、青森県内有数の大地主で衆議院議員・貴族院議員も務めた津島源右衛門の六男(11人兄弟の10番目)として、現在の五所川原市で生まれました。父親が多忙で母親が病弱だったため、生まれてすぐに乳母に育てられ、彼女が1年で辞めた後は金木第一尋常小学校入学まで10代の女中に育てられたという彼は、開
井伏鱒二の短編を読んだ続きです。引き続き、主に初期の短編が収録されている新潮文庫の『山椒魚』からです。そろそろ飽きてきましたかね…?派手さはないものの、どれも色々な解釈ができるので楽しく読めます~井伏作品にはユーモアがあるとよく言われますが、そのユーモアの一つに、愚直で馬鹿正直な者(だいたい男)がおかす微笑ましい失態というのがあると感じます。こういうタイプの人って最近はなかなか見ませんね~。少なくとも私の周りでは。山椒魚朽助のいる谷間岬の風景へんろう宿掛持ち
井伏鱒二の短編を読みました😊今回は主に初期の短編が収録されている新潮文庫の『山椒魚』から。井伏鱒二は自分の作品を後に加筆や削除するなどして書きかえることが多いようで、同じ作品でも全集と文庫とでは意味が変わってしまうことがあるみたいです。今回は初刊のバージョンだったと思います。山椒魚朽助のいる谷間岬の風景へんろう宿掛持ちシグレ島叙景言葉について寒山拾得夜ふけと梅の花女人来訪屋根の上のサワン大空の鷲読んでいると、徐々に井伏鱒二の人柄の良さが伝わってきます
井伏鱒二の詩集を読んだ。芥川龍之介(手がかかるタイプ)が井伏鱒二のことを慕っていたようだが面倒見が良くお酒が好きで陽気な宴会部長という印象がある。井伏鱒二の詩は文章にリズム感がある。声に出して読んでみたくなるような。有名な漢文の訳詩言葉で多くを語らずとも背中で感じる男の友情。金井田英津子の描く挿絵が詩をさらに引き立てているのも見どころのひとつ。電車の中であごが外れた話では顔より下だけが描かれており、子どもがのぞき込んでいる先にあごが外れた人がいるとわかる。手足の
ここ数日の気候の為かはたまた梅と河津桜の花見に出かけた為か、気分がまさしく春そのものとなっている今日この頃です。久方ぶりの更新は、そんな春を題材とした詩を集めた記事となります。個人的に春になると読みたくなる詩、思いつく詩を徒然と紹介しましょう。因みに先程、母上様に「春になると詩を読みたくならない?」と言った際には、「ならないよ(笑)今までなったことないよ(笑)」と軽く鼻で笑われました(笑)という訳で、今回も私にしか需要のない記事となります。先にNew車椅子で見てきたご近所の梅と桜を載
またまた今日も、朝ドラ「あんぱん」ネタです。「嵩(北村匠海)」が入隊した小倉連隊で、弱い嵩を何かと助けてくれた「八木上等兵(妻夫木聡)」。そのつながりは「井伏鱒二」の詩集だったことが、金曜日の放送で明かされる。ということで、この際「井伏鱒二(1898年~1993年)」のことをまとめておくことにした。でも、例によって「あんぱん」ネタとして、「井伏鱒二」もネットで大いに話題になっているので、僕のブログは価値無しかも。(^_^;)まず、二人が好きだった『厄除け詩集』が出たのは
井伏鱒二の「厄除け詩集」を借りてきた詩集だから薄っぺらいものかと思いきや600ページにもなる全集を渡され重たい事ウンスラ家まで持ってきた途中道端でねじ花の群生があった右巻きと左巻きが隣り合わせで咲いていました雨降り烏賊でも喰いながら「厄除け詩集」でも読むとするか何とも魅力的な題名だ瞬時に翻訳が可能な人工知能(AI)でも井伏鱒二のような詩訳は逆立ちしても出来ないだろうAIに井伏鱒二は理解できない俺も理解できないゲイジュツだからなぁ
~【山椒魚】は、岩屋の中で大きくなってしまったために岩屋から抜け出すことが出来なくなったお話です。自由を、奪われた、山椒魚の切実な思いも伝わってきます。40分くらいで読めてしまう短編小説ですが、奥の深い作品です。~〈あらすじ〉山椒魚は、悲しんだ。山椒魚は、ある時すみ家にしていた岩屋から出られなくなっていることに気がついた。二年間の間に山椒魚の体が発育して、大きくなり、頭は出入口をふさぎ、コロップの栓となるようにすぎなかった。山椒魚は体を前後左右に動かすことができただ
2018年12月に、本部で開かれた研修会に参加した時、宗家から井伏鱒二の翻訳詩を教えてもらった。馴染みのある李白の『静夜思』であった。その時に初めて、漢詩に翻訳詩があることを知った。漢詩の日本語読みとは、一味違う感覚が心地よかった。そして今年、2021年5月にこのブログに『晩春の漢詩三題』を作成している時、また『井伏鱒二の翻訳詩』が目に留まった。せっかくの機会なので、ここで取り上げる。ついでと言っては、申し訳ないが『土岐善麿訳』も一緒に読むと、違いや共通点も味わえて漢詩の理解
石井桃子さんについてのはなし、最終回です。石井さんのことを調べている時に、私が一番感動したこと。それは、「ドリトル先生物語」を、初めて日本で読めるように動いてくれた人は、石井桃子さんだった!!ということでした。何を隠そう、私にとって、ドリトル先生物語シリーズは、読書の楽しみを教えてくれた最初の本です。読み始めはシリーズ2巻目の「ドリトル先生航海記」から。すぐに夢中になり、これだけは「ドリトル先生物語全集」版で買いましたが、小学生のお小遣いでは一冊が高価
さよならだけが人生だという言葉は誰かの詩か?歌か?は思い出せませんが過去に聞いたとがあり、耳に残っている言葉でした。先日のグッドバイのブログにて太宰治が、作者の言葉の中で、或る先輩はこれをサヨナラダケガ人生ダと訳しました。その先輩は、井伏鱒二だったのでした。太宰治の、唯一の世話人に当たる人でした。唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷
井伏鱒二の短編を読みました前回の続きで、主に初期の短編が収録されている新潮文庫の『山椒魚』からです。井伏作品の登場人物は悪人がいない!から、安心して読めます。山椒魚朽助のいる谷間岬の風景へんろう宿掛持ちシグレ島叙景言葉について寒山拾得夜ふけと梅の花女人来訪屋根の上のサワン大空の鷲※今回書いたのは緑マーカー作品。4.へんろう宿へんろう宿(遍路宿)とは、捨児により成り立つ宿。これは井伏鱒二の想像だというが、まるで実際に体験してきたよう
井伏鱒二の「山椒魚」朗読してYoutubeにあげようと思ったら青空文庫にないアレ~?と思ってWikipediaを読んだら井伏鱒二-Wikipediaja.wikipedia.org井伏鱒二1898年〈明治31年〉2月15日-1993年〈平成5年〉7月10日お亡くなりになったのが1993年95歳の天寿を全うされて・・・知りませんでしたよ~教科書では定番の大作家の方ですが私が生きている間はムリか
井伏鱒二の詩集でたかしを気に入ってなにくれと世話をしてくれた謎の八木上等兵。たかしの才能が部隊でも助けになってくれますように。コノサカヅキヲ受ケテクレドウゾナミナミツガセテオクレハナニアラシノタトヘモアルゾサヨナラダケガ人生ダヤムおじさんが言ったのもこの詩から。唐代の詩人の漢詩を井伏が訳したものだが、友との別れに酒を酌み交わす詩。兄きともっと酒を酌み交わしたかった。千尋の言葉ともつながります。
大学生の頃、私は井伏鱒二を一冊だけ読んだ。岩波文庫の『山椒魚・遥拝隊長』である。この中で感動したのは『鯉』であった。『屋根の上のサワン』と『休憩時間』がそれに続いた。いずれもショートショートに近い短編であるが、『鯉』は随筆といえなくもない作品という印象を抱いた。井伏は大学時代の出来事――親友である青木南八との交流――を、感情に流されず、抑制の効いた文体で描いていた。鯉は二人の友情の象徴なのだろう。友情を珠玉の名品に仕上げた井伏の芸術的力量に私は驚き、自分にもこのような親友が欲しいと思