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本当はこっちを先に書くつもりだったのですが、先日の『猫絵の姫君』特別編「未来への墓標」を描いていまして、思い出したことが。というか、忘れていたことが。作中に、大久保利通の「明治三十年」が登場します。明治を十年ごとに区切り「創業」「発展」「完成」(正確には「創業」「寛容」「守成」)としたものです。大久保が石川県士族に殺害されたことにより「維新三傑」(大久保、西郷隆盛、木戸孝允)がすべて世を去りました。この事件現場である紀尾井坂へと駆けつけたのが……武子「五郎殿なのか?」之恭
※社号に間違いがあり訂正しました。申し訳ありません。1,新田武子の生涯さて、通算46回に渡りました「猫絵の姫君人物帖」も今回で終わり・・・なのか?インスタので「猫絵の姫君舞台訪問記」はもうちょこっとだけ続くのでお付き合いのほどを。今回は以前に調査中だった「新田武子」と岩松家のその後です。岩松家は明治になり男爵新田家となりました。俊純の死後は武子の弟の新田忠純(誠丸)が後を継ぎます。忠純が昭和6年に亡くなると、その子である新田義美(よしてる)が後継者となります。なお、義美
皆様、『猫絵の姫君』特別編「未来への墓標」は如何だったでしょうか?で、、その間にちょっと過ぎてしまいましたが、9月25日は「井上馨暗殺未遂事件」です。地元では「袖解橋の変」と言われています(側の橋の名前)。当時の名前は井上聞多。元治元年(1864)、第一次長州征伐を前に長州は高杉晋作、井上馨など「正義派」と椋梨藤太の「俗論派」に二分。藩主・毛利敬親に「武装恭順」(形の上で和睦して、裏で反撃体制を整える)を主張した主張した馨は、自宅への帰路で俗論派の中井栄次郎、周布藤吾、財満新三郎らに