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前回の第一隧道『国宝琵琶湖疏水〈第一隧道編〉』前回〈プロローグ〉『【祝】新国宝琵琶湖疏水〈プロローグ〉』昨年2025年8月27日発行の官報(号外第193号)において、"琵琶湖疏水"が正式に国宝に指定さ…ameblo.jpからの続きです。↑【第一隧道】にお別れして、先に進みましょう。↑京都方面に下っていくと、"船溜まり"という、開けた場所に出ます。"四ノ宮船溜まり四ノ宮船溜|見どころ|日本遺産琵琶湖疏水(びわこそすい)京都と大津を繋ぐ希望の水路琵琶湖疏水~舟
政治家に人格を求めて止まない日本人の国民性政治家は結果責任なので国の安全と国民の生活を上げれば「大政治家」愛人が100人居ようが、賄賂を100億貰おうが、夜中に行燈の油を舐めようが(笑)政治家の責任を果たせば良いのが政治家。みんなマスコミに流されて良い人でナンニモ出来ない政治家(良い人のふりして)が高評価になってない???『明解に助言する』小国であったプロイセンがフランスを破り、ヨーロッパ第一国ドイツとして躍り出た。訪問した日本の使節団へ助言したビスマルクの言葉『世界の各国は、みな親睦
報告するのが大変遅くなったが、昨年12月から今月末まで、冬期新収蔵品展として、「明治時代の人と書」を開催中である。YouTubeで動画解説もご覧いただけるので、ご高覧賜りますれば幸甚である。冬期新収蔵品展「明治時代の人と書」-萩博物館
令和8年1月13日(火)ご飯の支度も何も出来てないけどしろにせっつかれ出発〜🐾三連休ですっかり父ちゃんっ子になったしろやん午後3時過ぎたら父ちゃん探すよ毎度の清見潟公園なんだけどここは来たことなかったな公衆電話電話ボックスそんな時代もあったよねー〽︎なーんて歌ったりして井上馨?伊藤博文と一緒にいた人、くらいなことしか知らないし😆…でも、なぜここに?が気になる散歩中でも選挙だ、ポスターやら街宣やらの話が出来ちゃうスマホって優れ物テレカで公衆電話も、それはそれで良かっ
こんばんは🤗井上馨さんの墓所を参拝した際に真横にお墓がありました(ー人ー)ナムナム井上勝之助・末子夫妻のお墓です(ー人ー)ナムナム井上馨さんのお墓の横にあるという事はやはり井上馨さんの御親族…………………………って御子息なんですよ(人´∀`).☆.。.:*・゚✨✨でも井上勝之助さんは馨の兄井上光遠の子で、嫡子のいなかった馨の養子となりましたヽ(=´▽`=)ノ✨✨ここで疑問が🤔井上馨さんには確か御令嬢がいたはずでは?(´-`).。oO婿養子を取れば良かったのでは?(´-`).。oO
こんばんは🤗前回書いた洞春寺観音堂の裏手に墓地があります(ー人ー)ナムナムその墓地の1番高い場所に大きなお墓があります😊こちらが井上馨さんのお墓です(ー人ー)ナムナム分霊塔とあるのは……………こちらの説明板にありますよ(≧∇≦)ノ💞💞分骨されているのですねいるのですね(ー人ー)ナムナム井上馨さんとはどのような方だったのでしょうか?🤔YouTubeには彼の人生を紹介されています(≧∇≦)ノ💞幕末期の井上馨(聞多)さんhttps://youtu.be/Eb3V5Elnm6c?s
本日は11月28日です。旧暦天保6年(1835)11月28日は井上馨の生誕の日です。そして、明治16年のこの日に鹿鳴館が開館しました。実は新暦の1850年(嘉永3年)11月28日は大隈綾子の誕生日でもあります。武子にとって夫と親友の誕生日が微妙に一致していたりします。……本当ならこの日まで明治女性内閣を終わりにしたかったのですが、オチが思いつかなくて。鹿鳴館は国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として計画されました。おそらく、武子と馨がアメリカ、ヨーロッパに行った明治
松阪の町をめぐります。旧松坂城域に、風格ある門柱の中そして真っ赤な色に塗られた建物があります。「旧三重県立工業学校・赤壁校舎(松阪市指定有形文化財)」です。この学校は明治35年(1902)応用化学専攻の5年制工業学校として全国に先駆けて開校されました。当時は実験に使用する硫化水素の影響を受け、建物の塗料が黒変すると考えられていたため、外壁はすべて変色しない朱(硫化水銀)で塗られていました。そんなことから「赤壁」と呼ばれて親しまれてきました。この建物は明治4
名探偵円朝明治の地獄とマイナイソース(単行本)[愛川晶]楽天市場落語は笑点くらいの知識しかありませんが、円朝という名前は知っています。副題の「マイナイソース」は「マヨネーズ」のこと。「マイナイ」を「賄賂(まいない)」とかけた噺が出てきますが、洋食黎明期に既にマヨラーが存在していたとは。噺家などは初代、二代目、三代目と名前が引き継がれていくものですがら、最近の話のように思えて舞台は明治。登場人物の素性が武家だったりすると、その背景とともに生き生きとした市井の様子が
山口市のマンホールカードをいただきました。『山口市B・Cのマンホールカード〜新山口駅(旧小郡駅)と湯田温泉駅(25.10.8)』10月14日は鉄道の日。明治5(1872)年10月14日、新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通しました。平成6(1994)年、その誕生と発展を記念して10月1…ameblo.jp湯田温泉でランチをすることに。以前入ったことがあるレストランで食べることにしました。長州屋山口名物の瓦そばが食べられるお店です。誰時間がずれていたのですんなり入れまし
1,盟友との別れさて、明治を混乱の坩堝に陥れた井上料理ですが……井上馨の後半生は日露戦争に徹底的に反対したこともあり、政府中枢を離れます。以来「世外」を号して鎌倉の稲村ヶ崎、静岡の興津へ引っ込みます。明治41年に3月に海水浴(74歳でなにやってんだと……)の後に「気分が悪いと」倒れ、生死の境を彷徨いましたが奇跡的に回復しました。この時、伊藤博文が泊まり込んで看病して、長州以来の友情に多くの人々が涙しました。ところが、翌年明治42年10月26日、伊藤は韓国ハルピンにおいて凶弾に命
1,大阪会議の舞台明治20年代あたりの稲村ヶ崎井上別邸武子「わ~い、日本橋梅花亭のどら焼きだ。綾ちゃんありがとー。今、お茶いれるね」綾子「そういえば、今日は井上殿は?」武子「あ~ちょっと大阪まで高級食材を生ゴミに変えに行っていて。食べ物を粗末にするんじゃありませんって、いつも思うんだけどねぇ」そんな会話が留守宅で交わされたかは定かでありませんが。さて、舞台は戻って大阪の料亭「花外楼」にて。さて、この花外楼ですが遡ること明治8年、当時の大久保利通内務卿を中心とした
1,明治の料理男子何時以来やら、「猫絵の姫君コラム」です。さて、今日は「すっぽんの日」だそうです。理由は仲秋の名月で「月とすっぽん」なので。なので、、前から使おうと思っていたこのネタを。『猫絵の姫君』のラスト近くでちょっと武子さんがネタにしていましたが、井上馨の趣味は料理です。本人曰く、馨「僕は料理の大博士です」だそうです。これを伊藤博文が言えばネタとして流されるんでしょうが、馨は明治の元勲にしては珍しい上士出身です。なので、この料理好きは完全に「趣味」どうも、井上家という
本当はこっちを先に書くつもりだったのですが、先日の『猫絵の姫君』特別編「未来への墓標」を描いていまして、思い出したことが。というか、忘れていたことが。作中に、大久保利通の「明治三十年」が登場します。明治を十年ごとに区切り「創業」「発展」「完成」(正確には「創業」「寛容」「守成」)としたものです。大久保が石川県士族に殺害されたことにより「維新三傑」(大久保、西郷隆盛、木戸孝允)がすべて世を去りました。この事件現場である紀尾井坂へと駆けつけたのが……武子「五郎殿なのか?」之恭
皆様、『猫絵の姫君』特別編「未来への墓標」は如何だったでしょうか?で、、その間にちょっと過ぎてしまいましたが、9月25日は「井上馨暗殺未遂事件」です。地元では「袖解橋の変」と言われています(側の橋の名前)。当時の名前は井上聞多。元治元年(1864)、第一次長州征伐を前に長州は高杉晋作、井上馨など「正義派」と椋梨藤太の「俗論派」に二分。藩主・毛利敬親に「武装恭順」(形の上で和睦して、裏で反撃体制を整える)を主張した主張した馨は、自宅への帰路で俗論派の中井栄次郎、周布藤吾、財満新三郎らに
『猫絵の姫君ー戊辰太平記ー』特別編『猫絵の姫君』の後日談短編を公開します。井上馨と世界を巡った武子は明治16年9月、鹿鳴館開館を前に「新田官軍大設祭」のために、久しぶりに馨、金井之恭(五郎)と新田荘の総持寺を訪れます。未来への墓標総持寺の境内には幾旒も大中黒の旗が立ち、秋風に揺れていた。それは新田官軍が決起したあの夜の記憶は呼び起こさせた。(本当はあの日は泣きそうなほどに怖かった)馬上を男装で行軍したことも、岩倉具定や岩村精一郎とやり合ったことも、
本日は9月23日です。明治16年のこの日、太田市の総持寺において井上馨、武子、金井之恭(五郎)の3人で「新田官軍大設祭」を挙行しています。中世には「新田館の坊」と呼ばれ、義貞の館があったとも伝えられています。この「大設祭」がなにか分かりませんが、前段階として8月13日にもやっており、この23日は秋の彼岸ですから追悼と法要と思われます。そして、この法要に史実では新田官軍となんの関係もないはずの、井上馨が加わっていることと、武子さんと五郎殿の3人でやっているということ。……実
長州藩英国密航留学生撮影者:不詳撮影地:イギリスロンドン撮影年:文久3年~元治元年(1863~1864)画像:鶏卵紙91x58mnm前列左より、井上馨、山尾庸三、後列左より、遠藤謹助、井上勝、伊藤博文。(秘蔵古写真幕末監修日本カメラ博物館)(彦島のけしきより)
今日の山口市、不快指数87。不快指数85以上は「猛烈な暑さで、屋外にいられない」状態とされていますので、87というのは非常に危険なレベルらしい。とはいえ、仕事等でお外に出ないわけにもいきません。お互いに熱中症には十分に気を付けましょうね。山口市湯田温泉井上公園(旧高田公園)前記事:2025-09-08『井上公園(旧高田公園)・解体前のホテルニュータナカ~山口市湯田温泉』湯田温泉の井上公園(旧高田公園)へ行ってみました。無料で利用できる足湯のある
今日は、伊藤博文らと共に明治維新推進の立役者として活躍し、伊藤博文・山縣有朋と並んで〝明治の三元老〟と呼ばれた政治家・財界人、井上馨の命日・没後110周年にあたります。1836(天保6)年に長州藩士・井上光享の次男として現在の山口市で生まれた彼は、兄と共に藩校・明倫館に通い、藩主・毛利敬親の参勤交代に随行し江戸入り。そこで生涯の朋友となる伊藤博文(↓)と出会いました。『初代』私のような昭和世代にとって、この方は〝ミスター千円札〟・・・今日は、その日本憲政史上
はい、2日遅れですみません。8月29日で『猫絵の姫君ー戊辰太平記』発売から3周年です。忘れていたわけではありませんちょっと週末体調悪いという言い訳です。『猫絵の姫君ー戊辰太平記ー』(郁朋社)ちょうど、再放送の「八重の桜」が同じあたりに差し掛かっていますが、岩松武子も新田官軍を率いて戊辰戦争を戦う物語です。中野竹子さんが「たけこ、たけこ」と呼ばれるたびに、つい反応しています。実はまだ、ちょいちょい店頭でも見かけますが、見当たらない場合はAmazon、楽天などでよろ
武子「はい、今日はありがとう。プロイセン公使、これををお持ちください!はい、イタリア大使夫人も!」馨「鹿鳴館の前で何を配っているんですか、武子さん」武子「ほら、今日は世界猫の日だ。なので父上に久々に猫の絵を描かせて、世界に新田猫絵をアピールしようと思ってな」馨「猫の日の制定は2002年なので、僕らの時代には影も形もありませんが?」武子「そんな説もあった気もするがどうでもいい。ちなみに、作者はデビュー作から作中に猫をよく出している。猫歴史作家を名乗っても過言ではない」馨「過言すぎる気も
黄金の簒奪者たち:その64「倉庫業+金融業+密貿易」が長州の戦費蓄財システムであった。そして、それを支えた「撫育資金」こそが萩藩が明治維新を成し遂げるための武器弾薬を買い支えることができた錬金術のからくりであった。これがなければ攘夷運動も討幕もなかったし、グラバーをはじめとする海外の武器商人たちも商売相手として丁重に扱うこともなかったはずである。最初は現金商売にこだわったトーマス・グラバーも、萩藩に金があると知った瞬間、絶大な信用保証を与えている。『維新革命史』には、グラバーの言葉として
試験飛行を繰り返していたのですが、高度が出なくなった……どうも、ゴムが巻けなくなったようなのだが、原因はプロペラ側かゴムの方なのか?ところで、日本の飛行機にはこの人たちも地味に関わっているらしいです。武子「なにか珍しいものを読んでいるな」馨「『飛学原理』という論文ですよ。豊前の矢頭良一君という発明家が、森鴎外君を経て、僕の甥のところへ持ち込んだんです。空飛ぶ機械の原理を説明しています」武子「空を飛ぶ?そんな鳥みたいなことが出来るのか?」馨「飛行機というそう
本日は5月18日……ということは、新田義貞の鎌倉攻めが始まった日ですね(133年)そして!箱館戦争が終結した日です(1869年)ということは、『猫絵の姫君ー戊辰太平記ー』的には避けて通れない記念日ではないですか。……本当なら第7章舞台の土方歳三戦死の5月11日なんだろうけど、それはそれとして。『猫絵の姫君ー戊辰太平記ー』(郁朋社)絶賛発売中です。本作は箱館戦争で実質的に終わるのですが、実は当初は箱館ではなく、山口の「奇兵隊騒動」がラストの案もありました。昇一郎が箱館
※社号に間違いがあり訂正しました。申し訳ありません。1,新田武子の生涯さて、通算46回に渡りました「猫絵の姫君人物帖」も今回で終わり・・・なのか?インスタので「猫絵の姫君舞台訪問記」はもうちょこっとだけ続くのでお付き合いのほどを。今回は以前に調査中だった「新田武子」と岩松家のその後です。岩松家は明治になり男爵新田家となりました。俊純の死後は武子の弟の新田忠純(誠丸)が後を継ぎます。忠純が昭和6年に亡くなると、その子である新田義美(よしてる)が後継者となります。なお、義美
静岡市歴史博物館へ「しずおか別荘ものがたり」展を観に行って来ました。*博物館の3Fから見えた富士山が綺麗でした。
曇天の空を映せる水面には鯉の僅かに立つる波のみ令和六年十一月十七日昨日今日と山口は湯田温泉を訪ふ泊まりたる宿は古き宿にて趣きあり朝早く宿の周り歩けば井上馨ゆかりの井上公園あり幕末の香りを残す小池には鯉の僅かに波立つるのみYesterdayandtodayIhavevisitedYudaOnseninYamaguchi.Theinnwherewestayedwashistoricandquaint.WhenIwalkedaround
1912年から翌年にかけて、バルカン半島のすべての国がバルカン戦争を戦いました。『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれる地域です。教科書ですと、オーストリアの汎ゲルマン主義とロシアの汎スラブ主義が激突し、小国同士が代理戦争を行っていたかのように書かれていますが、全く違います。そもそも、この時期のバルカン抗争の主軸はブルガリアVSセルビアのスラブ人同士の殴り合いですし。オーストリアやロシアといった大国は、全然言うことを聞かない小国らに振り回されている格好です。英仏露三国協商や独墺伊三国同盟は、バルカンで
ブログが放置気味ですが、新作の進行にかまけておりまして・・・そういえば、昨日から新札に切り替えになりました。新一万円札は・・・深谷の若き日の栄一像武子「うちの出入りの者ではないか」綾子「小栗の義父上様が送金していた方ね」なお、『猫絵の姫君』と『銅の軍神』に登場している人物で、お札になっている人物が2人います。意外?なことに、井上馨も大隈重信もお札になっておりません。大隈は10万円札の候補でしたか・・・で、もう一人は誰かといえば・・・二円札(明治6年