ブログ記事950件
慣らし運転下北半島ぶらりツーの途中下風呂温泉海峡の湯へ450円也老朽化により惜しまれつつ閉めた公衆浴場2軒大湯新湯その湯を受け継ぐのがココ海峡の湯2020年12月開業窓側にふたつの浴槽「新湯」と「大湯1号泉」そして手前にもうひとつ「大湯の熱い湯」以前の激熱に比べたらだいぶ入りやすい(アツイケドそして奥に扉サウナもあるよ95℃5人サイズその
前方後円墳を見学した後、向かったのは、唐招提寺だ。なんとなく、京都の銀閣寺と通じる渋さがある。どこかのハウスメーカの社員と思われるビジネスマンが、建築関係のインテリと思われる初老の男性をアテンドしていた。手入れが行き届いている。俗的でない雰囲気には、どことなく歴史の重みが漂っている風がある。宝物殿を見学。ここで、東大寺で見た鴟尾(しび)が展示されていた。鴟尾-Wikipediaし
久しぶりに、ボランティア仲間とランチしました。今日は姉も一緒だったので、朝お迎えに行きました。8時半過ぎに家を出ました。メンバーもベテランの顔が一人二人減り、新人さんが2名入って来て、平均年齢がかなり若くなりました。(笑)私は、一番若い人と組まされました。「おいくつですか?」「20歳です」!!!!!!!!!大学2年生だそうです。月曜日だけ講義がないそうで、ボランティアをやってみようと思ったそうです。「そうするとあなたのお母さんって、いくつぐらいになるわけ?」「40代です
冒頭の文章鮎太と祖母りょうの二人だけの土蔵の中の生活に、冴子という十九歳の少女が突然やって来て、同居するようになったのは、鮎太が十三になった春であった。井上靖は詩人出身の作家らしい。が、それにしてはテンポがない。「であった」という口調を多用したのも、リズム感を損なう一因だろう。音声で言えば「タ行」が多いので、しっかり安定した印象を与えてはいるが、たとえば「ハ行」の飛翔感とは対照的だ。しかし、常に読後感は、生きた人間の声の余韻に包まれる。井上靖は「生きた証を残す」ことに妥