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多武峰中興の祖、増賀上人(917-1003)は平安中期の僧。御破裂山から西に張り出した南斜面のこの地は、念誦窟[ねづき]と呼ばれます。念誦崛、根槻とも書かれます。上人が念仏三昧にて入滅した地であることから漢字があてられたとも伝わります。■増賀上人入寂場碑ここは談山神社の前身である妙楽寺末寺・紫蓋寺跡。妙楽寺奥ノ院とも呼ばれ、明治までは念仏常行堂、地蔵堂、鐘楼、僧坊等の伽藍がありました。現在の入口は緩やかなスロープ。■大西良慶和上生誕之地
先祖供養に何の真言(マントラ)が最も威力を発揮するかといいますと、それは光明真言こうみょうしんごんです。経典の説かれていることですから、間違いありません。そして、その光明真言を象徴したものが五輪塔ごりんのとうです。あさか大師の回向殿えこうでんにはこの五輪塔を安置し、私が毎日の供養に勤めています(写真上)。一日も欠かしません。そして、その祈りが皆さまのご自宅に届くよう、五輪のお札(供養紙)をお祀まつりいただいています(写真下)。五輪塔にどんな功徳があるかといいますと、まず仏さまその
極楽寺即身仏が入る一願堂廿日市極楽寺本堂に行く道の途中石仏が並ぶ石段があります。石仏が配された石段を登る。入母屋造の堂?堂二間四方くらいの堂?堂の後に一願堂額は一願和尚一願堂の五輪塔の地中には極楽寺住職でありました高野山真言宗大僧正佐和隆恵師が遺言により法衣を付けたお姿で入っておられます。隆恵僧正は処所へ来て南無一願大和尚と唱え、一人一願だけ頼めば必ず成就すると言って他界されました。その後沢山の人々が参拝し、いつの日か一願幟りを立て祈願する様になりました。
目次(1)五色はインド「五大」に起源ありか<1>五色の旗・幕の諸々の景色<2>世界仏教徒連盟による国際仏旗<3>南アジアの仏旗<4>前報とのつながり(2)「五大」覗見<1>「五大」から・・印度思想の覗見<1-1>「五大」と「五行」との対比の中で悩む<1-2>「五大」へ至る道程
瑞巌寺の方丈庭園色々なことがあった9月も終わり、はや10月となりました。皆様にはお変わりは悪りませんでしょうか。先月も多くの方々に拙ブログへご訪問やコメントをお寄せ頂き、ありがとうございました。今月も、何卒よろしくお願いいたします。鰻塚:昔は松島周辺でも多くの鰻が採れたそうで、その鰻を供養するために建立された珍しい石碑。瑞巌寺の参道の右手には天然の洞窟群があり、その壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれている。