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【京都】京都市右京区嵯峨二尊院門前の二尊院2023年10月28日~12月3日まで特別大開帳「二尊院の二十五菩薩来迎図」が開催中。室町時代、宮廷絵所の絵師土佐行広が描いた二尊院の寺宝「二十五菩薩来迎図」全十七幅の掛け軸が数百年ぶりに本堂にて一挙御開帳。特別に本堂内陣へ拝観可能で近くで御本尊・来迎図が拝観出来ます。特別公開中にステキな【特別限定御朱印帳】がお受けできます【二尊院
府中市美術館へ。「ほとけの国の美術」の展覧会と講演会に行きました。京王線東府中駅から徒歩で向かいます。途中、パン屋さんに寄りました。駅から徒歩10分ほどで、都立府中の森公園。公園内の反対側の端っこに美術館があります。公園を突っ切って10分ほど歩きます。緑がきれいだな〜歩いていると向こうから鴨が2羽歩いてきました。普通にすれ違いました。振り向いて写真撮ろうとしたら飛び立ちました。↓↓公園内を10分ほど歩いて到着。毎年この時期に江戸絵画の展覧会があ
府中市美術館の春の風物詩“春の江戸絵画まつり”。通算21回目となる今回は、“ほとけの国の美術”と題して、「仏教」という切り口で、江戸を中心とした日本美術を紹介しています。仏教がテーマですから、当然、仏画は展示されています。中でも目玉となるのが、京都の二尊院が所蔵する土佐行広の《二十五菩薩来迎図》。昨年修理を終えたばかりの室町時代の大作です。一般的な来迎図は阿弥陀如来を中心に、それに従う菩薩たちが、にぎやかしのように描かれますが。二尊院の《二十五菩薩来迎図》には、阿弥陀
参道を歩いていくと、二つの門が現れます・・・・・・写真1(↓):最初に現れる黒門こちらは一般人が通る通用門のようです。写真2、3(↓):次に現れる勅使門こちらは天皇の遣いのみが通ることを許される門ですが、二尊院では一般に開かれているようなので、ここをくぐって境内に入りました・・・椿の紋は、この門を再建した三條西実隆公の意匠でしょうか・・・写真4(↓):黄色い実をつけた本堂前の橘の木写真5(↓):特別公開中の二十五菩薩来迎図のポス
皆さんこんにちは😃昨日は後輩と散策をしましたしっかり歩き竹林の小径を抜けて、野宮神社から御髪神社⛩️。。。常寂光寺藤原定家の歌忍ばれむ物ともなしに小倉山軒端の松ぞなれてひさしき。軒端寺と称される。今日1番の目的はこちら。二尊院です。青もみじ美しいです。小倉山の東麓にあります。秋もきれいだよ。🍁🍁🍁正式名は小倉山二尊院教院華台寺本尊は釈迦如来(使者などを送り出すこと)阿弥陀如来(浄土へ迎える事)二体の本尊が安置されているのが名前の由来
京都マムです。NHK「究極ガイド2時間でまわる嵐山」のつづき。↓地図はこちらからゲットできますhttps://www.nhk.or.jp/program/2hguide/arashiyama.pdfエリア3必見箇所は6カ所。二尊院までは上り坂を5、6分歩く。途中にある慈眼堂(じげんどう)の中には千手観音像(鎌倉初期、作者不明)がある。これは藤原定家がお祈りしていた仏像。藤原定家は百人一首を選んだ人物。小倉山のふもとで選ばれた歌だから小倉百人一首
本堂に上がり、二尊(阿弥陀如来、釈迦如来)と二十五菩薩来迎図を拝観しました・・・・・・写真1(↓):二尊院二十五菩薩来迎図のパンフレット室町時代の宮廷絵所の絵師、土佐行広が描いた二尊院の寺宝「二十五菩薩来迎図」全十七幅の掛け軸が、約370年ぶりに修復・調査が行われ、ついにこの秋に御開帳となりました。多くの来迎図では阿弥陀如来を中心に二十五菩薩が一幅の中に描かれますが、二尊院では阿弥陀如来以外の二十五菩薩と地蔵菩薩、竜樹菩薩を加えた二十七菩薩が十七幅の掛け軸に描かれ、西
鹿王院の拝観が終わった後、再びタクシーで移動、小倉山二尊院を次の拝観場所に決めてやってきました。二尊院の総門です。二尊院(にそんいん)山号:小倉山院号:二尊教院寺号:華台寺宗派:天台宗ご本尊:発遣の釈迦如来像来迎の阿弥陀如来像札所:※法然上人二十五霊跡十七番平安時代の承和年間(834~847年)に嵯峨天皇の勅願で円仁(慈覚大師)が創建した、後に応仁の乱で堂塔伽藍を焼失したが、永正18年(1521年)に三条西実隆により再建された。※天台
京都奥嵯峨の二尊院拝観レポートは二回目ですね、前半、後半の二回でまとまるかと思いましたが、せっかくの名刹です、写真も多いので、三回シリーズに致します。阪東妻三郎氏の墓所を見学した後、再び築地塀の前を通過して本来の正門、勅使門から境内へ入場致します。勅使門です、今は多くの拝観客が自由に通過してますが勅使(天皇の意思伝達の為の特使)のみが通ることのできた門ですね。今でも、勅使門を開放していないお寺も多いんじゃないでしょうか、例えば曼殊院門跡、青蓮院門跡......ここ
嵐山の紅葉だより奥嵯峨で下車。祇王寺から散歩。平家物語で知られる往生院祇王寺。控えの間の大きな丸窓。吉野窓。小倉山二尊院。九頭龍弁財天。総門からの「紅葉の馬場」弁天堂脇から二条家・鷹司家・三条西家あの角倉了以の角倉家の墓へ続く道。元禄の俳人向井去来の遺跡。落柿舎。落柿舎本庵。三帖・四帖半の間。柿の木と本庵。落柿舎の向こうは五山送り火鳥居形。竹林の小径は、この賑わい。雑踏を避け嵐山公園。亀山地区。紅葉見ごろ嵐山と
塾を開校して多くの弟子も集まると、仁斎の暮らしにも多少のゆとりが生まれ、40歳を過ぎた頃に尾形宗謙(※3)の姪嘉那(かな)を娶った。※3尾形宗謙(おがたそうけん):1621年(元和7)〜1687年(貞享4)。京都の呉服商「雁金屋」5代目当主で、光琳・乾山の父。典型的な京都の上層町衆で、本阿弥家とも姻戚関係にあった。狩野派と土佐派に画を学び、光悦流の書や茶の湯にも通じる書画家でもあった。仁斎の講義は、「論語」・「孟子」・「中庸」を独自に解釈した草稿をテキストにして、非常に平易
2024.04.28(日)もうとっくにGWがスタートして各地大渋滞してそんなのがとても面倒なカメ夫婦は、家の掃除や冬物を洗濯して入れ替え作業を済ませて…いつもは稜線上を歩く小倉山ですが、この日は麓を歩いて二尊院へ小倉山二尊院|トップページ小倉山のふもと二尊院で、千二百年の静寂と出会う。京都嵯峨二尊院の公式ホームページ。トップページです。nisonin.jp青モミジがとても綺麗ですテクテク歩いて小倉山中腹からの京都市内を眺望いい眺めそして境内に戻ってきて庭を眺めながら…寝
#美術館の後のお寺巡り美術館の後は、2年ぶりに二尊院へ。嵐山に行くと決めた時に来迎図のことを知り、ぜひ見たいと思っていました。本堂15世紀前半に土佐行広が描いた「二十五菩薩来迎図」全十七幅の掛け軸が約370年ぶりに修復され、本堂で公開されています。土佐行広は室町時代中期の宮廷絵所の絵師で、土佐派の祖とされる人物ですが、詳しいことは分かっていないようです。二十五菩薩とは、阿弥陀仏を念じて往生を願う者を浄土に迎える25体の菩薩。来迎図に描かれる菩薩たちです。二十五菩薩が、一幅に一尊もしく