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★★★★★致知本号の巻頭の藤尾秀昭社長の特集の言葉よりさて、本誌も創刊四十八年。今日まで歩ませていただいたのは、多くの先達に恵まれたからである。特に本誌の骨格を大きくし、土壌を深く豊かにしてくれた五人の先達がいる。二宮尊徳、安岡正篤、森信三、平澤興、坂村真民の五大哲人である。おや、安岡正篤先生、森信三先生、平澤興先生、坂村真民先生四人のお名前は致知を読み始めたころからあったと思うが、いつの間にやら二宮尊徳も、しかも筆頭に挙げられている。五大哲人から致
栃木県の茂木町から真岡市まで隠れスポットを巡ってきましたが、さらにバイクで南下します。続いてやってきたのは、二宮尊徳が仕事をしていた役所である「桜町陣屋跡」です。広い駐車場にバイクを停めて、「桜町陣屋跡」までは徒歩で移動をすることになります。小田原城主・大久保加賀守忠朝の三男教信が分家して、ここ野州桜町4000石を知行します。そして宇津家を再興し、1699年に陣屋を創設します。しかし1823年に領内が疲弊したため、藩主大久保忠真の命を受けて、二宮金次郎が桜町復興
皆さんこんばんは。昨年報徳二宮神社でいただいた素敵な御朱印をまとめてみました。報徳二宮神社拝殿御由緒ご祭神・二宮尊徳は今市の報徳役所にて逝去しました。その後、尊徳の終焉の地である由緒を持つ今市に神社が創建され、今日まで学問・経営の神様として人々に親しまれています。本殿の裏には栃木県指定史跡・尊徳翁のお墓と遺品を陳列した宝物館があります。御祭神二宮尊徳(金次郎)とは天明7年〜安政3年の江戸後期の実践的農政家です。ご利益学業成就(合格)・商売繁盛(経営)・災難厄除
先日、小田原旅行へ出かけ、もちろん小田原城も見ました。小田原城址公園の敷地には神社があります。その名は報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)。表参道は大きい道路に面して立派な鳥居があるようですが、私は小田原城を見つつ公園内から入っちゃったのでこのようなこじんまりとした鳥居。結構鬱蒼としています。森の中って感じでいい雰囲気ですね。社殿へ向かっていくと、ミストが漂ってきました。木製の渡り廊下の向こうには、木札の下げられた回廊があります。木札には「一円融合」と書か
栃木での2日目は日光に行くことに。私は小学6年生の時の修学旅行と大人になってから1度行ったことがありますが、主人は何と初めてで。関東出身で行ったことがないのって珍しいですよね・・・修学旅行の時期に引っ越したので行けず、その後も機会がなかったそうです。宇都宮からはJR日光線で向かいました。一般的に東武日光線で行く方が便利だと思いますが、行きはJRで、帰りは東武線にして両路線乗り潰すことに乗り場から上品な感じでテンション上がるびっくりしたのが、日光東照宮の拝観券はSuicaが使える
『高貴なる者の義務(NoblesseOblige)』美を持続させる「経済」という武具「清貧」を美徳とし、静かに衰退を受け入れる時代は終わりました。伝統工芸の世界において、経済的な強さを求めることは、しばしば「不浄」であると誤解されます。しかし、私は断言します。「持続なき伝統は、無責任な遺言に過ぎない」と。私が目指すのは、霞を食べて消えゆく仙人ではありません。圧倒的な「価値」を創造し、この有田という地に、強固な循環(エコシステム)を確立することです。私にとって「利益」
昨日、「闇が深い」そう、別の所に書きました。闇は深い。非常に深い。彼を引き取り面倒を見る中で、かなり厳しく、甘えの構造へメスをいれ、現実逃避する姿勢を改めさせ肉体改造ならぬ心の改造計画をやっています。同時に、いま、最大のガンである腫瘍を摘出すべく本人にその事を自覚させると同時に本人自身に再建計画を建てさせています。彼にとっては傷口に塩を塗る程に苦しいことでしょうがいいか、絶対に逃げるな!そう言って聞かせています。私はどんな困難に直面しても逃げないで立ち向かいますからね