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録画していた2004年のNHKのトラック運転手の番組を観た。道路は血管で、トラックドライバーはその血液であるとナレーション。東京の食料自給率は1%で、さらに地方に行く食べ物も、一度は東京の市場に集められ、配られます。トラック運転手は各農協から東京の市場へほとんど休憩時間なく、睡眠なく、10時間などという時間運転し続け、安全運転を求められ、市場の競りに間に合わなければ会社に仕事は回ってこなくなるという、精神身体極限でお仕事されています。も〜仕事も給与もどうでもいいから今すぐ寝たい、と思いな
凶弾に倒れて5年中村哲先生の心、声、話し方、鋭くも優しい眼差しに再び触れたくて映画を鑑賞しました干ばつ、洪水、飢饉、病気、戦争骨身に染みて、地獄を舐め尽くした先生の言葉には鬼気迫る力がありました白衣を脱いで用水路を拓くだけでなく、モスクまで建設して現地の教育にまで貢献されていたとは!人と人大自然と人真の平和とは…そして人類愛微力ながら遺志を継ぐ1人になりたいと思いました10才の息子さんを脳腫瘍で亡くされ用水路で遊ぶアフガニスタンの子を我が子と見まがってしまうほど思いこがれ
今日は朝から銀座でドキュメンタリー映画医師中村哲の仕事・働くということ観てきました一般1500円中央区民1000円中村哲さんといえば2019年12月4日アフガニスタンで何者かに殺害されてしまいました10日ほど前が命日でしたね医師として1984年にペシャワールの病院に着任ハンセン病の治療を担当診療所の建設に尽力されますその後、アフガニスタンの旱魃で苦しむ人々をみて井戸掘り事業や水路建設に取り組み乾いた大地を緑豊かな土地へ変えていきます医師として派遣されてすぐ
何のためなら死ねるかもしくは何のためなら生きられるかいのちにはその人なりの使い方があるあの人の青さをみあげるとどかない高みであの人が微笑むこれでよかったのだと★中村哲氏が銃弾に倒れてから今日で5年です。あれは2019年12月4日のこと。17時…。スマホに飛び込んだ「死亡」の文字の衝撃を忘れられません。毎年アドベントに更なる光を与え続けるている哲さんの存在に敬意を表します。今日はTVニュースで哲さんの姿を目にしました。今この世界の混乱に哲さんな
ちょうど一年前の12月6日、偶然同じ日の公演でしたね。「さくらばあちゃんのいる街」からの「まごころの虫」へ…。2024は、「雨ふり小僧続編」「わたくし恵比島駅、話します!」そして、中村哲先生追悼作品「まごころの虫」と、新作公演が続きました。アップアップしながらどーにかこーにかスタッフのLOVEと、皆さんからのご声援に支えられながらメッセージをお伝えさせていただけていることに、あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。皆さん、本当にありがとう!愛してま~~~~~すL
はあい!庶民派セレブになりたいカイルです。昭和歌謡ブームがきているということで、とてもSparklingな日々。さて、第一弾が聖子ちゃんだったので、次はやっぱり明菜でしょう!年末のディナーショーもいけるといいな。聖子のシングルは固定された作家が目立っていた(松本隆、三浦徳子、ユーミン、細野晴臣、財津和夫、小田裕一郎)のに対して、バラエティに富んだ作家を起用していると思います。特に後半期はマイナーな作家さんが多く、「Fin」以前は大御所の起用が多かったけど、それ以降は挑戦的
こんにちは。ライターの橘さつきです。「家族と葬送」をテーマに書いています。はじめましての方はコチラ加藤登紀子さんの著書『哲さんの声が聞こえる』から、また、お伝えしたいことがあります。哲さんの声が聞こえる-合同出版(godo-shuppan.co.jp)中村哲さんのこと、アフガニスタンのこと世界のことを、もっと知りたいと思いました。哲さんのような日本人がいたことを心から誇りに思います。哲さんの活動については、是非、本を読んでくださいね。