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今日は朝から銀座でドキュメンタリー映画医師中村哲の仕事・働くということ観てきました一般1500円中央区民1000円中村哲さんといえば2019年12月4日アフガニスタンで何者かに殺害されてしまいました10日ほど前が命日でしたね医師として1984年にペシャワールの病院に着任ハンセン病の治療を担当診療所の建設に尽力されますその後、アフガニスタンの旱魃で苦しむ人々をみて井戸掘り事業や水路建設に取り組み乾いた大地を緑豊かな土地へ変えていきます医師として派遣されてすぐ
凶弾に倒れて5年中村哲先生の心、声、話し方、鋭くも優しい眼差しに再び触れたくて映画を鑑賞しました干ばつ、洪水、飢饉、病気、戦争骨身に染みて、地獄を舐め尽くした先生の言葉には鬼気迫る力がありました白衣を脱いで用水路を拓くだけでなく、モスクまで建設して現地の教育にまで貢献されていたとは!人と人大自然と人真の平和とは…そして人類愛微力ながら遺志を継ぐ1人になりたいと思いました10才の息子さんを脳腫瘍で亡くされ用水路で遊ぶアフガニスタンの子を我が子と見まがってしまうほど思いこがれ
<2022.3.12記事>さだまさしが3月12日放送の「MUSICFAIR」に出演し、「ひと粒の麦~Moment~」(アルバム『存在理由~Raisond'être~』収録/2020年5月)を歌った。この歌はコロナ禍、さだまさしがひとり敢然とコンサート活動を再開したツアーの東京・八王子公演に参加した際に聴いた(以下リンクバナーにセットリスト)。いつ聴いても、静かに深く聴く人の心に沁み込んで来る。「MUSICFAIR」は「MUSICFAIR2900回記念コンサート」
前のブログでお亡くなりなった中村哲さんが火野葦平の甥だったと書きましたこちらです火野葦平と言っても若い方はご存知ないでしょう。兵隊3部作で有名な方ですが、その代表的な作品に「花と龍」があります。洞海湾で働く沖仲士たちの話です。火野葦平の父は、若松の玉井組の親分で、当時沖仲士を仕切っていた吉田磯吉と対立した実話です。戦前の若松は、石炭の積み出し港で、小型船で筑豊から遠賀川水系で運ばれた石炭を大型船に積み替える港でした。関西方面に運んだと思いますし、若松の対岸の八幡には製鐵所もありました
こんにちは。ライターの橘さつきです。「家族と葬送」をテーマに書いています。はじめましての方はコチラ加藤登紀子さんの著書『哲さんの声が聞こえる』から、また、お伝えしたいことがあります。哲さんの声が聞こえる-合同出版(godo-shuppan.co.jp)中村哲さんのこと、アフガニスタンのこと世界のことを、もっと知りたいと思いました。哲さんのような日本人がいたことを心から誇りに思います。哲さんの活動については、是非、本を読んでくださいね。
12月8日(日)に「中村哲さん追悼の会」に参加しました。中村哲さんはアフガニスタンで人道支援活動を続けるNGO「ペシャワール会」の現地代表で医師でしたが、2019年12月4日、アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララーバードで車に乗っていたところを武装集団に襲われて、銃撃により殺害されました。それから5年が経過しました。中村哲さんはアフガニスタンで、医師としてハンセン病などの治療を行う傍ら、1,600本の井戸と25.5kmの灌漑用水路の建設、15,000ヘクタールの農地の回復・開
ちょうど一年前の12月6日、偶然同じ日の公演でしたね。「さくらばあちゃんのいる街」からの「まごころの虫」へ…。2024は、「雨ふり小僧続編」「わたくし恵比島駅、話します!」そして、中村哲先生追悼作品「まごころの虫」と、新作公演が続きました。アップアップしながらどーにかこーにかスタッフのLOVEと、皆さんからのご声援に支えられながらメッセージをお伝えさせていただけていることに、あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。皆さん、本当にありがとう!愛してま~~~~~すL
はあい!庶民派セレブになりたいカイルです。昭和歌謡ブームがきているということで、とてもSparklingな日々。さて、第一弾が聖子ちゃんだったので、次はやっぱり明菜でしょう!年末のディナーショーもいけるといいな。聖子のシングルは固定された作家が目立っていた(松本隆、三浦徳子、ユーミン、細野晴臣、財津和夫、小田裕一郎)のに対して、バラエティに富んだ作家を起用していると思います。特に後半期はマイナーな作家さんが多く、「Fin」以前は大御所の起用が多かったけど、それ以降は挑戦的