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室町時代以降、日本の宗教観は大きく変わりました。西洋の宗教「キリスト教」が入ってきたのです。1549年にフランシスコザビエルらが来日しキリスト教を広めました。この髪型をご存知でしょうか?この髪型は、『トンスラ』といいます。えぇ。とても奇妙な髪型ですよね…この絵のように、まるで鉢巻をするように髪を残して、頭頂部を剃って行きます。どうやらキリストが十字架で被せられた「いばらの冠」に見立てられていると伝えられています。本場ヨーロッパのほうでは、13世紀以降は、聖職者(司祭、宣教師、
今回は、1700年代に流行ったであろう髪型を見ていきたいと思います!下の絵は1700年代初頭〜中期の作品になります。遊女の髪型を見てみると、「垂髪」や「勝山髷」、「笄髷」などが主流になっていますね。遊女には、『禿(かむろ)』と呼ばれる遊女見習いの少女が何人か付きます。身の回りの世話だったり、まあお手伝いさんみたいなものですね。たくさん従えていればいるほど売れっ子の証でした!禿さん姫カットですね!琴の練習でしょうか。やはりこの時代も教養のある女性は売れっ子でありモテます!
1800年代になり、随分ファッションも髪型も洗練されてきました。女性の髪型というカテゴリーでいえば、歴史上最大の最盛期を迎えます。後にも先にも、この100年が一番派手で美を追求していた時期だったのは間違いないでしょう。1868年で江戸時代は、終わり迎えます。革命が起きました。その後、どのように時代や思想、そして髪型が変わっていくのか…女達の激動の幕末を見ていきましょう!1800年代初頭からの流行は、たくさんの髪型が数年単位で変わっていきました。往年の愛されたスタイルは、
江戸時代以前は、絵画に子供が登場する機会は少なかったのですが、浮世絵や版画などのカルチャーの発展に伴って画家が急速に増えた気がします。描く物も多様化していき、一般の生活も描かれることが多くなりました。驚くべきは、この時代の子供達の髪型です…何だかもう…自由すぎちゃって…とりあえず、現代にこの時代の髪型している子供は、そうそういないでしょうね!まずは、よ〜くご覧下さい!なんかすごいですよね!主に江戸時代は、ずっと「大五郎カット」みたいな感じが続きます。現代の大五郎といえ
ついにきました髷の系譜!(ここまで引っ張っちゃってすいません。)縄文時代から始まり、やっとここまでたどり着きました…長かった。もはや、このテーマを書きたいがために、これまで書いてきました…(泣)これまでのすべてを「伏線」と言っても過言ではありません。(笑)『月代(さかやき)』とは、何なのかを徹底的に解説していきます!!(月代とは、あえて剃って作った髷スタイルのことを指します。)まず、現在まで言われている『月代』にした始まりと理由をお伝えしていきます。以前ブログでも書きました
みなさん昔の中国人の男性の髪型といえば何をイメージされますか?これですよね!?もはや一択!ラーメンマンスタイルですね!おそらく一度は見たことのあるこの髪型は、実は悲しい理由でこの髪型をしていた側面もあったのです。私自身もこの髪型にしたくてこのスタイルにしていたとばかり思っておりました。実際に現代でもやっている少数民族もいるくらいです。この三つ編みに結って垂らしている髪型の事を総称として「弁髪、辮髪(べんぱつ)」と言います。こちらのブログで何度も登場していただ
弥生時代紀元前10世紀頃から、紀元前3世紀頃まで続いた時代縄文時代ほどではないものの、とても長い約1300年間近年は、5年単位で髪型の流行というのは大幅に変わる時代であり、30年前の髪型でさえもすごく古い印象を受けるほどですね。この1300年という長い時間の中で、髪型がどう変化したのかを知る術は、いまのところありません。縄文時代もそうですが、弥生時代も謎がとにかく多い…多すぎる(泣)しかし、一つ言えることは、中国の影響を大いに受けていたということ。当時の中国は、とてつもないほど
みなさん『ユダヤ教』はご存知ですか?聞いた事はあるけど、「都市伝説」くらいしか知らない!という方がほとんどかもしれませんね。今回は、そんなユダヤ教の「変わった髪型」をご紹介していきます!まず、ユダヤ人というのは人種ではなく、ユダヤ教を信仰している人のことを指します。日本人でもユダヤ教を信仰していればユダヤ人ってことですね。ユダヤ教の総本山と言えばイスラエル!まぁ、世界の中心ですわ!イスラエルの他には、ヨーロッパやアメリカなどでも暮らしている人も多いようです。個人的には、お金持