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多発性骨髄腫の維持療法(治験)も今のところ順調に進んでいるのですが、左膝が初期の変形性膝関節炎で膝が痛いため、明石大橋が見える日帰り温泉で温めに行きました。ここの施設は海の横で海や淡路島、明石大橋を見る事が出来ます。お風呂に入り海の見える休息所でリラックスしていたのですが、ふとネット記事が目に止まりました。5月27日がZARD坂井泉水さんの命日で、その日に全国19の映画館で昔のlive映像を上映するみたいです。癌の治療中に不慮の事故でお亡くなりになりましたが、今生きていればと思うと本当に
最近の小・中・高校では、イベントの写真販売をインターネットで行う学校が多い。我が家もそうだ。スナップスナップ、というサイト。ページを開いて、学校から渡されるチラシに書いてある学校番号を入力すると、写真閲覧&購入ができるシステムだ。サイトには、兄弟の登録もできる。お兄ちゃんがスナップスナップのチラシを持って帰って来たので、学校番号を入力した。すると、娘のページとお兄ちゃんのページが当たり前のように並んで開いた。一瞬、固まる。今までも何度も見たページなのに。もう二度と、娘のページに
各家庭の子供には、それぞれ役割があると思う。それは、「私はこの役割をするよ!」とか決めるものではなくて、長い年月一緒に暮らして自然と決まっていく役割。我が家の場合は、お兄ちゃんは真面目な大人しいタイプ。その代わり、あんまり家族がふざけすぎたら、ビシッと引き締めてくれる役割。お空のあの子は、ただただ明るくひまわりみたい。いてくれるだけで、パアッと楽しく明るくなった。今では家の中がどんよりしてる。いつもワーワー騒いでたあの子がいなくて静かになったし、暗く感じる。完全なる家庭内バランス
私は元々寝るのが大好きだった。たけど、あの子がいなくなって、更に寝るようになった。思春期のお兄ちゃんは冷たくてあんまり相手にしてくれないし、旦那は旦那で自分の世界を持っている。あの子がいたら、あーだこーだと自分のしたいことの要求をしてくるから、はいはい、とそれのお世話をしたりだとか、100均行きたい!だとか、〇〇行きたい!とか言ってたから、お出掛けすることも多かった。今は、ウキウキお出掛け♡という気分でも無いし、お兄ちゃんを誘っても付き合ってくれないし、〇〇に行こう!と連れ出してくれ
最後にブログを書いてからだいぶ経ってしまった。果たしてここに書くことが正しい判断かは分からないまま、再びパソコンの前に座っている。新しい命がこの身に宿った。それはとても幸せなことで、嬉しいことで、ハッピーなことのはずだ。けれど、その感情を私は素直に受け入れることができずに、ずっと持て余して過ごした。悪阻も相まって、私の精神状態はボロボロだった。そんな私の心境などお構いなしに、周りは120%の祝福を向けてくる。それが居心地が悪く、息苦しかった。保健師や助産師に、おうたのこと
私はバスツアーが大好きだ!良さげな見所にバスに乗ってるだけで連れて行ってくれるし、運転しなくていいし楽ちん♪もうちょっと見たいな〜、て時に集合時間が来てタイムアップ!なデメリットもあるけど、それでも私は大好きだ。そんな訳で、今日はバスツアーに行って来ました。久し振りのアクティブ。前はこうだったんですけどね。年に3〜4回は行ってたかな。あの子がいた時はね。最後に行ったのは一昨年の夏かなぁ。去年はあの子がいない初めての1年。何にもしたくないし、どこにも行きたくない。だけど、今年
実在する人物かどうか。という問いが、SNSを見ているとたまに出てくる。あの子は…透明になったけれども、いる。が、世の中では実在しない、となるのかな。戸籍から名が消されたから。なら。戸籍が無く、生きている人は何になる?実在しているが、証明するものが無い。あの子は、透明だけどいる、と言いたい。が、それは親だからなのか。世間的には許されないのか。でも、架空でもないんだよ。あの子は、トトロじゃないもん。世間的には、「実在していた」になるのかな。なんだか、哀しい。例えがよく
職場の同僚に、物が壊れたら死んだと言う人がいる。昔っからそう。あの子が生きてる時は、ふーん、そういう言い方するんだ〜、と、思ってただけ。だけど、あの子が亡くなってからは不快になった。電気が点かなくなったら「蛍光灯がお亡くなりになりました!」ボールペンのインクが切れそうな時は「これ、死にかけやん〜!」…不快だ。あの子がお空に逝ってから、一気に不快に感じるようになった。多分相手は、私の不快さに全然気づいてない。あの子のお葬式にも来てくれたんだけどなあ。多分、もう口癖なんだね。
子供を亡くしてない人の言う言葉は、軽く感じるようになった。子供を亡くしてない人の言う言葉は、浅はかに感じるようになった。だけど、悪気が無いのも分かる。それは子供を亡くしたことの無い、1年ちょっと前の私の言葉だから。体験して無いんだから、仕方ない。想像しても想像しても、どうしたって想像できない子供を亡くした世界。だから、仕方ないんだ。私は、私達は。次のステージを見てしまったんだ。立たなくてもいい、次のステージに立ってしまったんだ。でも。だからこそ、感じられる気持ちがある。だ
子供を亡くしたことが無い人は、子供を亡くすと、そこで終わり!と思ってる人が多すぎて苛立つ。もちろん、「終わりだね。」とズバリ言われる訳では無い。そう思わせるニュアンスを含む話しをするからだ。今まで通り、皆と同じように学校に行って、勉強したり遊んだりはできない。そういう意味では、肉体として普通に過ごすことは終わったのだろう。だけど。肉体が無くなったから子育てが終わったと思うとは、何て薄っぺらい!私はね。新しい形の子育てが始まったんだよ!「はあ〜!子供も結婚したし、これで子育ても一
どうしても、悲しみに包まれて涙が止まらない時。①ブロ友さんを思う。今、悲しいのは自分だけじゃない、と思う。昨日の夜、涙が止まらなくてこれは徹夜コースかな、と諦めかけていた時、ブロ友さんも同じだということが分かり、1時間位はウトウトできた。ありがとう〜。②悲しみではなく、今ある幸せに目を向ける。泣いてる時は、悲しみにスポットライトが当たっているのでこれが、中々難しい。けど!今あるものの中にも幸せはあるはず。今あるものは失わないよう大切にしようと意識をそちらに向ける。③透明になっただ
あの子が元気だった時。毎週末は夜更かしの日♪だった。だいたい、録画していたドラマを見ていた。何回も何回も見たドラマもある。いつもベッドの上で、私の横にお兄ちゃん。斜め前にあの子が座って見ていた。CMに入ると、斜め前に座るあの子の背中がかわいくて、ギュ~してクンクン。かわいいな〜!と言っていた。そして、CMが終わるとまた3人で見る。そんな毎週末のルーティンも、あの子がいなくなって無くなってしまった。悲しい。寂しいから、私は今は1人でベッドに転がって、TikTokやYouTub
人生で死にそうになったことって、誰しもあるのだろうか。何度も危ない目に遭う中で、今も全てを切り抜けて生きている人。あの子みたいに、1回目の死にそうになったことで、本当に死んでしまう人。ぜーんぜん、全くもってそんな目にさえ遭わずに老衰で人生終わる人もいるのかな。私は、何度かあるけど、本当に危険だったのが1度ある。滅多に会わない友達の家に遊びに行った時。普段通ることも無い道を、「私の車についてきてね!」と言われて、友達の後ろについて運転した。はぐれないようにしないと!と思って、友達の車
どうしようもなく寂しくて悲しい時涙が溢れて止まらない時私は思いきってあなたのクローゼットを開けるよいつもは私の気持ちと一緒に閉じたままのクローゼットあなたの着ていた服を取り出しあなたの代わりに抱き締めるまだたった10ヶ月だからねまだまだあなたの香りがするんだほんとはずっとずっと抱き締めていたいけど香りが薄れてしまいそうで私はまたそっとクローゼットを閉じるんだ神様10秒だけ10秒だけ、娘を抱き締めてさせてもらえませんかそうしたら一生忘れないよう、あの子の姿を目に焼き付
娘を亡くしてから私はたくさん本を読んだ生とは死とは元々スピリチュアル的な話は興味があって死=無とは思っていないだけど娘が見えなくてお空で楽しくしてると信じてるけど側にいなくて抱きしめれないことが苦しいんだ本にはね人には運命、宿命があるって書いてあったよ運命は努力で変えられるもの見た目や成績、仕事とかだけど宿命は変えられない産まれる国や性別それに寿命や死に方までも産まれる前から決めてくるもしもそれが本当ならあなたは12で死ぬことを決めてきたのかなも
おはようございます最近、一周忌が近づいてきたせいかすごく落ちていますでも、日常生活をおくれている自分もいます不思議でしょうがないです最近は、夢の中でもはるの肉体はここにはいないんだなあと分かってるのが多いですでも、今日は生きて一緒に・・・旅行してました、でも、ちょっと病弱みたいで踊ったら身体に悪いよと私は心配してました熱がでたとか、インフルだとかまたはるの心配したい逢いたい愛してるよ今日も夢に出てきてくれてありがとう🫂
昨日は、くら寿司!また行きました。あの子の好きな、胡麻香る担々麺は、はずせない!○○ちゃん、母さんの中に入って沢山おあがり!びっくらポン!は、せっかくスパイファミリーだったのに、アーニャが出ず。ごめんね。ロイドだって。くら寿司から帰ってきて、なんだか前に何とかっていう、お空に行った人と会える方法を探しだしたことがあったな~?とふと思い出した。あれ、なんていう名前だったっけ?あの子を亡くした直後。あの子と突然話せなくなったことが、全然納得できず、私はなんとか繋がる方法は無いのか
朝、起きてあの子がいなくて絶望。またこのつまらない世界で今日も生きるのかと、思う。いなくなってすぐのような衝撃は無くなったけどそれでも思う。毎日思う。さあ、今日も1日頑張るぞ!なんて日は、もう来ないと思う。朝、起きてあの子がいなくてはあ、やっぱり。受け入れるとこからが毎日のルーティーン。なんだかそれだけで1日の半分のエネルギーは使っている気がする。
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
私は、あの子を事故で亡くして割とすぐにカウンセリングを受けた。警察の人に勧められたからだ。受けたくはなかったけど、何度も勧められるから、2、3回は受けたかな。だけど、事故の詳細・今の自分の気持ちを泣きながら話すことが、逆にしんどくてしんどくて。これって意味があるのかな?と思っていた。続けようかどうしようか、迷っていた時にカウンセリングの先生から「カウンセリングは、こちらから答えを導くことはできないんです。話すことで、自分の考えや気持ちを改めて頭の中で整理していく手助けをするものなので
夢にあの子が全く出て来なくなった。まだ、これは本当に現実に起こったことなのか、と混乱の中にいた時は、頻繁に出てきていた。いつもと変わらない生活を夢の中でしていて、あの子と一緒に出掛けたりもしていた。だけど、私の中であの子はもう本当にいないのだと、理解が進むと共に、夢でさえ逢えなくなった。夢の中でも、あの子は亡くなっているからだ。せめて、夢の中ではあの子と普通に過ごしたい。あの子が亡くなったことを、いつまでも理解できないのもいけないとは思う。我が子を失うことは、事実を受け止めて、受け
2024年1月23日(火)皆さま。こんにちは(^^)/寒さが増してきましたが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?頭、足首、首元を温かくするとだいぶ、違いますよね。どうぞ皆様、温かくしてお過ごし下さいね。今日は、先日、アニマルメッセージを伝えさせて頂いたお話を少しシェアさせて頂きたく思います。数日前に、不慮の事故で、大切にされていた、猫ちゃんが亡くなったとのことで連絡を頂きました。まだ、心の整理もついていない中、旦那様は、あまりのショックで同
私の住んでるところは都市部では無いけれど、それなりに中学受験というものがある。早い子は、小学生低学年くらいから塾に通ってるのかな。中学受験で失敗して、涙涙で、本望ではない中学に行く子。初めから、受験も無しで公立に行く子。それぞれだ。そこで、よく聞くのは「結局、通った学校が1番になる。その場所で花を咲かせるんですよ!」て、セリフ。うちの子は、事故の前に先生に懇談で「◯◯ちゃんは、どこに行っても大丈夫!すぐに馴染みますよー!」と言ってもらってた。私も「ですよねー!私もそう思い
昨日は窓の外から、なんとも楽しそうな話し声が聞こえてきた。私の家の前3軒は、みんな同じ位の小学生や、保育園児がいるからだ。だいたい、集まってワイワイ話しをしている。あの子が元気だったらね。まあ、うちの子はもう中学生と高校生だから、ちょっとうちは世代が変わっちゃったな、と思って気にもしなかったかな。だけど、今は、いいなあ。楽しそう。なんとも卑屈な思いが溢れ出す。そうこうしていると、今度はピアノの音が聞こえてきた。前より、難しい曲を弾いてるな…。うまくなってきたんだな。そのうち
せっかくせっかく、綺麗な絵が描けてたのに。人生の絵が途中まで、綺麗に描けていたのに。あの子を喪ってから、世界はグレーになった。私の目は、何を見ても色を持たなくなった。だけど。人生という名の絵を描くのを止めるのは、駄目らしい。だから、グレーになってしまったキャンバスに、色を重ねてみるよ。あの子がいた頃に描いた、真っ白のキャンバスに途中まで描いていた綺麗な絵は、グレーになってしまったキャンバスの下に、薄っすら見える。その上に、一生懸命色を重ねるけど、1回グレーになったキャンバスには上
私は次の扉を開いてしまったんだなぁ、とつくづく思う。次の扉を開いて、次の扉を開かない限り見ることは無い景色を見てしまったのだなぁ、と思う。次の扉、とは子供を亡くした人だけが開く扉だ。何もなく生きている人は、次の扉を開かない。目の前の参観日やら体育祭やら、何やかや、子供を育てる為のことを一生懸命していたらいいからだ。だけど、子供を亡くしたら次の扉を開いてしまう。亡くなった子は無になった、と考える親は少ないだろうから、亡くなった子の為に何ができるか?を考え出すのが次の扉だ。生きてたら、
そのうち、寂しくて死ぬのかな、と思っていた。そのうち、哀しくて死ぬのかな、と思っていた。初めて知った、子を亡くした親が生きる世界は、とてもじゃないけど、人が生きていけるような世界じゃなかったからだ。だけど、死ななかった。だけど、死ねなかった。こんなに、寂しい気持ちも初めてで。こんなに、哀しい気持ちも初めてだから。放っといたらそのうち、自分は死ぬんだろうと思っていた。だけど、どうやら死なないらしい。どうやら、1番最悪のパターンをやらないといけないらしい。寂しくても、哀しく
昔、ブルーという名の猫を飼っていた。同時期に、パナという猫も飼っていた。パナとブルーは、姉妹だ。ブルーの方が1年くらい早く産まれたお姉さんだった。パナは、1年あとに同じお母さんから産まれた妹だ。ばあば(私の母)は、パナが小さくて可愛くて、パナを溺愛していた。ブルーは、猫なりに愛情の差を敏感に感じたのか、半分ノラみたいな感じになり、餌を食べに帰って来るくらいで、あとは外で狩りをしたり自由に暮らしていて、飼い猫とは思えないほど薄汚れていた。反対にパナは、ばあばに溺愛されていたので、ほと
20代の頃。私は薬の配達の仕事をしていた。足が悪くて外に出られない、高齢のおばあちゃんやおじいちゃんの家まで薬を届ける仕事。元々共働きの両親に育てられた私は、学校帰りにいつもおばあちゃんが面倒見てくれてたから、大のおばあちゃん子。だから、色んなお宅のおばあちゃんやおじいちゃんと、仲良くなるのは大得意。薬を配達するついでに色んなお喋りをして、すぐに仲良くなった。その中で、最近強烈に思い出すおばあちゃんがいる。そのおばあちゃんはその時で、80代半ばくらい。いつもニコニコ笑ってお喋りし
下手くそなイラスト失礼します。みなさん、今、①~③までの、何番あたりで生きてる感覚ですか?私は、あの子を亡くすまで。そして、亡くしてからもずっと①で生きてて泣いて泣いて泣いて泣いて、死にたいなー、と思っては泣いて、生きて。をしてた訳ですが。なんとなく最近、②にいるような感覚になる時があって。それを言葉でうまく表せないので、イラストを描いてみました。もちろん、生活は①じゃないとできないので①で生きてはいるのですが、気持ち的には②にいるような気がするのです。仕事とか、普通の人達と交