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5月15日は『笑点』がスタートした日。今日は三波伸介時代のOP『江戸の暮らし編』を紹介する。※年齢は1980年時点の満年齢。三波伸介(50歳)『め組の喧嘩』桂歌丸(44歳)『水芸太夫』三遊亭小圓遊(43歳)『国定忠治』※この年の10月5日に急死。林家こん平(37歳)『雷電為右衛門』林家木久蔵(43歳)『遠山の金さん』※現在の林家木久扇。林家九蔵(34歳)『八百屋お七』※現在の三遊亭好楽。三遊亭楽太郎(30歳)『鼠小僧』※当時はまだ二つ目。翌1981年に真打
「2021年6月13日日曜日分曇りときどき小雨~ohmyGod!悔しいな。けどね、やっぱり千春だと思いました。」S8145・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENFV1.0:2021.6.16初稿◼️2021年6月13日日曜日分曇りときどき小雨~ohmyGod!悔しいな。けどね、やっぱり千春だと思いました。こんにちわ。夢野旅人です。令和3年・2021年
先日なくなった6代目三遊亭円楽さんが贔屓にされていたことで有名な木場(東陽町)蒲焼うなよし。笑点を見ていると、何十という鰻重を出演者やスタッフのために毎年差し入れておられた。蒲焼うなよし(木場/うなぎ)★★★☆☆3.40■予算(昼):¥2,000~¥2,999tabelog.com11時半開店。15日(土)に少し早めに行くと一番乗り。というか、開店まで誰も並ばなかったま、午後にブロムシュテットさん指揮のマーラー第9番をNHKホールで聴きに行く予定だったので、『ブロムシュテット自伝』を
↓寺の本堂で【落語会】一昨日、梅若伝説(貴族の子・梅若丸がさらわれて隅田川のほとりで亡くなった伝説)で、塚がある隅田川沿いの木母寺の本堂での落語会を聴きに行った。落語中興の祖と言われる三遊亭圓朝が、明治時代に三遊派の隆盛を願って建立した三遊塚が、木母寺の構内にある。親戚から誘われて私だけ行ってみた。夫は歩くのが億劫という。本堂は広くないから30人強の聴衆で満員。年配の女性が「私の推しは・・・」と話しているのを耳にして、そうか、と、世界が開けた気がした。本堂に高座とい
五代目三遊亭圓楽遅れてきた落語ファンの自分は、笑点司会者としての認識しかない。ただ圓楽が私財を投じて作った寄席「若竹」のことは、散々笑点でいじられていたし、スポーツ紙でも大きく報道されたので記憶が有る。1985年4月、江東区東陽町に設立された若竹。六階建てのビルで寄席は2階と3階で客席は163席。他の1、4、5、6階はテナントが入っていた。総工費何と6億円!当時圓楽は銀行から4億円の借金をし、10年での返済計画を立てたとのこと。毎月の返済金額は43
録画していたプレバトを観たら、名人・特待生による「金秋戦」で、俳句の夏井いつき先生からのお題は、紅葉の絶景第七位だった、三遊亭円楽さんが詠んだ俳句が老いてなほ色変えぬ松芸の道でした。これは、芸の道を一本気でまっすぐ進んでいた桂歌丸師匠のことを詠んだものと、円楽さんが説明。ちなみに、「色変えぬ松」とは秋の季語で、「Weblio辞書」によると四辺の木々が色づき紅葉し、また枯色を見せる中で、常緑のまま色を変えぬ松のことをいうそうです。そして、
昨日、2018年7月2日午前11時43分に「笑点」の5代目司会者桂歌丸(本名:椎名巌)さんが慢性閉塞性肺疾患のため亡くなりました。正直、信じられない気持ちでいっぱいです。いつかはこんな日が来ることはわかっていましたがこんなにも早く来てしまうとは思ってもいませんでした。私は、物心ついた頃から、祖父母や父の影響で笑点を見ていました。まだ5代目三遊亭圓楽師匠が司会をされていた頃で、故5代目圓楽さんや歌丸さん、楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)さんとの罵倒合戦が大好きでした。馬、ハゲ