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26日の朝は、名古屋市西区に在るノリタケの森に行ってきました。昔のレンガ造りの建物が残っていて、落ち着いた良い所ですね。
今から200年前19世紀初頭ごろまでタルタリア(タルタリータータリアタルタル)と言う世界一広大な帝国があったことを知っていますか?(赤)タルタリア国旗伝説上の生き物グリフォンです迎賓館赤坂離宮や築地本願寺にありました。日本はまだ日の丸では無かったんですね何年の物かは不明ですが日の丸はまだ150年前1870年(明治3年)かららしいのでそれ以前ですかねそれにしても水色に白の旗ってまたシンプルな旗で驚き両脇の大きな人がタルタリア人らしいですタルタリア人は世界中
何も持っていない状態ですので収穫した作物を保存するサイロを設置します上の画像のサイロはMODです!私はMODがそんなに好きではないのでゴチャゴチャと入れ込みたくないタイプですが(その理由はいつか書く日も来るでしょう…)、1年前のラベンポート遊びでいろいろと試して「これは素晴らしい!」という個人的な傑作的マイベストのみを入れ込んでいくことにします。この「MODサイロ」の魅力は…横長で場所を取りますが幅があるので出入りがしやすく、なによりも作物の搬入口とサイロから
こんにちは。閲覧・いいね・フォローありがとうございます♡このブログは、年収約300万円の家庭で中古戸建て一軒家を購入し、節約しながらリフォームしていくブログです。今回は、外の水道に排水溝がなく、水を流すと大幅に跳ね返って、そこらじゅうびちゃびちゃになるので自然排水を作って流れるようにしよう!という回です。外の水道の蛇口を変更した時のブログはこちら↓『ド素人が水道交換で大洪水【diy】』こんにちは。閲覧・いいね・フォローありがとうございます♡年収約300万円の家庭で中古物
19世紀に建設された巨大な貯水槽ŽlutýkopecWATERTANKSドブリーデン自宅近く(徒歩15分ほど)に観光客がガイドさんと一緒に行く場所があることは知っていました。その後、この観光場所が工事でリニューアルされとてもきれいな公園になっていましたので散歩がてら行って見ました。入口(チケット売り場)はこちらの黄色い建物(以前は、市内のチケット売り場に行かないと購入できなかったと思うので行けてませんでした)チケット売り場でチケット購入。350czk/人(2,100円)ここ
出水海軍航空基地の気象観測所鹿児島県出水市平和町出水飛行場跡(出水ゴルフ場)の東にあるレンガ造2階建の家屋がある。1940年(昭和15年)頃に無線通信所としてつくられた。1944年秋頃、新たな無線通信所が高尾野地区につくられ移転したため、ここはその後、気象観測所として使われた。機銃掃射の痕跡があるとはいえ、空襲の被害が免れた数少ない建造物となる。戦後は個人が所有、現在はガレージと物置で使用中。*出水飛行場1940
暖冬だと思っていたイギリスにもようやく冬が来たらしい。私の住む中部でも気温が氷点下を下回る時間が長くなった。でも、雪が降っていないので、やっぱり暖冬なんだろうと思う。イギリスは日本より緯度が高いので、それなりの寒さを覚悟してきたが、言うほど寒くない。いや、外は寒いのだが、家の中は日本より暖かいと思う。セントラルヒーターだから当たり前とお思いかもしれないが、それ抜きにしても、日本の家より暖かいと思う。日本の家は、古かったのもあるが、朝は自分の白い息とともにスタートが当たり前で、凍えな
丸ログにドーマー、煙突!そして……赤い屋根🔺完成🙌これはもう……基本のログハウスだよね〜✽あくまでも個人の意見です🤫ちょうどいい大きさです🙆この煙突は、私の好きなレンガ造り🧱基本のログハウスは…やっぱり見ていて落ち着くわ~🏚
基坂を上ると左手にあるのが「旧英国領事館(開港記念館)」です。大正2年の建築の旧外国公館で、英国人設計士の設計建物です。コロニアル様式が採用され、レンガ造りで外壁塗装が施されています。昭和9年まで英国領事館として使用され、現在は「開港記念館」として、函館開港の歴史を伝える記念ホールやカフェが入っています。(青竹:NO.3755)
京都市蹴上(けあげ)浄水場の一般公開に行ってきました。蹴上浄水場は、高台にあるので、とても眺めがいいです。この浄水場の名物は、何と言っても色とりどりの綺麗なつつじの花です。その中でも一番の人気は、つつじのトンネルです。この日も、くぐり抜けの順番を待つ人の長い行列ができていました😄蹴上浄水場の歴史は大変古く、明治の終わりに建てられたレンガ造りの建物がまだ残っています。この日は、京都市上下水道局のマスコット、すみと君とひかりちゃんも来ていました😄
現在は宇野みなと線という愛称で呼ばれてますが、もともとは明治43年(1910)、岡山県内では4番目の路線として開業したJR宇野線開通と同時に岡山~高松間には宇高連絡船が就航して四国と本州を結ぶ重要路線となりました。宇野線がそれまでの路線と異なっている点は、県内で初めて国鉄が手がけた路線ということです。宇野線の歴史は重要路線ということで昭和35年にはいち早く電化され、昭和63年には瀬戸大橋の開通とともに岡山~茶屋町間が本四備讃線(瀬戸大橋線)との共用路線宇野線の橋梁は橋台や橋梁に煉瓦が