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昨日、海外から引っ越す時に内容物のリストを細かく作らないといけない、ということを書いた。作業しながら同時に書いていったあの付箋、集めてきて、リストに書き込むのと付箋を読み上げるのと、どちからをムスコのガル男にさせようと思ったのである。これも日本語学習のひとつだと思ったので。すると、ガル男、迷わず「読み上げる方!」を選択。低い山選びやがったこうして、ガル男に読ませて、オカンが書く作業開始。も、も、もうぶくろと言うガル男。なんや、その「もう中学生」と「コブクロ」のユ
7年のアメリカ生活を終えて、いよいよ日本に帰ることのなった我が家がまず直面したのが、ムスコガル男の中学編入試験の願書準備問題。昨日、一昨日と書いてきた通り、そう簡単に揃わなかった成績表も、無事なんとか手元に届いたのだが、これで全て準備完了とはいかなかったのである。その提出しないといけない成績表というのが、小学校から現在までの海外・日本全ての成績だったのだ。ガル男は小学校2年生の2学期まで日本の学校に通っていたのだが、その小学校というのが、学年末にだけ成績表を出すというスタイルで、つまり小
日本の証明写真のクオリティたるや、本当にスゴイと思う。フラッと立ち寄った店でも、カメラを押すと、残りのおかずにかけとく昭和の卓上代表作品、食卓カバーみたいな照明がパシャ~っと光って、そらもう欲しい証明写真がすぐ出来上がる。アメリカはというと、近くのドラッグストアで撮影するのが一般的だが、アホほど高い天井の電気だけを頼りに、白く塗られた柱を背に、なかなか画素数の低い片手におさまるサイズの銀色のデジカメを出してきて、その日出勤しているおっちゃんやおばちゃんが「ほな、撮るで」と撮影。そのス
ついに、とうとう、いや、ようやく、これから我らが5年ほど住むであろう家に入る日がやって来た。長かった、帰国してからちょうど2週間。アメリカの居住者でもなければ、日本の居住者でもないという、人生における空白の2週間を過ごし、やっと我々に住所が出来たのだ。ムスコのガル男とオカン2人は、家の鍵をいただきに不動産屋へと向かった。いくつかの書類にサインをし、鍵をいただき、不動産屋の車で新居へ向かう。車内で20代後半とおぼしき不動産屋さんが言う。「電気、ガスの申し込みはもうされてますか?」と。ナンデ
ロスを1時間も遅れて離陸したにもかかわらず当初の予定時刻通り到着した成田追い風に助けられマッハ文朱的な飛行で締めくくったボイ家のアメリカ駐妻生活思い返せばこのブログのスタートも我が身に起きたハプニングがきっかけでした極寒と大雪の12月末のシカゴに引っ越しをし外に出られない日々の中パソコンの前に何時間も座って動画を見続けていたらアラフォーのオババのおケツに床ずれできるという衝撃的で刺激的な出来事が。パソコンの前には何か生産的なことをするために座ろうと床ずれとと
救急車で運ばれ、大きな袋の点滴で元気の素を注入してもらった翌日、朝4時過ぎに目が覚めるといういつもの自分に戻れていた。面接イケる、そう確信し用意を済ませて、新調したスリッパと受験票をカバンに入れ、スーツに着替え、久しぶりのパンストに足を通す、もパンスト全然上がってけーへん。グイグイ引っ張るも、おまたーるとパンストの間に握りこぶし一個ぐらいの空間が居座るのだ。ワッキーは手繰り寄せたらおばぁちゃんが来たかもしれんが、オバハンが手繰り寄せてもなんにも来ないのだ。こうして急いでいるというのに
ムスコのガル男、編入する学校の受験番号が届いた。コレは、提出した願書に不備はなかったという証明の一つでもあり、オカンはとりあえず一安心であった。同時にお知らせが添付されており、そこには当日の学校までの行き方と、持ち物が書かれていたのである。持ち物は、受験票と上履きまたはスリッパ上履きがない...。外も中もお構いなしにシューズオン体制のこの国には、学校で上履きに履き替えるという習慣がないのだ。ガル男に「テストで上履きいるから、なんか買う?」と聞くと「上履きってナニ?」と返ってきた。そ
約7年のアメリカ生活を終えることとなった我が家は、週末、帰国へむけて、ガレージセールを開催。(初耳、と言う方昨日のブログからどうぞ)吹奏楽部に所属するムスコのガル男は、5月に学校から、なんとバスで9時間かけてLAへ演奏旅行に行くため、その道中のスナックを寄付したいとコーヒー&ジューススタンドを設置。我が家の日本食大事食品庫からオカンのお気に入りの甘めコーヒースティックをせっせと持ち出して準備。本人飲まないからとはいえ、大事なジャパニーズ製の貴重なドリンクの放出にためらいゼロ・・・
我が家、本帰国のため、息子のガル男日本の学校を受験することに。数日続いた受験準備編シリーズ、本日はそのラストエピソードであり、番外編であります。***出願を終え、受験番号が届き、面接用の手持ちのスリッパが目出度いご長寿カラーしかナイ、まいった〜、がこれまでのあらすじ。この一連の出来事は、オカンとガル男がまだアメリカにいた頃のハナシである。一方その頃日本では、一足早く帰国した旦那と日本の学校で寮住まいをしているムスメが、今後住むための物件探しの旅に出てくれていたのである。ガル男、受験校の受
10日ほど前、タイのバンコクで幼い子供二人を残して駐妻が飛び降り自殺を図り命を落とした。平日は激務で午前様、土日は接待のゴルフ、日本からの出張者のアテンドと称しておねぇちゃんの店へご案内という日々の中で一人で子育てをし、孤独と闘い、救いを求めて死を選んだのではないか、と。このニュースを読んで、何が驚いたって、プライベートもごっそり根こそぎ持って行かれる労働環境が、我が家がタイに住んでいた15年前と何ら変わっていないところ。そういえば、思い出す。あのころは単身のおじさんにはやら