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アメリカでは毎日車を運転していたワタシだが、日本に帰ってきていまだ一回も運転していない。今車を所有していないというのも理由だが、たとえ車を買ったとて、この家の周りの道の細さを見る限り、絶対に自分に運転などできるわけがない、そう思うのだ。ハタチで免許は取ったものの、ずーっとペーパードライバーだったワタシは、アメリカで必要に迫られて運転をするようになったため、日本の道の運転経験はゼロに等しい。つまり道幅の感覚は、アメリカンサイズだけが染み付いている。それってどんなサイズかというと家が運べる
このブログでも何度となく書いてきた、アメリカの商品、サクッと開かない案件。どえらい距離をジャンボトラックで運ばれてくる間にパッケージから飛び出さないように、そして、簡単に開けて中を盗まれないためにと理由は色々だが、とにかく接着剤でびっちりとめている。なので、箱に切り取り線なんか、ハナっから付いてない商品も多く、あったとて、日本のように、するり開くなんてことは、まぁないことなのである。そんな日々を7年過ごすと、我が家の面々(オカンも含め)、日本に帰ってくるとどうなるか、というと
さて、楽器も買い、カラダもココロも元気にリフレッシュ出来たお江戸旅は終わり、京都に帰る日となった。その日はお盆休みに入る前日の金曜日。夕方だったので、家族連れとサラリーマンのおじさんんたちで新幹線は満席。真ん中の席を縦に3列でしか取ることが出来ず、しかも16車両中の16両目というギリ&ギリの詰め合わせセットで帰ることになったのである。東京駅、出発の10分前に乗り込むと、ワタシの席の両側にはすでにおじさんたちが座っていた。しかも通路側のおじさん、前のテーブルさげて牛肉弁当を広げている。
用事があり東京に行ったのだが、それはメンテナンスに出していたムスコのガル男のサックスの引き取りともう一つ。アメリカではレンタルだったオーボエの購入のためであった。という訳で夏休み、ムスメ、ムスコの3人のお江戸ツアーとなったのである。オーボエは、夏の一時帰国の時にレッスンをしてもらっていた、ハンブルク交響楽団で長く首席オーボエ奏者だった先生に選定をお願いしていた。先生の家に着くと美しいオーボエが4本用意されていた。自分が吹いた時にしっくりくるもので、と先生、ガル男に試し吹きを促してくれた。何
所用のため出かけることになり新幹線に乗った。Wi-Fiにつなげることができるとあって、早速繋ぐことにしたのだが...。私は日本のWi-Fiが繋がるまでの「同意する」ボタンの多さを殿様に会えるまでの襖の数で表現してきたのだが、この新幹線のWi-Fi、予想外のことが起きたのである。それは開けようとしても襖が横に一切スライドしないという初めてのパターンだったのだ。つまり、利用規約をスクロールして、一番下までカーソルがおりてこないと、「同意するボタン」が働かないようになっていたのだ。最初それに気
ある日のこと。うわぁぁぁという声がムスコのガル男の部屋から聞こえてきた。慌てて駆けつけると、ガル男が指差す先にセミがへばりついていた。そのサイズ、およそ10センチ。えらいジャンボコメも育てば虫も育つ。デカイとはいえ、セミにおののいているガル男生粋のシティボーイだなと思ったのだが....そういえば、アメリカというか、我が家の周りにはセミがいなかった。住む場所にもよるんだろうが、特に砂漠のリノでは皆無。セミの鳴き声に「お〜夏や、夏やで〜」と夏の訪れを感じる日本。アメリカにいる時は
待つことひと月とちょっと。ついに船便が到着。寮生活だったムスメも戻り、ムスコとオカンの家族3人一緒の暮らしが始まることに。ん?3人!?そうなんです。まぁあれこれありまして、色々話し合って、そういう決断に至ったのであります。ランキングに参加中。押してってや~コレ押したらボイのブログフォローできますよってに。
暑うて溶けますなここ最近コメントへの返信が出来ずで申し訳ない限りなんせパソコンがない今携帯でピコピコブログを書いており目も肩も限界そんなわけでコメント返信出来てませんねんそんな中7年のアメリカ生活を終えて我が家が住み始めた場所は先日のブログでご覧いただいた通り衝撃の田園風景そんな風景に「東京のどこですか?」という質問があったのでお答えします。東京ちゃいますねん京都ドス久しぶりの関西実に12年ぶり救急隊員のおじちゃんに「どないですか?」と聞かれ関西や
ムスコのガル男の編入手続きもすべて終わり、こっからは、誰がなんと言おうと、ゆっくりしたんねんと誓い、窓から見える景色をボーッとながめる時間も出来てきた今日この頃。確かに私は言っていた。リノは茶色い。ぐるり一周ハゲ砂漠の丘が囲み、申し訳程度に奥の方にネバダ山脈の緑がある。5月から6月の期間限定の緑が生える期間を待ち遠しく思い、緑が出始めると、用もなく車を走らせ、限定グリーンを堪能したりもしていた。「緑が欲しい、緑をくれっ!」とは言っていた、言っていたけれどもこんなにくれとは言うてへん我が家
過呼吸により手足アゴがしびれて焦った私は、再び救急車で運ばれ、特大パックの点滴をご馳走になった後、タクシーで帰宅。時間はもう夜10時を過ぎていた。とにかくゆっくり寝ようとした翌早朝、ある事が起きたのである。引越しをしたこの家は、ありがたくも冷暖房と2箇所ほどに円盤型のカバーですっぽり覆われたシーリングライトがついている状態であった。そのシーリングライトがついている部屋を当面の寝室として使っているのだが、明け方、ふと目覚めた時、豆電球のついた状態のシーリングライトのカバーの中をなにかがさささっ
ムスコのガル男、9月から通う中学が決まった翌日、朝から入学式、クラス分けテストと慌ただしく過ぎる中で、アホみたいな失敗を犯してもうたのだが、その話はQマガジンで書くとして....この日、まるっと一日学校で過ごし、家に帰ってきたのは、6時ごろ。胃腸をいたわるお粥などを食べ、ゆっくり横になろうとしたのだが、味わったことのない疲労感が押し寄せてきたのである。学校も決まり、どっと疲れがとか、わかりやすいカラダだな、と思ったのだが、あったかいモン飲んでも、横になっても一向に良くならない。それどころか、
さていよいよ、ムスコのガル男、中学編入試験合格発表の日。インターネット、SNSとクリックひとつで世界が広がるという時代に、なんと学校の掲示板のみで貼り出すという思い切ったアナログ方式を採用。今や逆に新鮮しかも、発表が夕方という。午前中のソワソワ感たるや、胃腸にまで影響を及ぼして、ガル男もオカンも食が大細。なんとか時間を潰し、夕方学校へ向かったのである。ガル男の受験番号は、中3の1番。ドキドキしながら番号を探す暇も与えず、一発でわかってしまう番号である。なので、ややうつ向き加減で掲示板の
ムスコのガル男、中学編入試験の面接で大人味な回答をした後、いよいよラスト、オカンへの質問となったのである。「ではわたくしから一つ質問を」と投げかけてきたのは、アメリカ人の先生からだったのだ。そ、そっちからですか〜と驚きつつも、彼女の質問に私はいたく感動してしまったのである。その質問とは学校に入ってから、ガル男くんは多くのことに戸惑い、勉強においても今のような成績ではなくなります。そこから這い上がる過程を厳しくしないで欲しいと私は望むんですが、お母さんはどのようなお考えですか?というも
ムスコのガル男、中学の編入試験の面接日本語編をなんとか切り抜けることに成功し、次はアメリカ人の先生との面接が始まったのである。先生が言う。アメリカが長いとね、日本の学校の先生のやり方、驚くかもしれない。アメリカだとたとえ回答が間違っていても、その発言やプロセスを褒めて、その後に、より良くするため、正しい回答に導くためのアドバイスが来るんだけど、日本はね、その最初の褒めるのがなくて、いきなり「違う」から入って、その後になんで分からないのかと言われたりもする。おそらくまるであなたが批判されてるか
ムスコのガル男、いよいよ日本の中学の編入試験本番。緊張の面持ちで名前と受験番号を伝え、最初に飛んできた質問は、となりに座る人の紹介だったという。ガル男ちらっとオカンの顔を見て、いくでという表情。「ワタシの母です」と花マル回答をしたのである。いいぞ、いいぞ、ガル男〜!と思った次の瞬間、ガル男、何を思ったのか、続きを喋り始めたのである。え?この回答に続きなんかあるかい?と焦っていると「彼女の名前は、ボイ山ボイ子です」とフルネーム紹介に入ったのだ。3人の面接官の視線が一斉にオカンに集ま
救急車で運ばれ、大きな袋の点滴で元気の素を注入してもらった翌日、朝4時過ぎに目が覚めるといういつもの自分に戻れていた。面接イケる、そう確信し用意を済ませて、新調したスリッパと受験票をカバンに入れ、スーツに着替え、久しぶりのパンストに足を通す、もパンスト全然上がってけーへん。グイグイ引っ張るも、おまたーるとパンストの間に握りこぶし一個ぐらいの空間が居座るのだ。ワッキーは手繰り寄せたらおばぁちゃんが来たかもしれんが、オバハンが手繰り寄せてもなんにも来ないのだ。こうして急いでいるというのに
腹痛と吐き気と痺れで救急に運ばれて腸炎だ診断されたオカン。ムスコのガル男の中学編入試験を翌日に控え、その日中に回復することが求められていたワタシは、先生に可能な限りのトッピングを点滴に加えてくれとお願いし、元気の素を血中に放り込んでもらった。点滴が終わると、青色先生がやってきてこう言った。「お薬出しとくわな、整腸剤ととんぷくな」と。「とんぷくは何のためです?」と聞くと、「熱出てるから、38度4分」というのだ。いつの間にそんな熱。と自身の発熱情報に驚きつつも、その熱、救急車で運ば
オカン絶不調の大ピンチに、ムスコのガル男、少ないボキャブラリーの日本語を駆使して、マンションの管理人さんに伝え、想像力豊かな管理人さんのおかげもあって、無事救急車を呼ぶことに成功。病院へ向かう車中、ワタシは、「海外帰りの不調」という事から、間違いなく特殊な感染症を疑われていた。耳で熱を計る隊員。「37.2度」です。という報告後、今度は脇に体温計が差し込まれ、「36.8度....熱がナイ...」と呟く隊員。熱ないとアカンのかと、想定していたモノと違ったなという雰囲気の中
信じられないぐらいの絶不調が押し寄せ、ムスコのガル男にマンションの管理人さんに救急車を呼ぶように託した一件。(はて?という方昨日のブログからお読みください)ガル男は、急いでエレベーターへ向かう。待っている間に、管理人さんに伝える言葉をシュミレーションし、すぐにつまってしまった。dehydrationって日本語なんだっけ...エレベーターがやってきたので乗り込み、急いでグーグル先生で検索。出てきたワード下のスピーカーマークを押し、発音を聞く。エレベーターの中に響く、オカンの症状「だっすい」
電気もガスも水道も使える。トイレットペーパーも揃った。必要最低限中の最低限が揃った日の朝、軽く朝食をとり、そのまま横になっていた。湿気て暑いはずなのに、寒さで耐えられず、掛け布団にくるまって休んでいると、いつのまにか、夕方になろうとしていた。アカン、お昼ご飯すっ飛ばしてもうてる、と起き上がろうとしたその時、お腹を誰かからカッチカチの握りこぶしで押さえつけられたような痛みが走り、体を起こすことができなかった。なんやコレとお腹を撫でていると、その痛みは遠のいた、と同時に手が痺れ始める。寒い
久しぶりに大学時代の面々に会い、楽しくランチにティータイムを楽しんだ帰り道、トイレットペーパーを買いに、ドラッグストアへ寄った。もうこれはずっと昔からなのだが、モワッと暑く、カラダに熱がこもり気味の状態で、しっかり冷えた店内に入ると、たった一発で命中、ストッパー外れて勝手に大腸駅を出発し、夢の超特急となるのである。店に入れば、お目当ての商品よりもトイレの位置を確認、が夏場に必ずとる行動である。店内に入り、トイレットペーパーを選んでいると、鳴ったのだ。発車のベルが小走りで、でも上下でもっ
新居へ入居したのはいいが、電気もガスも、いわゆるお引越し前にやっておかないといけない事第1位を完無視して「住所が手に入ったぜ」という次元の違う喜びを噛み締めていた親子は、若い不動産屋さんに助けられながら、なんとか入居1日目の夜を迎えようとしていた。そして気づくのだ。せや、お風呂ってどうなるよガスの立会いは翌日の午前中。ってことは、今宵は水風呂デスカ...思い出す。シカゴでボイラー破裂事件。春が来損なってまだ寒かった6月に湯を作れなくなった我が家にオーナーが水風呂を提案してきたあの一件を
ついに、とうとう、いや、ようやく、これから我らが5年ほど住むであろう家に入る日がやって来た。長かった、帰国してからちょうど2週間。アメリカの居住者でもなければ、日本の居住者でもないという、人生における空白の2週間を過ごし、やっと我々に住所が出来たのだ。ムスコのガル男とオカン2人は、家の鍵をいただきに不動産屋へと向かった。いくつかの書類にサインをし、鍵をいただき、不動産屋の車で新居へ向かう。車内で20代後半とおぼしき不動産屋さんが言う。「電気、ガスの申し込みはもうされてますか?」と。ナンデ
本帰国ってのは、一時帰国とはこないにも違うもんか、を日々感じている。相変わらずホテルや実家を転々とする生活で、落ち着く場所がない、ということには変わりはないのだが、大きな違いは、ズバリ、財布のヒモの緩さである。一時帰国、このタイミングを逃したら、また来年まで買えへんのやで、という思いと、探しても探しても全然見つからない、ちょうどのサイズの服やビンゴのデザインの靴が、フラっと入った店であっちゅう間に見つかる、というのも手伝ってか、そらもうアホほどものを買うのだ。財布のヒモなんかある?状態で
相変わらずの外食続き。お寿司にカリッとトンカツ、イタリアン、フレンチと毎日続けられる訳もなく、焼き鮭定食やら、おばんざいのお店でおひたしに酢のもんからの、ワカメうどんに、今日はもうお味噌汁だけでエエわ、と物凄い勢いで粗食化している今日この頃である。そんな中、とある店で食事をして会計を済ませた時のこと。レジのスタッフ1人が「ありがとうございました〜」と我々に向かって笑顔で言ってくれた。するとほかのホールのスタッフが「ありがとうございました!」とあちこちからご発声。するとホールの我々が見えない場
「我が家」というものが出来上がって落ち着ける日は一体いつになるのだろうか...そんな事を思いながら、7年暮らしたアメリカから帰国して数日、ホテル住まいをしていた。食事は3食外食になるのだが、ある日ムスコのガル男とオカンは気付いたのである、レストランでのアメリカと日本の大きな違い。それは...日本の料理、アッツアツで届くである。アメリカ、一口目から、すでに適温という温度なことが多い。それに慣れてしまっている我々、無意識に、一口目をぐっと中に押し込むらしく、何回も「あぢっ!!!」つって口の
7年のアメリカ駐妻生活を終え、自分自身への労い品として、スペイン生まれのセラミックラブおじさんの置物を購入し、ホテルへと戻っていたムスコのガル男とオカン。信号のない、しかし横断歩道のあるところを渡ろうとしていた。右を見て車がこちらに向かっていたので、渡るのをやめた。と足を止めていたのはオカンだけであった。「危ない!ガル男‼︎」と服を引っ張って引き戻して車がシャ〜っと通り過ぎる。え?とガル男、キョトン中のキョトン顔でこっちを見る。なんで車止まらへんの〜!?とショック大。せやな、わかる、わ
7年のアメリカ生活を終えて帰国した翌日、いつもの美容室で髪の毛を今風に改造してもらい、2日目はいよいよデパートへ行くことに。この時点で新居への入居日まであと2週間。船便は入居して1ヶ月後に届く予定だったので、それはつまり、2週間後新居へ入ったとて、家電も寝具も何もないということ。航空便で食器、鍋類、炊飯器にタオルなどが届くとはいえ、それも本当に必要最低限の品である。早急に生活を整えねば、といっちゃん最初に向かったリビングのフロアで買ったものは、敷布団かな?タオルケットかな?それはリヤ
さて、話は7年住んだアメリカから帰国して、山ほどの荷物を抱えた家出スタイルの親子が、無意識の高地トレーニング生活を行なった結果、息一つ乱れず階段の上り下りをするという曲芸を披露しながら京成ライナーに乗り込み、山手線に乗り換えたところで「神田」のローマ字Kandaを見てカナダを思い出すという英語にどっぷり侵された脳を見せつけたガル男の続きにもどりたいと思う。帰国初日、我々は大塚にあるOMO5に宿泊した。おもてなしや面白いのOMOなんて意味もあるってな記事を読んだことがあるが、我が家にとっては
我が家、本帰国のため、息子のガル男日本の学校を受験することに。数日続いた受験準備編シリーズ、本日はそのラストエピソードであり、番外編であります。***出願を終え、受験番号が届き、面接用の手持ちのスリッパが目出度いご長寿カラーしかナイ、まいった〜、がこれまでのあらすじ。この一連の出来事は、オカンとガル男がまだアメリカにいた頃のハナシである。一方その頃日本では、一足早く帰国した旦那と日本の学校で寮住まいをしているムスメが、今後住むための物件探しの旅に出てくれていたのである。ガル男、受験校の受