ブログ記事978件
EdSullivanShow1967ブルー・コメッツが出演した日に登場したと思われる、他のバンドやシンガーの歌も聞いて下さい。当時勢いの有ったモータウンや英国のマージービーツが出ていましたが、ジャズのカウント・ベイシー楽団とトニー・ベネットまで登場して、多彩なアーティストの歌が聞ける人気の番組だった事が良く分かります。RareSoundofBSTVVol,2♪EdSullivanShow1967☆彡RareSoundof
1981年にリリースされたマーヴィン・ゲイのモータウンでの最後のアルバム『InOurLifetime』を。モータウンの創設者であるベリー・ゴーディの姉と結婚したマーヴィンであったがその後、離婚し、その腹いせか本人の許可なくモータウンが発売してしまったというアルバムだ。このアルバムは、マーヴィン・ゲイのヴォーカルもさることながら、フランク・ブレアのベースラインがとにかくかっこいい。特に「FunkMe」はベーシスト必聴wこの人「HeavyLoveAffair」では、ベース&ドラム
マーヴィン・ゲイの60年代未発表集。モータウンの未発表集シリーズ「Lost&Found」の中の一枚。かなり久しぶりに聴いた。マーヴィン自体を聴くのも久しぶりのような気がする。60年代モータウンのゴツゴツしたデトロイト・ビートに乗ったマーヴィンの歌ってのも、当たり前だが矢鱈良い。このアルバム、前半にmono録音が続いてるのだが、これが特に良い。monoだとベースがより目立つ。ベースのショボイやつってのはジャンル関係なく萎える。60年代の英国ビートバンドが出せなかったこのビート感。
昔、マドンナがジョニ・ミッチェルの「CourtandSpark」を全曲、宙で歌えるほど大好きだと語っていたが、ワタシのそれに近いのがこのスティーヴィーのコレ。このレコードがスティーヴィーの中でベストだというつもりはなく単純に好きで一番よく聴いたレコード。実際歌えるか否かは別として、全曲クチずさめるほど好きだということ。全曲歌えそうなレコードならベスト盤でもいいじゃないか?ともいわれそうだが、そういうことではない。シングル盤にはならないだろうな・・・という曲さえクチずさめるスティーヴ
マーヴィン・ゲイのデュオ・パートナーとしては史上最高ともいえるタミー・テレル。ただ、彼女がそれだけの人でなかったのは、彼女のファンだったら誰しもが知るところだと思います。今では彼女のソロのリイシューもぼちぼちとなされているが、「EssentialColletion」、マーヴィンとのデュオの集大成「CompleteDuets」等に分散されていたものをHip-Oが新たにコンパイルし直し、これは彼女のアンソロジーとも言えるソロの集大成決定版ともいえるものになっています。「Essentia
スティーヴィーの中で極めてシリアスなアルバム「Innervisions」だが、そこにはラディカルさというよりも誠実であるがゆえのシリアスさという気がする。カーティス・メイフィールドの時にシニカルなラディカルさというものはスティーヴィーにはない。もちろん、どちらが優れているかなどということではない。立ち位置の違いというもんだろう。"TooHigh"でのドラッグ問題へのアプローチなどもカーティス・メイフィールドとは明らかに違うし、アメリカに対する政治批判"Livingforthe
通称モーター・タウンと呼ばれるアメリカの自動車産業地で有名なデトロイトその街で'59年にベリー・ゴーディJr.によって設立されたレーベルの“モータウン”から'62年にデビューした女性ヴォーカル・グループのマーサ&ザ・ヴァンデラスが、'64年に全米2位、全英4位、R&B8位を記録したオリジナル・ナンバー作者の一人でもあるマーヴィン・ゲイが、ドラムスとしても参加!翌年'65年に早速キンクスが、カヴァーして
ビートルズのセカンド・アルバム《WithTheBeatles》(1963.11.22)のB面3曲目。オリジナルはスモーキー・ロビンソン&ミラクルズが1962年11月に発表した曲で、ヒット・チャートの8位まで上昇している。つまりビートルズは発表されて1年にも満たないヒット曲をすぐにカヴァーし録音したことになる。それほどこの曲が好きだったのだ。そして自信があったのだ。「君は僕の心をとらえて放さない」YouReallyGotAHoldOnMeユー・リアリー・ガッタ・ホールド・
ずっと観ようと思っていた作品をやっと鑑賞できた。デトロイトの黒人レコードレーベル「モータウン」が誕生する、60年代の音楽シーンを次々と楽しめてしまう「ドリームガールズ」まるで目の前でその時代の音楽舞台を目撃しているかのような臨場感と贅沢感!!白人歌手ばかりが活躍していた主要エンターテインメントの世界では、まだまだその地位が高いとはいえなかった60年代初期の黒人音楽業界。その時代というものを映像を通じて体感することができる。