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素敵な街ティラナを後にします。ティラナから、モンテネグロのコトルへ。朝、長距離バスターミナル駅へローカルバスで向かいます。同乗した女子高生に声をかけられ、話しながら郊外のバスターミナルへ。彼女が色々と教えてくれたので、ここまですんなり来れました。行先ごとのタイムスケジュールを確認しますが、やっぱりコトルやモンテネグロの街はないみたい。しょうがない。皆様が口を揃えたシュコダル(右上から3番目)へ行きます。日本円で約600円。スーツケース代もいくらか払ったように思
というわけで・・・・クロアチア、スロベニア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ4か国周遊してきたお土産です。ほとんど食べ物と人に差し上げるものです。コンズム(クロアチア、スロベニアでとてもポピュラーなスーパー)で購入した食器拭き・娘たちとお揃い一目ぼれした薬味入れコンズムで買った色々な調味料、ミックスこちらはパプリカパウダーとピクルスミックス、ミルク沸かしボスニアヘルツェゴビナで買ったロクムとハーブティー、干しイチジク。すべてお土産で配る用同じくモスタルで
遅い夏休みを取っていた先輩が、お土産をくれました。「たぶん、モンテネグロくらいで買ったお土産~」色々回ってきたのでよくわからなくなったそうです。いちじくの絵が可愛くて、とってもおいしそう。実際、実物も写真に忠実で(あれ?逆?)、柔らかくて、甘くて、甘すぎなくて、いちじくで、とても美味しいお土産でした。ちなみに先輩が行ってきたのはバルカン半島あたり(たぶん)。
伊豆とお台場のブログ終わりクロアチアの旅残っていますがこちらも、もうじきで終わり9月に予定していた旅行もコロナ恐しで先日キャンセルこれで何か所キヤンセルしたことか。そんなところに写真の先生からのメッセージ北海道小樽方面撮影旅行行ってみたいねということで先生に電話。。。そしたら4日前位に中止になったんだって。メッセージを見たのが遅かったようだ!!!!残念!!ストレス溜まりっぱなし。。。。。コトルの町から再びドブロブニクへ帰ります
何年か前の(9/16)は国境超えてモンテネグロのコトルへ。バスで約2時間ここからは車窓ばかりです8日目旅行に行った気分で見てくださいね車窓です上の写真は洗濯干してある家ばかりです町並みに突然!!コトルに到着・・どんな街なのでしょうね今日のあなたに‥‥笑顔が届きますように。。。
聖トリフォン大聖堂武器の広場に建つ、1602年に建った時計塔その下にある四角柱の柱は恥の柱と呼ばれ罪人の晒し台でしたこの広場は公開裁判の場所であった今日のあなたに・・・・・笑顔が届きますように。。。。
8日目・・・9/16コトルはアドリア海沿岸でも中世の古い町並みが良く保存されたユネスコの世界遺産であるモンテネグロの国の横がコソボ。。。。。。ヨーロッパは陸続きばかり国境も多い筈ですねコトルの町は複雑な海岸線と背後に迫る山の狭間で、古くから城塞港湾都市として栄えてきたそうです到着すごい人出でした…それに真夏のように暑かったですね大型客船が2~3隻は入っていたのでかな?それにしてもき
城壁歩き終えホテルへ戻ります少し休憩してまたお城の方へ戻ります。。。。夕飯は船の乗り場あたりこの日は満月でしたよこんな素敵な景色見ながらシーフードの夕食左のグリーンのは何だったか忘れました。ワイン飲んだので。。。(ほんの少し)少し画面ほんわか?。。。です場内は時間きめられていて9時に閉門かな?今日のあなたに・・・笑顔が届きますように。。。
クロアチア続けます8日目・・9/16コトルの町散策・・・狭い町なので1時間もあれば回れてしまいますやっとねこちゃん見っけ♪この時間はお昼ねかな?アドリア海を隔ててイタリアと向かい合うバルカン半島西部の国モンテネグロ。その海岸線が陸地に入り込み、複雑な入り江となったコトル湾の最奥部にある港町がコトル
人生初めての素潜りでウニをゲットし食べて興奮しているDANです!!早速ですが、アテネからクロアチアのドブロブニクへの行き方を紹介しておきます。最近はそこまでマイナーで無くなってきているせいか、比較的スムーズに移動してきました。今回のブログ一部の人以外、全く必要のない情報ですのでスルーしてもらって構いません。笑まず、全体のルートから!!!アテネ→ティラナ(アルバニア)→シュコダル(アルバニア)→ポドゴリツア(モンテネグロ)→コトル(モンテネグロ)→ドブロブニク
久しぶりの投稿です。実は3月末の異動で主人が帰任となり、モンテネグロを出ました。今は日本で勤務しています。ちなみに私がモンテネグロにいたのは2014〜2015年の1年間です。主人がモンテネグロに赴任が決まり、迷いましたが帯同することにしました。当時小学、中学校の子供がおりモンテネグロでの生活に馴染めるか不安でしたが、インターナショナルスクールは小規模で、2人ともとても楽しい学校生活を送れました。しかし、子供の高校進学を考え1年で切り上げる決断をし2015年の夏に帰国しました。当初か