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●初めての方はお読みください●〇電話・オンラインカウンセリング(全国対応)、事務所での面談カウンセリング住所:福岡市西区内浜2‐2‐16(地下鉄空港線/JR筑肥線姪浜駅徒歩7分)【問い合わせはLINE/電話/メール】*お仕事のご依頼もメールまたは公式LINE、お電話でお問合せ下さい電話:092‐338‐8003メール:info@yotsuba-houmu.com*当事務所のご相談カウンセリングは事前予約制です(土日祝日もご予約可能です)*メール相談は行っておりません■予
●初めての方はお読みください●〇電話・オンラインカウンセリング(全国対応)、事務所での面談カウンセリング*どちらも初回は30分無料(初回30分無料は2024年3月31日で終了します)住所:福岡市西区内浜2‐2‐16(地下鉄空港線/JR筑肥線姪浜駅徒歩7分)【問い合わせはLINE/電話/メール】電話:092‐338‐8003メール:info@yotsuba-houmu.com*当事務所のご相談カウンセリングは事前予約制です(土日祝日もご予約可能です)*メール相談は行っており
【自己紹介ページ】初めての方はこちらからどうぞ夫婦関係が終わっている42歳フリーランスの「お福」です。どの様に終わっているのか過去記事をチェックしてください。旦那と話すのをやめた夫がいるとくつろげない旦那といると息苦しい~その理由は?夫からのストレスで病気になり入院l入院中から退院後に決意した事出産後に夫が豹変~産後にモラハラ夫になった理由は?こんな私ですが、夫婦が終わっているのかチェックしたい。その理由は再確認したいから。という事で、どうしたらチェックできるのか
45歳の大阪で自営業をしている男です。元妻のモラルハラスメントに耐えかねて、2022年の12月に離婚。結婚して10年。内、モラルハラスメントと気づいて8年。別居して14ヶ月。離婚して9ヶ月。別居と同時に血便が止まり、離婚届をようやく提出してもらった日に、やっと少し笑えた。でも、モラハラ人間はどこを切ってもモラハラ人間であり、自分の歪んだ正義を今でも押し付けてくる。面会交流の調停を申し立てたモラハラ妻とは「当初の約束」というものが存在しており、
35歳で結婚して45歳で離婚。10年間の結婚生活で圧倒的に「もうこの人嫌だ」と思っていた日にちの方が多い結婚生活に終止符を売って半年。僕がどう変わったか。まず大きいのが恐怖を感じないこと。夜寝る前に、明日を迎える嫌悪感がない。朝起きて、些細な物音にビクってなることもない。あの目、あの仕草、その口調。すべてがない環境は清々しい。今ではもう殆ど覚えていない。人間は嫌なことはすぐ忘れるというけど、本当に元妻のことは嫌なことも良かった?ことも覚えていない。正確に言う
別居する為に社会的信用を得るために4月から正社員として働く予定のフリーランス6年目の42歳「お福」です。旦那が嫌いでたまらないブログなので、旦那様が大好きな方向きには読むに堪えられない内容になります。ご注意ください。旦那(パートナー)と同じ空間に居る事も苦痛でストレスを感じます。「だったら別居すれば?」というお声も聞こえてきますが、フリーランスで年収350万円ほどの収入うえ、別居したい・・・でも収入が・・・!という葛藤が強くありました。旦那(パートナー)は男尊女卑の
【自己紹介ページ】初めての方はこちらからどうぞ旦那が嫌いな42歳のフリーランス「お福」です。結婚14年目。ある日突然、旦那が嫌いになったのではなく、徐々にです。ティッシュに水が少しずつしみ込んで、今はびちゃびちゃ状態です。「旦那が嫌い」と認識してから旦那が何か言っても、行動しても全てが嫌です。正月休み中もありました。子どものPC関係のID、パスワードについて聞かれたのですが、私がわからないと答えたら「会社だったら許されない。そんな責任感の無い人間は信用されない。仕事できないヤツ
下の子が日曜にモラハラ元旦那と会う約束してて、面会終わった後感謝のLINEが来た私が「下の子、楽しんでたようです」と返事した後、それで終われば私も下の子が楽しめて良かったなぁで終われたのに、ここぞとばかりに「年末に伝えたあなたと話す機会の連絡も待ってます」と返事が来たそれ、このLINEの流れで言う事ではないしそもそも連絡しない+会えないって言ってるんだから会いたくないってのいい加減わかって欲しい聞きたい事はLINEで十分だし、会って話しても私は否定されるだけなの目に見えてる自分の
昨日のことがあってから眠れませんでした。動機がとまりません💦7万で出来ない自分が悪いのか自問自答したり。。今日も夕方までのパートでしたが一日できそうになく午後は代わってもらいました。2500円稼げないけど今はそれどころじゃない体調で💦💦今週はパート15500円日雇い3450円夜の日雇い3880円合計22830円でした。
離婚を覚悟し話し合いをしたとき。「これまであなたがこうだったのは何故でしょうか」と聞く、私の問いへの答えは、すべて同じ言葉のループだった。「それはそんなつもりではなく、そちらがそんな受け止め方をしているとは思わなかった。まことに遺憾」何を言っても、同じその言葉を当てはめていた。「まことに遺憾」仕事で使い慣れた言葉なのだろう。感情のない、まして家族としての愛情などどこにも感じられない言葉だ。
失敗を許されなかった結婚生活には、今考えたら笑い話のようなこともたくさんある。例えばある日、すき焼きにしようと準備を始めた。ところが途中で白菜が無いことに気がついた。私は青くなってモラハラ夫に「白菜が無いので他の野菜で間に合わせても良いでしょうか」と尋ねた。するとモラハラ夫は目を吊り上げ「何を言ってるんですか。すき焼きは白菜でしょう。他のものでは出来ない」と言って腕組みをした。私は準備中のものにラップをかけ、慌てて白菜を買いに走った。今なら「白菜を買い忘れたから、誰か買ってきて」
息子は不登校真っ只中/モラハラ夫と離婚に向けて別居中元お豆腐メンタル看護師運命学/算命学×不登校カウンセラーふじむらなおです子どもたちと3人で暮らしています。・長女→体調不良になりやすい繊細さん(HSP)の大学生・長男→小中高で不登校、ひきこもりを経験、通信制高校在籍中で不登校真っ只中通信制高校3年生の息子について最新記事はこちら息子が通信制高校に通い始めて感じること約1年間は通信制高校の通学コースに在籍していても自宅にひきこもったままだったので
モラハラ夫は、帰宅してすぐにお風呂に入る決まりだった。帰宅は何時かわからない。モラハラ夫が帰宅した時、誰かが入浴中だと私は慌ててお風呂から出るよう声を掛ける。「お父さんが帰って来たから、出て!」それでも、入ってすぐだとなかなか出なかったりする。そうすると段々と夫の顔色が変わる。モラハラ夫がイライラしているのがわかる。怒られる恐怖。「いい加減にしろよ!」「いつまで出ないんだ!」「こっちは仕事をして来て疲れてるんだ!」子どもたちにも、ゆっくりお風呂に入ってもらいたい。でも夫は怖い。
たかだかうどんくらいでやっと起きてきた夫にうどんのつゆを作り具材を入れてあとは火を止めてよそうだけにしておきました。2分くらい茹でたらよそって食べてねと伝えてから、私は洗面所で毛染めをしていましたしばらく経つとピーっというコンロからの音が。その時にあぁクズやったなと思いました。毛染めの状態でリビングに行ったら、ソファに座ってテレビを見ている夫。はピーって音に危機感ない夫。そんな人はじめて出会ったわうどんのつゆはなくなりカピカピに。あれ!よそわなかったの?と言うと、あぁ忘れてた
子どもが不登校真っ只中/見習いカウンセラーふじむらなおです。PCもお片付けもSNSも苦手なアラフィフ/元お豆腐メンタル看護師モラハラ夫と離婚に向けて別居中。子どもたちと3人で暮らしています。・長女→体調不良になりやすい繊細さん(HSP)の大学生・長男→小中高で不登校、ひきこもりを経験、今も通信制高校在籍中で不登校真っ只中2024年は辰年です。辰は、十二支の中で唯一実在しない動物ですので、算命学的にみて、その意味するところは「目に見えない存在」を信じたり意識するという年で
こんにちは。元恋愛ジャンキー&モラハラサバイバーの、りさです。無事にモラ逃げして平穏に暮らしているわたしが、当時を振り返りながらモラハラについて書くブログです。モラハラ被害に遭っている人を少しでも助けたい!あと、今でもたまに思い出してすっごく嫌な気持ちになるから怨念を昇華させるために書きたい!そんな当ブログをよろしくお願いいたしますモラハラの人って、どうしてご飯を捨てる・食べないということを平気でするんでしょうね?でも、これって、考えてもムダなんですよね……。
モラハラ夫と離婚を見据えた別居のためにフリーランスから正社員の道を選んだ43歳の「お福」です。小学生の子ども2人と一緒に3人暮らしを日々夢見ています。。。しかしモラハラ夫(パートナー)のモラハラは私にだけで子どもにとっては良き父親です。ですので親子関係はとても良い。そんな子どもと私のワガママで離ればなれにさせてよいのか?を、考えていきます。そもそも私がモラハラ夫の言動を我慢してしまう理由の根底に「自分に自信が無い」という思い込みがあります。これは私の育ってきた環境、幼少期の経
長男は困難を乗り越えて高校生になった。公立のとても良い学校に受かった。しかしモラハラ夫は全く入学を喜ばなかった。その学校に長男の学力で受かると思っていなかったことで合否の連絡を非常に気にしていたのに、発表を見た後長男からの連絡が遅かったことで異常な程腹を立てた。携帯電話も持たない長男が、発表を見て手続きを済ませるまで連絡するのは難しかったろう。しかしモラハラ夫は帰宅した長男に、合格を祝う言葉はひとことも言わず怒鳴りつけた。「いくらでも連絡することが出来たはずだ」「こっちが心配してる
モラハラ夫と離れるしか自分たちの生きる道はないとわかってから、私は猛然と準備を始めた。離婚準備の本を読み、自立出来るかどうか調べた。やることはとてもたくさんあった。ひとつずつ準備を進めながら、もしうまく別居が出来たとしても身体の不調と不眠でフラフラになっている現状で子どもたちを支えていけるのか。とても不安で心細くなった時に、10年来の友人が「この頃元気がない」と声をかけてくれた。思わず現状を話して泣いてしまった。それまで人の前で泣くことは殆ど無かったし、聞いて楽しい話ではないので後悔
夫婦が終わっているかどうかチェックするには?こちらでも書きましたが、夫婦関係が破綻した原因の1位は「性格の不一致」です。交際するきっかけや、結婚の決め手が「性格の一致」が多いようですが、離婚理由は真逆です。一緒に同じ時間を同じ空間で他人が一緒にするから起こる事ではないでしょうか?特に共同生活は自分のやり方と相手のやり方や価値観を比べる点も多くあります。自分と相手が違っても「あなたはそうなのね、でも私はこうよ」と優しく話せたら良いのかもしれません。「こうしてもらえるとお互い気持ち
母はずっと別居も離婚も理解しようとしなかった。「なぜ相談もなく」「離婚でうまくいった話は聞かない」「モラ夫さんにアドバイスしてくれる方はいないのか」「仲人さんには相談したか」「教育のことは夫に従うべき」「病気はともかく子どもたちの成績が悪いのは母親の責任も当然ある」「学歴を大事に思うのは当たり前」等々。自宅の名義が母なので、明け渡し要請の手紙をモラ夫宛に書いてもらうよう頼んだ。さすがの母も「あなたたちが住めないのはおかしい」と協力してくれた。それ以外母とは離婚について一切相談
DVモラハラで悩む、1人でも多くの人たちに私の克服体験を伝えたいという思いで始めたばかりのブログですがアクセス数が多くてびっくりしてますありがたいです私の生い立ちを少し書いておきます。自らモラハラ被害者になったようなもんです。今思うと。2人姉妹で私は長女。(お姉ちゃんだからお利口さんにしなきゃ。というモラ被害者に多い典型的な育ち方。)両親とも厳しく、いつも親の顔色を伺いながら育つ。(これも典型。)父親は妹ばかりを可愛がってた。今思えばほとんど甘えることが無かった。甘え
こうしてあれこれ思い出すのは、特別なきっかけがあるわけではない。ふと思い出す。嫌だった気持ちや悲しかった思いを反芻する。そしてなぜあの時反撃できなかったのかと自己嫌悪する。今ならこうも言える、ああも言えるということばかりで辛い。モラハラ夫の側にいた時はその考えが全く浮かばなかった。「お前がダメなんだろう?」「俺がこうしないと家族がみんなダメになってしまうだろう?」と言い続けられ、理論で納得させられそれ以上考えることはできなくなってしまう。直接的な暴力を振るわれなくても言葉と態度
【自己紹介ページ】初めての方はこちらからどうぞ夫と一緒に居るとイライラしますか?声を聞くと眉間にシワがよりますか?一緒に居て会話はありますか?私は夫(パートナー)と一緒に居るとイライラします。声を聞くと眉間にシワがより、一緒に居て会話はありません。つまり一緒に居る事に強いストレスを感じています。そしてそれをストレスと感じられないほど麻痺し、顔面神経麻痺になりました。自分の気持ちや違和感にフタをすることで、ごまかし我慢を続けた結果がストレスで病気になるという事です。自分をないがし
ある程度大きな子で、特に女の子は、打算的になってきて、これまでの生活水準を落としたくない子が多いそうです。つまり、離婚時、母か父かどちらについていくか、お金のある方についていく傾向があるとのこと。うちの上の子は、思春期で、まさに生活水準を落としたくない言動からそれがかなり感じられました。結果的に、元旦那の方に行って戻ってこなくなりました。それからは、元旦那は自分の彼女と上の子を連れて、夏は頻繁に海辺の貸別荘へ、冬はスキー場の貸別荘へ、休み毎に海外へ行っていました。今、上の子は
次男がふらふらしながらようやく車に乗れて、受診出来た。大きな病院でまず取ったのは心電図。起きられず頭痛が起きる朝の心電図を取るために、どうしても早い時間の受診が必要だった。他に様々な検査を経て診断が出た。「起立性調節障害」10代前半の子どもに多く見られる自律神経の障害であるそうだ。医師によると、起き上がりの動作だけで心臓に全力疾走をしたと同じくらいの負担がかかっており、頭は脳貧血のような状態になり激しい頭痛が起きているとのこと。「そりゃあ普通の頭痛薬では効かないですよ」と、血圧を上
モラハラ夫に次男への暴力を強要され、断るという選択肢なく私は「起きなさい」「病院へ行こう」と次男の身体を叩いた。運動で鍛えた身体はがっしりとしていて、私の手が痛かった。悲しくて泣いた。次男も悲しそうな顔でそれを見ていた。あまりの辛さに私は、絶対にしてはならないことをした。寝ている次男の枕元に紐とマッチを持って行き「私たちはお父さんの期待には応えられない。このまま生きていても仕方ない」と迫った。この時、次男はキッパリと「嫌だよ」と私の腕をしっかりと握って動かないように押さえつけた。私