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その時、一人は思わず手を組み、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。そして、もう一人は…大きく天を仰ぎ、目を瞑ったまま座席にもたれて、動こうとしない。1978年12月31日。ピンク・レディーの4年7か月の活動の中で、栄光の頂点を極めると同時にターニングポイントともなった「運命の日」である。夜8時40分過ぎ、彼女たちは東京・日比谷、帝国劇場の客席にいた。「第20回日本レコード大賞」のクライマックス、大賞発表のシーンだ。日本中の人々がテレビの中継を見守る中、司会の高橋圭三氏が、審査結果が入った封筒に
久しぶりのB面シリーズである。今回はピンク・レディーの1980年最初のシングル、通算17作目となるB面曲を取り上げる。そもそも、このシリーズは、広く知られているA面のヒット曲に比べ、あまり語られることがないB面曲に注目し、魅力を発掘しようという趣旨で始めた。だが、76年のデビューから2年以上続いた大ブームが79年に収束し、さらに80年ともなると、当時を知る世代でも、ピンク・レディーがどんなシングル曲を出していたのか、思い浮かぶ人は相当少ないのではないか。(かく言う僕自身が数年前まではそうだった
「ピンク・レディーですか?」ヴァネッシーズのバーテンダーは繰り返した。「ええっと、ジンにレモンジュース、グレナデン…アップルブランデーに卵と濃い目のクリームですね。とても濃厚で、甘いですよ」こんな書き出しで始まるのは、アメリカのポップカルチャー雑誌「ローリング・ストーン」(RollingStone)の1979年9月6日号に掲載された<PinkLady:Japanesebubblegum>と題する記事。筆者は、著名な中国系アメリカ人の音楽ライターで作家のベン・フォン=トーレス(Ben
今から31年前、昭和が終わり平成が始まった年に、お笑いやバラエティ番組を中心に昭和のテレビ史を回顧する『昭和のTVバラエティ』(太田出版、1989)という本が刊行された。監修・執筆者は、放送作家の高田文夫氏である。この中で高田氏は、昭和53年(1978)のテレビ界を振り返り、こう記している。時代のキーワードはなんたってお笑いではなく、ミーとケイのピンクレディー。このふたりの売れ方のものすごさというのも前代未聞。まさに寝る暇もないといった感じで1日十数本の番組をかけもち、本番直前にとび込んで
ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、先日「徹子の部屋」にケイちゃん(増田惠子さん)が出演されました。黒柳徹子さんといえば「テレビ女優第1号」として、テレビの草創期から60年以上第一線で活躍されていますが、僕らの世代は、やっぱり「ザ・ベストテン」の司会者のイメージが強いのではないでしょうか。78年1月に始まった伝説の歌番組ですが、記念すべき第1回の放送でランキング1位に輝いたのは、他ならぬピンク・レディーの「UFO」でした。でも当時、超過密スケジュールに追われ、日々いくつものテレビ局やホー
プロ野球、埼玉西武ライオンズ。福岡の名門球団、西鉄の流れを汲むクラウンライターを、西武鉄道グループの国土計画が買収。新球団、西武ライオンズとして、今からちょうど40年前の1979年に最初のシーズンを戦った。この年のチームの成績は、パ・リーグ最下位に終わったが、球団はPRやファン獲得に力を入れた。以前も書いたが、球団歌「地平を駈ける獅子を見た」は、あの阿久悠氏が作詞を手がけたほどだ。(作曲:小林亜星、歌:松崎しげる)PRの結果、観客動員数はリーグでトップに。本拠地とした埼玉県所沢市の西武ライオン
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。2023年も、ついに大晦日ですね。今年の年越しは、ミーちゃん(未唯mieさん)が金沢で行われる「カウントダウン・コンサート」に、そしてケイちゃん(増田惠子さん)は横浜アリーナで「第7回ももいろ歌合戦」に出演されるとのことです。楽しみですね。大晦日といえば、ちょうど45年前、1978年の12月31日は、ピンク・レディーが「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞した記念すべき日でもあります。78年12月31日「第20回日本レコード大賞」(「
こんにちは。お久しぶりです。新2年漕手の森です。お花見レガッタではだいぶお見苦しいレースを見せてしまいました…。さて、今日紹介したいのは、新2年生随一のしっかり者、頼れる同期であるゆづきです!そんなゆづきのいろんな話を聞いていこうと思います!できる限り生の会話を載せているうえとても長い会話なので少し見にくいかもしれませんが、どうぞ最後まで見ていってください~!(パソコンだと見やすいかも…。)(敬称略の部分があります。ご了承ください。)【2024/3/3119:30頃@筑
1970年代後半、日本中に大ブームを巻き起こした伝説のアイドル、ピンク・レディー。あの頃のミーちゃんケイちゃんに会える貴重な映像を収めたDVDボックス「ピンク・レディーin夜のヒットスタジオ〜フジテレビ秘蔵映像集〜」から、彼女たちの「夜ヒット」出演シーンを、初出演の回から順を追って見ている。やっと1978年1月の「UFO」まで来たのだが、ここでどうしても触れておきたいのが、ちょうどこの時期にスタートしたTBSの「ザ・ベストテン」である。最高視聴率41.9%、11年以上続いた超人気歌番組だ。
ピンク・レディーが「夜ヒット」で2度目の「モンスター」を歌ったのは1978年8月28日。前回の出演からは、70日も経っている。この日はまずオープニングメドレーの最後に登場し、共演者たちをバックに「サウスポー」を歌った。衣装も、この曲用のベースボール風コスチュームの黒いバージョン。わざわざオープニング用に用意したのか、それとも前の仕事で着てそのまま移動してきたのかは定かではない。自分たちの歌のパートでは、水色のミニのワンピースに着替えて登場。前回はセパレートの衣装だったが、歌唱中にミーちゃんの
ユニークな楽曲とミニの衣装、奇抜な振付、そしてミーちゃんケイちゃんの唯一無二の歌声と溌溂としたキャラクターで、日本中を虜にしたピンク・レディー。年に300本もの番組に出演するなど、テレビと歌謡曲の全盛期を象徴するスターだった。現在DVDなどで観ることができる当時の出演映像の中から、2人の活躍を振り返っている。今回は、昭和のアイドルが当たり前にこなしていた水着での歌唱映像をピックアップする。「SinglesPremium」DVDより引用(以下の画像も同じ)今回も前回と同じく、2011年にリリ
1980年9月1日。ミーちゃんケイちゃんは赤坂プリンスホテルで記者会見を行い、翌81年3月末をもって、ピンク・レディーを解散することを発表した。2人とも「ピンク・レディーとしての活動は使命を果たし終えた」と考えたこと、そしてそれぞれの価値観が違ってきたので、次のステップに進むため、別々の道を歩むことにしたと、解散の理由を語った。会見の様子を伝える当時の記事によれば、2人とも「終始にこやかに笑顔を絶やさなかった」(スポーツニッポン)といい、「新しいものへの出発を発表する場のような雰囲気だった」(
スタジオのフロアに並べられた夥しい数の電球が、滑走路の誘導灯のように点滅する。まだLEDのなかった時代、暖色を帯びた光が熱を感じさせる。その中で、スパンコールの衣装をきらめかせ「カメレオン・アーミー」をハードなアクションで歌い上げるピンク・レディーの2人。1979年2月5日の「夜のヒットスタジオ」、この年最初の出演である。「カメレオン・アーミー」は前年12月からオリコン週間チャートで6週連続1位。ピンク・レディーにとって最後の1位獲得曲となったが「S・O・S」から9曲連続、通算63週の1位獲得
とにかくこの頃の勢いはすごかった。ミーちゃんケイちゃんも19歳の伸び盛り。土居甫センセイの厳しい要求にも応え、どんどん磨かれていった感があります。今夜もセルフリブログでございます。
私は、もう、すっかりいい歳になりました。それでも、しょうもないものを見つけると欲しくなります。今回は、こちらです。アンパンマンのペットボトルカバー(紫色)写真右はし先週水曜日、スーパーに買い物にいくと、アサヒ飲料のペットボトル飲料を8本、または濃縮カルピスを2本買うと、アンパンマンのペットボトルカバーがもらえるというキャンペーンをしていました。ペットボトルカバーは、ピンク2種類(ドキンちゃんorチーズ)黄色2種類(コキンちゃんorバイキンマン)緑(メ
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
こんばんは昨日、ガススタに行く途中の公園が、余りに新緑が綺麗で途中下車(^.^)そうだ!ナンジャモンジャが咲いてるかも!と行ってみたけど早すぎた……・ω・この2本満開の時は雪をかぶってる様に、遠くからでも真っ白に視えるのタンポポが可愛くて撮った…花よりこっちが好き(^.^)昨日のお客様お決まりポーズのミーちゃん(=^・^=)お腹ポッコリ……また猫草を種を撒きました♪フェアリーアイ去年ラッキーな事にワンコインで買えた子が新芽を出したヽ(=´▽`=)ノヽ(=´▽`=)
今日は2021年最後の月命日八回目の月命日何だか未だに本当に夫は逝ってしまったのだろうかと感じることもあったりしますけれどやっぱり居なくて淋しさ悲しみにやられますやられてばかりです昨日の朝ふと見たらミーが夫の仏前の座布団に座ってちょうど夫のお骨壺上部辺りに集中してましたミーが凄く集中してたので写真を撮ってみました(背景乱れすぎで恥ずかしい)夫へ集中少しして話をしてるような感じ神妙な感じ思わずミーと呟いたら私に気がついて何か言いたそうな顔をしてま
いつもご訪問頂き、ありがとうございます。今日はすっかり春を通り越して5月並みの暖かさでした!!!明日はもっと暖かいようです・・・ノラちゃんは、散歩に出ても帰ろうとはしませんでした!iいつも夜はパパのベッドの近くで休みます・・・ミーちゃんです・・寝ることが多いです!今年は暖かいせいか、ヤマシャクヤクがもう先始めました!!!その他の植物も咲き始めました!!今日はこの辺で終わりたいと思います。
こんばんわ先日まだ早かったナンジャモンジャが咲いてた(^.^)久し振りの青空によく映えてステキでした♪近所のオオデマリも素敵可愛いな〜植えたいけど地面がない……・ω・前の母の日に貰ったソフィーロシャスの蕾が膨らんできた(*^^*)好きなギリアレプサンタジギタリスとオダマキが見頃になったよダッチェスオブエジンバラあいも変わらずタワーで遊ぶミーちゃん(=^・^=)こんなお天気が、GWも続くといいね(^.^)ありがとうございましたm(__)m
今回は結論から書きます。Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで
去年から、我家の猫のリンニャンが、オシッコの調子が悪いようで、3つある猫用トイレを少し、しては、次のトイレに行くように、成りました。子猫の時は、毎月の検診、予防注射歯磨きなどこまめにしていました。ミーちゃんが来て、一年位二匹を連れて医者に行く事が難しく成りました。近くに有った動物病院が遠くに成り、益々難しく成りコロナが流行すると外に出るのが、私が億劫に成りました。申し訳ない!多分、少し血が付いていたので、膀胱炎かな「御免なさい!」と、薄い血液を見て、ヒーリングをしてやりました
ピンク・レディーがデビューしたのは、1976年8月25日。まもなくちょうど45年になる。「ペッパー警部」で彗星の如く登場し、たちまちスターダムに駆け上がった2人は、歌謡曲の歴史を塗り替える圧倒的な成功を収め、社会現象と呼ばれる巨大なブームまで巻き起こした。華やかな活躍は、レコード音源やテレビ出演の映像、新聞・雑誌の記事などによって今に伝えられている。また、その舞台裏に関しても、関係者の回想などで数々のエピソードが語られ、半ば「伝説」となっているものもある。そうしたエピソードの一つに「実は“
ミーちゃん、ミー、ミーコと呼んでいたが自分だとわかっていたミーちゃん。お空に逝ってしまいました。18年位前に実家の物置小屋で産まれて、母が飼っていた。飼い始めた頃に実家に住んで居たので私にも懐いてくれた。一昨日、まだ大丈夫だと思い会わずに帰ったことを後悔。キレイな顔で大好きな母の側で眠りながら亡くなりました。ガリガリになっても頑張ってた、ミーちゃん。大好き、ミーコ、ありがとう。
こんばんわ今日は夕方まで曇り…ギリギリ夕日が見られました(^.^)中央の上の光は月ではないよこの時間まだ月は東の方です…1昨日フェイク撮ってたら、1枚だけボケてフェイクが写ってるない・ω・ここから、分かりやすく色を変え拡大して、少しアップします良かったら見て下さい…何これ??時々写る光、エネルギー?前ほど数は多くないけどねほとんど後ろは例の建造物なんです…………(¯―¯٥)一体どうなってるの??夜は夜で発光体が飛びまくってるし…家の中にも居るよ地球を護ってる良い方の
ピンク・レディー最大のヒット曲で、今なおCMなどで使われ、世代を超えて親しまれている名曲「UFO」。今回は、そのB面となった、知る人ぞ知るあの曲を取り上げる。<基本情報>タイトル:レディーX作詞:阿久悠作曲・編曲:都倉俊一発売日:1977(昭和52)年12月5日A面曲:UFOこれまでも指摘してきたように、阿久悠氏が手がけるピンク・レディーのシングルでは、A面曲とB面曲の歌詞に何らかの呼応関係が見られることが少なくないが、それは今回も当てはまりそうだ。A面の「UFO」は、不思議な能
おはようございます😊お久しぶりです。心配してメッセージ下さった方々有難う御座いましたm(__)mまたちょこちょこ更新出来たらな〜って思ってます。最近のレオは私の枕の左側で寝てくれてます。しばらく舌が出っぱなしだったレオ⬇ふうちゃんと仲良くはいポーズ📸仲良し男子の3ショット📸猫柄の傘の下で寛ぐチビちゃん😊ふうちゃんの兄妹で家出中のミーちゃん。最近は一日2回来てくれます😊またみんなの可愛い姿を載せたいと思います🙇待ってて下さいね😉最後まで読んで下さって
1970年代後半の2年ほどテレビで見ない日はなかったピンク・レディー。その最大のヒット曲「UFO」について、当時国内のテレビで放送され、現在DVDで観ることが出来る歌唱映像32件を、放送日順に鑑賞している。今回は、78年1月後半に放送された3件を取り上げる。78年1月26日放送「ザ・ベストテン」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)過去2回の記事はこちら↓『ピンク・レディー「UFO」全DVD歌唱映像をめでる(1)』ピンク・レディーの最大の
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
ピンク・レディーのシングルB面曲をリリース順にたどっている。今回取り上げる18作目は、A面曲ともども、かなり奇を衒った突飛なタイトルが目を引くユニークな楽曲である。<基本情報>タイトル:ザ・忠臣蔵’80作詞:伊藤アキラ作曲・編曲:川口真発売日:1980(昭和55)年5月21日A面曲:世界英雄史通算18作目、80年になって2作目のシングルは、前作から作家陣を“総取っ替え”する形となり、作詞は伊藤アキラ氏、作曲と編曲は川口真氏が担当した。残念なことに両氏とも昨年相次いで亡くなったが、伊