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ミーちゃん、息が荒く多分もって1か月早ければ数週間です(;∀;)食欲が全くありません食べ物を受け付けません(´;ω;`)ウッ…昨夜、一瞬死んでました「ミーちゃん!!」と呼んで撫でたら息を吹き返しました昨夜は寝入りばなに母に起こされて一晩中嫌な夢ばかり見て明け方2時間くらい眠れただけです先日のブログのアクセスはフリーマーケット・ものの処分ばかり1つの項目1アクセスばかりで「リサイクルしか出来ないくせに」っていう神様の声かと思った(* ̄▽ ̄)フ
1980年9月1日。ミーちゃんケイちゃんは赤坂プリンスホテルで記者会見を行い、翌81年3月末をもって、ピンク・レディーを解散することを発表した。2人とも「ピンク・レディーとしての活動は使命を果たし終えた」と考えたこと、そしてそれぞれの価値観が違ってきたので、次のステップに進むため、別々の道を歩むことにしたと、解散の理由を語った。会見の様子を伝える当時の記事によれば、2人とも「終始にこやかに笑顔を絶やさなかった」(スポーツニッポン)といい、「新しいものへの出発を発表する場のような雰囲気だった」(
現在DVDで視聴できるピンク・レディーの映像の中で、「UFO」の歌唱映像をピックアップし、当時テレビで放送された日付順に鑑賞している。今回は1978年3月と4月に放送された3件の映像を取り上げる。78年3月4日放送「8時だョ!全員集合」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)歌謡曲全盛のあの頃、人気歌手はだいたい3か月に1枚のペースで新曲のシングルレコードを出すのが一般的だった。「UFO」は77年12月5日、次のシングル「サウスポー」は78年
歌謡曲の黄金時代と言われる1970年代。デジタル配信はおろか、まだCDさえなく、流行歌の新曲は直径7インチ(約17センチ)、1分間に45回転するシングルレコード(EPレコード)で発売された。それはドーナツ盤とも呼ばれるポリ塩化ビニール製の円盤で、通常は表と裏の両面に1曲ずつ収録する。メインとなる楽曲(レコードのタイトル曲)を収めた方をA面、もう一方をB面と呼ぶ。ある歌い手が新曲をリリースしたと言えば、それはA面曲のことであり、人々はA面曲を目当てにレコードを買う。テレビ番組で歌手自身が歌ったり
燐家の物置を住処にしている桜耳の猫2匹我が家にも餌を食べにやってきます。三毛猫雑シャム実はこの2匹は親子です。私はあまり遊んであげないので、呼ぶ時はどちらも「ミーちゃん」ミーちゃんと呼ぶと親子で寄ってきます↑こちらが母親です(推定8歳)↓こちらが娘です(推定4歳)キャットフードをあげると必ず母親が先に食べます。母親が食べてる間、娘は座って待ってます母娘ははとても仲良しで、いつも一緒にいます。子育て中のジョウビタキはこの猫を最大限警戒しています。雛の鳴き声もだ
ピンク・レディーの最大のヒット曲、「UFO」。斬新な歌詞、サウンド、衣装、振付、そしてミーちゃんケイちゃんの卓越したパフォーマンスによって、歌謡曲の歴史の中でも異彩を放つ独特の世界観を作り上げ、日本中の老若男女を魅了した。あの頃テレビの前で一緒に歌い踊った昭和世代だけでなく、今なおCMやネット動画などを通して多くの人に親しまれる、世代を超えた名曲である。前回の記事で述べた通り、ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる2人の歌唱映像を
1978年といえば、その2年前から日本中を席巻してきたピンク・レディーの大ブームが絶頂を極めた年である。テレビと歌謡曲が娯楽の王様だった時代。彼女たちはCMタレントとしても引っ張り凧で、多い時には10数社のコマーシャルに出演、テレビで見ない日は無い活躍ぶりだった。今回取り上げるB面曲は、この年に発売されたある商品のCMで使われ、広く親しまれた楽曲である。<基本情報>タイトル:キャッチ・リップ作詞:阿久悠作曲:都倉俊一編曲:田辺信一発売日:1978(昭和53)年6月25日A面曲:モ
生憎の雨となった本日。昨日は、仕事帰りに日産によって新車と今まで乗っていたマーチと交換してきました❗先日、親からの薦めでそろそろ買い替えたら?と言われて考えた結果買うことを決意。今買えば、少し安くしてくれるとディーラーさんも言ってくれたので5年ローンで買っちゃいました❗思えば、免許を取ってからずっーとマーチに乗っていた私ですが…今回は、軽自動車に変えた次第です❗車種は、日産デイズです。色は、オレンジ🍊♥結構可愛い色ですよね(*^-^*)⤴燃費もいいし、自動車税も保険料も安くなるし
ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる歌唱シーンの映像をリスト化したところ、最も多いのが「UFO」の歌唱映像だった。78年1月19日放送「ザ・ベストテン」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)その32件(メドレー含む。別々のDVD作品に同じ内容が重複して収録されている場合は1件と数える)の映像のうち、TBSで放送されたものは半数を占める。つまり、今年4月にDVDボックス「Pink
ピンク・レディーがデビューしたのは、1976年8月25日。まもなくちょうど45年になる。「ペッパー警部」で彗星の如く登場し、たちまちスターダムに駆け上がった2人は、歌謡曲の歴史を塗り替える圧倒的な成功を収め、社会現象と呼ばれる巨大なブームまで巻き起こした。華やかな活躍は、レコード音源やテレビ出演の映像、新聞・雑誌の記事などによって今に伝えられている。また、その舞台裏に関しても、関係者の回想などで数々のエピソードが語られ、半ば「伝説」となっているものもある。そうしたエピソードの一つに「実は“
こんにちは。お久しぶりです。新2年漕手の森です。お花見レガッタではだいぶお見苦しいレースを見せてしまいました…。さて、今日紹介したいのは、新2年生随一のしっかり者、頼れる同期であるゆづきです!そんなゆづきのいろんな話を聞いていこうと思います!できる限り生の会話を載せているうえとても長い会話なので少し見にくいかもしれませんが、どうぞ最後まで見ていってください~!(パソコンだと見やすいかも…。)(敬称略の部分があります。ご了承ください。)【2024/3/3119:30頃@筑
こちらは、今日のお昼前に撮影したミーちゃんです。実はこの時、ミーちゃんはシャンプーしたばかりです。文字通り、水も滴るいい女です。職員さんが頑張って、シャンプー&爪切りをしてくれたんですよ。まだ湿っている毛の質感が、写真から伝わるといいのですが。さっぱりしたミーちゃんは、気持ちよさそうにリビングを散歩したり、シャンプーしたと聞いて、のこのこと見に来た施設長と遊んであげたりと、楽しそうでした。ミーちゃん、綺麗になったよっ!この季節の
私は、もう、すっかりいい歳になりました。それでも、しょうもないものを見つけると欲しくなります。今回は、こちらです。アンパンマンのペットボトルカバー(紫色)写真右はし先週水曜日、スーパーに買い物にいくと、アサヒ飲料のペットボトル飲料を8本、または濃縮カルピスを2本買うと、アンパンマンのペットボトルカバーがもらえるというキャンペーンをしていました。ペットボトルカバーは、ピンク2種類(ドキンちゃんorチーズ)黄色2種類(コキンちゃんorバイキンマン)緑(メ
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
佐賀県は唐津市でリゾート気分ホテルをチェックアウト後、リゾートからかけ離れていっていますが(笑)唐津城を出た後は、石垣に沿って歩きますちなみに、ずーっと雨が降っています唐津城のすぐ下には早稲田佐賀があり、石垣も学校に沿うような形になっていました。あまりきれいではなかったですが、二ノ門外堀そして、旧高取邸に到着炭鉱主で成功した高取伊好の旧宅です。邸宅内は撮影禁止家の中に能舞台があるという、かなり豪華な造り杉戸絵や欄間などもすごかった何よりびっくりしたのが、平成9年までご子孫の
こんにちは!。いつもお越しくださりありがとうございます。しばらくぶりの更新になってしまいました。インスタを始めますとこちらが凄く簡単なのでついついそちらで終わった気になっちゃいます。でも、こまかなお話しなどは…やはりブログでしょうかねぇ~。さて、農園では、続々と芽出し球根の開花が始まりました。↓アイリスレティキュラータアリダアヤメ科アヤメ属繊細なブルーのグラデーションに原色イエローのブロッチが映えます。草丈:10〜15cm↓ゲイゲイソリー
この4月、ピンク・レディーのTBS出演映像を多数収録したDVDボックスが発売され、ミーちゃんケイちゃんの往年の活躍ぶりを楽しめる映像がボリューム的に一気に充実しました。現在、DVDで視聴可能な映像はどれくらいあるのでしょうか?「ザ・ベストテン」78年8月24日放送(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)そこで今回、歌唱シーンの映像に絞ってリストを作ることにしました。ピンク・レディーが活動した1976~81年に国内のテレビで放送された歌唱映像を
1977年1月にリリースされたピンク・レディーのファースト・アルバム「ペッパー警部」を聴くシリーズ、今回でもう6回目である。いくらなんでも、そろそろ完結しなければ…残るはベイ・シティ・ローラーズ(BCR)をカバーしたB面の後半3曲である。それぞれについて書いて行き、最後に当時のミーちゃんケイちゃんのコメントがあったので紹介したい。(77年刊「ピンク・レディーケイとミーの作った本」より)Bー4:エンジェル・ベイビー75年発表のアルバム「噂のベイ・シティ・ローラーズ」に収録されたBCRのオリ
3月20日16:00放送♪第19話「フランクフルトへ」ハイジはマイエンフェルトの町に着いた所で、デーテおばさんから真相を聞かされます。怒って山に帰ろうと必死になりますが、デーテおばさんに無理矢理に汽車に乗せられてしまいます。ハイジは汽車のデッキから、見慣れたアルプスの山々が遠ざかっていくのを見て悲しさが込み上げ、涙がとめどもなく流れて来るのでした。ハイジは汽車の中でもずっとしょんぼりしたままです。しかし、デーテおばさんから少しだけフランクフルトにいれば、すぐにアルムの山に白パンとタバコを持
急な出来事でした…😞。数日前から我が家のお猫様である、ミーちゃんが体調を崩してしまい本日の夜(夜中の1時頃)に永眠致しました。去年辺りから、年のせいか病気(腎臓病)にもなってしまい定期的に病院へと通い投薬治療や点滴療法を受けて生活しておりました。お外にもあまり行かないようになって、お家でまったり過ごす事が多くなっておりましたね。最近は、一段と元気がなくてヨロヨロと歩いていて一応ソファーの上でぬくぬくしたりとして過ごしていたところ、仕事から帰ってきたら横になっていて息が荒くなっていました。
『夏・体験物語2』の中古DVDを見つけて衝動買いしてしまった。若い頃、ドラマ観てたしね。あっ、でも中山美穂が出演してた方はこっちの『2』じゃなかったんだな。もう忘れてた。でもこの夏、充分に楽しんで観たぞ(笑)!それにしてもこのドラマ、今、観ると適度に滅茶苦茶で刺激がある。基本的に学園ドラマなのだが、吉幾三がバカバカしいくらいエロい教師役で、おそらく主人公クラスの教師では史上最低の男かも(爆)!?時には愛情で生徒を平手で…いや、女子生徒をグーパンチでぶっ飛ばしちゃう時もあるのだ!その
この8月でデビュー45周年を迎えたピンク・レディー。「スター誕生!」でスカウトされたミーちゃんケイちゃんが、プロ歌手を目指して故郷・静岡から上京したのは、デビューの約4か月前、1976年4月12日のことだった。2人が東京で初めて住んだのは、渋谷区富ヶ谷。山手通りと井ノ頭通りが交わる辺り、NHKや代々木公園、東京大学駒場キャンパスなどに近い、都心の住宅街である。近年は渋谷の繁華街の奥にありつつ、静かで落ち着いた佇まいが魅力の「奥渋」エリアの一角としても注目を集めている。この街で、輝かしいキャリ
去年から、我家の猫のリンニャンが、オシッコの調子が悪いようで、3つある猫用トイレを少し、しては、次のトイレに行くように、成りました。子猫の時は、毎月の検診、予防注射歯磨きなどこまめにしていました。ミーちゃんが来て、一年位二匹を連れて医者に行く事が難しく成りました。近くに有った動物病院が遠くに成り、益々難しく成りコロナが流行すると外に出るのが、私が億劫に成りました。申し訳ない!多分、少し血が付いていたので、膀胱炎かな「御免なさい!」と、薄い血液を見て、ヒーリングをしてやりました
今回もピンク・レディーをめぐる1978年の雑誌記事の中から、気になったものをピックアップします。PLは大賞をもらえない?ご存知の通り、この年の大晦日、ピンク・レディーは「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞しました。今と違って、当時は12月ともなると、今年のレコード大賞は誰が取るのか、日本中が注目し、予想し合ったものです。この年は、レコードセールスだけ見ればダントツのピンク・レディーと、前年「勝手にしやがれ」で受賞しV2をねらう沢田研二さん、さらに山口百恵さんが有力と言われていました。
今回は結論から書きます。Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで
久しぶりのブログアップです。今年のチョウ撮り初めは、大町公園の「ツマキチョウ」です。今年は暖かかったので、例年より1週間早めに現地に行ってみました。しかしチョウの好きなムラサキハナナは終盤を迎えており、一瞬焦りを覚えましたが、しばらく待ってみますとツマキチョウがやって来ました。オス個体もやって来ました!!!キタテハもやって来ましたスジグロシロチョウもやって来ました!!
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。2023年も、ついに大晦日ですね。今年の年越しは、ミーちゃん(未唯mieさん)が金沢で行われる「カウントダウン・コンサート」に、そしてケイちゃん(増田惠子さん)は横浜アリーナで「第7回ももいろ歌合戦」に出演されるとのことです。楽しみですね。大晦日といえば、ちょうど45年前、1978年の12月31日は、ピンク・レディーが「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞した記念すべき日でもあります。78年12月31日「第20回日本レコード大賞」(「
今から31年前、昭和が終わり平成が始まった年に、お笑いやバラエティ番組を中心に昭和のテレビ史を回顧する『昭和のTVバラエティ』(太田出版、1989)という本が刊行された。監修・執筆者は、放送作家の高田文夫氏である。この中で高田氏は、昭和53年(1978)のテレビ界を振り返り、こう記している。時代のキーワードはなんたってお笑いではなく、ミーとケイのピンクレディー。このふたりの売れ方のものすごさというのも前代未聞。まさに寝る暇もないといった感じで1日十数本の番組をかけもち、本番直前にとび込んで
この8月25日、デビューから47年を迎えるピンク・レディー。1970年代後半、日本中に大ブームを巻き起こした伝説のアイドルとして、数々のヒット曲とともに今も世代を超えて愛されている。現在DVDで視聴できる往時のミーちゃんケイちゃんの映像の中から、最大のヒット曲「UFO」の歌唱シーンをリストアップし、テレビで放送された順に鑑賞している。前回の記事はこちら↓『ピンク・レディー「UFO」全DVD歌唱映像をめでる(6)』現在DVDで視聴できるピンク・レディーの映像の中で、「UFO」の歌唱映像をピック
おはようございます😊お久しぶりです。心配してメッセージ下さった方々有難う御座いましたm(__)mまたちょこちょこ更新出来たらな〜って思ってます。最近のレオは私の枕の左側で寝てくれてます。しばらく舌が出っぱなしだったレオ⬇ふうちゃんと仲良くはいポーズ📸仲良し男子の3ショット📸猫柄の傘の下で寛ぐチビちゃん😊ふうちゃんの兄妹で家出中のミーちゃん。最近は一日2回来てくれます😊またみんなの可愛い姿を載せたいと思います🙇待ってて下さいね😉最後まで読んで下さって