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こんにちは前回のブログ記事(*追記あり*アメリカ配偶者ビザ申請レポートVol.2【請願書(I-130)の提出と一次面接】の続きです。I-130が承認された後は、移民ビザ申請書(DS-260)の提出・その他最終面接に必要な書類の準備が必要になってきますこちらのプロセスをざっくりご説明すると、以下の通りです。①犯罪経歴証明書の取得②移民ビザ申請書(DS-260)の提出③指定の医療機関での健康診断の受診①~③の対応する順番は前後してもOKですが、健康診断書の有効期限は6
私は声を大にして言いたい。ミリタリーと結婚するな。まじで。世界一ふざけたワイフ。今日も余裕で8時半に起きた。するとはずばんどからのメッセージ。なんですって。私らは8/12にサンディエゴを出る予定だった。だが、ミリタリーが飛行機スケジュールを変更しやがり、11(12のことね。シアトルで一泊するから)の飛行機はあのクソフライト、サンディエゴーシアトルー横田ー岩国ー沖縄行きと言うお前は死ねと言わんばかりのhell行きフライトだという。ちなみにサンディエゴからシアトルは普通のエアライン。ん
拘置所から出て…私はこう思っていました。さすがに夫はこりただろう。薬物乱用をやめてくれるはず。バカだと思われるかもしれませんが、これがキッカケになれば…とその思いにすがっていました。それに私は希望がありました。来月(8月)か、遅くとも再来月(9月)には、日本へ帰れるはず。夫はまた日本の基地への転勤を希望し、承認が下りていました。そういえばアメリカに来る前に、夫の上司や同僚にこう言われました。「楽しい3年間のアメリカ生活になるよ。3年間はあっという間だ。」夫の母にこ
すっかり拘置所日記のようなブログになりましたが、どういうわけか、拘置所の部分は書いていて少し楽しかったです。なぜなら、この拘置所なんて、全然大したことがありません。私は初めに「大きな出来事が5つ起こった」と書きましたが、5つどころじゃありませんでした。これから更にめちゃくちゃになりますが、その前にアメリカ生活のことを2件書きます。アメリカでは子供の誘拐がとても多いです。マーケットに行くと、日本でもある「この子を知りませんか?」の張り紙。アメリカのこの張り紙、全国区ではなく、
夫の両親が我が家に来た初日の話に戻ります。私は義理の両親に、夫のアルコールの問題を話していました。夫が米軍から「禁酒命令」が出ている話もしました。米軍人の夫に対する米軍からの「命令order」なので、従わない場合、軍法違反になり重い刑罰の対象になります。逮捕、軍法裁判、不名誉除隊(クビ)など。ついでに夫と私の結婚前の約束、「結婚して、もし赤ちゃんができたら、あなたはタバコをやめて。」結婚前の約束は漠然としていましたが、私の最愛の祖父が若い時に嗜んでいた程度のタバコがおそらく原因で
精神科の緊急保護施設を出た日の夜。私は子供たちを連れて、ハロウィンのお菓子をもらいにご近所を回りました。子供たちがクリスマスと同じように大好きだったハロウィン。もうこんな風に過ごせるのはいつまでだろう…。私は決心しました。このままでは夫は死んでしまいます。だから、米軍に、夫の薬物依存症を相談をします。そして夫に治療を受けさせたいです。軍人の健康保険では、軍人は勝手に民間の病院へ行くことができないからです。米軍病院に、夫の薬物依存症を相談すれば、米軍病院のお医者様が軍医でも軍
グラッド先生と最後の診察、私はお礼のプレゼント(日本のCDと、お子さんへのGODIVAのチョコレート)を買い、楽しく過ごしました。グラッド先生から、私の第一子を連れてきてと言われていたので、また連れていきました。グラッド先生も、私の子供にGODIVAのチョコレートのプレゼントをくださり、二人で笑いました。イースターの時期に、毎年夫がウサギのぬいぐるみ付きのGODIVAのチョコレートを買ってくれました。今はぬいぐるみは売られてしまいました。グラッド先生が私の命綱でした。最後の診察は
アメリカに到着して、私が一番最初にしたこと…それは、夫の両親にハガキを出したことでした。本当にそれが一番最初にしたことでした。アメリカに着いてすぐ、宿泊したオーシャンフロントの素敵なホテルの一階で、素敵なハガキを買いました。Facebookやスマホが主流だったあの頃、夫の両親と連絡を取るのにまさか本当にハガキしかなかったとは…。ハガキには、「こんにちは、お元気ですか?夫がアメリカ勤務になり、今、あなたの近くの米軍基地にいます。子供は2人産まれました。ご連絡をお待ちしています。
夫に単刀直入に聞き、夫が「本当に風邪をひいていたから、薬を飲んでいただけ。風邪薬や咳止めに依存性があるなんて知らなかった。もう飲まないよ。」と答えてから…。私は不安な日々を…過ごし…ませんでした本当に風邪をひいていたのだろう。風邪薬や咳止めに依存性があることを知らなかったのだろう。もうやらないと言ったから、やらないだろう。本当にそう思っていました。おそらく99%信じて、残りの1%を消していた感じです。ある日、夫が仕事中にネットで「風邪薬・咳止め依存性」を検索しまし
2013年の初夏の金曜日の夜、私は日本からアンパンマンの幼児用ハサミを取り寄せ、第二子の子供に教えていました。2歳児の初めてのハサミ。その姿がかわいくて、私は子供をビデオに撮りました。ビデオには、夫も写っていました。しかし。えっ…!!!夫の目がこわい。私は慌てて、「パパ、私の顔を見て!」夫の目の瞳孔が開いていました。例えば、こんな感じ。私は恐怖で、初めて夫の顔を見て叫びました。「また薬やったの!?」「やってない!」私はビデオカメラで夫の顔を撮影しました。夫自身
夫の母の家で、一番上の子の3歳の誕生日パーティーをしました。アメリカの一般的な誕生日ケーキはあまりおいしくないので、日系マーケットで大きなショートケーキを特注しました。この時期は、夫の同僚のお子さんのお誕生日パーティーにもよく招待されましたが、だいたい毎回、5000円前後のプレゼントを買っていきました。夫の同僚ということと、何よりもアメリカのお誕生日パーティーはゲストの子供たちも一緒に楽しめるようにお金をかけてくださっています。皆さま、プロのお誕生日パーティー業者さんにお願いをされていて
アメリカで子供(と私)が大好きだった場所、全米チェーン・レストランのチャッキー・チーズ。店内はレストランですが、遊具やゲーム機があり、ピザ🍕を食べながら走り回って遊べる日本では考えられないレストランでした。チャッキー・チーズの入口には、必ずパトカー🚓が停まっていました。子供の誘拐を防ぐ為です出入口では警備員ではなく、警察官に、親子ごとに同じ番号のスタンプを、手の甲に押され、退場の際にまた警察官に手の甲を見せ、その番号をチェックされます。店内にはミッキーのパクリのようなチャ
昼寝の最中、鉄が鳴り響くような、ブォーン、ブォーンという低く、不気味な音を聞き、目を覚ましました。体を起こすと、ルームメイトの太った黒人のB子と、別の部屋の女性が私の部屋におり、B子がトイレの便器に、顔をつっこんでいました。私が2人に「何やってるの?」と話しかけると、「トイレの便器の穴の水を抜いて、下の階の男性囚人と話してるの😍」これ、アメリカの拘置所や刑務所おなじみ、“トイレット・トーク”と呼ばれ、上の階や、下の階にいる異性の囚人と、便器の穴🚽を通し
おはようございます前回のブログ記事(アメリカ配偶者ビザ申請レポートVol.1【BlanketExceptionについて】の続きです。まず、アメリカ配偶者ビザ申請の最初のステップは、請願書(I-130)の提出ですBlanketExceptionを利用してI-130を提出する場合、I-130と併せて下記の書類一式を用意する必要があります。---------------------------------------------------------------------
おそらく夫の薬物乱用が始まったのは、2012年10月。年明けの2013年1月にはかなり進行していたと思います。たった3ヶ月ですが、3ヶ月ではもう普通の人間には二度と戻れないです。おそらく最初の一回でアウトですね。改めて薬物依存性は、この世で一番、残酷な病気だと思っています。クリスマス休暇のサウスカロライナ州チャールストンの旅行後、2週間後の土日にすぐまた夫が「ジョージア州の歴史地区サバンナに旅行に行こう。」と言いました。サバンナは映画「フォレスト・ガンプ」のフォレストが公園のベ
カウンター越しに薄切り肉頼む事数回、、、(その場でできるのは結構分厚いぞ。前日までに電話注文するとうっすーい希望通りなのが手に入るらしいけど、、ドイツ語注文ハードル高すぎ)凍らせた塊肉を包丁でスライス10数回、、(手が冷たくなります〜💦)日本食材店でお高い薄切り肉を買ったのが10回程、、(家計に響く〜)ついに!!!(という程の値段でもない。🤣)ミートスライサーget👏安心のmadeinGermany🇩🇪なんでかな、ドイツ製って信頼できちゃう。↑これは試しに冷凍させ
日本で「嫌いなママ友ランキング」で、圧倒的に1位をとる「子供を自慢する親」しかしアメリカでは、親はみな、子供をとても自慢します。「私の子供は、とても優秀なの。この前、科学で賞をとった。」「私の子供は、とても運動神経が良くて、何をやらせても本当に上手なんだけど、特にバスケのセンスがあるのよ🏀」「私の子供は、妹思いのとても優しい子。」「世界で一番ハンサムな我が子!」そしてアメリカ人は、最後に必ずこの言葉で締めくくります。「私はこの子を誇りに思う✨」例えば、日本で子供を自
ごめんなさい。順番を追って書きたいのですが、モーテルの件は辛くて書けそうにありません。更新が続かないので、家に戻ってからのことを書きます。夫は、私がモーテルから帰ったのを機に、カトリックの神父様に助けを求めました。神父様は、「信仰を持ちなさい。苦しい時は神様に助けを求めなさい。医者は薬物依存を治せません。本当に苦しい時、闇の中にいる時、あなたのそばにいるのは神です。医者ではありません。」夫のカトリックへの改宗は、あっさり決まりました。改宗には毎週、教会の勉強会に通う必要
2日目の朝、私は裁判所に呼ばれました。また手と足に手錠をかけられ、その他、大勢の収容者たちと。裁判所の法廷で男女に分かれて座らされました。裁判官が来る前、収容者たちは、久しぶりに見る異性に浮かれたのか、みんな騒いでうるさかったです看守が時折、「静かにしなさい!」と言いますが、何故かそのあと、必ず看守がジョークで、「ここは裁判所よ!普通はオドオドするものよ!…初犯の場合はね。」などとジョークを言うので、収容者たちは大声で笑い、ますますうるさくなるばかりでした。裁判官を待つ
薬物依存症の夫は、はじめてのアルコール依存症の自助グループへ。何でもいいから、薬物乱用をやめる為に、何でもいいからしてほしい。必死で祈りました。しかし夫は帰ってきませんでした。深夜12時近く。私はフラフラと出かけました。寝ている子供3人(3歳、2歳、1歳)を寝たままチャイルドシートに乗せて。静かな夜をドライブしました。湿原地帯や海があり、静かで綺麗な街でした。そこを夜、ドライブしました。何も考えずに。ひたすらドライブをしました。涙が出てきました。アメリカでひとり…
お正月の後、一月中旬にある夫の誕生日。日本でアメリカンレストランといえば、TGIフライデーズ。「本場アメリカのTGIフライデーズに行きたい。」と言いました。夫は笑いながら、「TGIフライデーズは日本では華やかだけど、アメリカだとただの地味なファミレスだよ。」確かに日本のTGIフライデーズは、六本木や舞浜など華やかな一等地にありますが、アメリカのTGIフライデーズは、地味な地方のロードサイド店舗にあり、ガストやココスみたいでした(笑)ロイヤルホストの方が高級でした。TGIフライデーズ
優しくて真面目だった夫。子供とも一日中、遊んでくれたり、私が妊娠中、夜中にトイレに起きると、夫は寝ぼけながら一緒にトイレについてきてくれました。米軍は体育会系の超激務で、ジム通いもしていた夫は、夜は疲れていましたが、それでも私が転倒しないように、体を支えてくれました。夫の勤務時間は朝7時からでしたが、何故か毎朝5時に起きて、5時15分に出かけていく夫。自宅から勤務地までは車で10分。自宅を出るのが早すぎますよね。夫はそんなに朝早く家を出て、何をしていたのでしょうか。それは…
感謝祭の1ヶ月後はクリスマス。しかし次第に夫のクリスマス休暇が憂鬱になっていたのは私。また夫の両親の実家に行くのが憂鬱になっていました。仲良くしたいのに。日本にいた頃、夫は必ずクリスマス休暇は私の実家で過ごしたがりました。私の為、というより、単純に夫は私の実家が大好きでした。私の家族で英語を話せるのは、兄夫婦やイトコなど若手世代のみで、私の両親も親戚も誰も英語は話せませんが、それでもみんな日本語で夫に話しかけ、仲良くしていました。夫は私の家族に優しくしてくれたので、私も同じように
夫の両親が来た2日目、レストランへディナーに行きました。そこで夫の父が言いました。「お酒を飲む。」夫の母は、「やめて、飲まないで。ロクなことにならない。」しかし夫の父は、「俺は大人だ。やりたいことは何でもやれる。」↑これ、夫の母が昨日、言いましたね2人は口論になりました。両親の口論を見ながら、夫は私に悔しそうに言いました。「ほら、まただ。僕が子供の頃からずっとこうだった。せっかく家族で楽しくレストランに来ても、お酒のことで、母が怒り、父が逆ギレして、2人は口論になる
ひひひひ久しぶりすぎる!ね。大分前回から日があいてしまいましたね。アラフォー、アメリカやメキシコで散々死ぬほど遊び尽くしましたが、沖縄でも懲りずにこれでもかと暴れてますよ。暴れ馬健在。沢山お友達もできて、日々楽しく遊びまわっていて全然家にいません。しかし、この海外に狂っていた私が、まさかの一年日本からでていないのですよ。今更日本にハマり、日本国内ばかりを旅している。日本最高。沖縄最高。あんなに嫌がっていた沖縄への引越し。こんなに沖縄良すぎてどうしよう。。今日は沖縄
こんばんは今回は、日本でアメリカ軍人(ネイビー)のパートナーと結婚する際の手続き【軍側の手続き編】についてお話しします!日本でアメリカ軍人関係者と結婚する場合、非軍人のアメリカ国籍の方と結婚する場合と異なった手続きが必要となります。まず軍側の手続き(軍属のパートナーが日本で結婚する許可をもらう)を終えてから、日本の役所での手続き(日本では、役所で婚姻の届け出を行った場合のみ正式な結婚が成立するため役所への届け出が必須)を行う流れで進めていきます。他の方のブログでも、既に詳しく説明
次に小部屋へ案内…いや、連行されました。まさにこれとほぼ同じ2段ベッドでしたが、私の拘置所は、入り口の壁沿いにもう1つベッドがあり、3人部屋でした。3人部屋の画像がどうしても見つかりません。こんな感じで、入り口の壁沿いに、もう一人寝れました。私は2段ベッドの上の段でした。2段ベッドの上段には窓があり、一瞬喜びましたが、窓からの景色は、何もありませんでした。夜は、窓の外がひたすら闇のように見えて、滅入りました。しかも2段ベッドのハシゴはなく、身長の低い私は苦労しました。登る
ニューオーリンズの旅行中で…。今でも覚えています。何度か薬局に行きました。夫が頭痛い、風邪気味だと言ったからです。更に…何枚も何枚も撮った旅行中の写真、夫の写真写りがおかしかったです。何枚か撮り直しました。今ならわかります。目の瞳孔が開いていました写真だとわかります。楽しかったニューオーリンズの旅行、写真が見れなくなりました。ビフォー・アフターみたいで、とても悲しい写真です。もっと悲しいことは、子供たちがとても楽しそうにしていることです。何の不安もなく、旅行について
こんにちは前回のブログ記事(アメリカ配偶者ビザ申請レポートVol.3【DS-260の提出・その他最終面接向け必要書類準備】の続きです。緊急ビザ予約リクエストを出して最終面接を行った4/20から12日経った昨日5/2、無事CR-1ビザが自宅に到着しました面接を受けてから8日後の4/28までCEACでのビザステータスに全く更新が無く、不安とモヤモヤした気持ちが続いていたのですが、ひとまず安心です。---------------------------------------
アメリカの拘置所ではじめてのディナー。こんな感じで並んで、ディナーをいただいて、大部屋のテーブルで自由に食べるスタイルでした。ディナーは何だったか覚えていないので、アメリカの検索エンジンで、適当なものを表示してみました。パンが2種類?列に並ぶと、ルームメイトのA子(痩せた黒人)がピッタリ私にくっついてきました。ああ、そうだ、「一緒に食べよう」と言われていたんだ…と思っていたら、A子から「ねえ、凜。もしお腹がいっぱいだったら、食べないぶんは私に少しちょうだい?」あ