ブログ記事2,304件
施設での新しい生活3歳からほとんどまともな生活をした記憶がなかった私にとって施設に入ってやっと普通の生活ができるようになった何よりも施設に入るまでの私はずっと心が休まる瞬間がなかったのだと今になって感じている自由はないけど理由なく怒鳴られる事も理由なく殴られる事もない生活やっと安心を得ることができた施設で生活する子供達の入所理由は様々生まれた時から親の顔も知らない子私同様虐待を受けた子ネグレクト生活苦みんなの心の中はわからないけど寂しそうにして
4年生の冬私はまた祖母から逃げるために家を飛び出して真夜中寒さを凌ぐためにマンションの駐輪場で体を丸めてしゃがみ込んでいたそれでも寒さを凌ぐ事はできず私はあるマンションのエントランスで寒さを凌ぐ事にした当時私の行動範囲の中で唯一のオートロックのマンションあそこへ行けば寒さを凌げると思いついた深夜のマンションなかなか人が通らずドアが開かないそこへ1人の人が帰ってきたその人は私の事を不審そうに見ながらオートロックを開けた私はその人と一緒にマンションのエント
無事に祖父母に会う事ができた姉は家を出てきた訳を祖父母に話した祖父母は事情は理解してくれたものの姉を引き取る事はできないと。。。その日の晩のうちに母に連絡をしてしまった父方の祖母は電話で母に「引き取ったのに家出してくるなんてどうなってるの!」そう言った連絡が入った母と祖母はすぐに名古屋に向かった翌日の朝には2人が迎えにきたあんなにも大変な思いをしてやっと祖父母の元に辿り着いたのに呆気なく連れ戻された姉自宅に帰るともちろん言うまでもなく
あれは姉が5年生の時の事だった虐待を受ける姉はその日母のピアノの椅子に縛りつけられていたその夜夜中に母が仕事から帰ってきてから母の部屋が騒がしかった隣の部屋で寝ていた私はその騒がしさで目が覚めたまた始まった。。。私はいつもの祖母の暴力が始まったと思っていただけどいつもとは様子が違う気になったけど見に行く事もできない隣の部屋ではピアノの椅子に縛られた状態で祖母に殴られた姉がピアノ椅子ごと殴り飛ばされ母の部屋にあったハンガーラックの角に顔を打ち
この時も祖母に叱られている最中だったまたいつもの様に祖母は私に説教や暴力を振るう最中に私の態度や表情に激高した私は小さい時から気持ちが顔に出やすい言葉は発さなくても顔に出てしまういつも祖母に殴られながらグッと自分の感情を抑えていたでもたまに耐えかねて顔に出てしまっていたそんな態度に祖母は余計に腹が立ったのだろう突然私の髪の毛を鷲掴みにしてそのまま引っ張って洗面所に連れて行ったそして祖母は洗面ボールに栓をしたその瞬間私は頭が真っ白に
名古屋に辿り着いた姉姉の持っている祖父母の情報は名古屋に住んでいる。。。ただそれだけだった10歳の姉はとりあえず駅のロータリーに停まっていた沢山のバスのうちの1台に当てずっぽで乗り込んだどこへ向かっているかもわからないバスに揺られながら外を眺めているとどんどん人気や建物が無くなっていく姉は不安になって名古屋駅からかなり離れたと思われるバス停でバスを降りた降りた先は人気がほとんどない小さな町だったどこへ向かえばいいかもわからず引き返そう
姉は家出をして1ヶ月程帰らなかった時があった祖母と母はもちろん毎日血眼になって探し回った余りにも長期間見つからないので警察にも捜索願いを出したそしてその姉の行方は。。。当時の家から少し離れた所で1人途方に暮れていたそんな時姉に声をかけてきたおじさんがいた姉はそのおじさんに自身の身の上を話したそのおじさんは姉の事が心配になりうちでご飯を食べさせてあげるからと言い姉を自宅へと招き入れた当時の事を姉に聞いた時恐怖心はあったもしかすると何かされる
祖母は嫁いだお家も裕福でいつも『うちのパパはね』と私達に祖父の話を自慢げにしていた母が高校生の時に病気で亡くなっているので私達姉妹は祖父に会ったことはない祖父が亡くなった後祖父の実家で同居だった祖母は肩身が狭くなりお姑さんにかなりいびられていたと話していた事があるだけど義父はいつも優しくしていてくれたそうでその義父も亡くなりますます居場所が無くなった祖母はその家から出る事になったその後は夜の仕事をしていたと聞いたけど持病の喘息や顔面神経
祖母は度々私の表情に苛立ちを見せたお説教中や殴られている時の私の目や態度に更に怒りが増す事がよくあったこの時もそんな事がきっかけだった突然台所へ私を連れて行き刃先を私の方に向け私のお腹に刃先を突きつけ私に包丁を持つように指示してきたそして「早く刺せよ!!早く死ねよ!!」と何度も怒鳴りつける時折祖母がその包丁を押してくる私はその時裸でお腹に刃先が何度も触れたでも。。。私はこの時心の中で「何で私が自分で死ななあかんの?あんたが刺して
それにしても娘があんなに酷い事をされている家の中で平然と生活のできる母の心理状態は少し異常だと思う私が包丁を突きつけられても私が湯船に沈められても姉が大怪我を負っても祖母を止める事なくそれどころか姉に口止めまでしてしまうどう考えても正気の沙汰ではないと思う普通ならこれが他人でも助けようとしない?通報でもなんでもその人を何とか助けようとしない?それを我が子が受けているなら尚更だと思う私がもし自分の子供達があんな事をされたら。。。という
母の元に引き取られて1年以上が過ぎ新しい生活にも慣れて学校にも沢山友達ができた放課後友達の家に遊びに行った日私は門限を守らなかった事があるまだ遊びたいが勝ってしまったその時初めて祖母が物凄く怒った当然約束を守れなかった私が悪いそれまでお行儀が悪かったり教わった事ができなかったりで度々口うるさく注意される事はあったけどこんなに怒る祖母を初めて見たという感じだった私は困惑してしまったどうすればいいのかがわからなかった今まで父の所にいた時も継母が
どうも、ユキです宮本佳実さん好きが高じて、オンラインサロン「クラブヨシミスト」に入会した私なんですが、今日は20時からのクラブレッスンに参加してきましたーもう…めっちゃ有意義な時間でしたーチャットでコメントひろっていただけたりして超感激・感動だったし←ちょっとミーハーすぎんかいやいや。なんと言っても”レッスン”ですからね。しっかり佳実マインドのインプットもしましたよ‼️今日のレッスンでは「自信」についての思い込みを軽やかに、笑顔で
猟奇化していく祖母の虐待の内容は今思い出してもゾッとしてしまう姉が虐待を受けていた時姉は着ていた服を全て脱がされベランダに真っ裸で放り出された事があった中から鍵をかけて何日間もベランダに放置されたトイレに行きたいと姉がお願いすると祖母はシンクに置くタライを持ってきたそしてその中でしろ!と姉に言った姉は仕方なくその中に用を足したそしたら祖母が「自分がしたんやからその中に座っとけ!」と姉に言ったのだった姉は祖母に言われるがままに自分が用を足し
結局何も買う事が出来ないまま入学の日を迎えた。もちろん入学式にも行けなかった。私には入学式に着て行けるような綺麗な服もないし一緒に行ってくれる親もいなかった。。。姉からこの間聞いて初めて知ったんだけど向かえに住んでいた幼馴染のお母さんが筆箱をくれた。えんぴつと消しゴムは姉の使い古しを貰った。1度だけ学校に行った記憶が残ってるきっとその日は新1年生の登校初日ランドセルもまだいらないし私は何も持たずに学校に行ったんだと思う。私にとっては初めての登校日
私は一時保護所から帰宅して数日後施設に人所するための準備をしていた荷物をまとめている時祖母から「これはこの家で買ったものや!持って行くな!」と嫌味を言われながら支度をした施設に入ることが決まっていたためさすがに暴力は振るわれなかったけど祖母は最後の最後まで私を罵った私は必要最低限の荷物をまとめ母に連れられ施設に向かった私が入所した施設は都会のオフィス街の中に建つ大きな建物だった祖母から監禁を受けている時沢山読んだ本その中に出てくる子供を預かる
母は私達が虐待を受けていた時どんな気持ちだったのだろうどうして助けてくれなかったのだろう今でもとても疑問に思う我が子が実の母親からあんなに酷い目にあわされているというのに何故止めてくれなかったのか何故私達を連れて家を出てくれなかったのか私はこのブログを書くにあたって姉から「お母さんの事でもあるしブログを書く前にお母さんに一言言っておいた方がいいんじゃない?」そう言われてブログを書き始めてすぐに母にブログの事を伝えに行った母はその時初めて私に「1つ
祖母がどうしてあんな事をしたのか?できたのか?祖母の過去に何かあったのか?何故?どうして?そんな質問を沢山頂くけど正直姉にも私にもわからない。。。むしろ私達が教えて欲しいと思う。。。どんな理由があるにせよ決して許される事ではないだけど私も考えなくはないあの人に落とされた闇は一体何なのか?母に聞くと子供の頃から祖母は何不自由なく育ったと言っていた本当にそうなのだろうか?外側から見れば不自由なく幸せに育ったように見えただけでは?もし何も原因がない
母と再会してしばらくしてからの事。姉と2人で外で遊んで家に帰ると珍しく父と継母が家にいたそしてテーブルには夕飯の支度がされていた私は違和感を感じただけど今日は夕飯が食べれる安堵の方が強くその違和感はすぐ消えた夕食が始まってしばらくすると父が口を開いた「明日ママが迎えに来るから。今日はパパと食べる最後のごはんやで」その言葉を聞いた瞬間私の目からは自然と涙が溢れてきたやっと。。。やっとこの生活から解放されるママはホンマに迎えにきてくれる嬉しくて涙が止
私が入所した施設は建物内に学校があった一応その地域の小学校の分校となっていて運動会や遠足などは本校の子供達と一緒に参加する階段を降りるだけですぐに学校がある各学年3人〜5人ぐらい1.2年生だけは合同のクラスだった私の担任の先生はベテラン感のあるおばちゃん先生私は先生の事が大好きで私にとって先生はお母さんみたいな存在だったいつも生徒1人1人とちゃんと向き合ってくれたこの先生は私達が卒業するまでずっと担任を受け持ってくれた勉強はというとできない子が多いか
姉が白峰村へ行ってから私は実は少しの希望を持っていたそれは祖母のターゲットが2人では無くなったことだった今までは2人のターゲットがいた祖母は2人同時に同じように接する事ができないだから片側だけを虐待してその間は片側を普通に生活させるターゲットが1人になれば虐待は起こらないかもしれないそんな期待があったけれどその期待は奇しくもすぐさま裏切られた姉がいなくなった直後から矛先は私のみになってしまったそれは私にさらなる絶望感を生んだもう終わる事はないそう感
祖母の私達への虐待は止まる事なく続いたそんな中姉が虐待を受けていた時の事姉はもう5年生も終わりに近づき3学期も中盤に入っていたリビングのテーブルの上に置かれた見慣れない冊子表紙には雪化粧の山の写真に「白峰村」と書かれていた私はその時通常の生活をしていた何やら母と祖母がバタバタとしているそんな雰囲気が何もわからない私にも伝わってきた3月中旬春休みに入ってすぐ突然泊まりで出かけると言われたしか母に連れられて姉と私と祖母と4人で電車に乗ったかなり長
私達姉妹が家出を繰り返すため祖母は私達が自由に動けないよう手足を帯紐で縛り付けるようになった手が自由に使えなければ玄関の鍵も開けれない手だけを縛る時もあれば手足を縛る時もあった2段ベットの柱に括り付けられる時もあったそうなってしまえばもちろん祖母からの暴力を受ける時は腕で自分を庇う事も逃げる事もできずサウンドバック状態もう最悪の状況だったある時祖母は私に激高してまたベットの柱に私を縛り付けた怒りのままに力いっぱい縛り付けた紐は私の手首に食い込
私はその後警察に保護されそのまま一時保護所に保護されたこの時は今までで最長期間の保護だったある日のケースワーカーとの面談「もうここから出なあかんねんけど。家に帰る?家に帰りたくない場合は施設に入るっていう方法があるねんけどどうする?」と聞かれた私は即答で「家には帰りたくない」と答えた「じゃあ。施設に入れるように手続きするね」私に一筋の光が差したこんなに嬉しい瞬間は今まで味わった事がなかったやっと地獄から抜け出せるそれから数日後一旦家に帰されて後日施
祖母は私達が家出をする度に家を出て行けない様にするための対策を強めていく以前にも書いたが玄関のドアが開くと音が鳴るようにしたり常に私達の姿が見える位置に自分が座って見張ったりした私も姉も自分が虐待をされている時はどうやって家を出ようかとそればかり考えいたそして私はある方法を思いついた玄関がダメなら。。。家の外に出る手段はベランダしかない当時我が家はマンションの6階に住んでいた運の良い事にベランダの横は共用の階段だったあのベランダの手摺を
いつもご訪問くださりありがとうございますマヤ暦*開運ナビゲーターペットマヤ暦ナビゲーター実雪です☆。..*今日のマヤ暦⚫︎KIN152⚫︎黒キン⚫︎拡張キン(1〜260サイクル)⚫︎音響9(1〜13サイクル)⚫︎黄色い人(今日を司る氣神)⚫︎黄色い種(13日毎に流れるエネルギー)【マヤ暦的】子供にかける今日のことば「今日は、好きなことや得意なことに集中してみ
あれは真冬だった私は毎日24時間玄関に立たされていた時期があったかろうじて服は着させてもらえていたものの足は裸足だった暖をとる事もできずずっと玄関に立っていた何故玄関なのか理由は忘れた誰かがうちに来るたびに玄関先から見えないように移動する事を祖母から指示されて尋ねて来た人が帰るとまた元の位置に戻される真冬だったため足は冷え切って感覚が無くなっていた玄関に立たされるようになって数週間が過ぎた頃私の足の色が変わり始めた足の指はどんどん黒く変色してい
私は度重なる家出の末に児童相談所に保護され一時保護所で一時的に保護された一時保護所というのは児童相談所が管轄する言葉通り子供を一時的に保護する所で何らかの理由で家には帰れない帰すことができない児童を預かるそこには0歳児〜高校3年生までが入所でき親に育児を放棄されて児童養護施設が決まるまでの間入っている子もいれば非行行動が酷く家庭裁判所の結果を待つ子もいる理由も年齢もさまざま最長2ヶ月間しか入れずもちろん自由に建物内を動くことも出入りする事も
祖母は私達をどんな風に育てたかったのか。。。そして私達に何故苛立ちを覚え始めたのか祖母は私達を引き取ってから女の子らしく慎ましくお上品で可愛らしくマナーのある子。。。きっとそんな風に育って欲しかったのだと思う引き取ってからの私達を祖母はまるで着せ替え人形の様に扱ったいつもフリフリの服を着せられ学校に行く時も毎朝私と姉の髪の毛を編み込んだ女の子だから女の子なのにいつも口癖の様に言っていた私はフリフリの服を着せられるのがとても嫌だったもち
こんにちは✨✨今月も残り10日間ですが、Couleのおやすみ日を5月のと一緒にお知らせします。🌱🔴赤丸がcloseギフトチケットも好評頂いてます^o^❣️美しい髪は、頭皮の健康から✨ヘッドスパを受けることでマインドチェンジ✨ご予約は、090-1322-8128LINE@bol9007jヘッドスパ専門店Coule🌱🌱
私達姉妹の家出姉は祖母の虐待が始まってから以前も書いた様に家出を繰り返したもちろん私もそれを見ていたため家出を繰り返したが私はといえばお金もなく着の身着のまま家を飛び出して行く当てもなく団地やマンションの駐輪場などに身を隠すしかなかった友達に助けを求めた事もあったが親御さん達が不審に思いすぐに家に連絡が入ってしまう食べる物もなく限界が来た私達はとうとうスーパーで食べる物を盗んでしまったそれが見つかって補導されて家に連れ戻された事もあ