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これまでイワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、クリス・マルコフ、アレックス・スミルノフ、ニキタ・コロフなど「ロシア出身」を名乗るプロレスラーは多く存在したが、いずれもギミックであり、冷戦の終結に伴い登場したソビエト連邦初のプロレスラーとして注目を集め、新日本プロレスに登場したサルマン・ハシミコフのテーマ曲。このテーマ曲の思い出は、ライヴ観戦した1989年5月25日大阪城ホールの格闘プロリンピックIN大阪大会にて、当時ビッグバン・ベイダーが保持していたIWGPヘビー級王座に挑戦、得意の水車落とし
武藤敬司は、「HOLDOUT」をはじめ人気テーマ曲が多数ある中でも、自分が一番思い入れが有り大好きなのは、この「トライアンフ~伝説」である。このテーマ曲は、自分の記憶が確かであれば、1995年9月23日横浜アリーナ、G1クライマックススペシャル大会での対スティング戦から使用されていると思う。この大会は、UWFインターナショナルとの本格対抗戦前のビッグマッチで、長州&永田VS安生&中野戦で有名な大会。ただ、この初使用時は、それほどインパクトが無かった印象。初めに聞いたときから、何となく
初代タイガーマスク、突然の引退の後、期待感MAXで登場したのが、このザ・コブラ。デビュー戦である、1983年11月3日の蔵前国技館の対ザ・バンビート(デイビーボーイ・スミス)戦では、人気マスクマンのマスクを被った黒子に担がれて、このテーマ曲でカッコよく入場してきたまでは良かったが、肝心の試合は、ほとんどダイジェストで、このBGMが流れ続けた。自分は、カッコいいマスクマンだと思ったし、テーマ曲も気に入ったし、もっと人気が出ると思ったが、初代タイガーマスクの幻影の影響か、ブレイクできずに素顔のジ
テーマ曲から考える国際プロレス論昭和プロレステーマ曲研究家・コブラ✕プロレス考察家・ジャスト日本のテーマ曲対談第2弾「第3回阿修羅と闘将」時代が早過ぎた国際プロレス忘れじの国際プロレス―国際プロレス解散から33年。語り継がれる魂の物語(B・BMOOK1018)Amazon(アマゾン)4,801〜26,872円2014年にベースボール・マガジン社から発売されたムック本「忘れじの国際プロレス」の中で、プロレスラ
長州力の定番テーマ曲「パワーホール」。ほかのプロレスラーが、節目でテーマ曲を変える例もたくさんある中、金曜夜8時のワールドプロレスリング大盛況時代から全く変わっていない名曲。変えてないというよりは、長州の性格上、テーマ曲へのこだわりがないのかもしれないが…!この曲は、1980年にキングレコードから発売された初の新日本プロレスのミュージックアルバム『新日本プロレス・スーパー・ファイターのテーマ』に収録された。このアルバムには、テレビ朝日のテーマ曲と13人のレスラー入場テーマ曲が収録されているが
90年代の新日本プロレス、最強外国人の一角を担ったスコットノートンのテーマ曲「WinnerTakesItAll」。1987年公開映画「オーバー・ザ・トップ」のサウンドトラックからのメインテーマ、演奏はサミー・ヘイガーwithヴァン・ヘイレン。会場使用曲は、冒頭イントロをカットして使用。スコット・ノートン単独でも印象的なテーマ曲だったが、ヘラクレス・ヘルナンデスとのタッグ・チーム”ジュラシック・パワーズ”としての使用も、ヘルレイザーズとの抗争において記憶に深い。アーム・レスリングの見せ場
1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として新日本プロレスに登場したビッグバン・ベイダーのテーマ曲。原曲はボーカル入りだが、編集カットされ効果音も挿入された。このテーマ曲は、レインボーのアルバム『ダウン・トゥー・アース』からの1曲。レインボー(Rainbow)は、イギリスのロックバンド。別名リッチー・ブラックモアズ・レインボー。ギタリストとして既に音楽的にも商業的にも世界的な成功を得ていたディープ・パープルのリッチー・ブラックモアが、同バンドから脱退して新たに結成したリ
前田の入場テーマ曲に『NUDE』収録の『Captured(キャプチュード)』を使用。オリジナルのプロレス技のスープレックスにも「キャプチュード」の名を用いた。前田がデビューした新日本プロレスの試合中継を行なっていた当時の親会社テレビ朝日制作チーム選曲担当が、キャメル等プログレッシヴ・ロックをレスラー入場曲に数多く使用していた為、前田の英国からの凱旋帰国にあわせ使用され、新日使用時には、マシンガン連射のような銃声の効果音が編集された。キャメル(Camel)は1973年にデビューしたイ
新日本プロレスで活躍していたダイナマイト・キッドが、1984年11月に突如全日本プロレスへ移籍参戦したときから使用されたテーマ曲「CarWars」。この移籍は、当初相棒のデイビー・ボーイ・スミスとともに新日本の第4回MSGタッグ・リーグ戦へ出場予定だったものが、一転して全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦へ出場を鞍替えした衝撃の移籍劇で懐かしい。全日本時代のダイナマイト・キッドで印象に残っている試合は、前年にWWFを離脱し、1989年1月に全日本へ復帰した際、スミスと組んで戦ったジョー
テーマ曲から考える国際プロレス論昭和プロレステーマ曲研究家・コブラ✕プロレス考察家・ジャスト日本のテーマ曲対談第2弾「第1回世界のバイキング料理・魂のふるさと」伝説のプロレス団体・国際プロレスジャスト日本です。以前、昭和プロレステーマ曲研究家・コブラさんとの対談を4回に渡りブログ記事で掲載させていただきました。昭和プロレステーマ曲研究家・コブラさんと「プロレステーマ曲」をテーマにした対談「プロレステーマ曲解体新書」をレポートします。プロレステーマ曲解体新書「第1回起源と
蝶野正洋が1991年まで使用していたテーマ曲。蝶野のテーマ曲といえば、今ではバラエティ番組等でも必ず「クラッシュ」がBGMとして流れ人気もあるが、自分が熱狂したのは、伝説の第1回G1クライマックス優勝時の、この「ファンタスティック・シティ」。闘魂三銃士として新世代ヒーローの弾頭を象徴するテーマ曲として、感慨深い。この第1回のG1クライマックスは、当時の一流レスラーである、ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン、クラッシャー・バンバン・ビガロの3強外人、長州力、藤波辰爾の昭和世代と、武藤敬司
スティングが1991年3月21日スターケイドin東京ドームの新日本プロレス初参戦時から使用のテーマ曲「TurboCharged」。本国アメリカWCWでも、このテーマ曲を使用。この曲は、アメリカでも良く使用される、所謂プロダクションミュージックからの1曲で、正式には「ChappellRecordedMusicLibrary」に収録のカテゴリー「FORMURAONE」ナンバーの2曲目に収録されている。このプロダクションブランドを検索すると、現在はWarner系のプロダクションがでてくる
プロレステーマ曲史上、最も人気な?1曲であり、且つ編集テーマ曲としても有名。テーマ曲コレクターが、こぞって本物編集版を入手しようと試みた超人気曲でもあり、自分もかなり奔走した。多種多様なバージョンを複数入手したが、本物以外にコレクターが編集したであろうもの含めて、かなりのバージョンを所有できた。原曲は、3曲プラス効果音を編集したもので、最初は馬の鳴き声や鞭の効果音とともに、ケニー・ロジャースの「君に夢中(SOINLOVEWITHYOU)、その後、スペクトラムのアルバム『オプ
ハルカマニア全盛からのハルク・ホーガンの代名詞的なテーマ曲。1985年に発売された初めてのWWF公式ミュージックアルバムに収録されている1曲。演奏は、リック・デリンジャーで、アルバム発表当初は、マイク・ロトンド&バリー・ウィンダム(USエキスプレス)のタッグチーム向けテーマ曲であったが、発表後すぐにNWAへ転籍したため、ホーガンの曲に落ち着いた。同アルバムの収録曲には、別に「Hogan'stheme」も収録されており、こちらはボニー・タイラーの「ラビッシング」のインストルメンタルバージョン
1991年3月21日、新日本プロレスのスターケードIN闘強導夢大会に初来日し、馳浩&佐々木健介からIWGPタッグ王座を奪取。そのダイナミックなプロレスに魅了され、すぐに大ファンとなったタッグチーム。そして、テーマ曲もすぐにお気に入りになった。このテーマ曲をライヴで聞きたくて、翌1992年1月4日の超戦士in闘強導夢東京ドーム大会、対スティング&グレート・ムタ戦や、同年6月26日の超実力派宣言日本武道館大会、ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ戦へ密航観戦も懐かしい!
1984年2月23日、蔵前国技館でのダブルタイトル戦にて、ニック・ボックウィンクルを破り、念願のメジャータイトルであるAWA世界ヘビー級王座に輝やいた、ジャンボ鶴田が最盛期のテーマ曲。このテーマ曲にはいくつかのバージョンが使用されているが、”究極のテーマ曲コレクター”である村田氏の解説によると、「この曲は、1984年に当時のプロレス中継担当スタッフから依頼を受けたプレイヤーズの鈴木宏昌氏が作曲、録音したもので、ニューテーマとして試験的にTV中継で使用されたものが始まり。ジャンボ鶴田
1948年7月に、アイオワ地区のプロモーターであるピンキー・ジョージが中心となり、セントルイスのサム・マソニックやミネアポリスのトニー・ステッカーら5人のプロモーター達と共に結成されたナショナル・レスリング・アライアンス(全米レスリング連盟)、通称NWA。この世界最高峰といわれたNWA世界ヘビー級王者に対し、全日本プロレス中継放映の日本テレビが採用したテーマ曲が、この「ギャラクシー・エキスプレス」。1980年代に王者で来日した、ハーリー・レイスやリック・フレアー、リッキー・スティンボート等に
WCWから新日本プロレスへ来日した際、後期に使用したレックス・ルガーのテーマ曲。1996年6月12日だったと思うが、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア決勝戦が行われた大阪府立体育館大会の来日時に、ライヴでこのテーマ曲を聞いて好きになったかっこいいテーマ曲。このテーマ曲は、所謂プロダクションミュージックから採用された1曲にようで、演奏者は不明。但し、次の2つのアルバムに収録され入手が可能となった。『WorldWrestlingThemeLibrary2』収録曲:1.Als