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皆さん、ばんにおちはようこんますござい!←もはや読みにくい汗プログレの布教活動を続けている「フランシスコ・ザ・ファノン」でございます。<(__)>ザビエルの「ザ」はそういう意味(The)じゃない!←いちいちくだらない字に赤文字使うな!という訳で、つかみはツッコミどころ満載のちょっと変わったブログでございますが、選曲は至ってマジメでございます。<(__)>文面に興味がない方は、文を飛ばして動画だけでも聴いて頂けると大変ありがたいです。このブログの最大の目的
『TheDarkSideoftheMoon(狂気)』のプロト・タイプを披露しつつ行われた,1972年のツアー.3月には,前年に引続き,2度目の来日を果たしたピンク・フロイドは,一旦英国に戻り,その後,4月14日米国フロリダ州はタンパのフォート・ホーマー・へスタリー・アーモリー・オーディトリウム公演を皮切りに北米ツアーを開始します.本音源は,4月14日~5月4日まで行われた第一次北米ツアーから,ツアー最終日に当たる1972年5月4日マサチューセッツ州はボストンのボス
1977年にオフィシャル・アルバム『Animals(アニマルズ)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ねて1977年1月23日ドイツはドルトムントのウェストファーレンハレ公演から「InTheFleshTour(通称:AnimalsTour)」と題した大規模なツアーを開始したピンク・フロイド(PinkFloyd).「InTheFleshTour」の北米ツアーは,1977年4月22日フロリダ州マイアミのマイアミ・ベースボール・スタジアム公演から開
1977年にオフィシャル・アルバム『Animals(アニマルズ)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ねて1977年1月23日ドイツはドルトムントのウェストファーレンハレ公演から「InTheFleshTour(通称:AnimalsTour)」と題した大規模なツアーを開始したピンク・フロイド(PinkFloyd).「InTheFleshTour」の北米ツアーは,1977年4月22日フロリダ州マイアミのマイアミ・ベースボール・スタジアム公演から
ピンク・フロイド(PinkFloyd)の1974年の活動は,6月18日トゥールーズのパレ・デ・エクスポジション公演を皮切りに,6月26日パリのパレ・デ・スポール公演まで行われた短期間(7公演)のフランス・ツアー(「FrenchSummerTour」)からスタートします.このフランス・ツアーでは,過去のツアーで"AtomHeartMother"や"Echoes","DarkSideOfTheMoon"他のようにリリース前の曲を実験的に演奏する手法と同様に新曲
ピンク・フロイドの「全人類に対する警鐘?」を鳴らした「全人類待望のニュー・アルバム」です。原題は「ディヴィジョン・ベル」で、英国下院で議決に際して使われる鐘の名前ですが、邦題は対立を表しているといわれるジャケットにちなんで「対」となりました。前作から7年、世間にはピンク・フロイド飢餓状態が生まれていましたから、「全人類待望のニュー・アルバム」であったことは間違いありません。長らく穴埋めをしてくれていたトリビュート・バンド、オーストラリアン・ピンク・フロイドにとっても新作は嬉しかったことでし
当時,未発表で1973年3月にリリースとなる『TheDarkSideOfTheMoon(狂気)』のプロト・タイプを引っさげて,1972年1月20日のブライトンはザ・ドーム公演を皮切りに,2月17日~20日の4連続のロンドンはレインボー・シアター公演で幕を閉じた英国ツアー1stレグから,この年のツアーを開始したピンク・フロイド(PinkFloyd).1月20日ブライトンのザ・ドーム公演(:『BrightonJanuary1972(Sigma167)
2度目の来日(1972年3月)の一ヶ月半前に,当時,未発表で粗1年後の1973年3月にリリースとなる『TheDarkSideOfTheMoon(狂気)』のプロトタイプをセット・リストに加えて,1972年1月20日英国イースト・サセック州はブライトンのザ・ドーム公演を皮切りに,2月17日~20日の4連続のロンドンのレインボー・シアター公演で幕を閉じた英国ツアー1stレグから,この年の活動を開始したピンク・フロイド(PinkFloyd).この『TheD
1977年1月にオフィシャル・アルバム『Animals(アニマルズ)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ねて1977年1月23日ドイツはドルトムントのウェストファーレンハレ公演から「InTheFleshTour(通称:AnimalsTour)」と題した大規模なツアーを開始したピンク・フロイド(PinkFloyd).「InTheFleshTour」の北米ツアーは,1977年4月22日フロリダ州マイアミのマイアミ・ベースボール・スタジアム公演か
アルバム『AtomHeartMother(原子心母)』のリリースに伴って,1970年9月26日ペンシルベニア州はフィラデルフィアのエレクトリック・ファクトリー公演を皮切りに,10月25日マサチューセッツ州はボストンのボストン・ティー・パーティー公演まで行われた北米ツアーを終了したピンク・フロイド(PinkFloyd)は,11月6日オランダはアムステルダムのコンセルトヘボウ公演を皮切りに,12月22日英国はシェフィールドのシティ・ホール公演まで欧州・英国ツアーを行います.
1977年1月のオフィシャル・アルバム『Animals(アニマルズ)』のリリースに伴い,プロモーションを兼ねて1977年1月23日ドイツはドルトムントのウェストファーレンハレ公演から「InTheFleshTour(通称:AnimalsTour)」と題した大規模なツアーを開始したピンク・フロイド(PinkFloyd)本アイテムは,1977年4月22日フロリダ州マイアミは,マイアミ・ベースボール・スタジアム公演を皮切りに,5月12日オレゴン州ポートランドはメモ
シド・バレット、なにやら彼の自伝映画をやるみたいね。やはし「狂気」の人には牽かれるよね。まっ、ワタチの持っているピンク・フロイドのアルバムもこの「夜明けの口笛吹き」だけだしね。彼抜きの「うんま群馬」はさっぱり理解出来ないし。「月の暗部」の邦題は「狂気」だけど、計算さり尽くしたよく出来たポップなアルバムだしね。まっ、ワタチ的に最も「狂気」の人はジム・モリスンだけど、バレットは彼よりも不運な「狂気」の人だとシンパシーだな。映画はスケジュールが合えば観に行こうかな。もち、チュートンさんは
IntheFleshTour(AnimalsTour)AnimalsOuttakes(GiftCDR)AnimalsTestAcetate(NoLabel)Animals:SpecialDJCopy(GiftCDR)Animals:Collector'sEdition(MW18002CD1DVD1)FromAbbeyRoadToBritanniaRow(EXTRACTIONCD001)AnimalsOuttak
このアルバムが発表された際、「炎」とされた邦題を巡ってちょっとした騒ぎになりました。ピンク・フロイド得て力が入るCBSソニー**がつけた邦題ですけれども、フロイド側からは同名タイトル曲の邦題を「あなたがここにいてほしい」と指定してきたという事情がありました。アルバムのテーマは「火・水・土・空気」の四つのエレメントだと伝わっていますし、ジャケットでは男の人が燃えているので、「炎」はあながち根拠がないわけではありませんが、ピンク・フロイドの伝えたいメッセージをないがしろにするものだと非難の声が
PinkFloyd/AtomHeartMotherピンク・フロイド/原子心母1970年リリース◆前衛性を含む複雑かつ抽象的な楽曲構成、プログレの要素を全て集約した歴史的名盤◆ロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスン、デヴィッド・ギルモアの4人編成となって、5枚目にして全英1位を獲得し、音楽的にも商業的にも成功を収めたピンク・フロイドの歴史的なアルバム。デビュー時の1960年代はサイケデリック色から脱却したものの、アンダーグラウンドで実験的要素の強い難解な
ロジャー・ウォーターズ(RogerWaters)脱退後,初のアルバム『AMomentaryLapseOfReason(鬱)』をリリースした新生ピンク・フロイド(PinkFLoyd)は,アルバム・プロモーションを兼ねて1987年9月9日カナダはオンタリオ州オタワのランズドーン・パーク公演を皮切りに,1989年7月18日フランスはマルセイユのスタッド・ヴェロドローム公演まで粗2年間に渡る大規模な「AMomentaryLapseOfReasonTour」
今でも伝説として語り継がれている,ピンク・フロイド(PinkFloyd)初来日の箱根アフロディーテ公演(1971年8月6日,7日).昨年12月には,その初日を捉えた『AllTogetherNow-HakoneAphrodite(EVSD-1423/1424)』が,EmpressValleySupremeDisc(Disk)レーベルよりリリースされ,その存在,および今まで初日公演(8月6日)としてリリースされていたのが2日目の公演(8月7日)だった事実に驚嘆した
ピンク・フロイドの7作目のアルバムはまたまた映画のサウンドトラックになりました。映画は「モア」と同じバルベ・シュローダー監督作品「ラ・ヴァレ」です。シュローダー監督はよほどピンク・フロイドと相性が良かったのでしょう。この2作品は監督の長編1作目と2作目ですから。映画は1972年に制作されており、長らく本邦では公開されていませんでしたから幻の映画でしたけれども、2007年11月になってようやく公開されました。今ではDVDも発売されていますし、配信もされているようですから幻ではなくなりました。
ロック界には伝説の人物が数多くいるものですが、その中でもシド・バレットは一際伝説度が高いです。活動期間は短く、自ら結成したピンク・フロイドに在籍したのは4年ほどですし、ソロ作品もアルバムは2枚だけ。早逝したわけでもないのに伝説度が高い。精神的に不安定だったために、エピソードに事欠かず、その活動時期をリアルタイムでは全く知らない私ですら、繰り返し語られる伝説でシド・バレット像はパンパンに膨らんでいました。その上、ソロ作品も長らく廃盤で、飢餓感は否応なく募りました。そんなわけですから、この