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「ピンク・レディー」と「ピンクレディー」、正しい表記はどっち?もちろん、正解は前者。ピンクとレディーの間に「・」がある方だ。ところが、後者の表記、ひとつながりに「ピンクレディー」と書く人は意外と多い。そんな細かいことは気にしない、大雑把な性格の人たちなのだろう、と考えるのは早計である。自分なりに大胆な(?)仮説を立ててみた。実は70年代後半の彼女たちのブームを知る世代の方が、「・」のない「ピンクレディー」が正しいと思い込んでしまっている可能性がある。なぜか?…原因は、新聞のラテ欄(ラジオテレ
「PL育ての親」相馬一比古氏を取材作家でスポーツライターの山際淳司氏(1948〜95)が、78年11月から12月にかけて「週刊文春」に4回にわたって連載したルポ「ピンク・レディーの1000日」について書いています。今回は、実質的な司令塔としてPLプロジェクトを牽引した相馬一比古氏に関する記述を中心に見ていきたいと思います。ピンク・レディーの所属事務所、T&Cの制作部長を務めていた相馬氏は、「スター誕生!」でミーちゃんケイちゃんを自らスカウトし、マネージャー兼プロデューサーとしてピンク・レディ
1970年代後半の2年ほどテレビで見ない日はなかったピンク・レディー。その最大のヒット曲「UFO」について、当時国内のテレビで放送され、現在DVDで観ることが出来る歌唱映像32件を、放送日順に鑑賞している。今回は、78年1月後半に放送された3件を取り上げる。78年1月26日放送「ザ・ベストテン」(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)過去2回の記事はこちら↓『ピンク・レディー「UFO」全DVD歌唱映像をめでる(1)』ピンク・レディーの最大の
ちょうど思春期だった僕は、ピンクレディーのあの露出の多い衣装は、恥ずかしくて正視する事が出来ませんでした。(画像はお借りしました)ただ、間違いなくものすごいブームでした。それまでのアイドル曲よりもちょっとエッチな歌詞に、斬新なリズムの曲。明らかに時代を変えたアイドルだったと思います。そんなピンクレディーのヒット曲の中で一番衝撃を受けたのが『カルメン’77』。イントロでいきなりオケツを振りまくるのにはぶっ飛びましたが、この曲のスゴいのは何と言っても阿久悠大先生の歌詞だと思います。
この8月でデビュー45周年を迎えたピンク・レディー。「スター誕生!」でスカウトされたミーちゃんケイちゃんが、プロ歌手を目指して故郷・静岡から上京したのは、デビューの約4か月前、1976年4月12日のことだった。2人が東京で初めて住んだのは、渋谷区富ヶ谷。山手通りと井ノ頭通りが交わる辺り、NHKや代々木公園、東京大学駒場キャンパスなどに近い、都心の住宅街である。近年は渋谷の繁華街の奥にありつつ、静かで落ち着いた佇まいが魅力の「奥渋」エリアの一角としても注目を集めている。この街で、輝かしいキャリ
今日はアラフィフの思い出を語りたーい小学生の時は、小学一年生〜〜小学六年生って付録付き雑誌をだいたいの家庭は家族に買って貰ってましたよね。中学入学前に、次は中1時代って雑誌か、中1コースって雑誌かを選ぶんだけどね、年間購読予約をしたらプレゼントが貰えるって企画があったんです。中1時代は、上から西城秀樹、浅田美代子かな?、岸本加世子かな?わからん、山口百恵、リリーズ、清水健太郎までいる(笑)、キャンディーズが表紙ですねー。中1コースはピンクレディーだ私は中1時代を選んだなぁ。
今回は結論から書きます。Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで
皆さまこんにちは〜投稿が追いつかず、12/2の事になりますが💦「特撮微熟女部祭り」@ロフトワンプラス楽しく終わりました☺️凄い豪華なメンバー!!!楽屋はめちゃ賑やかです♪今でも現役のスーツアクターの蜂須賀祐一さん❣️ホワイトスワンも演じて下さっていました。しなやかで、優雅な動きに、私も役作りの上で参考にさせて頂いていました。今回久し振りにお会いできて嬉しかったです♡リハーサルでの写真3人だけどピンクレディー😁渚のシンドバッド🎵本気で振りを覚えて踊りました。打ち
ジュリーにしか出せないポップさと隠微さが同居!70年代末期バブルガムポップの傑作!「大嫌いなこの歌!」1992年のツアーで久々に「OH!ギャル」を歌った沢田研二は、歌い終わるやこう叫んだ。「OH!ギャル」は、79年のジュリー27枚目のシングル。オリコン5位。売上27万枚のヒット曲だが、ジュリーは当時から「自分の持ち歌で最も嫌い」と公言していた。ジュリーがこの曲を嫌った理由は、阿久悠の歌詞。前年、少女向け情報誌「ギャルズ・ライフ」が創刊され、「ギャル」は当時の流行語に。そん
アッ、さ~て・・・昨夜の「タイトル」が良かったですね~っ、副題は「時代を彩った昭和名曲~湘南サウンド」でありましたよ!~1966年(昭和41年)~「イザナギ景気」入口・ラブユー東京(ロスプリモス)・若いって素晴らしい・ザ、ベンチャーズ・ザ、ビートルズ・エレキギター・サーフィン~1)君といつまでも(青山新・私目もよく歌ってました)2)想い出の渚(ベイビイブー)~~~1977年(昭和52年)~王ホームラン756本・サウスポー(ピンクレディー)・スーパーカー消しゴム・日航機ハイジャック事件(赤軍派・
昭和の水着姿のお嬢様❤いとうまい子さんかたせ梨乃さんピンク・レディーミーちゃん(左)ケイ(右)ちゃん井丸ゆかりさん岡田奈々さん桜田淳子さん榊原郁恵さん坂口良子さん山口もえさん山口百恵さん松田聖子さん松本伊代さん水沢アキさん小高恵美さん斉藤由貴さん浅香唯さん早見優さん益田未亜さん森尾由美さん石川秀美さん中森明菜さん柏原芳恵さん石野真子さん从*´ヮ
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
https://youtu.be/FYparI9C_ls【和soul★懐メロダンスダイエット】70‘昭和名曲を楽しく歌って踊って脂肪燃焼🔥第2弾ピンク・レディーPinkLady/UFO簡単アレンジ3分半♬今回は昭和を代表する日本のアイドルグループ・ピンク・レディー第2弾/UFOの曲に合わせて簡単アレンジしてみたよこちらもよく真似して踊っていたなあ(笑)wピンク・レディーの振り付けは難しいけどインパクトがあってカッコいいよね^^なので本家さんの振り付けリスペクトしつつ誰でも踊れるように簡単アレ
ピンク・レディーの解散後、ケイちゃんこと増田惠子さんが、「すずめ」でソロデビューしてから11月28日でちょうど40年になる。この日開催する自身初の配信ライブで、亡くなった阿久悠氏の未発表の歌詞に、都倉俊一氏がケイちゃんの依頼で曲をつけた新曲「向日葵はうつむかない」を初披露することが、先日明らかになった。文化庁長官に曲を書かせちゃうなんて、さすがはケイちゃん!配信ライブがまた一段と楽しみである。そのケイちゃんのソロ活動の出発点となったのが、1981年から82年、増田けい子の名で活動していた時期で
令和6年3月1日金曜日、晴れ時々曇り。また八坂神社…ではつまんないので今日は清水寺。祇園、八坂神社こそ京都に巣食ったユダヤの象徴でもあるが、いつも書いてるように明治維新まで日本は仏教中心だった。神道_神社は寺の配下で細々営むカルトだったに過ぎない。天皇の悪口を書く気は無いが、冷静に考えれば誰でも分かること。逆に言えば…明治維新とはカルトを担いだイルミナティによる政権を奪取した武力大革命とも言える。なのでヤクザたちは明治維新以降、神道に乗り換えた。真実を書くとBANされかねないのでこれ
『夏・体験物語2』の中古DVDを見つけて衝動買いしてしまった。若い頃、ドラマ観てたしね。あっ、でも中山美穂が出演してた方はこっちの『2』じゃなかったんだな。もう忘れてた。でもこの夏、充分に楽しんで観たぞ(笑)!それにしてもこのドラマ、今、観ると適度に滅茶苦茶で刺激がある。基本的に学園ドラマなのだが、吉幾三がバカバカしいくらいエロい教師役で、おそらく主人公クラスの教師では史上最低の男かも(爆)!?時には愛情で生徒を平手で…いや、女子生徒をグーパンチでぶっ飛ばしちゃう時もあるのだ!その
おはようございます昨日は日差しが強くて風が冷たい日でした。今朝は風は穏やかかなぁ夕暮れアエオ↓↓↓フェニックスフレイム下の1段ぐるっと子株外したのにまた上の段からニョキニョキ!!秋にはフェニックスフレイムの壮大などんぶりができるかも⁉️エメラルドフレイム職場Gardenにもお嫁にだしましたが、強健でよく増えます!これからもっと筋が出て深みのある子になりますよーウェディングドレス日に日に深いカップになりつつあります。カルデレンセブラック締まりが出て美しくなってきました!ブ
山口百恵には阿久悠・作詞の歌が無い。その理由は、スター誕生の予選会の時に、審査員をしていた阿久悠が「君は、何か青春スターの妹役のようなものならいいけど、歌は諦めた方がいいかもしれないね。」とコメントしたことに山口百恵がショックを受け、それがずっと棘のように心に残っていて、以降彼の作詞を拒否し続けたということになっている。だが、本当にそれが理由だろうか?私は違う見方をしている。阿久悠は、作詞で歌を作り込もうとするタイプだったと思う。自分で描いた世界を歌手に演じさせるのだから、歌手
https://youtu.be/ocYaT6Mfk_o1993年6月2日発売。13作目のシングル。オリコン2週連続1位。前作に続き2作連続の初動70万枚越えとなり、ピンク・レディーの5作連続ミリオンセラーを破り、6作連続のミリオンヒットとなりました。1993年の年間シングルチャートでも5位(前作が2位)となり、前作と共にトップ10入りを果たしました。B'zの中で、売上が4番目に多いシングル。前作のシングルと同時期に制作されており、アルバムツアー『B'zLIVE-GYM'93
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
知っている人にとっては常識的なことなのかもしれないんだけど……私は今日、初めて知りました。それは。https://youtu.be/m5LC2l9PLiY?si=kaVtz4Vqg6BIcjlWピンク・レディー/スター誕生!「ペッパー警部」(1976.10.3OA)(4K)Nowin4K,hereisaperformanceofPinkLady's1stSingle,PepperKeibuthatoriginallyairedonOctob
昭和51年7月、松鶴家千とせさんが初代のイメージキャラクターを務めていた日清焼そばUFOの新聞広告。その後、ピンク・レディーやサザンオールスターズ、マイケル富岡やデーブ・スペクターらいろんな人がCMに登場し続けてきたが、松鶴家千とせさんの持つ怪しくも胡散臭い雰囲気のインパクトは強烈だった。余談となるが、発売から46年が経過した今となってはUFOが「うまい・太い・大きい」の略だってことは、かなり忘れられている気がする。流行した時期が被っているせいだろう。つい最近もNHKの朝ドラ