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いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。2023年も、ついに大晦日ですね。今年の年越しは、ミーちゃん(未唯mieさん)が金沢で行われる「カウントダウン・コンサート」に、そしてケイちゃん(増田惠子さん)は横浜アリーナで「第7回ももいろ歌合戦」に出演されるとのことです。楽しみですね。大晦日といえば、ちょうど45年前、1978年の12月31日は、ピンク・レディーが「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞した記念すべき日でもあります。78年12月31日「第20回日本レコード大賞」(「
「全員!悪人!!」のキャッチフレーズで最近ビートたけしの「アウトレイジ」がヒットしましたが…この映画もそんな感じで、出てくる人全員がアウトローで生きる悪人であって、ヒリヒリするようなハードボイルド活劇です。主演は死してなおも人気の高い松田優作。そして脇を固めるのは、まだ若い岩城滉一に、渋い役柄で志賀勝と面々もなかなか濃いです。デパートで「爆弾だ!!過激派の仕業だ!!」と叫ぶ男(松田優作)がいる。そしてシュ~っとする音とともに煙が上がる。デパートはたちまちパニックに陥り、客たちは蜘蛛の子を散ら
いつも当ブログ、『昭和TVワンダーランド』へのご訪問をありがとうございます。最近はツイッターでの告知が主となり、ブログはすっかりご無沙汰となってしまっております。誠に申し訳ございません。さて、2022年6月よりYouTube番組『昭和サブカル打ち上げTV』の昭和アイドルシリーズが再開!シーズン2が開始いたしました。すでに何本かの配信分に出演済ですが、「いつ?どこ??」となってしまう方もいらっしゃることでショウ。ってなワケで、ひとまずの"まとめ記事"を作っておきたいと思いましての更新と
テレビ朝日60年の歴史60年前の2月1日、テレビ朝日が開局。その当時は「日本教育テレビ(NET)」と呼ばれていました。「ミュージックステーション」は1986年10月スタート、もう30年を越える長寿番組。タモリさんはその翌年4月からメインMC、タモリさんが司会を務めると長く続くのですねぇ、お疲れさまでございます。テレビ朝日60年のアーカイブスからえりすぐった「奇跡の発掘映像ランキング」「お宝カバー&ものまね」部門の3位、「夢の中へ」。おお、懐かしい、1975年
【第1部】・最後のパズル(新曲)・ターニングポイント(作曲:岡崎律子/作詞:堤真耶)・WeareAgain(作詞作曲:岡崎律子)・ElDorado(作曲:岡崎律子/作詞:堤真耶)・モノローグ(作詞作曲:加藤恵子)・SunsetLove(作詞作曲:堤真耶)・2019年、夏(〃)・モンスターメドレー(ピンクレディー~嵐)【第2部】(ゲスト:タケイタケル)・Stop!inTheNameofLove(TheSupremes)・にがい涙(TheThree
1977(昭和52)年は、サザンオールスターズのプロデビューが決まった年である。当時、学生バンドだったサザンオールスターズは、「イーストウエスト'77」というコンテストに出場し、そこで認められたサザンは、遂にプロの世界に入る事となった。今回は、サザンオールスターズのプロデビューが決まり、沢田研二の『勝手にしやがれ』と、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』が大ヒットし、そして、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい!」と解散宣言して大騒ぎとなり、プロ野球では、王貞治が通算7
1976(昭和51)年、ヤクルトスワローズは、シーズン途中で荒川博監督が辞任してしまい、後任として、コーチを務めていた広岡達朗が、「監督代行」に昇格した。しかし、広岡監督代行が就任して以降も、ヤクルトは苦戦が続き、全球団に負け越した末に、5位に沈んだ。5位に沈んだとはいえ、広岡達朗は、着々とヤクルトの「改革」に取り組んでいた。そして、ヤクルトは「万年Bクラス」からの脱却へ向け、今まさに生まれ変わろうとしていたのであった。<「ヤクルトスワローズドリームゲーム」…高津臣吾2軍監
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
1977年12月5日にリリースされたピンク・レディーの「UFO」。今も多くの人が歌って踊れる大ヒット曲である。当時ミーちゃんケイちゃんがテレビで「UFO」を歌った映像で、現在公式にDVD化されているものを、放送日の順に鑑賞している。今回は78年2月後半の3件の映像を取り上げる。前回の記事はこちら↓『ピンク・レディー「UFO」全DVD歌唱映像をめでる(4)』1970年代を代表する大ヒット曲で、今も多くの人が歌って踊れるピンク・レディーの「UFO」。DVDで公式に視聴できる2人の歌唱映像を当時テ
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
GW突入!!!急にTHEALFEEのライブの浜松か倉敷に行きたいと思ったけど、チケットあるわけないわな・・・倉敷は申し込んでハズレたけど、浜松はそもそも申し込んでもいない・・・夏イベとプレミアムコンサートが続くタイトな日程ですね。夏イベ申し込みも始まってないのにホテル取ってしまった・・・チケット取れるかな・・・そんな連休初日、今日もキーボードを朝から弾いてました。今日のラインナップはこちら!・かもめが翔んだ日/渡辺真知子・窓ガラス/研ナオコ・UF
こんちは、yoichiです黄金週間真っ只中です初日は、焼津「むずりや」で井上としなり率いる「TYPICAFarm」のライブでしたご来場いただいたお客さん「むずりや」のスタッフのみなさん有難う御座いました楽しく演奏する事が出来ました毎度の事ですが「TYPICAFarm」の場合リハーサルはかなりのスピードで終わり本番前に「前打ち上げ」と呼ばれる宴会が始ります「むずりや」では名物「よっさんプレート」を肴に焼津のお酒「磯自慢」で前打ち上げ!!ホタルイカの天ぷらが最高で
こんばんは。LINEの文章に、。付けたらダサいらしい昭和ーーーって笑われるらしい、古っっ、と、馬鹿にされるらしいネ何とでもイイな私は、以前、エッセイスト講座に通った。その時、。の大切さを、学んだ。必要というよりもっと、深い意味があって、日本語の、美しさに、。の言語の文化有り。勝手に、美しい日本語を、壊すんじゃねえよ。いい加減にしろ‼️やれやれ、美しい、礼儀、文化を、壊す人間が多い、、てか‼️それを、聞いて、慌てて、LINEの文に、。を、付けない
ピンク・レディーの最大のヒット曲、「UFO」。斬新な歌詞、サウンド、衣装、振付、そしてミーちゃんケイちゃんの卓越したパフォーマンスによって、歌謡曲の歴史の中でも異彩を放つ独特の世界観を作り上げ、日本中の老若男女を魅了した。あの頃テレビの前で一緒に歌い踊った昭和世代だけでなく、今なおCMやネット動画などを通して多くの人に親しまれる、世代を超えた名曲である。前回の記事で述べた通り、ピンク・レディーが活動した1976〜81年にかけて、国内のテレビで放送され、現在DVDで視聴できる2人の歌唱映像を
夫は前立腺癌の中でも希な「小細胞癌」に罹患している。前立腺癌は、ほぼ「腺癌」に属するらしく「小細胞癌」は希なケースで標準治療のガイドラインはなく、小細胞肺癌と同じ治療をするとの事。治療の指針が無いというのも不安だけど、私達は治療を主治医におまかせするしかない。最善を尽くして治療に当たっていただいていると信頼し身を委ねているネットで検索すると余命は平均9.8か月、転移ありで7.3か月、転移なしでも13.2か月。こんな数字を見てしまうと、今は元気な夫で想像もつかないけど、
こんちは、yoichiです黄金週間も終わってしまいました後半は「盆休み」と勘違いしてしまいそうな程の暑さでしたそんな灼熱の5月3日三ヶ日「WATTS」で毎年恒例「WATTSの日」が開催されました「ケンヤワンヤとザ・フォーティファイブ」にて参戦出演者だけでも9組、30人程さらに、お客さん多数賑やかなイベントでした浜名湖をバックに心地よい音楽!!入り口付近で焼かれる炭火焼の焼き鳥やら熊谷さんのホットドックやら旨いものを頬張りながらハイボール!!最高の黄金週間でした
昭和の水着姿のお嬢様❤いとうまい子さんかたせ梨乃さんピンク・レディーミーちゃん(左)ケイ(右)ちゃん井丸ゆかりさん岡田奈々さん桜田淳子さん榊原郁恵さん坂口良子さん山口もえさん山口百恵さん松田聖子さん松本伊代さん水沢アキさん小高恵美さん斉藤由貴さん浅香唯さん早見優さん益田未亜さん森尾由美さん石川秀美さん中森明菜さん柏原芳恵さん石野真子さん从*´ヮ
♪世間をさわがす不思議なことはすべては透明人間なのですあの頃のミーちゃんケイちゃんに会える貴重な映像を収録したDVD「ピンク・レディーin夜のヒットスタジオ」。初めての出演から順に、これまで17回分を見てきたが、ディスク1に収録されているのは、あと残り2回となった。1978年9月25日と10月30日、いずれの回も彼女たちが歌ったのは、9枚目のシングル曲「透明人間」である。「透明人間」といえば、「ザ・ベストテン」に出演した際、2人の姿がほんとうに消えてしまう演出が、当時文字通