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この20年近く指導していて、親御さんから「うちの子、見込みありますか?」と聞かれることがあります。そんな時は自分自身のことを例にお話します。私は幼少期にいわゆる見込みゼロな「ダメな子」でした。誰からも期待されていませんでしたし、容姿に恵まれていたわけでもないです。バレエはビジュアル重視の芸術です。ですから私なんて一発で「見込みのない子」で、くくられたはずですし、実際そう思われていました。見た目だけに限らず「なんで楽しそうに踊れないわけ?」と言われましたし、自分をうまく表現出来
今回、ローザンヌ国際バレエコンクールで韓国、中国勢が多数受賞したことについて、少しお話したいと思います。私が韓国のユニバーサルバレエ団で踊っていた1985年(もう今から33年前!)には、既に仙和芸術学校は存在していました。ホームグラウンドのこの劇場で、私は「くるみ割り人形」公演を2週間で24回踊るなど、日本では考えられないくらいの舞台数をこなしました。そしてそのバレエ団の舞台に出演する子役たちは、仙和芸術学校の生徒たち。今回の受賞者のHannaちゃんも仙和の学生。仙和芸術学校と芸苑学校
ザルツブルクに住んでいた頃は「劇場の国家公務員扱い」でしたから、銀行でもどこでも「あ、国家公務員ね」と社会的に認められていました。こんな20代前半でも…なぜ日本を離れたか、と言うと、学生時代に「バレエなんて職業はない!」「大学も行かないでどうするんだ!」「部活に入らないおまえはかたわだ」(ひどい差別よですよね?しかし昭和の教師は平氣で使っていました)と、散々馬鹿にされてきて「見返してやりたい」と言う氣持ちがあったので、日本を飛び出しました。しかし、そんな私は26歳で日本に帰っ