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拘置所から出て…私はこう思っていました。さすがに夫はこりただろう。薬物乱用をやめてくれるはず。バカだと思われるかもしれませんが、これがキッカケになれば…とその思いにすがっていました。それに私は希望がありました。来月(8月)か、遅くとも再来月(9月)には、日本へ帰れるはず。夫はまた日本の基地への転勤を希望し、承認が下りていました。そういえばアメリカに来る前に、夫の上司や同僚にこう言われました。「楽しい3年間のアメリカ生活になるよ。3年間はあっという間だ。」夫の母にこ
感謝祭の1ヶ月後はクリスマス。しかし次第に夫のクリスマス休暇が憂鬱になっていたのは私。また夫の両親の実家に行くのが憂鬱になっていました。仲良くしたいのに。日本にいた頃、夫は必ずクリスマス休暇は私の実家で過ごしたがりました。私の為、というより、単純に夫は私の実家が大好きでした。私の家族で英語を話せるのは、兄夫婦やイトコなど若手世代のみで、私の両親も親戚も誰も英語は話せませんが、それでもみんな日本語で夫に話しかけ、仲良くしていました。夫は私の家族に優しくしてくれたので、私も同じように
義理の両親をひどい人のように書いていますが、私は基本、義理の両親とは、仲が良かったです。ある日を境に関係は粉々に崩れてしまいましたが…。最初、むしろ私自身は過去を気にせず、みんなで仲良くしたいと思っていました。家族ですから。特に義理の父は、私にとても優しかったです。いつもニコニコしていて、私は義理の父が大好きでした。今でも覚えている、ある日のクリスマス。義理の父は、こちらに向かっていました。私は大きな七面鳥を買いましたが、オーブンでどのように調理をすればおいしいのかわからず、
すっかり拘置所日記のようなブログになりましたが、どういうわけか、拘置所の部分は書いていて少し楽しかったです。なぜなら、この拘置所なんて、全然大したことがありません。私は初めに「大きな出来事が5つ起こった」と書きましたが、5つどころじゃありませんでした。これから更にめちゃくちゃになりますが、その前にアメリカ生活のことを2件書きます。アメリカでは子供の誘拐がとても多いです。マーケットに行くと、日本でもある「この子を知りませんか?」の張り紙。アメリカのこの張り紙、全国区ではなく、
薬物依存症の本を2冊読み、私が夫の薬物乱用を止める為に必死でしたことすべてが誤りであることがわかりました。誤りどころか、私の行動が夫の薬物乱用を悪化させていることがわかりました。しかし、大切な家族が薬物依存症になってしまったら、私の反応や行動は、ごく当たり前であるから、「気にするな」とも書かれていました。いや、…そんなことはどうでもいい。私には時間がない。子供3人の為に、今すぐとっとと夫には薬物乱用をやめてもらい、普通の人に戻ってほしい。今すぐ。さあ、「薬物依存
夫の父と入れ替わりで、夫の母がやってきました。そこで夫の弟が、別の州(バージニア州)でクスリ欲しさに他人の家に窃盗で入り、逮捕されていたことを知りました。しかも、仮釈放中に何故かバージニア州を離れ、今、夫の母の家にいるとのことでした。それは仮釈違反で、現在、指名手配がかかっているらしいです。真面目な夫は、「今すぐ警察に電話をして、弟を逮捕してもらう。」しかし夫の母は、「やめてくれ。時期がきたら、私がちゃんと警察に息子を連れて行くから…。」しかも夫の母は、「あの子をあなた
おそらく夫の薬物乱用が始まったのは、2012年10月。年明けの2013年1月にはかなり進行していたと思います。たった3ヶ月ですが、3ヶ月ではもう普通の人間には二度と戻れないです。おそらく最初の一回でアウトですね。改めて薬物依存性は、この世で一番、残酷な病気だと思っています。クリスマス休暇のサウスカロライナ州チャールストンの旅行後、2週間後の土日にすぐまた夫が「ジョージア州の歴史地区サバンナに旅行に行こう。」と言いました。サバンナは映画「フォレスト・ガンプ」のフォレストが公園のベ
夫の母の家で、一番上の子の3歳の誕生日パーティーをしました。アメリカの一般的な誕生日ケーキはあまりおいしくないので、日系マーケットで大きなショートケーキを特注しました。この時期は、夫の同僚のお子さんのお誕生日パーティーにもよく招待されましたが、だいたい毎回、5000円前後のプレゼントを買っていきました。夫の同僚ということと、何よりもアメリカのお誕生日パーティーはゲストの子供たちも一緒に楽しめるようにお金をかけてくださっています。皆さま、プロのお誕生日パーティー業者さんにお願いをされていて
夫のおばあちゃん家で。夫の父が、「お隣のレイモンド夫妻に、ご挨拶に行きなさい。」「わかった。」レイモンド夫妻は、おじいちゃんおばあちゃん家のお隣さんで、まさに親友、家族ぐるみの仲。おじいちゃんおばあちゃんと同世代なので、同じく高齢でした。レイモンド夫妻の家に行くと…にぎやかでした。感謝祭の翌日、レイモンド夫妻の家には、レイモンド夫妻の子供、孫、ひ孫で溢れて…アメリカの典型的な中間層の一軒家に、30人くらい家族があふれていました。あまり年が変わらない孫やひ孫が、庭で走り
夫の父を連れて、夫の母の家へ行きました。夫の両親は、一応、結婚して27年間くらいですが、夫が18歳で家を出た後、8年間、別居中。犬猿の仲私たちに会いに2人は前回、8年ぶりに顔を合わせましたが、最初はお義母さんの方があからさまに嫌な顔をしていました。そしてレストランでケンカになり、夫が「いつもこうだ、あの2人はすぐケンカになる。両親のケンカを見せられる子供はみじめだ。」と落胆しました。そしてまた…夫の両親は再会。家族みんなでウォルマートに買い出しへ。意外に楽しく過ごせました。
夫のおばあちゃんは、脳梗塞を起こした後遺症で、子供に戻っていました。お世話をしていたのは、独身で一緒に暮らす長男。(私の夫の父の兄、夫の叔父にあたります。)夫の叔父いわく、介護は辛いそうです。夫の叔父は、「深夜にお母さんが嫌がらせで、僕の名前を呼ぶ、何時間も。オムツをしているのだから、そこでしてほしいのに、深夜に何回も『トイレに連れて行け』と。この前は、あまりに腹がたったので、お母さんを突き飛ばして、朝までトイレに放置した。」悲しく、辛いです。私は祖父母が大好きだったので、こう
夫の両親は、夫が小さい時に一度、離婚しました。そこから夫は、平日は母親の家、週末は父親の家で過ごしたそうです。父親の家は離れていた為、お友達とも遊べず、ひたすら父親の家で、週末に行われる大人のバーベキューの中、子供ひとり、とてもつまらなかったそうです。母親は、息子である私の夫に「私たちがどこに住んでいるか、パパとパパの家族には絶対に行っちゃダメ。」と口止めをするほど、関わりたくなかっだそうです。しかし…夫が小学生だった頃のある日、家族みんなで海沿いのレストランに行ったそうです
刑務所を出た後の監察施設みたいなところに連れて行かれた私たち。おそらく先程の黒人男性は、夫の父の保護観察官みたいな方でした。夫は、「僕の小さな子供がいるのに、親父はこんな危ない場所に連れてきやがって。」と怒っていました。私は何となく…純粋に、夫の父は保護観察官に自慢の米軍人の息子を見せたかったのかな、と感じました。そうです、夫の父は薬物依存で刑務所にいました。だから私は夫の父に会いたかったんです。きっと孫の姿を見たら、更正してくれる。でもね、今ならわかります。我が子を
8年間別居していた夫の両親。「お母さんが…今夜、お父さんを、お母さん家に泊めるって。」…ふーん私と夫は、ホテルへ退散しました。とても複雑そうな夫。別のある日、夫とアメリカ映画「恋するベーカリー」を観ていたら、『離婚したお父さんとお母さんが、実はデートをしていた…』という展開が映画でありました。3人の成人した子供たちは、普段からお父さんともお母さんとも仲良しで、お父さんが今の奥さんに追い出された時は、「お母さん、お父さんがかわいそうだから、うちに泊めてあげて。僕の部屋で
夫の違和感の始まり②突然、電池切れになる夫夫は基本、平日は午後9時就寝でしたが、金土の夜は子供が寝た後にリビングで大好きなゲームをしていました。私はゲームをしないので、子供たちと先に寝るか、リビングの夫の近くで読書をしたりしていました。そんな夫の金土の夜の過ごし方に、何となく違和感が始まりました。目がガンガンに冴えて、大好きなゲームを翌朝までやる日があったり…。逆に、夜8時に子供たちが寝た後、「よし、金土の楽しみであるゲームをしよう!」とさっきまで喜んでいたかと思えば、気づいたらパッ
私の第1子の子供が、「これパパのお薬、ママが困ってる。」と警察官に夫が乱用している咳止め薬の空箱を渡しました。どうやらソファの隙間に、咳止め薬の空箱を大量に隠していました。夫は薬をオーバードーズした後、必ず空箱を捨てないんです。そこまで気が回らなくなるのでしょう。だから手当たり次第の場所にとりあえず隠すんです。後で調べたら、大きなソファの境目から、空箱は…何十箱も出てきました。何よりビックリしたことは、第1子が知っていたことです。こんな状況でも子供たちは、元気いっぱい、
レイモンド夫妻の庭で、レイモンド夫妻の大家族とワイワイしながら、ふと夫のおばあちゃんの家を見たら…夫のおばあちゃんは、庭で一人、私の子供一人と座っていました。私はひとり、夫のおばあちゃんのところに戻りました。夫のおばあちゃんが見つめていたのは…私の夫でした。夫のおばあちゃんは脳梗塞の後遺症で、あまり会話をしませんでした。しかし夫のおばあちゃんは静かに言いました。「私はずっとルークがいなくて寂しかった。ルークは、私にとって、特別な孫なんです。」そうですよね…。私がうなずくと、
アメリカでは、3LDKの一軒家の米軍住宅を借りました。しかし借りてすぐに、本当に困った出来事がありました。「他の物件も見たい。」という私に、「もうここしか空いていない。ここなら、一ヶ月14万円のところを13万円にしてくれる。」節約が好きなのは私の方で、アメリカ人の夫は節約の概念がほとんどありませんでした。夫は早く決めたかっただけです。入居してすぐ、お隣の奥様に挨拶に行くと、お隣の奥様はちょうどご主人が定年まで務め上げられ、晴れて退役をされるとのことで、とても幸せそうでした。
夫の両親が来た2日目、レストランへディナーに行きました。そこで夫の父が言いました。「お酒を飲む。」夫の母は、「やめて、飲まないで。ロクなことにならない。」しかし夫の父は、「俺は大人だ。やりたいことは何でもやれる。」↑これ、夫の母が昨日、言いましたね2人は口論になりました。両親の口論を見ながら、夫は私に悔しそうに言いました。「ほら、まただ。僕が子供の頃からずっとこうだった。せっかく家族で楽しくレストランに来ても、お酒のことで、母が怒り、父が逆ギレして、2人は口論になる
夫の父の逮捕の翌日…。夫は超元気でした。仕事から帰ってきて嬉しそうに、「突然だけど、来週に休暇申請してきたよ!10日間。君の行きたがっていたニューオーリンズに旅行に行こう!」「え?本当に?」「…僕にも休みが必要だ。」「…そうだよね。」ニューオーリンズに行く途中は、夫の故郷を通る為、夫の母の家に2泊しました。初めて夫の母の家に泊まりました。夫の弟が滞在していたゲストルームに泊まりました。夫は夫の母と夜遅くまで、テラスで話し込む為、私と私の子供たちは先に寝ました。子供たちは
夫が行方不明になった翌朝の昼、夫がやってきました。私が出かける準備をしていなかった為、(夫は行方不明になることが増えました。だから来ないかもしれない、と準備をしませんでした。…というより気力がありませんでした。)出発は遅くなってしまい、近くのファストフードで子供たちに昼食を食べさせました。皆さまは、昨日の出来事を流してしまった私に驚くでしょうが、内心、一晩中、とても腹が立って眠れませんでした。しかしもう夫には腹を立てても、どこに行ったのかを問い詰めても無駄でした。夫は薬物依
感謝祭の翌日、ブラックフライデーの日の話に戻ります。前日に父親とケンカした夫。「ああ〜どうしようかな。」私は、「…お義父さんに連絡だけしてみれば?」と言いましたが…。言わなければ良かったな、と思います。夫は父親に電話をしました。父親の要望は…「お母さん(夫にとってのおばあちゃん)に会ってくれ。」「ああ、そうだね。」夫の最愛の人、というより唯一、夫が好きだったのは、血のつながりのないおじいちゃん。おじいちゃんはすでに亡くなっており、妻であるおばあちゃん(夫の父の実母。)は生
アメリカで子供(と私)が大好きだった場所、全米チェーン・レストランのチャッキー・チーズ。店内はレストランですが、遊具やゲーム機があり、ピザ🍕を食べながら走り回って遊べる日本では考えられないレストランでした。チャッキー・チーズの入口には、必ずパトカー🚓が停まっていました。子供の誘拐を防ぐ為です出入口では警備員ではなく、警察官に、親子ごとに同じ番号のスタンプを、手の甲に押され、退場の際にまた警察官に手の甲を見せ、その番号をチェックされます。店内にはミッキーのパクリのようなチャ
夫の両親が我が家に来た初日の話に戻ります。私は義理の両親に、夫のアルコールの問題を話していました。夫が米軍から「禁酒命令」が出ている話もしました。米軍人の夫に対する米軍からの「命令order」なので、従わない場合、軍法違反になり重い刑罰の対象になります。逮捕、軍法裁判、不名誉除隊(クビ)など。ついでに夫と私の結婚前の約束、「結婚して、もし赤ちゃんができたら、あなたはタバコをやめて。」結婚前の約束は漠然としていましたが、私の最愛の祖父が若い時に嗜んでいた程度のタバコがおそらく原因で
夫の薬物依存症を止める方法③子供をダシにする「ダシにする」という表現に心が痛いですが、夫が一番大切なものは、子供たちでした。え?薬物なんか乱用している奴の、どこが子供を大事にしているんだ?全くその通りです。しかし信じられないかもしれませんが、何故か、こんなめちゃくちゃな状況で、子供たちをとても大事にしていました。ところで、アメリカのドキュメンタリー番組で、薬物依存性の特集をやっていました。質問者が、Q.「あなたは子供とドラッグ、どちらが大切ですか?」薬物依存性の方は
私は家を出ました。(※一部、過去の投稿と一部、重複します。)タクシーを呼び、子供たち3歳、2歳、1歳を連れて、3人分の大量の3種類のオムツを箱ごと、離乳食を箱ごと、そして3人乗りベビーカーをタクシーの運転手さんに積んでもらって。モーテル暮らし。モーテルの部屋に、乳幼児の子供3人を一日中過ごさせるのは本当に大変でしたが、他に行くところがありませんでした。それに何より食事が大変でした。モーテルにキッチンはない為、1歳児には市販のレトルトの離乳食を食べさせました。大変だったのは3
アメリカの事故物件に入居して数日後…夫は複雑な顔で帰ってきました。「今日、変な人から電話があった。父だ。」「あ、連絡きたんだ、良かったね。」引っ越した後、夫のスマホの電話番号を含めて再度ハガキを書いたのは私、そしてまたハガキをわざわざ郵便局で投函したのは夫でした。だから電話がかかってくるのはわかっていたのですが。夫は「Sostrange.」(本当に変だな。)を繰り返していました。夫の両親は離婚はしていないものの、夫が米軍に入隊した後、8年間ずっと別居をしていました。二人は同じ
もともと夫は真面目な人で、平日は激務の後、ジムでトレーニングをし、疲れている為、平日は夜9時消灯でした。朝5時起床の為、8時間は寝ないと気が済まないようでした。その為、平日はお酒を一切飲みませんでした。しかし金曜日の夜、500mlの缶ビール12本を買ってきて、おそらく深夜1時くらいまで飲み、そこからおそらく焼酎も飲んでいました。自宅のテレビでゲームをしながら。結婚して1年くらいは私も夫の好きにさせていました。夫は仕事で疲れているのだから、金曜日土曜日だけは飲ませてあげようと…。
夫は日本の米軍基地勤務でしたが、転勤シーズンを前に、必死で日本在留を延長しようとしていました。そんな中、次の勤務地は、夫の期待通りではなく、生まれ故郷のアメリカの州に決まりました。日本からアメリカへの引っ越しは、米軍がすべてを手配してくれた為、ラクでした。米軍に「引っ越し中に、子供がいては危ないので、奥さんと子供は1週間近くのホテルに待機してください」と言われましたが、転勤シーズンの当時、近くのホテルは満室。スイートルームしか空いていなかったのですが、米軍が「空いていないから仕方ない」
2013年3月。私が住んでいた州は春がなく、3月のある日、いきなり冬から夏になります。冬といっても1月は15℃前後、2月は20℃前後はあるのですが、3月中旬〜下旬のある日、突然、30℃になり、夏が始まります。みんなその日から突然、ビーチ遊びを始めます。私の人生が今までと180度変わった日…それは3月の、夏になる直接の少し肌寒い曇りの日。ある日、私は家で洗濯物をしていて、夫の制服を洗おうと、ポケットの中のゴミを捨てようとしました。ぐちゃぐちゃになって突っ込まれたゴミ…その時