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長野市にある産業廃棄物処理会社「直富商事」の敷地内に保存されている鉄道車両を見てきました。直富商事はJR東日本や長野電鉄で廃車になった鉄道車両の解体も請け負っており、社長が鉄道好きということもあって鉄道車両を保存することになったようです。道路と敷地の間には木が植えられているので敷地外からだと車両が見にくいです。たまたま従業員の方が通りかかったので許可を得て敷地内からも写真を撮影しました。JR東日本253系電車の先頭部特急成田エクスプレスに使われていた車両で、廃車された時の
3/3の日曜日ホワイトデーに渡すお菓子を予約しようと向かった大分駅のアミュプラザ大分。期間限定の出店をしているお店でお菓子の予約を済ませた後、向かった先は3階のポポンデッタ…。あっ…。見つけてしまった。と手に取ったのはKATO製の中古DD16残りナンバーとナックルカプラーが欠品している以外はかなりの美品で、プレ値気味のDD16にしては破格値。その他いろいろ見つけてしまって併せて購入してきました。1エンド側DE10同様、KATO製の凸形ディーゼルは造り込みが細かく自分好みです2エ
DD52は911の在来線用4軸動力車DD52はDD51の800番台に与える予定だった、という説がある。「幻の機関車」で当時の技術者が語っている。労組との難しい交渉が必要だった、のだそうだ。しかし、難しい交渉が必要だったというのは、なんとも曖昧な表現である。現にDD52なる形式は存在しない。ということは、DD52なる新形式機関車の導入は認められないと労組は拒否、DD51-800番代なら認めよう、ということになる。なんでも、国鉄労組のせいにしておけばみんな納得してくれそう、な気
しばらくの間続けていた蒸気機関車の撮影で、すっかり「撮り鉄」になってしまった自分。撮るものが無くなってしまったので、いずれ変わって行くであろう札幌駅と車両の姿も残しておこうと思い、年末の一日札幌駅にへばり付いてみたのでありました。【1975年(昭和50年)12月27日(土)】現在の札幌駅より一条分南側にあった四代目の札幌駅。北海道開拓の村の札幌駅が三代目らしいです。「札幌駅名店街」は懐かしく、駅前にアイスクリームや焼とうきびのワゴンがあったことに驚きます。札幌駅北口。何も無かったというイメ
JR貨物のDF200と言えば、北海道地区のみで運用されるディーゼル機関車かと思っていましたが、2016年から100番台機を改造した200番台機が、愛知機関区の老朽化したDD51と交代すべく同区に転属し、稲沢~四日市地区で活躍しているのは皆様ご承知の通りです。DF200-200番台のNゲージ製品は、2019年のTOMIXに次いで、今年になってKATOからも発売になりました。一方、DF200の基本番台については、KATOが1998年に製品化しており、その後も多くの品番の製品が発売されていますの
新山口駅における「やまぐち」号の動き(令和3年)(SL・DL「やまぐち」号51のブログ)【投稿日令和4年3月17日】1はじめに(1)個人的な事情(再掲)令和3年(2021年)においては、コロナ対策を行ったうえで、DL「やまぐち」号に15回、SL「やまぐち」号に2回一人で乗車しました。(乗車理由等は過去ブログにて記載の通り)(2)今回のブログでは令和4年(2022年)3月にSL「やまぐち」号の運行が再開することから、改めて、新山口駅における「やまぐち」号の動
JR東海管内の関西本線(名古屋~亀山間)は近鉄名古屋線と競合する区間も多く、全区間電化されているだけでなく部分的に複線化もされていますが貨物列車は非電化の区間にも直通するためディーゼル機関車牽引で運転され、DD51が主に担当していました。しかし同形を置き換えるためにDF200が北海道からこちらへ移籍してきており、兵庫の川崎重工業で防音強化等の改造を行った上で運用に入れています。(2019.11.3桑名付近にて撮影)コンテナ列車を牽引するDF200-223です。関西本線の貨物列車
おはようございます。5月1日の出来事になりますが、554次キョ光号が大甲駅で故障し走行不能になる事態が発生しました。このときに救援に駆けつけたのがR155形ディーゼル機関車。幸い乗客はいない状態で、無電状態で新竹まで走行し、途中の苑裡、通霄、後龍、及び竹南では荷貨物扱いが行われました。なお、救援機と故障したELは新竹で切り離され、代わりにE406形電気機関車が先頭に立ち、営業運転が再開されました。
こんばんは~。yasooです。先週末に入線となりました14系寝台特急「さくら」を整備しました。基本セットの8両増結セットの6両整備と言っても平日でもサクッと出来るカプラー交換から。編成端に来るスハネフ14には付属のTNカプラーを装着。中間車両には低コストで連結のしやすいKATOカプラーNJPAを装着しました。トレインマークの交換付属のトレインシールの「出雲」と「紀伊」をガラスパーツに貼り付けて、標準の「さくら」と1両ずつ交換します。スハネフ14これでスハネフの向きを変えるだ
鉄道で使われる車両は一見すると前後左右の区別がつきにくいことが多いですが、実は車両の前後左右は厳密に規定されています。今回はそのうち機関車についてご紹介します。蒸気機関車の場合は煙突のある側が前位(1端=1エンド)となります。電気機関車の場合は、主たる運転機器のある運転台側が前位(1エンド)となります。車体裾に四角い[1]の標記がありますが、これが1エンド側を意味します。EF64形1000番代は側面の窓やフィルターの配置が前後非対称になっていて、この画像で重連の先頭に立つ1026号機は前位
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回は奥多摩の石灰石貨物ヤードに到着したJR貨物EF641011号機の写真をご紹介します(奥多摩工業の貨物列車は1998年まで運転されていました)。下の写真は空のホキを牽引して奥多摩駅に到着するE
約1年ぶりにTKさんに会いに行く予定だったんですが、TKさん、熱が出てしまったようでありまして、中止。細君も休みではあるのですが、細君は実家の人達とコストコに行くことになっております。そんなこんなでちょいと隙のできた休日。軽ーく田端へ様子を見に行ってみます。デーテンがアイドリング中です。いつもと曜日は違いますが、高崎に帰投かな?昨夜あたり、Twitter界隈で「神立試単ありか?」みたいな話題も出ていたようですが、勿論(?)ナシ。目
令和3年のSL・DL「やまぐち」号ダイヤの再掲及び両やまぐち号比較①(SL「やまぐち」号とDL「やまぐち」号の比較①)(&過去ブログ修正16)(SL・DLやまぐち号45のブログ)【投稿日令和3年11月12日】【追記令和4年3月31日】【タイトル修正令和4年11月23日】1はじめに(1)個人的事情個人的事情で恐縮ですが、以前のブログで投稿の通り、私は令和3年3月~9月において、DL「やまぐち」号に15回乗りました(一人で)。また、SL「やまぐち」号について
(下館発真岡行き6103列車)★過去記事↓↓国鉄「50系客車」原形車が走る北関東のローカル鉄道【真岡鐵道の旅①】『国鉄「50系客車」原形車が走る北関東のローカル鉄道【真岡鐵道の旅①】』(真岡鐵道の50系客車)茨城県・下館駅JR水戸線で下館(しもだて)駅到着向こう側の関東鉄道常総線下館駅ホームには、単行気動車が発車待ちJRホームの端にある真…ameblo.jpSLもおか号で行く真岡線の旅【真岡鐵道の旅②】『SLもおか号で行く真岡線の旅【真岡鐵道の旅②】』(前回記事の続き)★過去記
午前中に3軒、午後と夕方にそれぞれ1軒ずつ、葬儀にお参りした住職の代行でご法事等のお参り。ご法事にはご一家3世代10名ほどのご参列。三部経の途中休憩の2回目ははしょるつもりがトイレをもよおしてお借り。戻って、衣・袈裟を着つつ「以前トイレは遠かったけど、前立腺全摘手術をしたら、我慢しづらくなって」と言うと、「私も放射線治療を」と一回りほど上のお兄さん。ボクよりだいぶお若い子供さん方やその孫さん方の参列は大の苦手で緊張気味だったのがそれを機にちょっとなごんでやれやれ・・・9:37約束の時
DD50はF9の模倣機?F9はアメリカのEMGが、1954年から1957年まで制作した電気式ディーゼル機関車。本来は貨物用だが、旅客列車にも使用された。旅客用はFP9という別形式でも存在する。EMGのFシリーズはアメリカ型ディーゼル機関車の代表として模型や映画でよく知られている。『初めての購入品』アメリカ型:バックマン製子供時分、おもちゃ屋で購入。トミーブランドで扱ってました。月に一両ずつ購入してました。このような箱にねじ止めしてあります。無理にとり…ameblo.jpブースタ
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回は、東京都水道局小河内線の廃線跡と奥多摩駅の西東バスの写真をご紹介します。東京都水道局小河内線は1952年(昭和27年)に開通し、1957年(昭和32年)まで小河内ダムの建設用資材輸送で運行さ
こんばんは~。yasooです。お盆休みも最終日となってしまいました。昨夕、嫁&子供達が映画を見に行くと言い出し、家族揃って京都イオンに向かいました。映画館で家族と別れ、自由な2時間に行く所と言えばポポンデッタしかありません😁恐らく半年以上ぶりの店舗はリニューアルされてまして、30分ほどぐるぐる見てまわり、収穫無しかなと思った時に棚の上に居るコイツを見つけてしまいました😅KATO7009DF502006年LOT以前から探していたのですが、茶色や四国バージョンしか出会いが無かった
常磐線の泉駅から太平洋沿岸の小名浜港まで、現在は福島臨海鉄道という名称に変わりましたが、小名浜臨港鉄道という貨物専業の鉄道が走っています。その昔、昭和30年代は旅客営業も行っていたらしいですが、当時の気動車を見てみたかったですね。何となく台車はTR29か、TR26系の菱形台車が使われていたものと思います。この鉄道には、大学時代に一度だけ訪問したことがあります。当日は天候が悪く、風雨の強い中、傘を差しながら撮影したことを覚えています。泉駅からは路線バスに乗って現地に向かいました。典型
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。今回は川崎重工兵庫工場と和田岬線についてご紹介します。川崎重工兵庫工場とは主に鉄道車両や鉄道部品などを製造する工場です。場所はJR兵庫駅から徒歩15分の所にあります。★川崎重工兵庫工場留置線(2015.09.22に撮影)川崎重工兵庫工場内に踏切があり誰でも渡ることができるので新製車両を間近で見れる有名な場所でしたが近年は撮影禁止となっていて撮影ができないようです。★川崎重工兵庫工場内(2015.10.16に撮影)TWILIGHT
JR九州には、DE10形ディーゼル機関車が、今回ご紹介しますように8両が所有しておりまして、九州内各地で活躍を行っております。このDE10形ディーゼル機関車は、車両自体は多く製造されておりましたが、国鉄時代末期に客車列車・貨物列車が大幅に削減された事からその頃の時点で多くが廃車・売却された車両さえもあったほどでした。それでも、JR九州に所有します車両8両はいわゆる生き残りの車両でもありまして、最も古いもので今年で半世紀の50年にもなります昭和48年製の車両も存在しておりまし
こんにちは!タムタム広島アルパーク店の佐藤です!年末いかがお過ごしでしょうか!今日はクリスマスイブ!私は小~高校までカトリック系の学校に通っていたので、クリスマスは一大イベントでした。「ハレルヤ!」って歌ったり、第九の歓喜の歌を演奏したり、降誕劇を見たり演じたり、遠い昔の思い出です…ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-さて、先日TOMYTECより発売になりました、ノスタルジック鉄道コレクション第4弾、皆さまは購入できましたでしょうか?ラインナ
DD51牽引のDL「やまぐち」号におけるSLアテンダント活動1~山口県立大学学生によるSLアテンダント活動1~(令和3年4月10日の場合)(令和3年3月~4月11日DL「やまぐち」号)(SLアテンダント活動①のブログ)(SL・DL「やまぐち」号8のブログ)(輝く女性・女性活躍に関するブログ1)(地方創生関連ブログ)※個人的な行動に関するブログでもあります。【投稿日令和3年4月15日】【修正令和6年4月29日等】【タイトル修正下記参照】1はじめに
【巨大製鉄所のトーピードカー!超高温の鉄を運べ!】千葉県・日本製鉄所君津地区の巨大な製鉄所。日本最大級の敷地面積を誇る工場で活躍する特殊な貨物列車。高炉から出る熔けた鉄を運ぶ貨車。高温に耐え得るよう、内部には特殊な耐火煉瓦が敷き詰められている。機関車により牽引される。80tのディーゼル機関車とラグビーボールのような形をしたトーピードカーの名コンビが1500℃の熔けた鉄を運ぶ!チカラ自慢のディーゼル機関車の操作はリモコン?ドロドロの鉄300tを運ぶ…緊張の現場に潜入。高炉から製鋼工場
(真岡鐵道の50系客車)茨城県・下館駅JR水戸線で下館(しもだて)駅到着向こう側の関東鉄道常総線下館駅ホームには、単行気動車が発車待ちJRホームの端にある真岡鐵道乗り場へ。JR下館駅の片隅にある真岡鐵道乗り場の1番線旧日本国有鉄道(国鉄)特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道・真岡鐵道の真岡線。下館から茂木まで41.9kmを結ぶ。この日は、土休日のSLもおか号運行日側線には、ディーゼル機関車とSLもおか号編成。側線はホームに並行しており、列車全体がよく見渡せる。定期普通列
*立山砂防軌道(建設省⦅現:国土交通省》北陸地方整備局立山砂防工事専用軌道)世界有数の急流河川である常願寺川(富山県)は上流部に脆弱な地質の立山カルデラを抱え、過去に幾度もの水害・土砂災害を流域にもたらしてきました。その砂防工事を行う資材・人員の運搬のため、1929-1931年に渡り当時の内務省によって敷設されたのが立山砂防工事専用軌道です。路線距離17.7km(訪問当時は18.5km)、軌間610mm(JRは1067mm)のナロー(軽便鉄道規格)で、9両のディーゼル機関車(4t
現役蒸機が走っていたころ、山陰線東部地方ではDL補機の付く勾配区間や蒸気機関車の交番検査や廃車回送の貨物列車を撮ると意に反して当時の主力機であったDD54が写り込んでたりして、何とかDD54が目立たないように蒸気機関車を主役に撮れるように苦心したものです。今回は形式消滅が決定的になって急に人気が出てきたDD54の、そんな縁の下の力持ち的存在だった頃の写真を集めてみました。交番検査だったのでしょうか?ナンバープレートを付けたまま西舞鶴のC12がDD546に牽かれて西舞鶴へ
鉄道は、多くの人にとって交通の手段としてだけでなく、趣味や娯楽の対象としても親しまれており、ときに人々の知的好奇心を刺激してくれます。一度日本から消えた蒸気機関車。蒸気機関車は、人気が高い鉄道車両の一つです。大きな音を立てながら煙突からモクモクと煙を出し、蒸気を吐いて走るさまは、他の鉄道車両では味わえない迫力があります。それゆえ夏休みになると、蒸気機関車がけん引する客車列車(SL列車)が大勢の人で賑わいます。現在、日本の鉄道会社に在籍している蒸気機関車は20両(日本鉄道車輌工業会調べ)
霊峰大山を望みながら伯備線の普通列車が日野川に差し掛かります。山陰本線伯耆大山-米子1972年3月29日香住駅の下り出発信号が青になっているので慌てて矢田川橋梁まで行ってみました。やがて対岸の堤防に当時の主力機DD54に牽かれた貨物列車が姿を現しました。矢田川沿いの道路は未だ未舗装の道幅の細い砂利道でした。山陰本線香住-鎧1975年3月15日先ほどの伯備線のローカル列車が日野川を渡ります。伯備線にDD54が入線したのは撮影した此の春頃から僅か一年ほどの事でした
近年、鉄道雑誌やディーゼル機関車関連サイトで、ディーゼル機関車DD54が寝台特急《出雲》を牽引した期間が昭和47年(1972年)3月から昭和49年ごろまでと記されている記事を散見します。此の昭和49年ごろの“ごろ”と言うところが微妙ですが、昭和48年8月の夏休みに山陰本線西部へ撮影に行った際に、既にDD51が牽く特急《出雲》を実際に写真に撮っている私にとっては、とても違和感を覚える記事です。上は昭和48年3月黒松駅下り方で撮った写真です(無断転載厳禁!)上↑のDD5435