ブログ記事12,668件
皆様こんにちは〜いつもご覧頂きまして、ありがとうございます本日もいくつかご紹介させて頂きますので、最後までご覧いただけると嬉しいです。ぶどう石PrehniteKeetmanshoop,Namibia美味し😋そうな、淡いグリーンです。ちなみにプレナイトは、ナミビア産の他に、インド産、モロッコ産、アフリカ産がございます少しづつ雰囲気ぐ違い揃えてみるのも楽しいかもしれませんねそして、もう一つのご紹介は、チベット産水晶TibetanQuartz中国チベット(西蔵)自治区
3月28日(土)に国際協力セミナー『チベット難民の今2026~私たちの子供を連れ去りに彼らがやって来たあの日』を開催します。【内容】チベットの子供たち100万人が中国式の学校に強制連行されていることが2023年の国連報告書で明らかになりました。その後、状況はさらに悪化しています。4歳以上の子供たちが、本人や家族の意思に関係なく、全寮制の学校に強制連行されています。●全寮制のため、家に帰ることができず、家族とは会えません。●学校ではチベット語の授業はなく、休み時間・放
このブログを通じて以下の情報が得られます。1.チベタン・ターコイズの入手経路2.本物のターコイズとフェイク(偽物)の見分け方3.インドでの調達に成功した石の写真をご覧いただけます。1.チベタンターコイズ入手経路インドのダラムシャーラー2000年頃に、友人が調達のために旅をし、持ち帰ってきたものです。私は幸運なことに、友人から本物のターコイズの石をたくさんもらいました。彼はインドを旅して買付に成功しました。彼は私に、ターコイズはとても貴重な石だと教えてくれま
こんにちはMegumiPiel(ドイツ在住)です。ずいぶん前になりますがチベットへ行ったときのこと首都ラサから地元のバスに揺られて5~6時間目的地に着きました。ここは僧院のある村で修行僧たちと村人たちがひっそり暮らす場所。物音ひとつしない雄大な静寂のなか聞こえるのは耳に当たる静かな風の音だけ。この村での滞在は短ければ1~2日、気に入れば3~4日間。まず一日目はチベット密教の流儀に
インドに暮らすチベット難民の生徒からのメッセージです。あなたが亡くなる前、私たちのため、そして、貧しい人のためにいいことをしてくださって私は嬉しいです。もうあなたに会えないのが残念です。今私はLITで英語を勉強しています。あなたがこの世に生まれ変わって、できる限り私たちを手伝ってくれることを願っています。【3月28日@大阪】国際協力セミナー『チベット難民の今~私たちの子供を連れ去りに彼らがやって来たあの日』ブログランキングに参加しています。応援のク
今夜はチベットの鍋料理ギャコクが有名な店ウッツェ3人でギャコク2人前をシェア前菜のジャガイモ料理ネパール餃子モモ炭火でぐつぐつの鍋途中でスープを足してもらい米の麺を入れるとまた美味しい♪ご飯にもパンにも合います辛味が足りない場合はテーブルの上に置いてある辛い調味料を自分でかけて日本人の口に合う鍋料理でしたチベットなだけにダライラマの肖像画もホテル併設のレストラン帰りはお店の方のスマホから配車アプリで車を手配していただき安全で地元民価格でホテルまで戻れましたあり
EyeAgate天界から降り注ぐ神秘の力フロスト天眼石AAA14mmモノトーンの潔さが心の琴線を鳴らす。この石からは"静寂を孕んだ厳かな空気"が流れてきます。今回の天眼石は、スリガラスのようなフロスト加工(艶消し)が施されています。※11/12人気です!6本の内、残り1本となりました。チベットで初めてこの石が発見された時、地中からではなく地上で見つかったことから「天から降ってきた神の眼」といわれ崇められてきました。重厚なマットブラックは時を纏うよう。微動だにしない気
映画『孔雀王』は、1988年に日本と香港の合作として公開されたアクション・ファンタジー作品で、荻野真による人気漫画を原作としています。物語はチベットの遺跡発掘現場から始まり、妖女・羅我と長年封印されていたアシュラ(グロリア・イップ)が甦ることから、世界を揺るがす壮大な戦いが幕を開けます。高野山の退魔師・孔雀(三上博史)は、師匠・慈空(緒形拳)より地獄門の復活を阻止するよう命じられ、東京から香港、チベットへと激しい戦いに身を投じます。孔雀の元には祈祷依頼にやってきた冴子(安田成美)、地獄門を
今年最初のワークはヴィシュッダ、喉、もう少し大きく取ると首のワークになります。私が以前学んだチベット由来のワークでは首の封印を解く為のMAPがありました。首という部位は武術的にも身体の中でも最も弱い部位の一つですが霊的には沢山の封印がされている場所でもあります。首はいわば霊的中枢の要である水晶宮と呼ばれる松果体の宮殿の門にあたるのですがその門には沢山の封印がされています。ではこの門を開く事無しに松果体は開くのかと言うとやはり開きません。それはあたかも開いたかのような感