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今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。救急車より早く来てくれた近所に住むばあば(私の母)に抱かれ、完全に目を覚ました1歳4ヶ月がピーポー!ピーポー!と指さす救急車の中で、救急隊員の方々は、とても優しくとても的確だった。赤ちゃんが死んじゃう、赤ちゃんが死んじゃう!パニックな私に、「大丈夫だよ」「病院行くからね、大丈夫だよ」。「大丈夫だよ」何度も「大丈夫」と言った救急隊員さん、後から考える
無事に育つのは、4人にひとり。こんな思いまでして私は娘に、子供を産んで欲しいのだろうか。、、、ちがうな、、、。卵子提供これは、娘ではなく、私のためだったのだ。娘に、妊娠は不可能と伝えるのが怖かった。怖くて怖くて仕方ないから、産めないのではなく、産まないという選択肢を娘に残せるように。お金を払って、提供を受けて、そうすれば妊娠の可能性がゼロではないと、娘に伝えたかった。そのための準備をしておきたかった。そして、そうまでして産まなくても、子供がほし
今年高校を卒業予定の娘が3歳のときのお話だから、もう14年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。ターナー症候群では?と考えるようになり予約を取った小児内分泌科。ネットで探したところこの地方には専門家が3人しかおらず、①車で50分程の私大病院、②隣の大都市の中規模病院、③同じく隣の大都市の個人病院の3つで悩んだが本当にターナーだった場合、他にもさまざまな病気が出てくる可能性があったため、いろいろな科がある私大病院へ連れていくことにした。診察室に入った娘をひ
退院して2週間。検査の結果を聞きに行く。The・ターナー!というくらい、ものすごくターナーな結果だった。(ものすごくターナーではない結果のターナーがあるのかはわからないが)。「4歳になったら成長ホルモンの注射を開始しましょう」。涙がこぼれないように見上げた11月の青空と飛び立っていくドクターヘリ。小さい人をチャイルドシートに乗せて深呼吸して帰途についた。
4歳長女がターナーだとわかるまでを振り返りながら綴っています。19時更新初めから読む方はコチラ。『ターナー症候群だとわかるまで①』ターナー症候群だとわかるまで。ちょっと唐突ですが…。いつか書きたいと思っていた、長女がターナー症候群だとわかる前までの経緯を何回かに分けて書いてみたいなと…ameblo.jp振り返りも最終章体調不良ですっかり更新が滞っていましたようやく体力回復してきたので、また細々ブログ書いてきます!これまで長女がターナー症候群だとわかるまでの日々を振り返って綴っ
いつもありがとうございます。お肌の悩みに寄り添う肌美容研究家・横川あやです。ターナー症候群の私は、コンプレックスが原因で自分に自信がない為に、人との会話を避けていたので「相談する」という事が苦手でした。人生の大事な選択では、もっと経験豊富な人に質問していればよかったなと後悔しています。不器用で小柄なターナー症候群の私が失敗した体験談をお伝えしますので、その話から皆さんには希望をもってもらえると嬉しいです^_^ターナー症候群で困ったこと皆さんはターナー症候群で困ったことはありますか?
皆さんこんにちは、こんばんは。今日は先日ブログを読んでくださってる方とお話ししていたのであらためてちゃんとお洋服の話、しちゃいます。低身長で困るのはやっぱり普段着る洋服。中高は制服なんでよかったですけど小学校とか大学は私服なわけで。一体どんなものを着てるんですか、と。まず、トップスは基本あまり困らないです。フリーサイズだろうが着れちゃうんで。あるならSサイズとか一番小さいやつ着ますけどね、正直フリーサイズのオーバーシルエットでも問題はないwww袖長いね~で済んじゃいますから。むしろお尻が
今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。救急車が産院に着いたとき、真冬真夜中寒空の下、医師ふたりと助産師さんが玄関の前で待っていてくれた。少し雪も降っていたかもしれない。「立てる?」立ったらなにかがドロっと出た感覚。床にドロドロの赤いやつが落ちた。軽くまたパニック。大丈夫だよ!産科医が叫んだ。ホッとした。エコーの結果やはり早剝で、「赤ちゃん苦しがってるから、すぐに出してあげようね」。あ
難しいテレビとの付き合い方…。こんにちは!今日は育児あるある?かもしれませんが、長女がテレビ好き過ぎて困るよってお話ですよくこのブログで、うちの子食べないよ〜とか寝ないよ〜とか話をしていますが、その理由の一つが遊ぶのがとにかく大好きだからです何にも優先して遊びたい!だから食べてる暇も寝てる暇ない!そんな感じ。笑そしてテレビもだ〜い好き!本当にご飯を食べなくて苦労していた頃は、ご飯中はテレビを消しましょうのセオリーを思い切り破っていました。テレビつ
小さい人が7歳のころだったと思う。卵子提供のドナーは第三者に限らない、とニュースになった。姉妹でも親戚でも、卵子をくれるなら誰でもよい、と。のちのち問題が起こらないように第三者に限られていたのに、突然「誰でもよい」なんて、どういうこと?(第三者に限るとドナーが増えない、とかそういう理由だったと思う)。産み分けで、いもうとを。一瞬頭をよぎる。でもやはり、それは無理だと判断した。なぜならばドナーの条件として「経産婦であること」との条件があったからだ。運良く妹が生ま
こんにちは☺️まぐらみかです😊最近の気づきを勝手にシェア😄今私は『赤ちゃんがいつきてもいいように自分を整えておきたい❣️❣️』『喜びで世界を創造していきたい❣️❣️』と思い正社員という立場を手放して時短勤務にシフトし自分と深く繋がり安らぎや安心感をより持つ時間を意識しだしました😌以前に比べると思考に囚われて悩む時間などは格段に減り、幸せや安らぎを感じる時間はかなり増えましたが、やっぱり目の前の現実にひっぱられることもしばしば😅💦特に『お金さん』については
日記にプリントアウトした写真貼ってた写真用紙はもったいないから普通紙今年高校を卒業予定の娘が1歳のときのお話だから、もう17年近く前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。ありがたいことにどこの自治体でも行われている検診1歳7ヶ月の娘が受けた、1歳半検診身長72.8cm体重は8.6kgまで増えていた。周囲のちびっこよりひと回り小さいが特に異常はない、と思っていた。「脚の長さが違うね」。医師が言う。気づかなかった。ほんとだ。「小児整形行ってね、紹介状
今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。早剝(そうはく=常位胎盤早期剥離)だ!真っ赤に染まった布団を見て瞬時に夫が救急車を呼ぶ。昨年、実妹が早剝で命を落としかけた。胎盤が突然剥がれ、胎児死亡や重い障害の可能性、出血多量で母も2人に1人は亡くなるという、出産時一番危険な状態である。まさに妹と同じ状態、話を聞いていたから、早剝だと思った。
今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。私が赤子に会えたのは、自分が退院した日だったので手術から8日ほどたったころ。(仕事をしながら産科病院と小児病院を毎日行き来し、母乳を運んでくれた主人に感謝)。1850gで生まれた娘は、低出生体重児ではあるけれども元気でNICUに運ばれた当初こそ額から点滴が入っていたが私が退院した足で会いに行ったときにはすでに保育器を出て、コットと呼ばれる赤ちゃん用ベッドで
海外での卵子提供調べてみると、(妊娠の可能性はかなり低いが)、アメリカで600万円程度〜とのこと。うわおそしてさらに調べると、提供を受けたとしても着床の可能性はかなり低く着床したとしても、その半分は流産か死産、無事に生まれてきても、さらにその半分は障害を持っている、との確率なのだそう。無事に育つのは、4人にひとり。身内どうこうではなく、こんな思いまでして私は娘に、子供を産んで欲しいのだろうか。
髪の毛くるくるでハーフ?とよく聞かれたいえ、めっちゃ日本人です夜、帰宅した夫が小さい人を寝転がして脚の長さをチェック。やっぱりかなり違っている。彼女に関しては、何を言われてもおかしくない気がしてどんな障害があってもあんまり動じないかも。ただ生きていてくれればいいと生まれる時に思った。だから、脚の長さの違いを指摘されて股関節に異常がある可能性があると言われてもそんなにショックを受けなかった。でも、歩き方がおかしいこと左右の長さの差に気がつかなかったことがシ
生後14時間。NICUの保育器の中でパパにヨシヨシしてもらっているところ(母は産科医院に入院中)今年高校を卒業予定の娘が生まれたときの話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。産科病院での早剝時の帝王切開には、新生児科の先生の立ち会いが必要なのだという。生まれたらすぐ新生児用救急車でNICUに運ぶため。胎盤が剝離して赤ちゃんに栄養が行かずどんな状態で生まれてくるかわからないため。NICUの新生児科ドクターは、救急車に乗って産科病院
今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。実は、手術がなかなか始まらなかった理由は、手術直前に聞いたのだが、赤ちゃんの受け入れ先が見つからなかったのだ。早剝の赤ちゃんは、栄養が滞る時間があったためどんな状態で生まれてくるかわからない。そのため生まれた瞬間にNICUに運ばなければならないのだ。一番近くの小児救急病院は、たった今600gの赤ちゃんを受け入れたところで、手が回らない、と。少し離れた病院も
今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。小さな小さな娘は、小さいけれど元気だったので本来予定日だった2/14ごろには退院できるでしょう、と。おそらくそのころには2500gくらいになって、普通の赤ちゃんと同じように生活できると思います。あのとき夜中にかけつけてくれた新生児科のドクターは優しい目で娘を見ながらおっしゃっていたけれども2月に入ってすぐNICUでロタが流行り、感染しないうちに退院しましょう!と
凍結杯移植のため、子宮内の検査した所、ポリープが見つかり手術しました(日帰り)なんでも、子宮内のポリープは、着床の阻害となるため、出来るだけ除去が望ましいようです。何やら私のポリープは血管巻き込んでるらしく、膝の手術した時より不安でしたが問題なく終わりました。当日は、子宮口を広げる処置したり麻酔したり(割と痛かった💦)点滴したり昔、同様の手術した時の事思い出しました(ポリープ出来やすい体質かな。)あとは、経過見て移植に向けて準備あるのみ❣️退院時には夫が、迎えに来てくれて夜は「すずめの
昼寝を少ししたからなのか今夜は全く眠れないので書こう書こうと思いつつ書けずにいた中期胎児ドックのフォローアップの内容をまとめておこうと思います中期胎児ドック1回目の内容はこちら↓↓↓4月24日(月)37歳2人目妊娠18w6d前回の精密超音波検査から約3週間この時すでに人工死産を決めていたのでもう数日後に入院を控えていましたがやはり最後にどうしてもちゃんとエコーで見ておきたいと思い毎回お世話になっているクリニックへこの日から仕事は休んでいたので最低限の家事と夕飯の支度を
今年高校を卒業予定の娘が3歳のときのお話だから、もう14年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。「ターナーの子の成長ホルモン治療は、大容量投与が認められてるんです。なので、ものすごく、、、(小声)利益が出るんです。病院も、薬局も、薬のメーカーさんも」。ぎっくり腰で、立ち上がるのも歩くのもキツくって〜、と、朝イチの予約に10分ほど遅れて現れた主治医が「病棟から外来まで20分もかかっちゃった」と腰を押さえながらターナー裏側を教えてくれた。「儲かりますので
今年高校を卒業予定の娘が3歳のときのお話だから、もう14年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。成長ホルモンの治療を始めるにあたって、事前にいくつか検査が必要になる。入院でしかできない検査だそうで、10月はじめの運動会のあとすぐ入院することになった。我が家は共働きで、運動会での有休を最大限に生かすため、運動会後その日のうちに入院し、有休を極力減らしたいという考えだった。協力してくださって、先生本当にありがとう。、、、と思ったけど体調崩して入院できずーー
桜の季節1歳3ヶ月うつぶせ→あおむけ→おすわりが、できるようになった。のんびり、ゆっくり、大きくなってねと思っていた大きくなると思っていた
今年高校を卒業予定の娘が3歳のときのお話だから、もう14年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。とっても穏やかな女医さんの検査結果の説明を私はほとんど覚えていない。回る椅子をぐるんぐるんしながら笑っている娘のとなりで、涙をこらえるのに必死で、説明の最後の「不妊として育ててください」しか、私の記憶にはない。
否定的な意見も多いけれども、年子育児でなるべく上の子に構う時間を作りたかったので、おしゃぶりは必需品でした(歯並びに影響はなくむしろめちゃくちゃキレイ)4/24生後3ヶ月6/8生後5ヶ月6/15生後5ヶ月短期間に3回、40℃の熱。この時期の高熱はおかしいとのことで1回目と3回目は入院した。(新生児ベッドの添い寝って辛いよね💧)3回目の入院のときには造影剤を使う腎臓の検査もいくつかしたが、特に異常はないとのことだった(ホッ)夜から絶飲(ミルク)で検査は翌日午後、と
ターナー症候群の告知を受けて1ヶ月ほどたったころ。まだ受け入れられなくてでも絶対に泣かないと決めて。でもでも苦しくて当時流行っていたmixiというサイトに、今の自分の心境などを綴っていた。それを読んだ、看護師をやってる中学からの友達が連絡をくれた。「ターナーは95%以上がお腹の中で亡くなる。娘ちゃんはのこり数%の確率で生まれてきた、奇跡の子なんだよ。奇跡の子だから、大事に育ててあげてね」。その言葉で、私は娘の全部を、スっと受け入れることができた。あの
ちょっと間が空きました。ちょっとだけおひさしぶりですこの間まで長女のこれまでについて振り返り記事を書いてましたが、今日から通常モードに戻しますもしご興味ある方いたらまだまだ読んでいただけたら嬉しいです〜。『ターナー症候群だとわかるまで①』ターナー症候群だとわかるまで。ちょっと唐突ですが…。いつか書きたいと思っていた、長女がターナー症候群だとわかる前までの経緯を何回かに分けて書いてみたいなと…ameblo.jp振り返り記事書いている間はなんとなく『挑戦してみよ〜!』と思
今年高校を卒業予定の娘が生まれたときのお話だから、もう18年も前のこと。でも今でも、鮮明に覚えていること。破水だ!(元気が有り余ってお腹を蹴り破ったか!?)34週。前日の検診でおなかの赤ちゃんは1500gくらいと言われていた。1歳4ヶ月の向こう側、主人の腕をバンバンたたいた。「破水した!」飛び起きる主人。「まだ早い!!」明かりをつけるとそこにドラマで何度か見たような、、、血の海があった。
2017年5月2日(火)いま日付のあとにいつものように37歳2人目妊娠……と打ち込んでしまいあ、違うわ、、、って消しましたあ〜不覚にも自分で自分の地雷を踏んだ……寂しい……まずは恒例の〜きょうの三度の飯〜8:00朝ごはん自家製パンポトフツナマカロニサラダパイナップル(なぜか(笑))ジョア12:00お昼ごはん白ごはんトマトと卵のスープ牛しゃぶと新玉葱のサラダチンゲン菜のネギ醤油和えグレープフルーツ18:00晩ごはん白ごはんほうれん草と椎茸のおすまし魚