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初めての経腹エコー、4週間も待った妊婦健診でチビちゃんが元気かどうかすごく不安だった。出血もなくて張りもなくてなんともないのは分かってるんだけども、徐々につわりがおさまってくるから、死んじゃったんじゃないかと不安になって病院に駆け込むのを必死に堪えてたお腹で育ててるのは私だから、私が変化になによりも敏感に気がつかなきゃ。私が何かしたらチビちゃんに影響与えてしまう、、パート先にも早めに妊娠報告して週に1回くらいの出勤に減らしてもらった。コロナ下で誰にも会えなくて今思い返せば抑うつ気味だった
妊婦健診20w。妊娠5ヶ月の中期だ。ちょうどこの次の週に引越しを控えていて、ここの病院ともサヨナラという形。最後にお手紙を書いてもらうようにお願いしていた。左頭、右は胸。ここら辺からエコーでも素人目になんかお腹でっぷりしてるなあと、分かるようになる。実際には胸郭が狭いせいで臓器が下においやられてる分、ぽっちゃりお腹に見えるらしい。BPD49.3(1.1SD)FL27.6(-1.0SD)短いけど足が伸びてることに喜んだけど、今見返してみるとFLが📞の形。しかもこの日以降FLが2cm
入院6日目、産後1日目夏でそこそこにあたたかい室内で赤ちゃんを置いておくのが不安で、夜間は看護師に保冷剤を持ってきていただいた。背中の下に保冷剤1枚しいて、息子にはそこで寝てもらった。1日経つと顔の浮腫や頭の内出血が重力に伴って、後頭部に落ちていて顔もどことなくスッキリしていた。寝ているみたいでたくさん写真を撮った。タナトの特徴的な手足の短さはエコーのまんまで、マスコットキャラクターみたいで可愛い。逆子だったので足の虚血時間が長かったことで腰から下のチアノーゼが全体的に広がっていた。
胎児エコーというのは年々精度があがってきているけども、その性質上誤差が生じたり骨の読影には向いていないと言われている。早産週数での分娩にあたってここで万が一にでも致死的な疾患ではなく40週満期で産んだら生きていける疾患であったら、病院としてもとんでもないことになるし、子供を殺したという形になってしまう。もうエコーでは恐らくタナトフォリックでしょうとは診断ついているけども、万が一を否定するために重要なのが胎児CT。かかりつけ病院ではタナト疑ってCT撮っても全例タナトであったと聞いて、わざわ
今回の妊娠に至るまでの事20代の頃は避妊しなければすぐに子供は出来るだろうと思っていました。結婚当初はしばらくは二人で過ごしたいと、子供を作る事は考えていませんでした。30歳を目前にそろそろ…と思っていたところなかなか出来ず、不妊治療するかという話に。不妊治療を開始するタイミングで、元々あった子宮筋腫が7㎝というおおきな物になっていた事が分かり、本格的な治療を始める前に32歳で子宮筋腫の手術をしました。腹腔鏡手術では出来ず、開腹手術となりました。
妊娠が発覚し、それぞれの親への報告。私達の住まいは田舎あるあるで義実家の隣に家を建てている義両親との関係は良好今後つわりが酷くなったりした時の為、もちろん産後もお世話になるので義実家には早めの報告夫が長男なので子供(跡取り)がいない事が嫁的にはとても申し訳ないと思っていた実際は義父も義母も何も言わなくて子供は授かり物だから気にしなくて良いと言ってくれていたでも、子供が出来たと報告した時には義父は「やったー!」と声をあげて大喜び
手足が短い、染色体異常ではありえないくらいに。と言われてすぐに調べた。四肢短縮症、と調べて1番トップに上がってくる疾患は軟骨無形成症だった。軟骨無形成症のお母さん方のブログを読んでも-3SDくらいで発達してる。けれどもうちの子は-8SDで軟骨無形成症にしては短すぎるのかもしれない。でもこれも誤差であって、軟骨無形成症なら自分で呼吸して生きれるかもしれない。インスタで軟骨無形成症と調べると生き生きとしてた女優さんを見かけた。軟骨無形成症であればいいのに。でも、やっぱりこの子は短すぎる。
32w0d今日も今日とてバスを乗り継いで、病院に向かう。妊婦で体温が高いのと、外の暑さで吐きそうになりながらやっとで着いた。このご時世仕方がないが、マスクがより息苦しさを加速させる。この一週間特に変わりなく基本横になってご飯作ったり洗濯したりと最低限度の家事しかしてなかったが、お腹が重苦しい感覚が増してきた。1時間に数回じわーっと子宮全体が張るが、それ自体は痛くない。慣れてしまったのかも。張ってる最中に横向いたり、ぶつけたりするといてっとなる程度。吐き気もなく食事もしっかり摂れている
県内でも大きな小児の病院ともあって、すぐに予約は出来なかった。1週間ほど待って受診となったのだけど、今お腹の中で生きている子供がどんな姿をしているのか、想像していたビジョンとかけ離れていて怖くて仕方がなかった。子どもが重篤な状態と知りながら妊娠を継続した女性たちの意思決定における体験Experiencesinthedecision-makingprocessofwomenwhocontinuespregnancyafterthediagnosisoftheb
7月20日21w3d予約してた大きな病院での診察の日住んでいる地域から2市をまたいだ場所にあるので夫に運転手をお願いし、高速を使って行く予約時間が12時だったので、のん気に途中のサービスエリアで早めの昼食病院に到着すると総合病院だけあってロビーから人がごった返してた受付を済ませて産婦人科外来へ行くとここも人だらけ12時の予約だったのに時間が押しているらしくおそらく1時間半は待ってもらうようになると思うと言われる。えー予約の意味
先日、31wの妊婦健診の時娘のCTを撮ってもらったこれにより娘の今の状態がよりはっきりと分かるようになるこの結果を見て来週、33wの妊婦健診の時に新生児科の先生と産まれた後の事を話す事になっているのだがここに来て、両親(私達夫婦)の血液検査が必要と言われた血液検査のアルカリフォスターゼ(?)の値によって骨の成長の悪い赤ちゃんが産まれる可能性もあるらしいとかとりあえず電話で血液検査の指示の際、簡単にそのような話をされたので実際のところはどうなのか分か
我が子が病気であるとわかってからの事タナトフォリック骨異形成症という病気について検索しまくった四肢が短い事肋骨が育たず胸郭がせまくなる自発呼吸が難しく呼吸器などの措置が必要となる生存しても重度の障害が残る概ね、病院で言われた事と合致するおそらく、我が子はこの病気である事はほぼ間違いないと思われる指定難病で2万〜5万分娩のうちの1人程度全国での患者数は100人程度いやいや、なんて確率よ。またどえらいもん抱えてきたね、うちの子
妊娠が分かったのが今年4月子宮筋腫があった頃は生理周期も長くて不順で生理痛も激重だったんだけど手術後は周期も28〜30日くらいで整ってるし生理痛もほぼなしそんな状態だったのに3月の生理が1週間くらい遅れていて30日に少量の出血2〜3日して再び出血「おや?これは更年期の始まり的なやつですか?」と思ったもんです。生理にしては出血の量が少な過ぎてやっぱりどこかおかしいなぁ…とその頃、ちょうど母の入院→施設入所or自宅に帰るか、などの色々考え
26wIC後、ストレスでお腹が頻回に張るようになる。1時間以上お腹の張りが続くので怖くなって病棟に連絡する。疼痛自制内、出血がないこと、胎動があること、前回のエコーで切迫兆候(子宮頸管は適正)なかったことより経過観察となる。あまりにも心配なら来てもいいよ〜、と言われるがストレスの影響も大きそうだと判断して病院受診せず。⤵︎︎6日後⤵︎︎ストレスにしては1時間に最低1回、1分程度子宮が張ってカチカチに膨らむことが毎日続くので不安になって再度病院に連絡。羊水は多いが正常範
私は2017年6月30日に第三子の長男を出産しました。生まれてきた息子はタナトフォリック骨異形成症という難病を持って生まれてきました。出産前から色々と調べましたが、資料自体が少なく、今も手探り状態で病院の先生方も治療をして下さっています。息子と同じ病気の家族がいる方、出産しようとしている方、それだけではなく世の中の人にも息子の病気を知ってもらいたくこのブログを始めようと思いました。小さな体でも一生懸命頑張っている息子の成長を見守って頂けると嬉しいです😊Instagramと連動しています
妊娠8週いわゆる天使のリング、胎盤の素が見えてこんなちっちゃいのに頑張っててかわいい〜😭ってなった記憶が。胎嚢25mm胎児14.1mm正常範囲内で出血もなしつわりは食べづわり、はきづわり🐸妊娠9週胎嚢大きくなって測定しなくなった胎児26.8mm、ずっとhcg高めだったからもしかしたら2人いるかもね〜なんて話があったけどここで1人で確定。隠れてもいなかったみたい😢つわりはあるけど飲水できてるから問題なし!とこの時はまだお腹出てないから生きてるかどうか分からなくて毎日が不安で、診察
入院によって得たことを産婦人科の医者と、新生児の医者によって説明受けた。ここの病院では妻1人では説明を受けれず、夫も同席してくださいと言われた。平日何とか休みを作ってもらって一緒に病院に向かった。途中で気分転換にハンバーガーをテイクアウトして、助っ席で食べてた。色々調べてたことで気持ちの準備はできていたので、喉も通らない!って状況にならなかった。旦那と「こんな状況でもお腹空くんだねー」と談笑できるくらいには気持ちの余裕ができてた。1⃣胸郭が極端に狭い(CTAR42.3%)※心臓胸郭比率
エコーを見ながらの説明が終わり改めて先生と今後についての話をする涙が出そうなのをぐっと我慢する夫は隣に座って話を聞く間、手を握っていてくれた「先程も言ったけど、骨の病気は400種類くらいあって、どの病気に該当するかは今ははっきりと分からないんだけど…」と言いながら先生が説明の為に最初に開いた医学書のページに書いてあった文字は『致死性骨異形成症(現、タナトフォリック骨異形成症)』『致死性』という強い言葉に絶望感を覚えた。他のページもめくっ
22週前、引越しが落ち着いて分娩予定の施設の初診をした。その施設は市内でも人気で予約困難だった。お迎え付き、料理は美味しくて軽食もついてくる、無痛分娩も対応している、4Dエコーも無料でできる、などなどメリットが沢山ある施設で、確かに実際に行ってみてホテルか!?って思うほどの綺麗さだった。2階の分娩室で赤ちゃんの泣き声が聞こえて、あと4ヶ月後にはここで産むんだ。私耐えれるかな、なんて考えながらエコーを待ってた。ここは録画禁止の代わりにエコーを毎回USBに保存して渡してくれると言っていた。
私41歳夫40歳結婚16年目初めての妊娠をしました。しかも自然妊娠で子供を持つ事を当に諦めていた40代夫婦にとって寝耳に水、驚きと奇跡の展開。純粋に嬉しいという気持ちの反面、妊娠発覚当初から、年齢的に一筋縄ではいかないだろうと覚悟はしていました。初期流産の可能性順調に産まれたとしても、何かしらの障害が出てくる可能性あらゆる可能性を考えながらの妊娠生活とは言え初期流産の時期を乗り越えて安定期と呼ばれる時期に入りましたしかしほっとしたのも束の間20週での検診で足の短さを
8/824w1d7ヶ月目健診日495g当然だけど、待合室は妊婦さんだらけここの妊娠さんの中で私のような気持ちでいる人はどれくらいいるんだろうか?などと、考えてもしょうがない事を考える。この日は再び糖の検査結果は良好切迫の兆候もなく、ひとまずは安心エコーにて娘はは恥ずかしがり屋なのか、内側にしがみついてて顔を見せてくれず。恥ずかしがり屋の人見知りは夫似か…?かろうじて横顔を撮ってもらった。目元、口元は夫に似ていそう?鼻は
娘が病気である事が分かってでも、このまま妊娠を継続する事を選んだ私たち妊娠している事を公表している手前周りの方への報告をどうするか本当に、こんなことなら大っぴらにするのではなかったな…とあの時浮かれていた自分をぶん殴りたい気分でも、あの時は嬉しくて嬉しくてたまらなかったんだよ…私達は家族(両親、兄妹)一部の職場関係ごくごく親しい友人にのみ事実を話をした義両親は落ち着いて話を聞いてくれてどんな形であっても、うちの子だか
検査薬陽性を確認して次の日に病院へ夫もついてきてくれたんだけど付き添いは病院内には入る事ができなくて車で待っててもらいました不正出血やら不妊治療やら以外で産婦人科を受診するのは初めてであんなに憧れていたはずなのに正直落ち着かなかったですエコーで胎嚢確認しっかりと心拍も確認できて診察台で涙ぐみました妊娠周期は7週に入ったところでした子宮外妊娠とかでもなくきちんと妊娠が成立していることは確認できたけど、担当医も年齢的な事もあるしまだ安心は出
待ちに待った計画分娩、妊娠32週3日。前日は不安でじゅうぶん寝れなかった。当日も行くまでに電車で気持ち悪くなってダウンしたりとメンタルの不調が体にもあらわれている。こんな状況で大丈夫かと思ったけども、病院に着いたら私が看護師ということは皆知ってるから強くあらねばと、背筋が伸びて症状が無くなった。単純なからだでありがたい。そんなこんなで1日目。12時ラミセル(3mm)1本挿入生理痛くらいの違和感。腰がどんより重い。吐き気あってご飯食べれないと思ったけども春巻き美味しくて食べれた。ご飯
お久しぶりすぎて忘れられてるかも。。。たまにはブログを書かないと。。。息子さん変わらず元気です😊笑顔も増え、コミュニケーションも取れるようになってきたし、日々成長を感じています。体調も安定していますが、少しずつ肺は硬くなってきていて、全てが万全とはいえません。。。だけど、1日1日頑張って生きてます💕💕こんなにいい笑顔で笑うんですよ〜(自慢)しかも母への愛が溢れまくって、甘えん坊炸裂しております笑笑はあ。。。かわいい💕💕ではでは!またみなさまお元気で〜✋