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先日、こんなチラシが郵便受けに入っていました。映画のエキストラ募集!それも、ゆきだるま。。。⛄️の生まれた、沖縄が舞台の映画。話の種に、応募しました。時代が戦後の沖縄であれば、無精ヒゲを伸ばしておいた方がいいと妻に言われ、ヒゲを伸ばして待っていましたが…、あえなく落選!銀幕のスターになり損ねました(笑)
今日9月23日がお誕生日のものえ和恵さんです。1958年9月23日生まれ。福島県出身。本名・物江和恵デビュー曲・帰っちまえ!(77年)マニドル度・今日は昨年ご紹介漏れしましたが「スター誕生」出身のものえ和恵さんです。「スタ誕」からデビュー出来てもヒットするのは年に1人か2人、女性アイドルに限ると1人がいいところいう厳しい世界です。同じ「スタ誕」出身の清水由貴子さんは和恵さんより半年早くデビュー、高田みづえさん、榊原郁恵さんと共に「フレッシュ3人娘」としてすでに大活躍されていました
私も含めて「80年代の明菜にしか興味がない人たち」とか「今の明菜様に付いていけない人たち」などと揶揄するのは何という傲慢でしょうか!人それぞれいろんな応援の仕方があっていいと思いますちなみに私が明菜さんのファンになったのは『少女A』からですスター誕生で初めて見た時やデビュー曲『スローモーション』の時ではないのでもしかしたら揶揄の対象になるかもしれませんちなみに私、初期菜も大好きですよ!(今日の名曲)キャンセル!/中森明菜キャンセル!/中森明菜(歌詞字幕付き
1975年当時、僕の日曜朝のルーティーンは前夜に「鶴光のANN」を聴いていたので9時過ぎにのそのそ起きだして、9時30分からの日本テレビの「ミユキ野球教室」を観る事から始まった。御幸毛織提供のこの番組は、タイトルに「野球教室」と謳ってはいたものの、内容は前週のプロ野球の話題(ジャイアンツの話題が多かったが)を放送していた。特に技術的な事を教えてくれる番組ではない。1976年4月にCXの「プロ野球ニュース」が始まるまではプロ野球の話題(一応)の情報収集に役立つ番組であった。僕はソフトボ
スタジオのフロアに並べられた夥しい数の電球が、滑走路の誘導灯のように点滅する。まだLEDのなかった時代、暖色を帯びた光が熱を感じさせる。その中で、スパンコールの衣装をきらめかせ「カメレオン・アーミー」をハードなアクションで歌い上げるピンク・レディーの2人。1979年2月5日の「夜のヒットスタジオ」、この年最初の出演である。「カメレオン・アーミー」は前年12月からオリコン週間チャートで6週連続1位。ピンク・レディーにとって最後の1位獲得曲となったが「S・O・S」から9曲連続、通算63週の1位獲得
今から31年前、昭和が終わり平成が始まった年に、お笑いやバラエティ番組を中心に昭和のテレビ史を回顧する『昭和のTVバラエティ』(太田出版、1989)という本が刊行された。監修・執筆者は、放送作家の高田文夫氏である。この中で高田氏は、昭和53年(1978)のテレビ界を振り返り、こう記している。時代のキーワードはなんたってお笑いではなく、ミーとケイのピンクレディー。このふたりの売れ方のものすごさというのも前代未聞。まさに寝る暇もないといった感じで1日十数本の番組をかけもち、本番直前にとび込んで
アサヒグラフ昭和59年3月2日号「'84期待の新人歌手」特集にデビュー直前の岡田有希子さんが掲載されていました。・・・私は言う事がいつも今更感満載でして、、、それはわかってはいるんだけど、、、やっぱりかわいいよね😍白黒にもかかわらずキラキラしてて…ずっと見ていると色がついているように見えてくるような気がして。「angelyuki18大丈夫か?」って言われそう大丈夫じゃないと思います(笑)何と言われようが、いいんです、もう。♪決めたこの道(ユッコ道)まっしぐら〜@人生一路by美空
1982年5月1日にデビューを迎えた中森明菜さんは今年デビュー41周年を迎える。中森明菜さんといえば松田聖子さんと並ぶ1980年代歌謡界きってのアイドル歌姫(二大歌姫)と言われる存在である。中森明菜さんは1981年7月11日、16歳の誕生日目前に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結した。『スター誕生!』の出身でオーディションから誕生したアイドル歌手。一方の岡田有希子さんも1983年3月日本テレビ系のオーディショ
昨日、16日にお亡くなりになったそうです。先日、FMで真梨さんの特集をしたばかりなんですが、長く病気と戦っていらっしゃいまして、残念ながら天に召されました。先ほどお通夜に行ってきましたが、そこにはアイドル大スターの写真は無く、三人の優しい母親としての遺影が飾られていました。せっかく50年振りにお会いできたのにコロナさえなければオーディションでご一緒したあの頃の話などをもっとしたかったです。また次の世でお会いできたら、約束した「ふたり紅白歌合戦」で
映画「アリー~スター誕生~」~ロマンチックかもしれないけど…「アリースター誕生」公式サイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/starisborn/映画.comhttps://eiga.com/movie/88415/レディー・ガガ/アリーブラッドリー・クーパー/ジャクソン・メインアンドリュー・ダイス・クレイ/ロレンツォデイブ・チャペル/ジョージ・“ヌードルス”・ストーンサム・エリオット/ボビーアンソニー・ラモス/ラモンラフィ・ガ
かつて日曜日は、午前11時に読売テレビで「スター誕生」を見て、そのあとは5分間も長くCMが続いていき、そして午前12時からは・・・。・「ケロンパガッツのテレビに釘づけ60分」始まったのはニュースのあとの午前12時15分からでした。タイトルの通り、うつみ宮土理とガッツ石松が司会のバラエティ番組でした。・「コンチキ署特捜班」オープニングのイラストは、「ルパン三世」の原作者でもあるモンキー・パンチ。しかし、Wikipediaにはこのタイトルの記載がない?大村崑が怪盗ドロンを演じ、子分に怪
1980年4月に松田聖子がデビューした時、阿久悠はスター誕生の栄光に翳りがあることに気付いたと言う。それでも翌81年に中森明菜と小泉今日子を輩出したのだから、やっぱり「スタ誕」は凄い番組だと思う。実は、中森明菜はスタ誕のテレビ予選会で2度落選している。1回目は、岩崎宏美の「夏に抱かれて」を歌い、松田トシに「表情に若々しさがない」と言われて、本選に行けなかった。2回目は、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌って若さをアピールしたが、松田トシに「あなた、歌は上手だけど顔が子供っぽいから無理ね
写真「誕」というと、現在はこういうイメージですが……。「誕」という字を使った表現を思い出してみてください。「誕生」「生誕」「降誕」「聖誕」「爆誕」など、「生まれる」という意味で使う熟語が頭に浮かぶはずです。【画像:熟語「誕生」が生まれるきっかけになった「詩経」の一部】では、「誕る」はどうでしょうか?意外なことに、読みは「誕(いつわ)る」で、「うそをつく」という意味になってしまいます。●「誕る」って何と読む?「誕」を漢和辞典を引いてみましょう。すると、大き
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
日本テレビ24時間テレビドラマスペシャル「時代をつくった男阿久悠物語」を家族で観ました。ドラマのナレーションで、「伊東市宇佐美に転居・・・」と聞こえてきた。「えっ」と思った瞬間、当時のことを思い出して、涙が出てきた・・・私が子供の頃、両親が身体を休めるために伊東の宇佐美に別荘を持ちました。当時はあまり分からなかったのですが、母に聞いたら阿久悠さんの家のご近所だったんです。宇佐美は、弟・両親と遊んだ楽しい思い出がたくさんあるところです。宇佐美はきれいな海岸があって、海で
今月デンマークでFEIWorldChampionshipsが開催され、私は特に馬場馬術に注目しました。有料会員になればネットでオンタイムで観戦できましたが、やっぱり欧州時間は日本から追いかけるのは難しいよね。結局、試合はあまり観ずに、各チームが直前情報を流すのを観たり、朝起きて試合結果をチェックしたりって感じで見ました。ジェシカ様は妊娠出産のために出場してませんが、シャーロット様とかイングリッド様とか錚々たるスターたちが集結。誰が金とってもおかしくない中、スター誕生しました!シ
ピンク・レディーがデビューしたのは、1976年8月25日。まもなくちょうど45年になる。「ペッパー警部」で彗星の如く登場し、たちまちスターダムに駆け上がった2人は、歌謡曲の歴史を塗り替える圧倒的な成功を収め、社会現象と呼ばれる巨大なブームまで巻き起こした。華やかな活躍は、レコード音源やテレビ出演の映像、新聞・雑誌の記事などによって今に伝えられている。また、その舞台裏に関しても、関係者の回想などで数々のエピソードが語られ、半ば「伝説」となっているものもある。そうしたエピソードの一つに「実は“
山口百恵には阿久悠・作詞の歌が無い。その理由は、スター誕生の予選会の時に、審査員をしていた阿久悠が「君は、何か青春スターの妹役のようなものならいいけど、歌は諦めた方がいいかもしれないね。」とコメントしたことに山口百恵がショックを受け、それがずっと棘のように心に残っていて、以降彼の作詞を拒否し続けたということになっている。だが、本当にそれが理由だろうか?私は違う見方をしている。阿久悠は、作詞で歌を作り込もうとするタイプだったと思う。自分で描いた世界を歌手に演じさせるのだから、歌手
マスクドココイチヤンガーシスター、ココスペ『スター』に認定💥カレーハウスCoCo壱番屋において接客のスペシャリストに授けられる「ココスペシャリスト」の等級で、その中でも最高ランクに位置し全国で2万人を超えるココイチスタッフの中で未だ14人しかいない『スター』の称号。昨日、京急金沢八景駅前店にて店長を務めるマスクドココイチヤンガーシスターがその『スター』に認定されました✨全国で15人目、西関東エリアでは初‼️の“スター誕生”👍👍ヤンガーシスターよ、本当に本当におめでと