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私は、頭の中で何度も思いました。まだ生まれてなかったし、夫と、上の子3人の生活に変わりはない。ただ、元の生活に戻っただけなのだ。何度も何度も、そう考えました。そう考えないと、心がおかしくなってしまいそうでした。真正面から、受け入れられなかったのだと思います。よんちゃんの命が絶えたと分かってから、少しだけ、医療スタッフの動きも緩やかになったように感じました。たぶん、もう緊急に取り出す必要がなくなったからなのだろうと悟りました。夫は、かかりつけ医から車で駆けつけました。夫は、ポロポ
帝王切開当日のことを忘れないうちに、元気な時間のある時にレポしようと思います。血とか内臓とかは私自身も見てないし、そういうグロい描写はたぶんそんなにありませんので安心してください。痛いとか吐いたとかそういうのはありますw手術当日からのスケジュールにはっきりと書かれた「病名双胎」の文字に、つくづく、双子妊娠は異常妊娠なのだと最後まで思い知らされたw病名って…w昨日は手術着に着替え、朝6時半から点滴を開始されてオペ室が開くまで病室のベッドにて待機でした。苦手な点滴をされると、前日ま
むすめ。、昨日はオペ室の歓迎会で病院から歩いていける場所にある和食レストランで行われたそうです楽しく過ごせたらしく嬉しそうに帰ってきました帰ってきてからも何を喋ったとか楽しそうに話してくれましたただね、1人残っていた同期も異動してしまいオペ室の2024年度の新人はむすめ。だけになってしまいました。むすめ。は今のところ異動する気は無いようなので頑張って器具を覚えたりするのに本を買ったりしています。オペ室としては何が何でも残って欲しいようでむすめ。につく予定の厳しい
前回の続き①はコチラオペ室に入ってまた台によじ登る。家を出る直前からひたすら水を飲んでいたけれど、間に合わなかったかなぁと不安に思いつつ静かにエコーを受ける。すると内診した先生が一言。先生『うーん、やっぱり見えないなぁ。じゃあ、膀胱に生理食塩水入れるねー』・・・へ?!?!(゚Д゚≡゚Д゚)゙?なんですとっっ?!?慌てる私。『おしっこが溜まってる量が少なくて見えない場合、膀胱に食塩水入れて見えるようにするんだ。ごめんね、入れさせてもらうねー』看『ちょっと痛いかもだけど我慢し
生検手術が終わり、オペ室から小児病棟までベッドに乗せた状態で移動します。娘は意識朦朧のなかでも辛そうで移動中、吐いてばかりいました。ちょっとした振動の刺激で嘔吐してしまうのです。大学病院だけあって病棟までの距離がすごく遠い。オペには小児科の医師達と脳外科の医師達が連携して手術をしました。小児の手術は成人(大人)と違い、とても難しいです。手術時間が長くなってしまった理由を説明され納得できました。術前に娘に合わせて作っていた管?が予想よりはるかに娘の身体の中が細かったみたいで、それが
当日は歩いてオペ室に、硬膜外麻酔した後、記憶はなくて名前を呼ばれてからが‥地獄の1日だった。痛みよりも高熱が出て、身体は動かせないし、痰が出るけど咳すると痛いし、思いの外硬膜外麻酔が効いていたのか、1度だけ嘔吐したけどその後は日に日に何とかなってきた。翌日から歩く練習、2回は血圧が下がりすぎて立ってみたが断念、痛み止めの量を減らして時間をおいて再度チャレンジ!!何とか病棟内1週出来た。自分よりも若くて可愛い看護師さんに励まされ、誉められ(笑)ちょっと照れ臭い(笑)本当に白衣の天使だ
こんにちは。昨日皆既月食楽しみにしてたのに夕食後ウトウトしちゃって見逃しました…。子供と夫は外に見に行って「なんか三日月だった」って言ってました…違うんだそれ地球の影なんだけど気持ちわかる!私も昔見て「三日月何が違うの?」って思ったしな!ところで先日体験したのに誰とも共有できなかった話わざとじゃないのにすごくない!?って言っても誰気付いてなかったので「あ…すごいですねえ(棒)」って塩対応だったの悲しいから描きました。私音楽流すとそっ
術前説明の時元祖主治医がオペ中はずっと開脚の体制なんで…って言ったのがずっと気になってた今更開脚?当時はそんなことどうでもいいので早く手術して欲しいことだけ考えていたけど今思えば開脚?手術の時ってどんな体制になってんの?っつうわけで調べてみました。手術前には①おへその掃除②剃毛(陰毛の上方部の毛を剃られる)③パンツ脱いでフンドシみたいなやつ履く(T字帯というらしい)④手術着(ガウン
おはようございます私が術前に気になってた手術後の痛みオペ室に行く時全く緊張しなくてキョロキョロと部屋を見てる間に眠ってましたで、気づいたら自分の病室意識がはっきりしたり覚えてなかったり病室に運ばれた後は周りがバタバタしてた気がする寒くてガタガタが止まらなくて、電気毛布準備してもらったり痰が出たら吸引しに来ますからコールしてくださいね!と家族に言うてくれてはったかなで、落ち着いてきて看護師さんと会話した、私☆いつが一番しんどいですか⁇看☆えっΣ(-᷅_-᷄๑)今ですよ‼︎私
D12採卵当日朝、目が覚めてからもベッドの中でゴロゴロしていた私。というのも、夫が採精してるかもと思ったので気を使ってそろそろ支度しなきゃな、と思ってリビングに向かったら、空の容器が。「あれ?まだ採ってないの?」「うん今から採る」どうやら前日の夜に、「なるべくギリギリの時間で採ってね」と言ったのを覚えていてくれたようです。8:30に来院とあったので、15分前くらいに到着。でも病院の玄関がまだ開いてないしばらく車の中で待機し(他にも待っている車がありました)、時間になり何人か入
しばらくは、過去の経緯と現在を更新していきます。〜2018年1月25日腹腔鏡検査〜朝からソワソワ。祖母と合流し、母の待つ病院へ。【お腹減った〜!】と母。食べる事が大好きだった母。年末からたくさん我慢したね。夕方には、呼ばれるとの事で、着替えを手伝って、髪の毛を二つ結びにしてあげる。【二つ結び‥なんか面白いね(笑)】【似合わない(笑)】オペ室の前まで母を見送った。【頑張ってね。】【うん‥】オペ室のドアが閉まった。しばらく、動けなかった。やけに薄暗いオペ室の廊下。どう
0時以降絶食指示4時何度も目が覚めてぐっすり眠れずSNSを徘徊水分は7時までOKだった気がします。手術着に着替えて、弾性ストッキングを装着8時30分家族が到着親と兄弟が来てくれましたぁお守りを受け取り・・癌封じの石にも触ってきてくれたみたいで私のお腹をなでなで9時担当の看護師さんから声がかかりオペ室へ・・オペ室の前で家族とお別れオペ看さんから帽子をもらい装着し、オペ室の廊下を歩いていきます。お部屋に到
KLC通院記録3月新鮮胚移植→陰性現在胚盤胞移植→判定待ち移植日の記録③です。《午後の流れ》12:009階受付13:209階問診室で培養士から説明14:108階ナースセンター14:40移植15:30会計−−−−−−−−−−−−−−本当は12時半に受付なのですが、12時に受付できました。ただ、早く受付したからと言って移植の順番が変わるわけではない。との事です。それと、「もう外出はしませんか?」と確認されました培養士さんか
とりあえず復活昨日17時半からオペ室入りました、そして、まさかの出来事途中、麻酔きれた痛いし、辛いしでも、先生たちに伝えたくても手や足のしびれで金縛り状態。先生たちの声を聞きながら気絶しては、起きて…を、繰り返した地獄の手術でした。手術自体は、うまくいったみたいですまた、詳しく話しますね。
入院中、私が持っていったサンダルはビルケンシュトックのボストン。普段からほぼ毎日履いていて、スリッパのような形で履きやすいから、わざわざ別のスリッパは用意せずに、履いていったものをそのまま病室でも使用していた。↓これすると主治医のM先生が「なんか履きやすそうな靴履いてるねぇ〜」と言ってきたので「はい、履きやすすぎて他のが履けないぐらいですよ〜。」と答えると、どこで買ったのか、とかかなり詳細を聞いてきたので、買った場所を詳しく教えた。けど、そもそも、ビルケンってお医者