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長老の教科書から、子どもが高等教育に進学した場合は資格を検討するという内容が削除されたそうですね…以前に高等教育解禁か?って思わせる内容の出版物が出た後、長老の教科書は変わらなかったし、高等教育否定の酷い内容を教え続けていだけど…『高等教育否定…1992年に新しい光によって教義変更?』ものみの塔の大学や大学院による高等教育を否定、強硬な反大学教育の教義のために、JWの子供たちは、大学で学びたくても進学できなかった…と言う話をよく聞きます。高…ameblo.jp今になって、やっと本気を出し
これまでたくさん心配かけてごめんたくさん驚かせてごめんお母さんに厚かましくも謝罪してほしいことが2つある私が命の危険もあるピンチだった時、一切手を差しのべることなく、言い訳をしたこと。私のことを、『我が子』ではなく、『排斥された我が子』として今でも見ていること。それから、してほしかったこと外堀を埋めてから私を追い詰めるやり口、やめてほしかった。いい子じゃない時の私も認めて受け入れてほしかった。私が間違ったことをしたなら、まずは気持ちに寄り添ってほしかった。自分(お母さん)の気
まだまだ暑い日が続きますが、秋といえば運動会の季節ですね最近はそれほど暑くない春に行なう学校もあるようですが、やはり秋というイメージがあります。しかし、この運動会でもエホバの証人には面倒くさいルールがありましたね(私が所属していた会衆だけかもしれませんが)まず、入場行進国旗や校旗を先頭にする入場行進は愛国主義だと言われます。そして開会式での国旗掲揚、校旗掲揚掲揚される旗のほうを向くことは、国家主義、国家崇拝と言われます最悪、「回れ右」と号令が出ると、自分は動かないのでみんなと顔を
エホバの証人がよく使う言葉の中に物質主義というものがあります。エホバよりも、お金や物や仕事のほうを優先する、愛する、ということなのでしょう。それゆえ、偶像崇拝と呼ばれることがあります。例えば、仕事のために集会を休むと物質主義!いい給料をもらうと、物質主義!家を建てたり、いい車を買うと物質主義!いい家電を買うと、物質主義!そんな具合です。もちろん、全てのエホバの証人がそうというわけではありませんが、結構います。その割合は開拓者に多いと思いますね。彼らからすると、物
9月になりました。さあ、新奉仕年度です。ますます終わりが近づいている今、活動を増し加えて参りましょう!というような話が、エホバの証人界隈でされているのでしょうか日本ではたいてい新年度は4月から始まりますが、エホバの証人の年度は9月から始まります。アメリカでは新学期が9月から始まるようですから、なにやらアメリカの宗教という感じがプンプンします。それともユダヤ暦に合わせたのでしょうか。それともなにか別の理由があるのでしょうか。よく分かりません
令和のエホバの証人2世、もしくは3世の恋愛事情のことはさっぱり分かりませんが1980年代、1990年代にはJW2世がとても多く、男女の比率もそんなに差は多くなかったと思います。そして、当時そんな2世たちの恋愛、そして結婚に拍車をかけたのが、RBC主導による王国会館速成建設です。それまで、年ごろの若者たちの出会いの場といえば大会や、近隣の会衆のレクリエーションくらいでしたが、この建設奉仕では、あちこちの会衆から若者たちが建設奉仕にやってくるわけですねいつもの集会や奉仕とは違って、ニッカ
いよいよ師走になりましたが、先日、紅葉狩りを旦那と行ってきました。場所は大分県耶馬溪の一目八景という所です。ここ数日の強風と雨でほとんど落ちていて、少し残念でしたが、四季の移ろいを感じる事ができてよかったです。去年は、仕事や入籍前で引っ越しの準備など忙しすぎていつの間にか冬になってました。今年こそは!!と意気込んでいたのですが、当日は降ったり止んだりの生憎の雨。ダウンを着てても吐く息が白くなるくらい寒かったです。でも、来週の休みに延ばすと絶対落葉してるし、とても楽しみにしてたので
またまた久しぶりの投稿です。元JW界隈ではビッグニュースが飛び込んできましたね。Xでは「乾杯解禁」が一時トレンドになったとかなってないとか…。(↑なってません)乾杯に関しては思うところがあるので、また別の機会に書きたいと思います。今回は「懐かしの場所」シリーズ。王国会館ですが、楽しくいい思い出もありますし、排斥・忌避というタヒにたくなるような経験をした場所でもあります。この場所はあえて記事に書くつもりもなかったのですが、先日ちょっとおもしろいことがあったので投稿することにし
最近はあまりないと思いますが、むかしは学校の給食にクジラが出ていました。竜田揚げが定番でしたね。とても良い香りがして、食欲をそそっていたものです。しかし、それを食べることは出来ませんでした。理由は確か、クジラは大きすぎて血抜きをすることができない。血を避けるようにという命令に反している。みたいなことだったと思います。そして、ものみの塔出版物で、クジラを食べることを拒否した少女の経験がのせられていました。そのため、親から、絶対に食べてはならないと厳しく言われていたのです。とはい
これは、わたしの物語。幼い頃から、家族の信仰と家庭の葛藤、孤立した日々の中で自分を見失い──それでも、自分を取り戻すまでの道のりです。📘前回までの話はこちら第5話|闇の底から、出口を探し始めたとき第6章|わたしを取り戻すために、始めた“自分探し”薬をやめたあと、心も体も、しばらく不安定だった。けれど、少しずつ感情が戻ってきた。泣けるようになった。それは、ずっと閉じ込めていた想いがやっと溢れ出してきた合図だった。わたしは探し始めた。“ほ
ご存知の方も多いかと思いますが、界隈は今、高等教育解禁で持ち切りですね。今回はあえて別の話題です。先日、とうとううちにもJWの訪問があったようです。幸いにも留守中だったので直接会うことはありませんでしたが、インターホンにはしっかりと録画されていました。グレーの布製の帽子を被ったノーネクタイの男性でした。帽子で顔が隠れててよくわからなかったので、現役時代に接点のあった人かどうかはわかりません。とりあえずスマホでその画像の写真を撮ったので、次いつ来るかでおおよその網羅周期がわかってく