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まずは昨日の《ホブとユトリロのシャンソン談義》、無事終了しました。いつもいつも、シャンソン館の素敵なスタッフの皆様方に支えられながら、気持ちよくトークイベントをさせていただいております。昨日はこんな曲をかけさせていただきました...。オープニングテーマはフランシス・レイ・オーケストラの「エモーション」FrancisLai「エモーション」Emotion曲はホンダ「アコードサルーン」のTVCMで使われました。フランシス・レイの書き下ろし作品。当時、車を購入したユ
2020年11月4日(水)〈Eテレ〉📺️おじゃる丸▽23ー46:まったり道場【初回2020年11月4日(水)】▽脚本:福嶋幸典▽絵コンテ:西田章二▽演出:菱川直樹▽作画監督・原画:石井邦幸▽動画:藤波正和・片岡絵里・マロのまったりはまだまだじゃ…と嘆(なげ)くおじゃる丸。いいお天気の中、おかの上でまったりをまんきつしていたのだが、やってきた見知らぬ人の行動(こうどう)に、まったりをわすれ、いともかんたんに心みだされてしまったからだ。これではまったりの達人(たつじん)の名おれ。き
ジャン・ミュジー(JeanMusy)の追悼特集、今回が最終回となります。題して《JeanMusyauJapon》私の知る限り、J.ミュジーがアレンジを手がけたアーティストは2名。まずは谷山浩子さん。1980年にリリースされたシングル「夕暮れの街角で」「今日は雨降り」の2曲をお聴きいただきましょう。夕暮れの街角で谷山浩子※レコード音源www.youtube.comHirokoTaniyama(谷山浩子)-Kyouhaamefuri(今日
ジャン・ミュジー(JeanMusy)の追悼特集の3回目は、彼がアレンジを担当したシャンソン歌手を特集したいと思います。*このアルバムはJ.ミュジー自身が音楽を担当した映画音楽集です。数えきれないほど沢山の歌手たちがいるので、ほんの一部ですが...。多分、一番良く知られているのはこの曲でしょう。JoeDassin-LesChamps-Elysées(Audio)Abonnez-vousàlaCHAINEOFFICIELLEVEVOdeJ
PopolVuh/HosiannaMantraポポル・ヴー/ホシアンナ・マントラ1972年リリース◆宗教音楽とアコースティック楽器の融合から生まれた神々しいまでの神秘性に満ちた名盤◆今は亡きドイツのキーボーディストであるフローリアン・フリッケ率いるプログレッシヴグループ、ポポル・ヴーのサードアルバム。これまでのアルバムはモーグシンセサイザーとパーカッションを中心とした電子音楽のパイオニア的なサウンドを試みていたが、本アルバムではシンセサイザーを放棄し、メンバーチェンジの上、ピ
こんばんは私は9歳位から洋楽ばかり聴いて来ました。邦楽が嫌いという事でもないのですが、圧倒的に洋楽の方が自分の感性に共鳴しフィットするからに他なりません。私の人生は洋楽人生と言っても過言ではなく、40年以上も美味しい料理も、おしゃれな服も、楽しい旅行も制限してまで、音楽ソフトを買って聴きまくったりコンサートにお金を使って来ました。そして、楽器演奏や歌も少々。いわゆる音楽人生。そんな洋楽人生の中でも好きな邦アーティストもいます。洋楽と比較すれば、その好きなアーティストの数は、10
3月4日はポール・モーリア(1925〜2006)の誕生日です。本日、こんな嬉しいニュースが飛び込んできました。『ポール・モーリア生誕100周年記念追悼公演2025』開催決定!!来年(2025年)の「生誕100周年」を記念して、あの「華麗なる」モーリア・サウンドがグランド・オーケストラによって甦るとのことです。P.モーリアの奥様(イレーヌさん)の許可もおり、企画主催がキョードー東京ということで、期待は大いに高まります。全曲オリジナル・スコアとい
80年以降のCM曲が初めてのハーブ・アルパート氏との出会いと思っていたら違ったのですよ!何度か書いているようにまだ私が幼い頃は、毎週日曜が父のイージーリスニング鑑賞日聴いているアルバムの中に入っていました、この曲が"ATasteofHoney"HerbAlpert&TheTijuanaBrassあえて白黒笑ティフアナ・ブラスと一緒に活動していた頃アルパートさんをまったく知らずでも、誰もが知ってる
《解説》1980年代のはじめ、ジャン・ミュジー(JeanMusy)このアルバムの一部の曲がNHK-FM(サウンド・オブ・ポップス)でオンエアーされたことがあった。以来、このアルバムを求めて様々な輸入盤店を捜し回ったがなかなか入手できず。十数年後、当時青山にあった《MadeinFrance》というフランス盤専門店にオーダーをしてもらったところ、程なく入荷の連絡が入った。おそらく『私のレコードアルバム』の中では最も「地味」なアルバムの部類に属すると思われるが、入手の
《解説》フランスでの発売は1974年、日本でのリリースは翌1975年となる。本国でのアルバムタイトルは《LePremierPas》であるが、日本では大ヒットした「オリーブの首飾り」とした。本アルバムはいわゆる編集盤ではなく、オリジナルのまま日本で発売された。当時日本でも人気のあった(日本盤も発売されていた)フランスの歌手たちのヒット曲も多数収録されており、日本でもフレンチポップスが「花盛り」であったことが伺える。なお1972年以降、ポール・モーリアのサポートア
おはよ❣️今日は懐メロ🎵邦題「愛は夢の中に」1972年9月に英国でリリースされ、全英シングルチャート9位。後の1974年に米国でリリースされ、ビルボードホット100で11位、ビルボードイージーリスニングで1位。IWon'tLastADayWithoutYouProvidedtoYouTubebyUniversalMusicGroupIWon'tLastADayWithoutYou·CarpentersASongForYou℗1972A&
《曲目解説》スペインの歌手ジョアン・マヌエル・セラート(JoanManuelSerrat)の1969年のヒット曲で、アウグスト・アルゲロ(AugustoAlgueró)が作曲(作詞はJ.M.セラー)。JoanManuelSerrat-Penélopewww.youtube.com「ペネロペ」はギリシャ神話に登場する女性で、戦争に出征した夫を待ち続ける貞淑な妻であるが、これをモチーフに帰らぬ男を駅のプラットホームで待ち続ける女の物語に仕立てられている。ちなみ
UnJour,UnEnfant-FranckPourcel,RaymondLefèvreリラの季節-フランク・プゥルセルとレイモン・ルフェーブルUnJour,UnEnfant-LeGrandOrchestredePaulMauriatリラの季節-ポール・モーリア・グランド・オーケストラリラの季節は、エディ・マルネの作詞、エミール・ステルンの作曲によって創られ、1969年のユーロ・ビジョン・ソング・コンテストで女性シンガー、フリーダ・ボカラによって歌
《解説》クロード・ルルーシュ監督の映画『男と女(UnHommeEtUneFemme)』(1966年/仏)はカンヌ映画祭でグランプリ、アカデミー賞でも最優秀外国語映画賞を受賞した。「ダバダバダ〜」のスキャットで余りにも有名な、フランシス・レイ作曲によるテーマ曲は、映画の撮影前にすでに完成していて、映画の撮影時にはずっと流されていたとのことである。UnHommeetuneFemme-MainTheme-FrancisLaiMovieQuotes
*ジャン・ミュジー(JeanMusy)の訃報(4/26)に接し、急遽《私のレコードアルバム》として取り上げることとしました。《アルバム解説》1979年に日本でリリースされたアルバム『ブローニュの詩(ChansonDeBoulogne)』は、フランシス・レイ名義ではあるが、実際にはアレンジャーのジャン・ミュジー(JeanMusy)の作品集ともいえる、極上のイージーリスニング・アルバムとなっている。ただしアルバムのクレジットでは全曲J.ミュジーと記載されているが
《解説》当時、ジャン・ミュジー(JeanMusy)がアルバムのアレンジを担当していたイヴ・デュテイユの曲を集めた作品集である(L'universMusicalD'YvesDuteil)。本来であれば、アコースティックなオーケストレーションを得意とするJ.ミュジーであるが、ここでは当時流行したサンプリングマシンを多用した多彩なアレンジを聴かせてくれる。この点は好みが分かれるところではあるが、Y.デュテイユの親しみやすい印象的なメロディをイージーリスニング・アルバムに仕立て上げた
ポール・モーリアの場合、日本で発売されるアルバムの多くは、オリジナルのままではなく、数枚のアルバムからの編集盤という形で発売された。その結果、日本では「陽の目を見なかった」曲も多数存在する。P.モーリアは現在日本で入手できるオリジナルアルバム(CD)は皆無で、ストリーミング等で聴くことができるアルバムも極端に少ない。現状、数々の名曲、名盤を聴くためにはVocalion(英)で発売されているアルバムを入手する以外に方法はないため、本ブログでは本国フランスで発売されたオリジナルアルバムを中心に
CommeAuPremierJour[めぐり逢い]-AndreGagnonフランス語の「CommeAuPremierJour」は「初めての日のように」の意味です。「初めて君に逢って心動いた忘れられない日」だったのだろうと想います。アンドレ・ギャニオンさんは、カナダの作曲家、ピアノ奏者。近年、世界的にブームになったヒーリング音楽、イージーリスニングの分野において名を馳せまた親日家としても知られる。2020年12月3日逝去。ウィキペディアより