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私が佐山タイガーと直接会ったことがある回数はたかだか知れていますが振り返り編のまとめとしておきます。★1983年8月1日サマーファイトシリーズ岐阜大会初めてタイガーの参加している大会を観戦リング屋さんが父親の知り合いの息子さんで色紙を預けて後日タイガーをはじめいろんな選手のサインを送ってもらいました。★友人撮影★1984年11月23日旧UWFイヤーエンドスペシャル犬山大会UWF初観戦体育館のすぐ下にある旅館に宿泊だった選手たちを取り巻いてしまいました。翌日記
三沢タイガーマスク遍歴9枚目「黄色ゲジゲジプライベート用」使用時期:1984年秋~冬こういうのなんていう生地って言うんですか?ラメでも無いしジャージでもないベロアとも違うやつこの時期の代表的なPVマスクの顔つきを飾る。耳縁は銀色で月刊ゴングの表紙などを飾る。似たようなマスクで試合用もあるので見分けに注意。
今年のG1は見所がたくさんありました。とても楽しく観戦させていただきました。今回改めて、プリレス八百長論について語りたいと思います。もう、そんな時代じゃない、と言われると思いますが、プロレスを卑下してみている奴らは”あんなのプロレスだよ”と例え話で使っています。大変頭に来ますが、プロレスの永遠命題である八百長論について一席。プロレスが好きな人からすると、この八百長論とは常に戦ってきた。僕も子供の頃からこの八百長論に対する論理武装をしてきたが、時代によってそれは変化す
自分が、アブサンという酒の存在を知ったのは、ドガの「アブサン」という絵画から。そして、どうしても、それを、一度は飲んでみたいなあ~、という気持ちを深めたのは、開高健さんの、「地球はグラスのふちを回る」という本の、最初の章の、「紳士の乳」に出てくるアブサンで、開高さんが、旅行先のブルガリアで、現地の文筆家にレストランに招待され、そこで出されたアブサンに、ノック・アウトされるというくだり。たぶん、開高さんの長旅の疲れもあったのだろうが、開高さんほどの酒豪が、飲んだ後で前後
お世話になっております。今日は前から自分の中で整理したかった、先入観や思い込みがあるプロレスラーの年齢を改めて並べてみると意外な事が多い!という私的あるあるです。亡くなられてる方は、もしご存命なら今何歳という事で、早生れとか満年齢とか細かい事は置いといて、生まれ年で並べてみる。遡ると凄いことになるので、馬場さんの代から見てみました。敬称略で私が気になるプロレスラーを列挙してます。88歳ジャイアント馬場、ワフーマクダニエル、ビルロビンソン86歳ストロング小林、上田馬之助、ウィリア
二代目タイガーマスク(三沢光晴)5年9ヶ月に渡る全戦歴・マスク遍歴紹介スタートします!まずはプロローグとしてうんぬんかんぬん記していこうかと。初代タイガーマスクが引退して一年ほど全日本プロレスにもタイガーマスクを登場させる計画が進行していきます。白羽の矢が立ったのが越中詩郎と共にメキシコ遠征中だったデビュー3年目の三沢光晴でした。(三沢タイガーとしての活動期間5年9ヶ月1984年8月26日~1990年5月14日)選ばれたその理由はG馬場から問われたコーナーポ
昭和44(1969)年12月31日(水曜)のテレビ欄より。夜9時からの番組は現在も国民的番組であり続ける『NHK紅白歌合戦』をはじめ、東京12チャンネルが『なつかしの歌声・年忘れ大行進』と歌番組、日本テレビが『コント55号の野球ケン‼』、フジテレビが『お笑いヒットスタジオ』とお笑い番組、TBSのみが『Oh!それ見よ』とドラマを放送。そんな中、全時間帯を見渡しても、とくに特番などは用意していない様子のNETテレビ(現・テレビ朝日)は通常運行で『ワールドプロレスリング』を放送。この日