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1990年2月10日、スーパーファイトIN闘強導夢のメインは、アントニオ猪木、坂口征二VS橋本真也、蝶野正洋。控室で臨戦態勢に入っている猪木と坂口がインタビューに答えていた。アナウンサーが「もし負けるようなことがあると、これは勝負は時の運という言葉では済まないことなりますが」と口を滑らせた。猪木は怒り「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と闘魂ビンタ!「出てけこらあ!」一方、蝶野と橋本の控室では、蝶野がカメラに向かって怒鳴る。「潰すぞきょうは!よく見ておけオラ!」
10月1日、「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが亡くなりました。ショックでした。私にとっての猪木さんは、少年時代のヒーローでしたから。猪木さんに憧れ、聖子さんに恋をしていたあの頃、懐かしい・・・。そういえば、聖子さんがやっていたラジオ「愛にくちづけ」に、猪木さんがコメント出演したこともあったなあ・・・😌また10月1日と言えば、神田沙也加さんが36歳の誕生日を迎えるはずだった日でもあったので、色々な思いが交錯した一日となりました。沙也加さんへの思いは沙也加さんブログの方に書いたので、
1996年1.4東京ドームのメインは、IWGPヘビー級選手権試合60分1本勝負。あの10.9東京ドーム以来の再戦。武藤敬司VS高田延彦。新日本対UWFの頂上対決。アントニオ猪木も放送席に座る。ベイダー戦のダメージが相当なものだったのか、猪木は頭に包帯を巻き、片目しか見えない状態だ。王者の武藤は6度目の防衛戦。握手を交わす両雄。武藤が軽快なフットワーク。高田がローキック、ミドルキック、フロントキック、ローキック、ミドルキック、張り手!攻めまくる高田。2連敗は絶対にでき
1981年(昭和56年)8月6日木曜日サマーファイトシリーズ第30戦最終戦(8/7TV録画中継)東京・蔵前国技館観衆9800人サミー・リー、イギリス転戦中帰国。佐山サトル(23歳キャリア6年目)①15分1本勝負荒川真(時間切れ引き分け)クロネコ②20分1本勝負剛竜馬(10分37秒片エビ固め)前田明③30分1本勝負レス・ソントン(7分24秒片エビ固め)ジョージ高野④30分1本勝負永源遥、○星野貫太郎(11分24秒首固め)●フランク・
宇宙からの無限の愛と祝福が注がれている魂の皆様ハロハロ~ひよ子のお菓子を2個いただきひよ子ヒヨヒヨ2ひょこひょこ~♬なNicoriです本日は本当の自分=魂に導かれると寄り道せずに本当に望む未来へ一直線!!エネルギーも時間も本当に大切なものに集中でき人生が鮮やかになる🌈というお話をします身近な人との関係の中で、「絶対にこうした方がいいに決まっているから◯◯なさい」「あなたのために想って言っているのよ」と強めのアドバイス
川村さんというのはケイダッシュの会長で、バーニングプロと田辺エージェンシーの副社長。これが川村龍夫さん。昭和16年生まれだから、今年78歳。石川次郎より一歳年上。この人はきちんとしていない人間には恐い人である。ジャニー喜多川なきいまや芸能界、最大のドン。ケイダッシュというのは渡辺謙など実力派の俳優たちが所属する事務所。川村さんとは50年前からの知り合い。会ったのも久しぶり。オレはこの人と大の仲良し。前はよくキャンティで顔を合わせた。オレがあまり山手線のなかに行かなくなったので、
大仁田厚は水面下でアントニオ猪木との電流爆破マッチを実現するために奔走したが、結局この対決は実現しなかった。猪木は「大仁田嫌い」と言われているが、猪木は大仁田のことを認めていた。実際に猪木と大仁田は交渉のテーブルについたことがあるから、全く嫌いで受け付けないという嫌い方ではない。大仁田は勝ち負けよりも「どちらのインパクトが強かったか」というプロレス的勝負を挑むレスラーだ。猪木でさえ、大仁田に全て持って行かれる危険性があると懸念するほど、大仁田の毒性は強い。猪木との対
1983年(昭和58年)6月2日木曜日IWGP第28戦(最終戦)東京・蔵前国技館(観衆13000人)6/3TV録画中継佐山サトル(24歳キャリア8年目)①20分1本勝負高田伸彦(13分12秒体固め)山崎一夫②20分1本勝負剛竜馬(11分45秒逆さ押え込み)藤原喜明③30分1本勝負○星野貫太郎、木戸修(11分19秒体固め)●エンリケ・ベラ、カネック④30分1本勝負○前田日明、木村健吾(12分39秒体固め)●寺西勇、ラッシャー木村
ジャスト日本です。有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。今回のゲストは、数々のアントニオ猪木さんの書籍を出された作家の木村光一さんです。(画像は本人提供です)木村光一1962年、福島県生まれ。東京造形大学デザイン学科映像専攻卒。広告企画制作会社勤務(デザイナー、プランナー、プロデューサー)を経て、'95年、書籍『
NET主導による新「日本プロレス」が発表されたため、急遽韓国から帰国した大木は「せっかくインターの王者になったのに俺がまた3番手になるのは我慢ならん」「日本プロレスが残ればNETも隔週で放送してくれるよね」と全く現実を見ていない韓国人らしい反応を見せる。坂口の説得にも応じず我々は日本プロレスを守っていくのだ!一度は新「日本プロレス」合併を決めた小鹿らも追放した猪木の団体では肩身が狭くなるのはわかっており大木と行動を共にする。ここまで裏で話を進めてきた坂口は「こいつらアホか
やっぱりアントニオ猪木は素晴らしいプロレスラーだったと言う話に尽きる本でした。中身に触れずに話すのは無理なので中身読んでない方はネタバレ対策で動画でも見ながらまた来て下さい。読むつもりのない方は是非、この感想を読んで触れて頂きたい。そうじゃなきゃ感想文なんて書きませんので。1976年のアントニオ猪木はモハメド・アリと戦った年なわけですがアクラム・ペールワンとも同じタイミングでやってたとは思いもよりませんでした。ペールワンの話は伝説として、きっとNumberの記事辺りで読んでたんだろう。
昨日、年齢に合わない歌詞の覚え方してて、やばいけど!発言しましたが忘れてはいけない!亡くなってしまったティナ様、このライブは60歳オーバー圧倒的なパフォーマンス!従えているスリムな女性ダンサー達よりも完全にカッコいいし!めっちゃヒール👠だしミニスカだし声量凄まじだし。とにかくすごい!この姐様は若い頃DVでたいそう苦しめられていた筈だ。私自身が子供、若い頃はパワフルな黒人のソウルシンガーという認識くらいだったけど、今、本当にこの方の凄さ、凄まじさが分かる。めちゃ尊
1982年(昭和57年)10月8日金曜日闘魂シリーズ開幕戦東京・後楽園ホール観衆2700人(TV生中継)佐山サトル(24歳キャリア7年目)①15分1本勝負高田伸彦(8分44秒体固め)山崎一夫②20分1本勝負新倉史祐(10分53秒片エビ固め)小杉俊二③20分1本勝負○藤原喜明、仲野信市(15分22秒体固め)●保永昇男、平田淳二④30分1本勝負レス・ソントン(7分31秒逆さ押え込み)星野貫太郎⑤30分1本勝負○小林邦昭、木
新日本プロレスとUWFの抗争が激化するなか、突如組まれた黄金カード。1986年4月29日、三重県・津市体育館で、前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアントという夢の対決が実現した。UWF前の前田はアンドレにヒップドロップでフォール負けしているが、当時の前田と今の前田は全く違う。しかしアンドレにとっては、あっさり負かした記憶から、前田を恐れていなかったかもしれない。船木誠勝は当時、藤波辰巳の付き人だったから、藤波と一緒に控室からこの試合を観戦していたが、なぜか猪木をはじめ全員が
1983年(昭和58年)6月17日金曜日新格闘術士道館興行藤原敏男引退記念特別興行東京・後楽園ホール(観衆???人)特別参戦佐山サトル(24歳キャリア8年目)プロレス⑤30分1本勝負荒川真対栗栖正伸⑥30分1本勝負○タイガーマスク対●ブラック・キャット
猪木はブラジルにて1960年4月に力道山がスカウト。馬場は自ら1960年ほぼ同時期に入門しました。1963年に力道山が亡くなり、その後の約60年の間に力道山時代の日本プロレス所属レスラーもほとんど亡くなりました。◎力道山時代の主なレスラーたち★日本プロレス協会の昭和28年(1953年)7月1日設立時以降の所属レスラー力道山遠藤幸吉(プロ柔道出身)田中米太郎(力道山相撲時代の付き人:四股名は桂浜)元十両玉ノ川(二所ノ関部屋)元幕下新高山(花籠部屋)羅生門綱五郎元幕内
作詞:木谷梨男作曲:菊池俊輔あたたかい人の情に胸をうつ熱い涙も知らないでそだったぼくはみなしごさ強ければそれでいいんだ力さえあればいいんだひねくれて星をにらんだぼくなのさあゝだけどそんなぼくでもあのこらはしたってくれるそれだからみんなのしあわせいのるのさ吹くかぜがつめたい時もふる雨がはげしい時も目をあげて明日に希望をかけたのさあゝだからきっといつかはあのこもわかってくれるみなしごの正しく生きるきびしさをみなしごの正
ネットでソロ撃破の記事を見ていたら、自分の装備やレベルより下の方が真ハデスをクリアしているようです。(。´・ω・)?プレイヤースキル?偽ハデスが15分41秒だったんだから※30分制限ギリで30分以下で倒せるかもしれんぞ。(゚Д゚)うーん・・・・死ぬとペナルティがあってマスターレベルポイントが減るんだっけかな。一度もやったことないのに負けること考えるのってどうなんでしょうか。「戦う前から、負けること考えている奴がいるか」※アントニオ猪木談んじ
アントニオ猪木VS天龍源一郎の一騎打ち。時間無制限1本勝負の完全決着戦。ついにこの時が来てしまった。1994年1.4東京ドーム。リングサイドにはWARのセコンドと長州力が陣取っている。魔性対レボリューション。運命のゴングが鳴ったが両雄は動かない。睨み合い。何という緊迫感か。腕を取り合おうとしたが、不用意に組まない。互いに入り込めない。いきなり猪木がノーモーションの頭突き!痛烈だ。怒った天龍が顔面に張り手!猪木が頭突き!力比べ。猪木が脚を取る。天
病院によりサービスが有料なもの、無料なものは異なる。たとえば前の病院はWi-Fiが無料、転院先は有料だ。ケチ臭い、インターネットぐらいただで使わせてくれよ。転院先で「インターネットWi-Fiをやりたいので申し込み方法を教えてほしい」看護師「は、はい」看護師が窓口だがWi-Fiサービスは業者が請け負っているので看護師によっては詳しくない。歯切れが悪い。この病院では「テレビ、Wi-Fi、洗濯カード」がセットとなって1日5百円定額で毎日払うことになっているWi-Fi
おはようございます。祝日もプロレスバカです。寒いです。朝から冷たい雨が降っております。これでは犬の散歩も行けないなぁ…まだもう少し寒そうなので、あとで灯油を買いに行くか…今日は大日本プロレス後楽園大会。幸いにもサムライ生中継があるらしいので、テレビ観戦で久しぶりにリアルタイム感を味わおう。私的メインは関本大介vs橋本和樹この試合は、橋本和樹の叶わなかったストロングヘビータイトルマッチだと思って見ようと思います。さて、色々とVERSUSを見返しておりますが、今回は藤波さんと川
約半年間に渡るイギリス外遠征時の戦歴。完全100%網羅というわけにはまだいかず凡そ80~90%の把握状態だと思います。実際に行われなかった試合もあり。佐山サトル(23歳キャリア6年目)タイガーマスクとしてメキシコで5試合してイギリスに飛び約2か月滞在。他にもまだ出場しているはず。1981年(昭和56年)7月8日水曜日サウスエンド(イギリス編ブログ上158試合目)サミー・リー対ボビー・バーンズ1981年(昭和56年)7月15日水曜日
1979年11月30日、徳島市立体育館で行われたWWFヘビー級選手権試合は、何と90分1本勝負。チャンピオンはボブ・バックランド。挑戦者はアントニオ猪木。レフェリーはレッドシューズ・ドゥーガン。猪木は真紅ではなくブルーのタオルを首に巻いていた。やる気満々の表情のボク・バックランドは、スピードもパワーも文句なし。序盤は脚や腕の取り合い。70年代の新日本プロレス。特に猪木のプロレスは、地味な締め技でも観客を満足させた。派手な大技合戦ではなく、アームロックやヘッドロックなど基本
魚座の人の魚座らしい言葉を集めてみました想像力は知識より大切です知識は限られています想像力はこの世界を包み込みますアルバート・アインシュタイン物理学者1879/3/14生まれ魚座****他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさいそして最も重要なのは自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさいスティーブ・ジョブズApple創業者
サンデー毎日で連載中のロッキー青木伝8回目――。プロボクシングをはじめ各種イベントの興行では、通常、プロモーターがボクサーのファイトマネーや練習や試合会場などの滞在費用を用立てる。イベント開催後、チケット収入やテレビ放映権料、グッズ販売などでその出費を回収して利益を得るのが常だ。ただし、プロモーターはこれまでの資金繰りのため、スポンサー探しに奔走しなければならない。ボクシングのタイトルマッチなどで、リングのマットやコーナーに企業名が書かれるスポンサーだと、それがわかりやすい。だが、
1986年10月9日、前田VSニールセンの熱闘に酔ったファンは、感動と興奮が冷めないまま、ついにメインを迎えた。アントニオ猪木VSレオン・スピンクスの異種格闘技戦である。「モハメド・アリを破った男」として、スピンクスは紹介されていた。レフェリーはガッツ石松。ガッツ石松は、新日本プロレスとは馴染みがある。1984年の猪木VSアノアロ・アティサノエの異種格闘技戦の時、アティサノエのコーチを務め、ボクシングを教えた。結果は、猪木が延髄斬り連発からのバックドロップでアティサ
磁力線パルス兵器は、磁気を利用しているので、放射線同様、一般人では防御が困難となります。しかし、やられっぱなしでは身体中満身創痍となり、やがてはアントニオ猪木氏のように車椅子、病院のベッドで寝たきり状態になることでしょう。黙って発信もしなければそこまでの状態にされることはないのかもしれませんが、日本の置かれている立場は、刀伊の入寇、元寇の時よりももっと悪い状態なのです。侵略者が日本運営の中枢に入り込んでおり、日本を滅茶苦茶な状態へ向かわせている訳です。それに気付いている身としては、なんとして
1977年(昭和52年)5月17日火曜日ゴールデンファイトシリーズ第19戦岩手北上市家畜市場特設リング観衆2500人佐山聡(19歳)第124戦①15分1本勝負小林邦昭(13分16秒逆片エビ固め)佐山聡②15分1本勝負大城大五郎(9分28秒首固め)魁勝司③20分1本勝負荒川真(10分2秒腕固め)栗栖正伸④20分1本勝負永源遥(10分27秒逆さ押え込み)木戸修⑤20分1本勝負星野勘太郎(12分39秒体固め)小沢正志⑥30分1本
1983年(昭和58年)4月19日火曜日ビッグファイトシリーズ第2弾第18戦静岡・袋井市体育館(観衆3400人)4/29TV録画中継佐山サトル(24歳キャリア7年目)①15分1本勝負新倉史祐(9分17秒逆片エビ固め)後藤達俊②20分1本勝負藤原喜明(11分4秒逆さ押え込み)ブラック・キャット③30分1本勝負ボビー・ガエタノ(10分24秒片エビ固め)栗栖正伸④30分1本勝負マサ斎藤(6分15秒片エビ固め)剛竜馬⑤30分1本勝負アニマ
今日は仕事が遅番で少し遅くなったので、ジムトレのみ。バランスボールを使った筋トレをし、入念にストレッチを。そして、クロストレーナーで5㎞。負荷は10。手足を連動させて動かすので、かなり効率良く有酸素運動ができます終わったら汗びっしょりでした私は普段は京王百貨店のシステム担当の会社員ですバックオフィスの社員は大きな催しの時は売場応援に駆り出されるのですが、今日の私はお中元ギフトセンターでパソコンを使った接客承りのお仕事でした同じフロアで別の催事が併設されていることも