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夫が赴任先から帰ってきた。大宮まで迎えに行って気分転換の食事。一旦家に帰り、夫の実家へも(私の実家への報告は別記事で)私の病気について説明に行きました。義理の父も母もとても驚いていましたが、「治る。大丈夫」とポジティブな言葉をたくさんかけてくれました。その当時は「私の気持ちはわかりっこない」と、笑顔でやり過ごしましたが、いま2人に会うと本当に私の病気は治るに違いないと信じてくれていることがわかります「がん患者に頑張れ」は禁句とよく言いますが、私の場合、カミングアウトは私の判断で話したい
こんにちは!ご訪問ありがとうございますHSPママ、文乃です前回告知した、2024年6月9日(日)大阪でリアルランチ会5/1(水)7時から募集開始します題して、2024年の振りかえり&目標シェア会6月ということで2024年の折り返し今年前半の振りかえりと後半の目標をみなさんとシェアしたいと思ってます「この半年、忙しくて結局なにもできなかった
親への乳がん発覚を伝えるのが本当にきつかったです。結果、検査が全て終わり抗がん剤を開始する前の週に実家で伝えるつもりでした。時系列がごちゃごちゃになりますが、抗がん剤が始まる2020.6.22から有給を使って7月からは半年の予定で休職をお願いしました。6月19日からは最終の新幹線で夫の赴任先に行くつもりだったので実家に帰るのはその前の週しかありませんでした。私の家族は少し特殊で、下の名前を呼び合う仲のよさです。そんな仲良し家族ですが、母はどこか子離れしていない節があって、私のことが大好き
こんばんわ。いつもご訪問&いいねありがとうございます😊今日も朝から面会へ。やはり寝起きからミルクの時間までがご機嫌ななめになるようで、今日も咳込んでチアノーゼに。私が行った頃にはピークが過ぎてちょっと機嫌が悪いくらい。いつもの薄眼チェック後、段々と目が開き始め午前中はお風呂が終わるまで、ずっとご機嫌に過ごせました。笑顔もたくさん見せてくれたのでとりあえずひと安心。だけど私が帰る直前になると、また咳込み出してなかなか治らず。。。先生も???という感じなので、何だかスッキリしません。
昨日の4月30日、4月のふりかえりNoteTime♡を開催しましたー!体調崩したり、落ち込んでいたりと、いろんなことがあった私の4月。いつもであれば、毎月1日に書く「今月の予定に先に感謝」が叶ったかな、の確認と、「もっとこうしたいなー」の確認ぐらいなのですが、今月はいつも以上に丁寧に自分をみていきたいと思い、改めてノートに書いていくと、💎今までのパターンを手放したい、手放そうとしていること💎カラダがしっかりと反応してくれたこと💎発信できてなかったように
思い返すと針生検の結果を待つ間はクリニックの先生に「やっぱりがんでしょうか。」的なメールを送ったりしました。結果が出なきゃ先生もなんとも言えませんよね。でもいても立ってもいられなくて。変に期待をもたせずに「改めて画像確認したけどがんだと思ってくれたほうがいい。」と返信をもらってました。いま、改めて診療費請求明細を見ると「悪性腫瘍特異物質治療管理料」って載ってる先生は確信してたんだな2020.5.19事務職の私は仕事中スマホはロッカーに保管しています。しかし、日々仕事をこなしながら頭の隅
はじめての抗がん剤を終えてバスで帰宅したわけですが、時間はかかりましたが、体調に変化はなく、家でテレビを見て夕飯を作り寝ました。翌朝はだるいなー。とは感じましたが特に何もなく1日家で安静にしていました翌日は「絶対来てね」と言われていた注射。早く寝よう。と思ってベッドに入りましたが全然眠れない。単身赴任の夫とはお互いの生存確認のために今も毎朝電話をしているのですが、結局起床時間の5時30分まで一睡もできなかった。流石にマズイ。なんとか3時間だけ眠って10時頃家を出て病院にいきました。
乳腺クリニックの予約を取った数日前、「あれしこり大きくなってる気がする。」と、気がついた。毎年夏のボーナス前に乳がん検診をしていました。(数年前に良性のしこりが見つかり針生検をして経過観察ということで厳密に言えば保険診療をしていただいていました。)「良性といえど大きくなってきたら手術もあるよ」と、クリニックの先生が言ってたな。しこりのことはあまり気に留めずにのほほんと、クリニックへ向かう。私「右のしこり大きくなってます」先生「しこり…良性のしこりは左だよ」私「」先生「良性の次見つ
家からバスで行ける大学病院で、治療を受けることになった私は、この大学病院は2回目でした。一度目は夫が怪我をして救急のお世話になりました。あのときは救急外来と後日精算で少し入っただけですが「この大学病院スゴ」と、施設の充実に驚きました。母の通った大学病院しか知らなかったので「きれいー」という印象でした。いつもの通勤バスで病院に向かう。知った顔ばかりなので私が降りると踏んで目の前で待機してる人がいました。「今日は会社じゃないんだ…」と、申し訳なくなりました。バスを降りてからの道順は予習
はじめての入院の記念すべき初食事。(一口食べたところで慌てて写真撮りました)ふりかえりではもう退院して兄の死も発覚したところまで行ってしまいましたが、手術後のトラブルがあったのを記し忘れていました。床擦れ。これには驚きました。いまもくっきりと跡が残っています手術のあと、予想外に腋窩リンパの郭清が施されたと知ってから不自由な体に戸惑っていました。病室に戻って自分のベッドが、手術当日朝の、着圧の靴下を履いたりするのに、少し角度をあげた状態のままでした。でも手術後そのまま眠り、翌朝~同じ
この日は赴任先から一時帰省してる夫の希望で、主治医の先生と、面談を。主治医の診察の後、私は遺伝子の検査について遺伝カウンセラーの先生とおはなしを。検査は保険がきく(両親共にがん、母が卵巣がんで、乳がんに罹患した年齢が比較的若いということらしい)が、この遺伝カウンセラーの先生とのお話は実費になると主治医から聞いていました夫は、私がそこまで頭まわらなかったことや、当事者として検索魔と化していた私が持っていたにわか知識の説明じゃなく専門家としての先生からちゃんと話を聞きたい。と、積極的に質問してい
上司には「病院寄ってから出社します。」と伝え半休を取りました。まだ、相談するには材料が少なすぎる。クリニックに到着すると、すぐに診察室に通された。「やっぱりねー悪いものだったわ。2センチくらいかなー。ちょっと位置が悪いんだよね。全摘になるかもしれないし、術前抗がん剤で小さくなれば部分切除でいけるかも。ルミナルBでHER2陰性。」一気に捲し立てられて動揺する間もなかった。「すぐ大学病院いくコロナ落ち着いてからにする」なんて言われて「そんなのんびりでいいんですか…去年の検診でなかったのに1年
初めての入院になります。前日に唾液を提出して入院手続きの時にコロナかどうかの結果がわかるとのことでした。朝、スーツケースを転がして夫とタクシーを待ちました。当時自粛ムードで「旅行かよ。」と通勤の方達からの視線を感じた気がしました。出た被害妄想乗ったタクシーが、まさかの東京の道に詳しくない新人の方の車で、「あれ?こっち曲がっちゃうの?」って感じで、いよいよ時間がまずいということで、夫が裏道を教えていました。約束の時間の5分前くらいに着いてなんとか手続き開始。コロナは陰性。部屋の希望は
月曜に抗がん剤をして、水曜にジーラスタ。どちらも打ったその日はなんの変化もなかったのですが翌朝、からだがズーンと重く動くのが億劫でした。初回のジーラスタは特に熱が出たりはしなかったのですが、初めてこれが腰痛か。。。と実感しました。何してても痛い。処方してもらったボルタレンがあってよかったですそれでも起き上がるのとかよっこいしょでしたがそして家にこもっていたので近くのスーパーへ行くのも疲れてました。でも一人暮らしなので、買い物に行かないといけなくて休み休み歩きました。そして次の抗がん
2020.5.20の続きクリニックで告知を受けて、紹介状を受取り帰宅してから、会社にがんがみつかったこと明日も検査が入ったのでお休みする旨を電話してから、落ち着いてソファに腰掛ける。ショックなのに冷静で、お昼買ってくればよかった。と、一番に思ったのは私らしいというか。夫、もちろん仕事中。(タイムラインを見ると針生検をした翌週、心配して帰省してくれていた形跡があった。私の記憶では告知後の土日に2ヶ月ぶり帰省してきたと思っていました。二週連続帰省してきてくれてたんだな。)「やっぱりがんだっ
この日は会社を休んでPET検査に行きました。初めて大学病院に行った日に数々のサインをしてPET検査の承諾書もサイン済みでした。もちろんやるしかないので全部サインしましたが。食事の制限や持ち込めないものなど話を聞けば聞くほど初めての検査でもあるので怖さが増しました。検査室は地下にあり、エレベーターを降りたら受付階や行ったことのあるフロアとは違ってシンと静まり返っていて緊張した覚えがあります。(後に検査や放射線で毎日通ったので最初だけでしたが。)進むとさらに扉。自動ドアを入るとスマホが繋