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夜、寛いでいたら友人のYさんから動画が送られて来ました。この動画がいつもタイムリーで、ご無沙汰している友達に転送する時、近況伺いを添えて送ると喜ばれます。もしかして「えっ、なまちゃんからまた来たよ」と思っている人がいたら、申し訳ないけど今夜の動画は、明日のよい時間を見計らって転送するつもりだけど、すごく素敵な内容なので、皆さんにもシェアしたくなりました。「もう知ってるよ」という方は華麗
4月20日の夜。4週間ぶりに母との話が弾み、僅かな惣菜とビールの後のお茶で、遅くまで喋っていた。3月は短い睡眠時間と疲れで、帰宅してから風邪を引き込み長い間困ったから、今回は早めに布団に入った。秘境の夜は寒い。敷布団2枚、毛布2枚、掛布団を掛けて潜り込んだら、そのまま深い眠りに落ちたようだ。翌朝、いつもならまりんのことが気になって、早くから目が覚めるのに、
電車を乗り継ぎ西へ西へ、昭子の姉とその娘の爽子は車窓の景色を見るでもなく、思い出話に長い旅を忘れていた。「お盆に、昭子姉ちゃんと安来節を踊ったよね。私は初めてだったけど、みんな大喜びしてくれて嬉しかったよ」「あれは面白かったねえ。昭子は朗らかだから、いつも人を笑わせようとしていたよ」「それから、チームを作って風船バレーをした時、他に強いチームがいたのに、昭子姉ちゃん
4月20日(土)午前11時。ふるさとの町で6年ぶりに同窓会に参加してきました。今回は毎年開いていた有志会ではなく、全体会だったので、集うメンバーは10年以上会ってない人も多く、会う人会う人、思わず笑顔がこぼれます。中には「えっ?誰だっけ?」と本気で首をひねってもわからない人もあり、過ぎて来た歳月の長さを思いました。昨年、幹事を卒業したので、今回は7人の幹事さんにお世話になりました。席を決める
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。楽しかった思い出も、後半になると辛いことばかりで、綴った夜は昭子姉ちゃんの夢を見ました。でも、叔母がこの世に生を受けて、天性の才能や明朗な気質を生かしながら、精一杯生きたことを残したかったのです。伴侶には、ある意味で恵まれなかったけど、その分を子ども達がしっかりフォローしてくれました。今ごろ、叔母は祖父母や伯父、5年後に亡くなっ
昭子を襲ったとんでもない災害とは、広島県の高台を押し流した大水害だった。元々、平地の少ない広島市は山を切り開いて造成し、どんどん家を建てていた。昭子の家は旧くからの家で、新興住宅ではなかったが、何日も降り続いた雨は濁流となり、何軒もの家を飲み込んで山崩れを起こした。昭子の家からすぐ近くの家も、住民ごと押し流し生死すらわからない。ライフラインは途切れ、何とか押し流されずに済ん