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三月まで無彩色だった秘境も、五月が近くなると若草色に包まれます。今まで寒さに抑えられていた草や木の芽が一斉に伸びて開きます。桜はもう終わりました。この前帰った時は、大手毬の花が黄緑色の塊になり、最高の時を迎えようとしていました。ポポーも濃い茶色の花を咲かせていることでしょう今夜は出張を済ませて、母と弟の待つ実家に帰ります。明日協力して出来る作業の相談をするつもりです。帰って来たら、ゆっくり秘
✳️弟のMくんが買って来た観音桜秘境の実家2日目。予定では、弟が買って来た観音桜を葡萄畑の空き地に植えるはずだったが、あいにく雨になってしまった。まだ雨が霧雨くらいの時に、溜まりに溜まったゴミを畑の定位置で燃やす。公害だの何だの言われても、日に日に溜まるゴミの収集は皆無だし、自分で片付けるしかない。畑は昔鶏小屋があった隣でかなりの傾斜があり、脚の弱った母が転んだら下の崖まで落ちる可能性がある
4月20日の夜。4週間ぶりに母との話が弾み、僅かな惣菜とビールの後のお茶で、遅くまで喋っていた。3月は短い睡眠時間と疲れで、帰宅してから風邪を引き込み長い間困ったから、今回は早めに布団に入った。秘境の夜は寒い。敷布団2枚、毛布2枚、掛布団を掛けて潜り込んだら、そのまま深い眠りに落ちたようだ。翌朝、いつもならまりんのことが気になって、早くから目が覚めるのに、
4月20日(土)午前11時。ふるさとの町で6年ぶりに同窓会に参加してきました。今回は毎年開いていた有志会ではなく、全体会だったので、集うメンバーは10年以上会ってない人も多く、会う人会う人、思わず笑顔がこぼれます。中には「えっ?誰だっけ?」と本気で首をひねってもわからない人もあり、過ぎて来た歳月の長さを思いました。昨年、幹事を卒業したので、今回は7人の幹事さんにお世話になりました。席を決める
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。楽しかった思い出も、後半になると辛いことばかりで、綴った夜は昭子姉ちゃんの夢を見ました。でも、叔母がこの世に生を受けて、天性の才能や明朗な気質を生かしながら、精一杯生きたことを残したかったのです。伴侶には、ある意味で恵まれなかったけど、その分を子ども達がしっかりフォローしてくれました。今ごろ、叔母は祖父母や伯父、5年後に亡くなっ
電車を乗り継ぎ西へ西へ、昭子の姉とその娘の爽子は車窓の景色を見るでもなく、思い出話に長い旅を忘れていた。「お盆に、昭子姉ちゃんと安来節を踊ったよね。私は初めてだったけど、みんな大喜びしてくれて嬉しかったよ」「あれは面白かったねえ。昭子は朗らかだから、いつも人を笑わせようとしていたよ」「それから、チームを作って風船バレーをした時、他に強いチームがいたのに、昭子姉ちゃん
昭子を襲ったとんでもない災害とは、広島県の高台を押し流した大水害だった。元々、平地の少ない広島市は山を切り開いて造成し、どんどん家を建てていた。昭子の家は旧くからの家で、新興住宅ではなかったが、何日も降り続いた雨は濁流となり、何軒もの家を飲み込んで山崩れを起こした。昭子の家からすぐ近くの家も、住民ごと押し流し生死すらわからない。ライフラインは途切れ、何とか押し流されずに済ん
✳️数日前に撮した八重桜駐車場に咲いています今日は、6年ぶりに故郷で同窓会が開かれるので、参加してきます30年以上前に、市内に住むクラスメートと3人で幹事を引き受け、全体の集いと有志に依る集いを十数回開いて来ました。特に最近では、有志会を毎年秋に開催し、それが当たり前になっていたのに、6年前の西日本豪雨から、台風、コロナに阻まれ続けて、こんなに間隔が空いてしまいました。
2014年6月。秘境はお茶摘みの日を迎えていた。たった1日で全ての新茶を刈り取り、布袋に詰めてお茶の加工場に持って行く。この作業に必要なのは、大ベテランよりむしろ人数である。昭子も遠くから、軽トラックに乗って手伝いに駆け付けた。刈り取られた茶葉をコンテナに入れて、手際よく軽トラに積み納屋の前の青いテントに広げる。いつものように昭子も張り切って動いていたが、どことなく怠そうに見える。「いつ
昭子の毎日は、とんでもなく忙しく、人の何倍も働いている間に過ぎて行く。昭子を認めて、ずっと協力してくれた舅と姑も高齢になり、それぞれ旅立っていった。昭子に苦労を掛け通しだった夫の忍は、大量の飲酒が祟ったのか、57歳の時すい臓がんで世を去った。奔放な性格のように見えたが、実は気が小さく、昭子を心の底から大切に思っていた。ある時、実家に泊まりに行った昭子が帰る時間になっても到着しない。
十年前に旅経った叔母昭子姉ちゃんのことを綴っていますが、今日はもう1人の叔母(父の妹)のことを書きます。4月2日、92歳の叔母はデイサービスで卓球をしていて転び、頭を打って救急搬送されました。幸い頭は何ともなかったのに、腰椎圧迫骨折で2週間の入院を余儀なくされました。何しろ高齢だから、入院をきっかけに気力体力が落ちてしまわないか、心配していたところ、今日「無事に退院したよ
昭子は、夫の忍には金銭的に相当の苦労を強いられた。それでも、明るく頑張れたのは5人の子ども達がそれぞれに母を慕い、勉学に励んだことが大きい。長男は高校を卒業すると、都会に就職したが、次男、三男、長女は奨学金を得て、市内の公立大学に進学した。昭子はますます頑張り、殆んど休む暇のない生活が続いた。もともと面倒見のいい性格なので、近所付き合いも怠らず「アキちゃん、アキちゃん」と誰かが家
昭子が嫁いだ○下家は、舅姑が農業を営み、夫の忍は左官として働いていた。慣れない家事を手伝いながら、昭子はそのまま事務員として△△学園に勤務した。幸いだったのは、姑が思いやり深い性質で「アキちゃん、無理をしないようにね」と何かと労ってくれたことだ。いわゆる嫁と姑の葛藤はなく、昭子は2人を本当の両親のように慕い、尽くすのだった。やがて、昭子は第一子を妊娠し、産休に入る頃学園を退職した。順風満帆で何
✳️応援してくださり、ありがとうございます。叔母が過ごして来た日々を追体験していると、どんなに過酷だったかが思われ、切なくなります。その頃、母も可愛い妹を励ます手紙を頻繁に出しています。電話もない時代、手紙だけが叔母の心の拠り所だったことでしょう。〈結婚の決意〉△△学園で事務員として働いていた昭子にとって、結婚までの数
✳️流石に懐かしい写真は、もうありませんなぜ、我が家に写真があるかと言うと、昭子姉ちゃんとずっと文通していたからです。姉のいない私にとって、年若き叔母は姉以上の存在でした。〈昭子の青春〉親元を離れて、遠い街での慣れない生活。ひ弱な精神の持ち主なら、音をあげたかも知れない。けれども、昭子は類い稀な強靭な精神の持ち主だったから決して弱音を吐か
またしても、古い古い写真。昭子姉ちゃん、二十歳くらいかな?結婚前のスナップだと思います。〈高校生と小間使い〉「昭子を何とか高校に行かせてやりたい。でも、とてもその費用を出してはやれないし…」昭子の母親は寝ても覚めても、その思いが頭から離れない。大きな荷物を背負って歩いていたら、ばったり思いがけない人に出逢った。「こんにちは。お変わりないですか?」親しく声を掛けてきたのは、その地域
古い古い写真です。「懐かしの写真」というタイトルで、私の着物姿をアップしたとき、同じアルバムに貼られていたのです。私にとって、忘れられない叔母、母とは11歳違いの昭子姉ちゃん。今からちょうど10年前、病を得て旅立ちました。叔母と呼んだことは一度もなくて、私の中ではずっと「お姉ちゃん」なのです。今日はそんな叔母の生い立ちを綴ってみようと思います。才気煥発、破天荒で誰から
青空に映える桜をどうしても撮りたくて、午後からウォーキングに出掛けた。今朝の気温は1℃までしか上がらず、日中も風があるとかなり寒い。それでも、目的の場所まで、ひたすらてくてく歩く。この場所は用水沿いに、まだ若い桜の木がずらりと並んでいて、旭川のさくらみちに較べると開花がほんの少し遅いようだ。桜は老木になるほど、開花が早くなると聞いたことがある。咲き急ぐのだろうか?
春はいいなあ🎵花の写真に事欠かないから、嬉しくなる。先週末のこと。弟達は2人とも秘境に帰って、しっかり働いて来た。上の弟のYくんは、三月末に帰った時雨に降られて、畑を管理機で引けなかったのが気になり、そのために帰り、Mくんは何か労働があればと帰ったのだ。予報では、日曜日は雨になるはずだったのだが、思いがけずポカポカ陽気に見舞われた。「今日は何をしたらいいかな?」そこで、母は
二月に10年以上ぶりに、バスに乗り眼科通院しました。電車もそのくらい乗ってないですね。普段は、どこに行くのも徒歩か車なので、バス通院は新鮮でした。一番寒い時期だったので、待っている間は時間をつぶすというより、バスの来る方向をひたすら見つめ「まだかな?まだかな?」と待っていました。乗る時間も10分足らずなので「あっ、もう着いたんだ」と大急ぎで降りて行くだけで、特に変わったことも起きないま
▷青空を恋ふて叶はぬ花曇季語……花曇……春▷人あまた胴吹き桜接写せり季語……桜……春日曜日の午後は、お花見日和と言うには曇っていて残念もしかしたら、昨日の方が人出は多かったのかも知れない。それでも、幾ら歩いても暑くなく、寒くないのは心底ありがたかった。何処まで行っても、人が途絶えることなくお花見気分を堪能出来た。でも、中途半端な時間に出掛けたので、外食もしないで、てくてく歩いて
✳️またしても、昨年の桜です明日は、予定がないから足を伸ばして来なくっちゃ▷花冷えや夫の記憶のかけ違ひ季語……花冷え……春お昼過ぎ、買い物に出掛けたら、いつの間にか桜が満開になっている。雨で縮こまっていた蕾が、この2日程の暖かさで一斉に開いたのだろう。昨日の電話で、母もデイサービスの建物の前の満開の桜でお花見をしたと嬉しそうに話していた。遠くまで出掛けなくても
✳️この画像は、昨年3月31日のもの暖かい日で絶好のお花見日和だった▷三分咲き春の予定を書き直し季語……春二月の異常な暖かさで、桜の開花は3月27日頃と予想されていた。どっこい、三月の冷え込み(秘境には何度も積雪)で、開花は大幅に遅れ、やっと三分咲きといったところか。お花見はいつ行こう?昨年のように歩いて出掛け、ゆっくり見て回り、帰りにお弁当を買うか、何か食べて帰るのがいいな。
嗅覚とは不思議な感覚だ。人間の持つ五感の中でも、喪ったことにすぐには気付かない。視覚、聴覚、味覚、触覚を喪えば、一瞬にして気付く。ところが、嗅覚は余程の事がない限り、すぐには気付かない←私だけ?風邪の症状が治まり「何かをやろう」という意欲が湧いて来たので、弟のYくんにもらった八朔をマーマレードにすることにした。4つで鍋いっぱいになる八朔を手順通り、煮たり、刻んだり、搾ったりしていてふと、大きな❓
▷春驟雨受話器の声を止めて聞く季語……春驟雨……春今日は1日よく降った特に、夜になって電話で母と話していると、窓の外の音が響いて来る。相当な雨量だ。大雨警報が出るくらいだもの。1日中雨だったので、母は自分の従妹と姪のみえちゃんに手紙を書いたそうだ。「○子はいつも絵手紙をくれるけど、返事を書けなくてごめんね」「いいよ、いいよ。私には書かなくていいから、義理のある人に出して
春の夜「今日も何事もなかったなあ」のんびり過ごしていたら母から電話。「しんどいんだから、メールも電話も無理してしなくていいよ」これは、母の建前。本当は1日に1度は娘の声を聞きたいのだ。ただ、今は風邪の後遺症でガラガラ蛇も跳んで逃げるような酷い声だ「もしもし、今は大丈夫?」「大丈夫よ。何かあったの?」すると、母はびっくりするような話を始めた。「○○原の叔母さん
たんぽぽさんの巧みでわかりやすい書評を読んだ時から、眼が治ったら絶対この本を読みたいと思って、ずっと待っていました。ジャストタイミングで届きましたよ内容は是非たんぽぽさんの記事を読んでくださいね。「たんぽぽさん、ありがとう❤️」それでは、なまちゃんなりの感想を今までエッセイ本は、結構似たり寄ったりだなあと思っていたら、いきなりガンとぶん殴られたようなショック内容もさることながら、著
▷三月尽くすんで見ゆる頬の色季語……三月尽……春5日ぶりに外に出た。目映いほどの春の日差し。風邪で閉じ籠っている間に、外界は冬の殻を脱ぎ捨てて春のヴェールに包まれている。毎年、楽しませてくれる雪柳や小さな黄水仙が満開だ。「ちょ、ちょっと待ってよ❗️まだ、心の準備が・・・」なんて焦っても、容赦なく春色に塗り替えて行く。籠城していたら、食料品が次々と乏しく
✳️ポストの隣の薺(なずな)種もいっぱいついています。やっと、我が家から風邪の黒雲が去っていきました。完全復調はもう少し掛かるかも知れないけど、取り敢えずゼーゼー、コンコンはなくなりました。何より復調がわかるのは口数が増えたこと。しんどい時は、必要なことさえ言いたくなくて、あまりの静けさにまりんがキョトンとしていたくらい。それがひとたび元気になる
▷リクエストされしスープよ春の夕季語……春の夕……春今日は「春の風邪③」をアップしようと思ったけど「しつこい❗️」と嫌われそうなので止めました。風邪菌の伝染力はすごいですね。なまちゃんの風邪が家人にうつってしまいました。熱は37℃台だけど、身体中が痛くて今夜は早々に寝てしまいました。夕食はどうしよう?食欲もないし、作るのは面倒だしと悩んでいたら、家人から「ポタージュスープを作ってく