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今日は。更新するのが、遅くなりました。(いつものことですね。(笑))実は風邪気味の中で、2度目の定年退職を迎えたための処理があったりして、時間が取れませんでした。ここら辺も、次回の「つれづれに」あたりで触れられたらと考えています。その中、SAMURAIブルーは第二戦のチュニジア戦で勝て点3をあげましたが、僕は結果しかわからない状況です。さて、今回は前回の「なかにし礼1」(リンク)の続きです。<なかにし礼2四種類の訳詞パターン作詞家列伝(日本)Part11:翻訳作詞家
菅原洋一さんが亡くなった。何もない六月が始まったとたん、昭和の作詞家に続いて昭和のシンガーが天寿をまっとうした。残念なことだけれど、人である以上当然のことで、拍手をもって送りたい。この人も橋本淳さんと同じ1960年代から70年代にかけて、光彩をはなったシンガーである。昔はめずらしくなかったクラシック出身の歌手で、レコードデビューしたのも30歳になる直前という苦労人。ビジュアルだって?決してイケメンではない。でもその顔はどこか愛嬌があって優しさがあって多くの人たちに好かれる顔であり、
もう亡くなられてから何年も経ってしまったが、なかにし礼氏には、すぐに反応してしまう。このお方の、一本芯が貫かれた精神が好きである。以前、録画した「SWICHインタビュー」で、ポケモンGOの開発者であるゲームディレクターの野村達雄氏と、なかにし礼氏の対談があった。ここでの会話でふたりには共通点があった。野村氏の祖母は、中国残留孤児であるそうだ。戦争に負けてソ連が満州に侵攻して、その地に住んでいた日本人何万人が、一夜にして難民となった。祖母は中国人の両