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今年のインターハイにおいて、決勝戦を5-0で圧勝するという歴史的な優勝を遂げ、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの冨田隆幸監督。剣キチは、その冨田監督にどうしてもお会いして話を聞きたくなった。ありがたいことに、福岡の芝恭介先生(前福翔監督)から冨田監督をご紹介いただいた。しかし、果たして私(剣キチ)など相手にしてくれるのだろうかと不安もあったが、思い切って冨田監督に連絡をとってみたのである。こうなるとほとんどデートの申し込みのような感じで、胸が高鳴る自分がなんだか可笑しかった(笑)。20
高校剣士にとってインターハイは最終目標である。ここに向けて厳しい稽古で究極まで鍛え上げていく。ところが不運にも地元都道府県に1校でも強豪校があれば、出場の夢を断たれてしまう。インターハイ出場校が各都道府県、平等に1校というのがそもそも理不尽だ。国政選挙であれば明らかな憲法違反である。1票の重みというものがあるはず。まあ、そんなことを言い出すときりがないので止めておこう。不運にもIH予選で敗退を余儀なくされたチームにとって、夏の玉竜旗大会は最後の晴れ舞台となる。毎年500校以上
2006年夏「えー?マジかよ!!」そんな声が聞こえてきそうな、06年インハイ団体戦の組み合わせが発表された。運命の悪戯は、優勝候補たちに、残酷なまでに厳しい試練を突きつけた。2003全中の衝撃から3年。史上最強の学年と評された「怪物」たちはさらなる進化を遂げ、いよいよ決戦の地、京都を目指した。ちなみに、剣道日本は、彼らのことを「数年に一度の才能がこぞって同じ年に生を受け」と表現し、2006年京都インターハイに、「超高校級の衝撃(インパクト)」という見出しをつけた。団体戦
関東高校剣道大会決勝戦水戸葵陵vs日本航空葵陵2(2)-1(1)のリードで迎えた副将戦岩部vs比留川岩部のどっしり構えはどうだ。高校2年生の貫録ではない。寒川・岩部と構えも姿勢も美しい。岩部が勝利すればその瞬間に優勝が決まる。岩部の試合が始まったところで、君島監督が、準備運動をしながら次の出番を待つ寒川を呼んだ。そして寒川の耳元で何か囁く。剣キチ「あの時、寒川君になんて言ったんですか?」君島「ああ、あれは『自分の勝負をしてこい!』って言ったんです」なるほど。かなり哲学
今でこそ全国にその名を轟かせる東京・東松館。今から22年前の1991年夏。日本武道館で中学生の頂点に立ったのが東松館の藤田和幸だった。団体戦は栃木の練兵館が空前絶後の5連覇を達成した年である。「東松館ってどこだ?」そんな声が聞こえてきた。その藤田と共に東松館で活躍していたのが米屋勇一だった。米屋はその年、初めて開催された全中の個人戦で3位入賞を果たした。最強のツートップを擁する東松館が鮮烈メジャーデビューを果たした記念すべき年だった。その翌年、剣道の神様は東松館創始者の孫で、
興梠舞は、中・高・大で個人日本一に4回輝いている。まずはその4大会のスコアを見てほしい。試合結果を並べてみると、ある驚くべき事実に気付く。いや「驚くべき」などという凡庸な言葉ではとても表現できない。私は、鳥肌が立った。1995年全国中学校剣道大会(優勝:興梠舞・宮崎/東海中学2年)個人戦2回戦興梠舞ドメ-中村育美(山口/島田中3年)3回戦興梠舞メ-中村美紀(東京成徳中3年)4回戦興梠舞メ-渡部麻衣子(秋田/湯沢北中3年)準々
2003年8月19日澄んだ空気に秋の到来を感じさせるここ、北海道北見市では、中学生たちの熱い熱い戦いが繰り広げられていた。怪物中学生たちによる、注目の団体戦だ。優勝候補筆頭は九州学院中(熊本)。九州学院は、昨年の全中で前田智博・西崎功祐・清水英介という3人の2年生の活躍で優勝。今年はこの3人を中心に、さらにチーム力を上げ2連覇を狙ってきている、最有力チームだ。もう一つの有力候補は、九州大会優勝の神埼中(佐賀)。昨年の全中では、準決勝で九州学院に惜しくも代表者戦で敗れて3
今日はちょっと趣向を変えて。少年時代に見た、忘れられないモンスター中学1年生の話である。小6でヒーロー、中1で挫折。よくあるパターンである。小学生で実績を作り、「強い」ともてはやされた選手に限って、中学に入って自分の剣道が通じない現実を知り、一旦は谷底に突き落とされる。中1と中3とでは、そもそも体のつくりも違うし、剣道が違ってくる。特に、今回特集した2003年の全中などは、パワー・スピードともに中学生のそれではなく、間違いなく高校生のレベルであった。このようなパワー剣道に中1が入
甲斐は、これだ!と閃いた。「その話、俺に考えさせてくれ」と言って「高輪学園」と書かれた名刺を譲り受けると矢野博志監督のもとへ走った。監督の了解をもらった後に、大野操一郎氏(範士九段)にも報告に行くと、大野自ら筆を執り、推薦状を書いてくれたのだった。その推薦書が効いたのか、甲斐の将来性を見抜いたのか、最初は非常勤講師として採用するはずだった枠であるが、甲斐修二は高輪学園の専任として採用された。運命とは不思議なものである。たった一つ歯車が違っただけで、違った未来が待っている。
この記事は、出版した本の原稿に、当時の他校の様子なども加えて再編集しています。[第31話]「日本一に向けて着々と」2013年。いよいよ高輪にとって、そして東京都にとって勝負の年度がやってきた。秋には東京国体を控えていた。1959年以来44年ぶりに国体が東京へ戻ってくる。少年男子の東京強化選手として高輪の5名をはじめ、十数名の候補者が指名され、練成会や練習試合などを通して、強化と絞り込みが行われていった。高輪の目標は、もちろんインターハイ優勝、そして例年にない国体優勝とい
五射六科の続きを書きたいと思います。前回は射術の種類http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/39582962.html五射六科http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/39682524.html巻藁前http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/39877822.htmlまで紹介しました●小的前とは巻藁により行われる基本通りの射術を錬磨修行して中・貫・久を実際に学ぶもので
2016年12月某日、新宿。待ち合わせの時間よりも10分早く行くと、すでに2人は待っていた。「おっ、早いね」「あっ、剣キチさん、こんばんは。今日はお招きいただきありがとうございます」スーツ姿に身をまとったやや緊張気味の2人が礼儀正しく元気に迎えてくれた。なんと清々しい好青年なのだろう。「乾杯!!」まずは冷えた生ビールで喉を潤し、楽しくエキサイティングな話が始まった。ああ、今宵は楽しい夜になりそうだ。この日に来てくれたのは、早稲田大学剣道部4年小林直道前主将と
■華麗にツキまくった男[2010年インターハイ]今回は、このインターハイで、注目に値するある選手を紹介したい。長崎・西陵高校の開達志だ。開は、昨年の春の選抜大会優勝チームのメンバーである。昨年3月、1年生3人の若いチームで春の全国選抜優勝を果たした西陵は、その後大きな期待を背負うことになる。ところが、宿敵・島原にことごとく阻まれ、全国大会に出場することすらできない状況が続いた。「日本一のメンバーが3人(松尾大樹・開達志・清浦慶彦)も残っているの
■関東学生優勝大会を振り返る(4)決勝中大vs国士舘次鋒戦中大・佐藤大洋(3年・桐光学園出身)に対するは井手勝也(4年・福岡第一出身)。井手は高森中の大将として全中団体優勝、さらにインターハイでは個人チャンピオンとなるなど、少年時代から全国のトップを走り続けてきた選手。井手の強さを物語るこんなエピソードがある。2012年、史上最高の勝率でぶっちぎりのIH優勝を飾った桐蔭学園だったが、決勝の福岡第一戦の前に、冨田監督が「間違っても大将戦にはするな、井手と勝負となったら駄目
ご無沙汰しています。さまざまな心温まるコメントも頂戴しありがとうございます。全日本学生剣道優勝大会や全日本選手権の興奮を伝えられずにいますが、書くとしてももう少し時間がかかりそうです。あと2回となった高輪の続きを掲載します。-------------------------------------------------------------------------------------------[第42話]高輪オールスターズ発表高輪剣道史の集大成。高輪オールスターズ発
1995年鳥取に舞った7人の侍(前編)1995年の鳥取インターハイ個人戦は、強豪選手がひしめく、実に見ごたえのある屈指の大会となった。今日は前編として、見るものをこれほどまでにワクワクさせたこの大会の登場人物を振り返り、次回にその結果を記すこととする。では、前評判の高かった7人の侍を簡単に紹介していこう。〔1人目の侍〕1995年7月15日水戸短大附属水戸(現水戸葵陵)高校3年の平岡右照は剣道具を担ぎ、水戸から九州に単身で武者修行に乗り込んだ。九州産業大九州高校、鎮西高校、そし
ついに怪物石田と江島が激突!2003年8月全国中学生選抜剣道大会個人戦○個人戦の最大の注目は、なんと言っても3年連続出場の石田雄二(東村山六中)である。○その石田に昨年の全中で土をつけてベスト16に食い込んだ野口賢吾(山形大付属中)。○道連の全国大会で昨年準優勝の遅野井直樹(茨城・明光中)。○道連の全国大会小学生優勝チームの大将だった、直井翔太朗(千葉・茂原東中)。○九州からは、団体優勝候補で神埼中を引っ張る江島千陽。○また、屈指の剣道センスを持つ長曽我部結貴(宮崎・大王谷中)
5月に行われた女子個人総合の決勝。水鳥体操館の井上和佳奈選手の跳馬と段違い平行棒と平均台とゆかです。
2017関東学生剣道選手権大会をうらなう(3)とんでもなく長くなってしまった。普段の2倍の量はゆうにある。今までの記事の中で最高記録だと思う。47人を紹介するのはしんどかった(苦笑)読まれる方は興味のあるところだけ読んでいただければと思います。それと、そうとうな走り書きのため、乱筆乱文をどうかご容赦ください。■第3ブロック(左)この山には超大物選手が2人。ともに勝ち上がれば全日本出場を賭けた4回戦で激突するという、酷い位置づけだ。その2人とは、宮本敬太(国士舘大4年)と山田凌
【第34話】開催地東京の威信をかけて2013年東京国体に向けた選手選抜のサバイバルゲームは、佐々木たちが中1の時から既に始まっていた。東京都中体連では、東京国体(平成25年)に高3となる選手候補20名を選出し高体連に引き継ぐことにしていた。彼らが中1の秋に、第1回強化練習会が開催され、選ばれた中学生50名からスタートした。その後、幾たびとなく練習会、錬成会、試合などを通して、1人また1人とふるいにかけられ、少しずつ落とされていくのだ。佐々木は最初の選抜試合で、5つに分けら
昨年9月1日に行われた全日本インカレの女子2部個人総合決勝。慶應義塾大学の河久保絢選手の段違い平行棒と平均台とゆかです。
21世紀最強の高校(男子)は、ズバリ九州学院だ。これは決して私の主観的・感覚的なものではなく、客観的なデータをもとにした結果である。今回は久々にデータをもとに検証してみた。21世紀に入って9年。①春の選抜②玉竜旗③インターハイ以上を、高校三大大会と位置づけ、この9年間(合計27大会)の入賞状況を高校別に調べてみた。また、1位を3点、2位を2点、3位を1点として合計得点を算出した。驚くことに、九州学院は、過去27回の大会で、優勝7回、2位3回、3位7回と、合計17回の入賞
(前回からの続き)インターハイ準決勝。大将戦。引き分ければ即、九学の負け。この難敵に対し、真田はいったいどうやって戦えばよいというのか。-------------------------------------------ここで島原の上村について、補足説明しなければなるまい。上村は大分県別府の出身。小学生時代からその実力には定評あり。小学校を卒業した上村は、九学と肩を並べる強豪、熊本県の高森中に進学した。上村にとっては、中学時代から「打倒九学」だったわけである。上村が
6月に行われた種目別選手権の女子決勝平均台。朝日生命の野田咲くら選手です。得点は、12.400で6位でした。
■全国高校選抜大会をうらなう(1)高校剣道は分からない。と言いながらも、この3年間、とんでもない猛威をふるって優勝を独占してきた九州学院。これは極めて異常事態だったのだ。本来、高校剣道はどこが優勝するかなんて分からないのである。が、おおよその予想はつく。来たる全国選抜の優勝候補ということに限らず、今年の注目の高校ということで年明けに始めた企画。九州学院と麗澤瑞浪の2校を紹介してきた。何人かから、茨城の選抜予選の前に書き始めたので、書いているうちに水戸葵陵が敗れて原稿を急遽差
[第37話①]最後の戦いへ①-12014年インターハイが終了すると、2年生による新チームが発足した。この2年生たちが実質的に高輪最後の学年である。2015年度いっぱいでの甲斐の定年が決まっているが、それと時を同じくして今の2年生が引退すると、高輪の剣道部は消滅するのだ。いや厳密に言えば中学からの内進生のみの、今とは全く別の剣道部となってしまうのである。甲斐最後の年、高輪最後の年。何としてでも再び日本一を掴みとりたい。高輪剣道部8名は一致団結し、日本一目指して始動した。
■関東学生剣道選手権をふりかえる(1)決勝戦のアナウンスが場内に流れる。「赤、筑波大学筒井雄大選手秋田南高校出身。白、国士舘大学宮本敬太選手水戸葵陵高校出身」この広い武道館で、センターコートの2人だけに注目が集まる。決勝戦に出場した選手ならではの最高の栄誉だろう。正面に礼をしたところで、パーッと眩いばかりに照明が全開になる。会場が「うぉー」と唸り声をあげる。お決まりの演出と反応ではあるが、いよいよ決勝が始まるぞと、見ているだけなのに武者震いを覚えるほど、緊張感が頂
岩根佑馬の異変。それは、彼自身も気づいていないところで起こっていた。岩根は中学時に、九州学院中の名だたる先輩たちが輝ける成績を残したにもかかわらず、自分たちは、あれだけ練習したのに結局は全国へも行けずに終わった。高校に入ってからは、さらに先輩たちの活躍が目覚しい。出る試合出る試合優勝。先輩たちが常勝九学神話を築き上げていた。これを自分たちが、またしてもぶっ壊すのではないだろうか。先輩たちと自分たちの間には、そんなに大きな差があるのだろうか。俺たちはやっぱ弱いのかもしれない。そ
この男の、メンを打つタイミングがまったく読めない。スルスルと間合いに入ったかと思うと、ノーモーションで飛んでくる。村瀬諒は、1993年6月、横浜市に生まれた。1993年と言えば、Jリーグがスタートし、皇太子殿下と雅子様が結婚され、Classの「夏の日の1993」がラジオから流れていた年だ。そう考えると、なんだかついこの前のような気がするのだが、いつのまにか、村瀬は横浜を象徴するランドマークタワーと同じ20歳となっていた。さて、村瀬は小学1年生の時に、神奈川県横浜市の瀬谷区
それは執念の勝利だった。2001年、火の国インターハイ。決勝戦の舞台に立ったのは、地元の大きな声援を受け17年ぶりの優勝を目指す八代東高校と、栃木県予選を一人も落とさずに圧倒的な強さで勝ち抜き、選抜3位時よりも数段実力をつけて本戦に臨んだ鹿沼高校。もちろん両者ともに優勝しか見えていない。鹿沼は、6年前の1995年に、剣道連盟主催の全国少年剣道大会で全国制覇したメンバーが中心。一方の八代東、大将の山本は中学から剣道を始めたという。同じ大将同士の鹿沼・鈴木と八代東の山本、中1の時