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今でこそ全国にその名を轟かせる東京・東松館。今から22年前の1991年夏。日本武道館で中学生の頂点に立ったのが東松館の藤田和幸だった。団体戦は栃木の練兵館が空前絶後の5連覇を達成した年である。「東松館ってどこだ?」そんな声が聞こえてきた。その藤田と共に東松館で活躍していたのが米屋勇一だった。米屋はその年、初めて開催された全中の個人戦で3位入賞を果たした。最強のツートップを擁する東松館が鮮烈メジャーデビューを果たした記念すべき年だった。その翌年、剣道の神様は東松館創始者の孫で、
2010年魁星旗。本当にこれが九州学院の剣道か?と疑ってしまうような、序盤戦のぎこちない動き。準々決勝で大きなヤマを迎えた。選抜優勝の安房と対戦である。この年の安房の強さも半端じゃない。後のIH個人優勝の千葉、3位の大貫、そして不動の大将の佐藤。東の横綱だ。しかし、ここで九学にスイッチが入った。最初に大将が引っ張り出されたのは安房だった。だが流石に安房の佐藤も簡単には転ばない。粘りに粘って、九学の副将の辻を突き放し、大将戦となった。「メーン!」東郷の引きメンが佐藤を
「しかし、なーんにもないところだなあ」当時の筑波は、学術研究に専念するにはこの上ない環境だったが、エネルギーと時間が有り余る普通の大学生にとっては「鍵のかからない監獄」だだっ広い敷地に軟禁されているようなものである。このような状況の中で、普通の学生は何をするか。ゲームやパソコン、ビデオ?そんなものはない。娯楽の少ない時代だ。で、当然の帰結として、学生たちは麻雀をやるのである。あっちでも、こっちでも「ジャラジャラ」と昼夜を問わずその音は止むことを知らない。冨田もご多分に漏れ
この男の、メンを打つタイミングがまったく読めない。スルスルと間合いに入ったかと思うと、ノーモーションで飛んでくる。村瀬諒は、1993年6月、横浜市に生まれた。1993年と言えば、Jリーグがスタートし、皇太子殿下と雅子様が結婚され、Classの「夏の日の1993」がラジオから流れていた年だ。そう考えると、なんだかついこの前のような気がするのだが、いつのまにか、村瀬は横浜を象徴するランドマークタワーと同じ20歳となっていた。さて、村瀬は小学1年生の時に、神奈川県横浜市の瀬谷区
2004年道場連盟夏の全国大会準々決勝小学生日本一を目指す榎本vs東郷「コテ―!」決めたのは東郷だった。榎本雄斗BEST8で敗退。「全国BEST8は大したものじゃないか」と普通思うのだが、雄斗の悔しがり方は尋常じゃなかった。道連の歴史に「榎本」の名をあと一歩というところで残せなかったからだ。雄斗に勝った東郷は、準決勝で西村慶士郎(佐賀・黒津少年剣道クラブ)にメンで敗れた。西村の存在を知らなかった雄斗は上には上がいるものだと思った。しかし、雄斗をさらに震撼させたのは。
【前回からの続き】2011年インターハイ個人戦。茨城代表の山下、高倉両名にとって、高校生活最大の晴れ舞台がやってきた。2人とも目差すは「頂点」これしかない。山下は緒戦こそ、不来方の松沢にメンを奪われる場面があったが、その後は安定した力を見せた。山下のメンは実にいい。スーッといつのまにか間合いに入り、最短距離で繰り出されるメン。高校生のレベルではそう簡単にかわすことができない。1日目結果2回戦○山下メド-メ松沢岬(不来方3年/岩手)3回戦○山下メメ-伊藤千
2014年全日本学生剣道優勝大会(その3)準決勝鹿屋vs筑波筑波の副将・竹ノ内の2本勝ちで、大将の佐藤が1本勝ちなら代表者戦。2本勝ちなら筑波の勝利。筑波応援団に希望の光が差し込んだ。大将戦前田vs佐藤互いにアグレッシブに攻める。引き分けでいい前田だが、引き分けようなどとこれっぽっちも思っていない気迫だ。メンをガンガン打ってくる。互いに惜しいメンが1本ずつ。180cmを超える長身の前田がぐいぐいプレッシャーをかけ、佐藤が反応した瞬間、あっ、飛んだ。メーン!
179センチ、95キロ2005年インターハイ個人戦。彗星のごとく現れた、体のひときわ大きな上段選手が大暴れした。大会前、優勝候補に名が上がったのは、昨年インハイで、高2ながら個人準優勝に輝いた福岡・筑紫丘の平田啓。2年連続インターハイ個人戦出場で昨年はBEST8入りした茨城・土浦日大の雨谷水紀。関東チャンピオンでインハイ団体戦優勝の安房・嶌津貴之。そして、高2だが実力・実績ともに十分な高輪の石田雄二といったところだ。筑紫丘の平田は、小学校から福岡如水館の大将として数々の大会
羽津半兵衛韓国に行く前にオークションで羽津半兵衛の弓を購入しました。オークション三張目の弓です。川邊宗久,正十郎,羽津半兵衛です。川邊もまずまず,正十郎は縄目杢の掘り出し物,・・・に味をしめて三度目です。またryuzoudouさんにお手数をおかけいたしました。有難うございます。写真では多少矧がれが見えましたが,前回の正十郎も膠で直し,成りも元にもどり問題なく使用できたので,まぁ今回も大丈夫だろうと思い落としてもらいました。でも,今回はちょっと大きかったですね。外竹上下の関板,内竹
2014年7月6日に行われた全日本種目別の女子平均台決勝。三菱養和体操スクールの平岩優奈選手です。結果は、13.950で同点1位でした。次回は、男子の平行棒を予定しています。写真撮影を通して、より多くの人に体操競技の美しさ素晴らしさを伝えられたらと願っています。そしてぜひ、それぞれの選手を応援してあげて下さい。
矢の射出角度について質問がありました。何度が一番飛ぶのでしょうか??遠的に関するご質問があったので,私の考えていることを書いてみます。皆さん近的矢と遠的矢でどちらが遠くに飛ぶと思いますか??そりゃ決まっているだろう遠的矢だ!!だから遠的に使うんだ。ところが,ぎっちょん!!そんな単純ではないのです。単純には強い弓で軽い矢を引いた方が遠くに飛ぶような気がします。遠的矢は細く,軽く,羽も小さく作られていますが,2015の太いシャフトの矢が遠くに飛んだという報告もあります。遠的矢で近
入木・出木,入弓・出弓弓が入木弓だから矢は真っ直ぐ飛ぶ,だから捻る必要が無い。と言う人がいますが,嘘です。弓がいくら入木でも,捻らないと矢は真っ直ぐ飛びません。弓を真っ直ぐにした状態で弦が右側にあるのを入木弓と言います,反対に弓を真っ直ぐにした状態で弦が左側にあるのを出木弓と言います。しかし,張り顔の状態で,弦が右に合っても左にあっても,弦を中心に考えると弓が傾けば弦は中心にある事には変わりはありません。弓をフリーにして弦を引っぱってくると,弓が傾くだけで,弦が弓の中心に帰るのは同じで
2003年8月19日澄んだ空気に秋の到来を感じさせるここ、北海道北見市では、中学生たちの熱い熱い戦いが繰り広げられていた。怪物中学生たちによる、注目の団体戦だ。優勝候補筆頭は九州学院中(熊本)。九州学院は、昨年の全中で前田智博・西崎功祐・清水英介という3人の2年生の活躍で優勝。今年はこの3人を中心に、さらにチーム力を上げ2連覇を狙ってきている、最有力チームだ。もう一つの有力候補は、九州大会優勝の神埼中(佐賀)。昨年の全中では、準決勝で九州学院に惜しくも代表者戦で敗れて3
さあ、いよいよだ。玉竜旗の組み合わせは、シード校をしっかりと設定しているから、極めて妥当と言うか安心できる。「何が安心だ!」と言われそうだけど、少なくともベスト4に残ると思われる実力校がすぐそばにいるということはない。間違っても、選抜優勝の九州学院と、準優勝の水戸葵陵が初戦で当たるなどという、天地がひっくり返るようなことはない(苦笑)抜き勝負である玉竜旗で優勝する高校の条件は、なんと言っても絶対的な大将の存在。ここ10年の優勝校と大将を見てみよう。2012年島原渡
(前回からの続き)インターハイ準決勝。大将戦。引き分ければ即、九学の負け。この難敵に対し、真田はいったいどうやって戦えばよいというのか。-------------------------------------------ここで島原の上村について、補足説明しなければなるまい。上村は大分県別府の出身。小学生時代からその実力には定評あり。小学校を卒業した上村は、九学と肩を並べる強豪、熊本県の高森中に進学した。上村にとっては、中学時代から「打倒九学」だったわけである。上村が
ついに来週木曜日に迫った2016年全日本剣道選手権大会。今か今かと待ちに待った剣道のメインイベントである。今大会の注目選手。これは、ほぼ皆さんの意見が一致するところだろう。実は先日、剣道時代の小林編集長と全日本選手権の優勝候補について日本酒を片手に、侃々諤々やる機会があった。剣道時代の今月号(12月号)10ページに掲載されている9名の写真。西村、勝見、正代、畠中、野田、安藤、土谷、東永、真田である。これは小林編集長自ら選んだ優勝候補+注目選手だそうだ。これには私もほぼ同意
明日はいよいよ全日本学生選手権大会だ。頭の中にあることを簡潔に書き出しておくことにする。明日のトーナメント表以外の資料が手元にないため、もし間違いがあったら申し訳ありません。優勝候補の筆頭と目されるのは、やはり梅ヶ谷翔(中大3年)だろう。5月の関東選手権では準決勝で加納に敗れて3位になるも、過去2度の全日本学生選手権で優勝、2位関東選手権でも昨年優勝、そして全日本選手権3位と、現在の学生剣士の中で最も安定した結果を残している。試合を見ていてもなかなか負ける気がしない。関東
LeviBellfieldリーヴァイ・ベルフィールド1968年5月17日大ロンドン地域南西のアイルワースでジョセフとジーンのラベッツ夫妻の間に生まれた両親はロマニの家系だったベルフィールドが10才の時父親が37才の若さで心臓発作により死亡彼には2人の兄と姉がおりそののちロンドン南西の公営住宅団地で育つ大人になると彼は4回結婚しており一番最近のガールフレンド.エマ・ミルズの間のも含めると5人の女性と11人の子供を成している1981年彼は強盗で懲役を得るがこれが最初の
あとがき今回の榎本雄斗シリーズ(全7回)をご覧いただきありがとうございます。シリーズの最後に、病気で倒れられたお母様について書かせていただきましたが、何人もの読者の方から、あんなところでブログが終わっているので榎本くんのお母様の容体が現在はどうなられたのか、心配で仕方がないじゃないですか!という問い合わせといただきました。申し訳ございませんでした(。_。;)いや、実は私自身も気になって気になってしかたなかったのです。でもなんとなく聞けずにいたのですが、思い切って雄斗くんに確認
約束の時間より15分早く2人は現れた。白のワイシャツにネクタイをきちんと締めて。「中大の榎本です。はじめまして」「中大2年の尾野と申します」2013年6月某日。いつもの新宿の焼肉店。役者はそろった。「榎本くんの関東選手権優勝にかんぱーい!!」「尾野くんの全日本出場にもかんぱーい!!」冷えた生ビールが乾いた咽喉を潤す。「うーん、美味い(^¬^*)」そこから楽しい夜がスタートしたのである。話は6年前に遡る。榎本雄斗、中3の10月だ。毎年秋になると、全日本都道府県剣道道場
前回、桐蔭学園と田中達也を特集した時に、玉竜旗の映像や各種試合結果をチェックしていて、彼の一つ上の学年には実に魅力的な選手が多いと感じ、学年という切り口で特集してみることにした。この学年は、1999年に中3、2002年に高3、2006年に大4という世代であり、主な選手を名前だけ挙げると、〆一司、勝見健太、山本翔平、正代正博、鹿野允成、大石寛之・・・などなどきりがない。では、彼らの活躍を、年代別に見ていこう。まず、小学生時であるが、やはり一番に出てくるのは、夏の日本武道館で
高野佐三郎範士の剣道教訓集に三角矩の構えというのがありますが・・・「矩」とは・・金さし、直角を測る定規という意味があるみたいです。「三角矩の構え(目・腹・剣先)が本当にできていれば、たやすく打たれるものにあらず。三角矩に構えて敵を打とうとも、敵に打たれるとも恐れず無我の三昧境(無心の境地)に入りて、敵・打たんとすれば、すぐに応じ、あるいはすりあげるなどして敵を打つべし。受けた音と打つ音と二つになってはならない、敵を攻めて敵の刀を払うも同じ。払って後打つにあらず。払うと打つと同
【上段選手の活躍、二刀流も現る】今月号(10月号)の剣道日本で、上段の特集が組まれていた。小川萌々香(日体大2年)と三上ヘンリー大智(中大2年)が、おのおの見開きで紹介されているではないか。カッコいいねえ。最近、上段の選手が活躍しているという印象が強いと思っていたが、やはり気のせいではなく、どうもそのような流れがあるようだ。全日本女子を制した小川萌々香(日体大2年)の上段は実に凛々しい。女子も上段が目立つ大会だった。今年の全日本学生選手権上段で活躍した選手と言えば、やっぱり
しつこいくらい、熊本インターハイであるが、これでいよいよ最後である。---番外編ツキで魅了した男。1回戦、第2試合、いきなり豪快なツキを決めた選手がいた。山形/米沢興譲館高校の三條恵介だ。米沢興譲館と言えば、米沢藩の藩校「興譲館」が前身であり、300年もの歴史を持つ伝統校であり、県下有数の進学校でもある。私立のような名前だが県立高校である。三條恵介は、続く2回戦、山口鴻城高の吉村侑己をメンで破った。そして3回戦の相手は、優勝候補、龍谷の江口賢太だ。江口は激戦区佐賀のチャン
1982年春。筑波大剣道部の新入生には、インターハイ個人3位の冨田の他に、インターハイ団体優勝・個人準優勝の佐賀豊(PL学園)、インターハイ個人ベスト8の木村隆幸(東海大相模)、同じくベスト16の岸克己(栃木)がいた。うーん。インターハイ個人2位・3位、ベスト8に16とは豪華だ。しかしなあ。佐賀出身の冨田の同級生の苗字が「佐賀」というはややこしい。こんなことがあった。冨田たちが高3のびわこ国体。剣道競技の決勝戦が、NHKによって全国放送されていた。少年男子の決勝戦。
[第37話①]最後の戦いへ①-12014年インターハイが終了すると、2年生による新チームが発足した。この2年生たちが実質的に高輪最後の学年である。2015年度いっぱいでの甲斐の定年が決まっているが、それと時を同じくして今の2年生が引退すると、高輪の剣道部は消滅するのだ。いや厳密に言えば中学からの内進生のみの、今とは全く別の剣道部となってしまうのである。甲斐最後の年、高輪最後の年。何としてでも再び日本一を掴みとりたい。高輪剣道部8名は一致団結し、日本一目指して始動した。
2011/3/11東北地方太平洋沖地震の直後、茨城沖地震が発生。茨城にとっては、本震よりもむしろ余震と見られるこの地震(マグニチュード7.7、最大震度6強)によって大きな打撃を被った。ライフラインが途絶え、交通機関のマヒ状態が続いた。震災時、たまたま東北遠征中だった水戸葵陵選手団が、やっとの思いで地元にたどり着いたのは数日後だった。東北地方における大惨事と思っていたが、水戸の惨状を目の当たりにして愕然とした。稽古ができない。日がたつにつれて君島監督や選手達に焦りが募った。よ
~昨日の続きです~「榎本さんはスピードもあるし、へたにメンに行けば返し技もうまいし、挑戦者として全力でかかりました」試合後、村瀬はそう語った。「負けてもともと」と思うか「絶対に負けられない」と思うか、そう、前者が村瀬、後者が榎本である。村瀬は思い切って行ったが、榎本は少し慎重になり自分の力が出し切れなかった。村瀬にはいくつかの必殺技がある。その一つは強烈な竹刀払いだ。これは相当な破壊力である。鍔迫り合いで少しでも気を抜こうものが裏から時計回りにクルリと巻かれる!村
「1984年度生まれの華麗なる剣士たち」であるが、前回、小・中の活躍で終わってしまった。この学年は実は高校からが面白いのである。さて、高校時代のこの学年を語るときに外せない一人が、平山順也(高知高)である。その実力は中学時代から、四国チャンピオン、全中ベスト16と四国ではNo.1の選手であったが、なんと言っても度肝を抜いたのが、高1でインハイ個人戦出場、団体では高知高の大将としてインハイ参戦。何れも緒戦敗退したが、その秀でた逸材ぶりを全国に知らしめた。結局、平山は高知高校
■華麗にツキまくった男[2010年インターハイ]今回は、このインターハイで、注目に値するある選手を紹介したい。長崎・西陵高校の開達志だ。開は、昨年の春の選抜大会優勝チームのメンバーである。昨年3月、1年生3人の若いチームで春の全国選抜優勝を果たした西陵は、その後大きな期待を背負うことになる。ところが、宿敵・島原にことごとく阻まれ、全国大会に出場することすらできない状況が続いた。「日本一のメンバーが3人(松尾大樹・開達志・清浦慶彦)も残っているの