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いのちのうた18年前から毎年続けている音楽イベントがある。亡き妻が発案した「いのちのうた」。骨肉腫で亡くなった女の子の追悼コンサートして企画。つながりのあるミュージシャンに呼びかけ、2006年1月、福岡市で第1回目を開催した。闘病中の妻も、沖縄を拠点に活動するhanautaとユニットを組んで出演した。本番1カ月前には、音合わせのため、娘を連れて沖縄に向かった。リハーサルでも本番でも、歌っているときは、生気に満ちていた。音楽は、妻の暮らしになくてはならないものだった。妻
大人も子どもも、みんな何かを抱えて生きている娘は中学生時代、「みそ汁」と呼ばれ、いじめに遭っていた。教室の机には「死ね」と書かれたメモが入っていることもあった。つらく苦しかった中学校生活がトラウマになって、高校入学直後の娘は、周囲になかなか心を開くことができなかった。そんな娘に「友達になろうよ」と声をかけてくれた同じクラスの女の子がいた。彼女は、Yちゃん。高校卒業後の今も、彼女はわが家を訪れ、一緒に食事をするなど親しい関係が続いている。先日、Yちゃんから、うれしいひと言
セイジとヨウイチとシンゴ「お前が悲しんどる姿やら見とうない」そう言って、彼らはずっと一緒に過ごしてくれた。3年前、セイジとヨウイチと僕の3人は、目的もなく、沖縄県の宮古島に遊びに出かけた。飲んで食って、歌って笑った。男3人の宮古島旅行(2020年12月13日)左がヨウイチ。中がセイジ。宮古島で(2020年12月12日)セイジと僕は、高校の同級生。ヨウイチと僕は、幼なじみ。だが、セイジとヨウイチの2人に接点はなかった。あるとすれば、闘病中の千恵と幼い
互いの命をたたえ合う妻千恵の追悼コンサート「いのちのうた第16章」を終えた。コンサート翌朝は、起き上がることができなかった。正直疲れた。事業としては、採算も合わない。だが、僕にとって、これほど生きていることを実感できるイベントは他にない。千葉から来てくれた女性は「夢のような時間だった」とメールを送ってくれた。「はなちゃんの物語を中学の道徳の授業で知った」という世代の女性は、「こういうことだったのですね」と興奮気味に語った。京都と大阪から駆けつけた女性2人は「来年も絶
墓参りに行く回数は減ったけど2009年夏、福岡県糸島市に墓を建てた。墓石には、はなが4歳のときに描いた家族の絵が刻まれている。千恵の墓に刻まれてる娘の絵コンサート「いのちのうた」のフライヤー(2007年10月20日)千恵はこの絵が大好きだった。左に僕の顔、右に千恵の顔。2人の間で、はなが両手を広げて笑っている。頭から出ている芽は命。無限大のデザインは、永遠の絆を意味する。この絵を見ていつも思う。4歳児は天才だ、と。彼岸には「ぼたもち」を作る
打ち上げでセッション妻千恵の追悼コンサート「いのちのうた第16章〜にぎやかな法事〜」の打ち上げには、出演者、スタッフら約30人が集まった。ほとんどの人が、昼に差し入れのドーナツをつまんだだけ。空きっ腹で酒を飲んだので、みんな酔いが回るのも早かった。出演者の三宅伸治さんの呼びかけで、セッションが始まった。圧巻だった。心から音楽を愛しているミュージシャンたち。酒を飲んで気持ちが高まると、疲れていても演奏したくなるのだろう。途中、三宅さんが、テーブル席に座っていた
音楽で被災者を元気に2019年、熊本地震の復興支援コンサートを開催した。こくみん共済coop熊本推進本部からの依頼だった。企画趣旨は「音楽で被災者を元気に」。僕らが福岡で細々と続けていた音楽イベント「いのちのうた」に着目してくれて実現した。安武信吾『妻の追悼コンサート』いのちのうたつらくないですか。悲しみを抱えていませんか。愛し合っていますか。ここに来れば、元気が出ます。出演者と来場者が、ひとつになって。笑ったり、…ameblo.jpイベントには「いのち
みんなの命をたたえよう三宅伸治さんの「たたえる歌」と「JUMP」をキーボードで練習中の娘。ねすたもコンサートに来てくれるかな。皆様の来場をお待ちしています!*****************************************「いのちのうた第16章〜にぎやかな法事〜」2023年11月23日(木・祝)15:00開演(14:00開場)会場:ブードゥーラウンジ(福岡市中央区舞鶴1-8-38WAVEBLDG.4階)出演:三宅伸治
妻が愛読していた乳がん患者の本千恵が生前、こんなことをよく話していた。「死についてあまり考えたことがない、というのは、生きることについて真剣に考えたことがない、というのと同じこと。がんになったおかげで自分は何をするために生きているのかを考えるようになった」千恵は、乳がんで亡くなったジャーナリストの千葉敦子さん(1940〜1987)の本を愛読していた。きっと、影響を受けていたに違いない。よく死ぬことは、よく生きることだ。僕も千恵のように、自分らしく生きて、自分ら
助産院がつないでくれた不思議な縁妻千恵は、2007年4月4日につづったブログ「春日助産院」の冒頭で、2人の女性を紹介している。ひとりは沖縄在住の歌手、小山良子さん。僕たち家族が始めた音楽イベント「いのちのうた」の名付け親で、歌うことを躊躇していた千恵の背中を押してくれた恩人でもある。もうひとりが、彫刻家の知足美加子さん。千恵と知足さんは直接、出会ったことはなかった。当然、そのころの僕も彼女のことは知らなかった。ところが、千恵が他界した後、エネルギーの自給自足をテ
特大ハンバーガーにかぶりつく娘が出演したダンス発表会の会場には、彼氏のねすたも駆けつけた。大学のレポート提出の締め切りに追われていたが、娘の出番にぎりぎり間に合った。安武信吾『娘がダンス会場に出かけた後・・・』娘はダンス、彼氏は勉強本日は、ダンスの発表会。夕方、久しぶりに娘のステージを見に行く。娘のチームは、大学生、社会人が中心なので、練習は深夜。帰宅は午…ameblo.jp安武信吾『ダンスをするように生きてほしい』「やりたい」に身を任せて生きるすば
鮎川誠さんからのギフト長く生きれば、届く訃報も多くなる。毎年のように大切な人を亡くす。その都度、悲しみとどう向き合えばいいのか、悩み、苦しむ。ただ、心がけていることがある。ロックバンド「シーナ&ロケッツ」の故・鮎川誠さんから、いただいた言葉だ。2019年7月に開催した亡き妻千恵の追悼コンサート「いのちのうた」には、鮎川さんに出演してもらった。2015年に、バンドのボーカルで妻のシーナさんを子宮頸がんで亡くしてた鮎川さんだったが、悲嘆を表に出すことなく精力的にラ
お気に入りの写真娘のダンス。高校3年生が撮影してくれた。堀田光空(こうく)。高校では写真部長。常福寺の長男。動きが激しいダンスの撮影は難しい。今だ、と思ってシャッターを切っても、ワンテンポ遅れてしまう。これは、どんぴしゃ。撮影:堀田光空左が光空(2023年11月23日)Photobychiyoriこちらも光空の写真↓https://ameblo.jp/hanamisosoup/entry-12827743352.html安武信吾『
熱意が人の心を動かす妻の追悼コンサート「いのちのうた」を毎年続けてきた。今年で17回目(2024年10月14日の予定)。そのコンサートに数年前から家族で参加してくれているお坊さんがいる。常福寺(北九州市)の堀田顕英さん。2020年3月末、新聞社を早期退職した後、疎遠になった人もいるが、彼とはずっと付き合いが続く。新聞社の安武ではなく、1人の人間として付き合ってくれている。むしろ、会社員時代よりも、今の方が濃密な関係かもしれない。昨年、堀田さんから「『いのちのうた』のよ
お笑いで免疫力アップがん闘病中の妻千恵が、夢中になって楽しんでいた瞬間芸がある。それは・・・。目マン(めまん)タレントの清水ミチコさんが発表したパフォーマンス(瞬間芸)。以下のような手順で、誰でもできる。パーカーを着るファスナーを閉じ、フードをかぶるフードの紐をいっぱいに引き絞る閉じられたフードの隙間の穴から片目でのぞいている、という状態である。2007年の初夏、季節はずれのパーカーを手に入れ、念願の「目マン」をやり遂げた妻。12年後、とんでもない
亡き妻の影響で音楽に目覚める声楽家の千恵と結婚し、音楽にはまった。千恵の追悼コンサート「いのちのうた」では毎年、サックスでロックンロールを演奏。ロックを聴くことは好きだったが、まさか自分がステージに立つとは想像もしてなかった。コンサートでは、フォトグラファーのchiyoriさん、KeikoHandaさんが撮影してくれる。写真の中の自分は、必死の形相だ。周囲のみんなは、そんな僕を見て笑っている。2020年3月末、30年以上勤めた新聞社を定年前に退職した。今
「ワインまつり」でウクレレ演奏昨年、ウクレレを購入した。どこにでも持ち運べて、コードも簡単。ギターに比べてお手軽なのが良い。消防士の富武さんとウクレレユニット「トミー&ヤス」を結成し、ライブ配信を楽しんだり、福岡の繁華街・中洲での路上ライブなどを続けてきた。地道な努力が実ったのか。とうとう、我々に出演オファーがきた。会場は、西鉄大牟田線大橋駅前の広場で開かれた「大橋ワインまつり」。イベントの主催者で、友人でもある「イタリア料理テシマ」のマダム、のりちゃんが声をか