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修学旅行は三泊四日で東京方面に行く。出発日の学校集合時間は6:50。そこから貸切バスで駅まで行って新幹線に乗る。朝の体調不良がひどく、吐き気でフラフラの息子には早すぎる時間…。学校と相談して、どうしても集合時間に間に合わないようなら、私が東京まで連れて行って現地で合流することになった。本人は「絶対に朝からみんなと一緒に行く。」と言っている。一緒に行きたいよね。それはわかる。でも体調次第だよ。当日。5時頃に起きてきた。本人の気合いを感じる。小さなおにぎりを食べ始めたが、明ら
今日は息子の誕生日。文具大好き男子の息子、誕生日プレゼントはシャーペンで決まり。文具に何のこだわりもない私にとって、シャーペンに○千円もかけるのは理解できないけれど、息子曰く「いい物は書き心地も使いやすさもレベチ」だそう。本当に欲しいものは何と一万円弱もする!が、ネットで探しても売り切れか入荷待ちで手に入らないので、第二希望と第三希望で納得してもらった。去年の誕生日は病院で迎えた。夕方に「ご飯が誕生日仕様だよ!」とLINEがきたので見ると、お祝い膳風にきれいに盛り付けられ
息子の痩せ具合のことをドクターに聞いてみようと思ったものの、冷静に考えてみると何て聞けばいいのだろう。「痩せ具合が気になるんですが」とか?測ってみたら2週間で2キロ痩せていた。「食べてないからね」と言われたらそれで終わりだよね。単に私が気にしすぎていると思われるだけな気がする。息子と二人で診察室に入った。この一週間の体調や血液検査の結果、来月の修学旅行での対応など、話すことが多くあっという間に時間が過ぎた。「じゃあ、何かあったらいつでも連絡くださいね。」と診察が終わりそうになっ
相変わらず、息子の吐き気や体調不良は続いている。お風呂上がりに息子が隣にきて、私の膝の上にある新聞を「ちょっと見せて。」と取った。その時に手首の細さを見て、胸がドキンと大きく打った。こんなに痩せていた?この細さ、見たことがある…。一年ほど前、息子のがんが発覚する直前。風邪のような体調不良があり、小児科で薬をもらっていたがあまり効かず、どうしたんだろうと思っていた頃。ふと目にした息子の手首が、見たこともないくらい細く痩せていた。毎日ハードにサッカーの練習をしていたので体型は
息子、ここ数日だるさと嘔吐が続くために急遽大学病院を受診。私は息子が入院してから日記をつけていて、退院してからも続けている。内容は息子の体調やドクターとの話など。読み返してみて、息子の体調悪化のタイミングは学校と関係があるような気がしていた。息子は基本的に学校が好きで登校したい人だ。授業も真面目に受けるし学ぶことが好きで、行事では実行委員として積極的に動くことが多い。でも日記を読み返してみると、考査や行事などのタイミングで体調を崩しているように見える。今回も春休み中は体調が良か
大学病院のある市は、今年も雪が多かった。住んでいる所は県内でも雪が少ない地域なので、初めて冬の大学病院へ通院した時、目を疑うような豪雪にビックリした。それでも3月に入るとぽかぽか陽気が続き、すっかり雪は溶けてなくなった。そんな中で定期受診。息子の状態は一応落ち着いている。血液検査の結果はまあまあ想定の範囲内で、維持相の内服の他に、肝臓・起立性調節障害・吐き気止めの薬が処方されている。朝の食欲不振は続いていて、リンゴとパイン缶一口ずつが精一杯だ。これに関してはハッキリとした原因が
息子が夫と近くの公園にボールを蹴りに行った。息子が「今日時間があったら、ボールを蹴りに行きたいんだけど。」と言ったらしい。自分から蹴りたいと言い出したのは、退院後初めてだ。息子は県内では上位のクラブチームに所属している。レギュラーに定着できそうなタイミングで病気が発覚して入院した。中枢神経への浸潤のため両足が麻痺して全く動かせなくなり、車イスで闘病が始まった。またサッカーが出来るようになるかなんて、考える余裕はなかった。治療が進むと足は動くようになり、今は日常生活には不自由なく過ごせ
息子が通う中学校で、参観日に「立志式」があった。私が中学生だったころは無かった行事。どんな式なんだろうと楽しみにして行った。式の中で、これから自分がどんな志を持って生きていくかを、一人ずつ簡潔な言葉で発表する。その他に合唱やダンス、学年立志宣言など。式は、IT班の生徒たちが作成したスライドショーから始まった。IT班のほかに運営班(実行委員)・制作班・表現班に分かれ、生徒主体で準備作業をしたそうだ。息子は実行委員だ。司会や開始挨拶、合間の会場整備など、さくさくと動いていた。
心がざわざわして落ち着かない。去年の今頃、息子は縦隔にできた悪性リンパ腫で気管が圧迫され、咳や痰が出始めていた。風邪?コロナ?近所のA小児科では風邪との診断、薬を処方してもらっていた。咳や痰が止まらないので薬を追加してもらっているうちに、縦隔の腫瘍は息子の気管を押しつぶし、命の危険がある状態になっていた。ほんの2週間程度の間に。縦隔以外にも首のリンパ節、腎臓、膵臓、脳、脊髄、体のあちこちにがん細胞は散らばっていた。まさかそんな事になっているなんて全く考えず、最近痩せたなあ
小児がん・難病治療薬の「ドラッグラグ」解消へ、新制度検討…米の法制度を参考に(読売新聞オンライン)-Yahoo!ニュース小児のがんや難病の治療薬の国内承認が海外より遅れる「ドラッグラグ」の解消に向け、厚生労働省は新たな制度の導入を検討する。小児用の薬を大人用と同時に開発することを求める米国の法制度などを参考に、厚労news.yahoo.co.jp大きな一歩!どうか少しでも早く、必要な薬が小児がんの子どもたちに届きますように。近い将来、小児がんが確実に治る病気になって欲
息子の髪の毛は、入院中に抗がん剤治療をしている時はほとんど抜けたが残っている部分もあり、よく言われる「落ち武者状態」だった。そして頭部に放射線治療をしたら、全部抜けてツルピカになった。退院後1ヶ月ほどしたらふわふわな毛が生えてきた。赤ちゃんみたいな、細くて優しい手触り。以前はパリっとした毛質だったので何だか珍しく、ついなでなでしたくなる。息子の希望でウイッグを作り、学校に行くときはかぶって行っている。息子は脱毛していることは周りに隠さないが、脱毛している姿は見られたくないと言っ
前回の診察でドクターから睡眠アプリを勧められた。調べてみると、睡眠中の呼吸や体の動きなどから睡眠のリズムを測定して、指定した起床時間に近い目覚めやすいタイミングでアラームを鳴らしてくれるものらしい。それ以外にも、寝るときには入眠しやすい音楽を流したり、いびきを測定する機能も。まずは試してみようと、息子のスマホにインストールした。正直「これで起きられるなら苦労はしないよなあ。」と思いながら。朝、息子の部屋からアプリの音楽とバイブが聞こえてきた。覗いてみると、あれれ、音に反応
2月15日は「国際小児がんデー」。https://www.ccaj-found.or.jp/iccd/国際小児がんデー(InternationalChildhoodCancerDay)は小児がんへの意識向上と小児・AYA※世代がん患者とその家族への支援を表明する協働キャンペーンのこと。(がんの子どもを守る会HPより)ドクターから「息子さんは悪性リンパ腫の可能性が大きいです。ここ数日は命の危険があります。」と言われた時、「悪性リンパ腫ってがんだよね?子どもががん?命の危険
前回のホルモン系の検査と、起立性調節障害(OD)の検査結果を聞いた。ホルモン系はすべて異常なし。ODの検査で特徴的な症状が見られているので、ODの傾向は間違いないでしょうとのこと。2週間内服を続けてみて、いくらか効果があったかな~気のせいかな~という感じだけど、まずはしばらく続けてみることになった。「とにかく生活リズムを作ることが大事なので、朝は決まった時間に起こして下さいね。」「どうしても起きられないんです。今は8時頃に起きているようで(私が仕事に行った後)、リンゴひとかけ
日曜日。本を読んでいる私の目の前を、娘と息子がうろうろしている。各自洗濯物を取り込み、たたんでしまうように言いつけたので仕方なく動き回っているのだ。「あれ?」息子が声を出した。「なんかぼく、姉より身長高くね?」息子は病気になる前、どちらかといえば背が低い方だった。中学生になり息子の身長は伸びてはいたが、周りの子たちがグングン大きくなっていったので、背の順で並ぶと前の方だった。サッカーをする上で、ポジションで多少の違いはあっても大きいに超したことはない。息子はよく「大きくなりたい
暴風雪のなか、大学病院を受診。息子の体調不良は続いている。朝の倦怠感・吐き気・食欲不振など。小児科のドクターから放射線治療の影響かも?との話もあったが、放射線科のドクターは「照射の副作用ではないと思う。」と言っていた。線量・回数とも少ないので、影響が出るほどではない、と。小児科のドクターに放射線科のコメントを伝えると、「う~ん、何だろうねえ。」と腕組みして考え込んでしまった。小学4年生と6年生のころ、息子は朝起きられず、しょっちゅう腹痛やめまい、車酔いを起こしていた。寝坊、と言
相変わらず朝の体調不良は続いている。何とか布団から這い出してくるものの、ソファでぼ~っとすること30分。それでも学校には行きたいので、食卓についてまたぼ~っと。バナナ半分とかお茶漬けふたくちとかでごちそうさま。それだけでも吐き気が出てくるようだ。吐き気止めも処方してもらっているが、あまり効いていない。学校と相談して、体調が整ってから遅い時間の登校・楽なジャージでの登校を認めてもらった。ある日、3時間目から何とか登校できた。仕事中、そろそろ帰っているかなーと思い電話してみた
大晦日はお寿司を食べる我が家だけれど、今回は息子が治療の関係で生ものを食べられないため、唐揚げになった。息子はお寿司が大好き。退院の時に「維持相が終わっても半年くらいは生ものを控えて」と言われたとき、のけぞって「まじか~!」と嘆いていた。「今年はお寿司買わないよ。」と伝えると、分かっているとはい残念そう。いきない「すっしー食~べたい、すっしー食~べたい」と歌い出した。「Don'tstopmusic丼stopsushi~」えっ何それ、面白い!ラップで「関サ
点滴治療をしながら、頭部のMRI、腹部のレントゲン、採血等の検査をした息子だったが、結局5日間入院した。「頭部のMRIを撮ります」と連絡が来たときは、また胃がぎゅっとなった。いろんな可能性を考えてのこととはいえ、脳の病変を疑っての検査だろうから。検査結果はすべて大きな異常は無し。薬の副作用と、胃腸の感染症が重なったのではないか、とのことだった。メソトレキセートやロイケリンは中止していたこともあり、吐き気はだんだんにおさまって少しずつ食べられるようになった。とは言っても、体調はい
内服が始まってから、明らかに食欲が落ちている。退院直後はビックリするくらい食べていたが、最近は食が進まないようだ。聞いてみると、「お腹は空くけど食べるとすぐ一杯になる」とのこと。ゲップをしているし、吐き気もあるらしい。だるいのか、朝もなかなか起きられない。日曜日、朝ようやく起きてきたが食べられない様子。小さなフルーツゼリーを時間をかけて食べたが、その後は「気持ち悪い」と横になってしまった。その後アイスを一個のみ。月曜日、学校は休むことにして、スープを少し口にしたらすぐに嘔吐。これはも
今回の通院も激混みだった。大学病院、毎回混みすぎ。朝8時に家を出て、帰ってきたのが18時。すぐにお風呂と夕食を済ませて早めに休ませたが、翌朝はおきることができずに登校はあきらめた。こんな時でもオンライン授業が受けられるのは、本当に助かる。水曜日に通院するようになってから、木曜日の朝はどうしても起きられなくなった。やはり通院が疲れるのかなあ。週の半ばで学校疲れが出るあたり?メソトレキセートの副作用?起きてくれば特に体調が悪いこともなく普通に過ごしているので、あまり気にしなくてもい
月曜・火曜は2校時目まで登校してみた。水曜日は通院のためにお休み。木曜日の朝、息子はどうしても起きることができない。「疲れてだるい…。」と、目が開かない様子だ。前日の外来は病院全体が激混みだった。外来で待たされ会計で待たされ、私もクタクタ。在来線→新幹線→在来線と乗り継いでの通院なので、それだけで疲れてしまう。登校疲れと通院疲れが重なったのだろう。結局木曜・金曜はお休みした。翌週月曜日は、学校行事の振り替えでお休み。そして火曜日。朝は普通に起きて朝食も食べた。「体調は?学校に行
退院して一週間は自宅で過ごし、月曜日からまずは2校時目まで登校することにした。中学校は徒歩で15分程度のところにある。弱った体にはきついかもしれないが、本人が送迎はいらないと言うので一人で頑張ってもらいましょう。仕事を終えて家に帰ると、息子が「今日これもらった」と紙を出してきた。見るとA2サイズくらいの大きな模造紙。真ん中に大きく息子、お帰り!待ってたよ~と書いてあり、その周りにはたくさんの寄せ書きが。「えっ、これいつ準備したんだろう。」「分かんない。」先生が2
復学するにあたって病気のことを同級生たちにどう説明するか、または説明をしないか。本人の気持ちが一番大事なので、息子と話し合った。結果、希望として中学校に申し入れたこと。①病名は「悪性リンパ腫(血液のがん)」と公表する。それと一緒に以下のことを生徒たちに説明してほしい。・大きな病気ではあるけれど、治療してよくなる病気だということ。入院治療が終わって、これからは病院に通っての治療になること。・うつる病気ではないこと。・何かをしたからこの病気になったのではないこと。②
ばたばたと退院したので、翌週の外来受診の時に病状の詳しい説明を受けてきた。MRIやCTの結果では、寛解状態を維持している。薬の影響で脂肪肝になっているが、治療が必要なほどではないそうで、このまま様子を見ることになった。後期強化相が終わってちょうど二週間たち、予定通り維持相に入るということでロイケリンとメソトレキセートが処方された。ロイケリンは毎日就寝前、メソは毎週水曜日の夕食後に服用する。このメソトレキセート、人によっては吐き気や嘔吐など副作用が出ると聞いていたのでドクターに尋
入院治療がすべて終わり、脳と脊髄のMRI、縦隔のCTを撮った。MRI,CTどちらも造影剤使用。採血も随時しているようで、ようやく白血球が上がってきたとのことだった。土曜日、仕事中に病院から電話。いつものことだけれど、病院からの電話は「何かあったのか?」とヒヤヒヤする。今回は検査結果待ちだったこともあり、飛び上がるほどビックリして電話に出た。「息子くん、いつ退院してもいいですよ。」「…えーと今日でも?」「はい、いいですよ。」「本退院ですよね?」「はい、そうです。」!!退院
入院での治療はすべて終わった。息子は泣き言や文句を一度も言わずに、8ヶ月以上頑張り通した。あとは検査をして、血液の状態が上がってきたら退院になるはず。復学その他もろもろ、準備を整えなきゃと思う。少し怖い。再発、晩期後遺症、よくないことばかり頭に浮かんでくる。ダメダメ、良いイメージを持とう。分かっているけれど…。今日は脳のMRI、明日以降に脊髄のMRIと胸部CTを撮るとのこと。どうか寛解していますように。無事に退院できますように。そして気がついた。検査結果
再寛解導入相でイレウスになり治療中断、その後どうにか最後まで終えられたあと、なかなか後期強化相に入れなかった。血球の上がりを待つので、すぐに次の治療に入れるわけではないと説明されていたので待つしかない。上がり待ちの間に中学校の文化祭があり、なんとか参加したいと病院に申し出た。う~ん白血球が低いんだよねと言いながらもドクターが許可してくれて、無事に参加できた。結局、再寛解導入相が終わって11日目から後期強化相がスタート。早期強化相の時はそれほど具合が悪くなることはなかったし、輸血
息子の中学校の文化祭に行った時のこと。息子は脱毛のため、インナー帽子の上に白のキャップをかぶって行った。8月の体育祭の時も同じようにして行ったが、その時は屋外で運動服姿。今回は屋内で制服姿。体育館の隅のほうで実行委員と一緒の場所に座っていたので、それほど目立ってはいなかったものの、息子の姿を見ておや?と思う保護者の方は多かっただろう。「長期入院中しかも屋内で帽子着用→薬で脱毛?→がん??」と連想する大人は多いと思う。なので、保護者のみなさんと顔を合わせるのがおっくうな気持ちもあ
後期強化相がなかなか始まらずにいた。先日文化祭の時に外泊許可が出たが、その時点で白血球値が700で、白血球を増やす注射をしてもらった。帰院してからも治療が始まらず、息子に聞いても「まだ始まらない」としか返事が来ない。骨髄抑制が強いのだろうか。治療の積み重ねで、体に負担がかかっているんだろうなあ。あと少しで退院!頑張る!と言っていた息子、あまり何度も聞けばプレッシャーになるかと思い、質問は控えめにしていた。後期強化相が始まれば、だんだんに退院も見えてくる。復学会議や学校との