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2023年11月26日今日の夢『竹内文書改ざん!?』今日は、昨日のお昼寝の時に見た夢のお話しです。昨日は朝から、何故か色んな場所を片付けたくなり家中を掃除片付けをしていました。そして大方片付け終わり、ソファで休憩していて、いつの間にか眠ってしまっていたんですが、その時に凄い長い夢を見てたんです。…私は友達と何処かに行こうとしてるのですが、行き方をいろいろと考えてたんです。まず乗り物は何に乗って行くのか?どのルートを通って行くのか?いろんなシュミレーション(実際に行ったかのようなリア
封印された超古代史「古史古伝」の謎:最終回古史古伝の共通点は「神武天皇」以前の歴史で、物部氏系の末裔が残していた超古代からの歴史や伝承で、あるものは歌という形式で残したものだとした。全ては「八咫烏秘記」をベースにして作られた文書だったということで、なぜなら、八咫烏は神武以前からこの国にいた一族で、徐福の末裔のレビ族「海部氏」だったからである。同族の物部氏は秦氏の宿禰である「竹内宿禰」に改宗・封印された一族である。そして「神代文字」(じんだいもじ、かみよもじ)の正体とは漢字伝
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その58武内宿禰とは秦河勝でモーセであり、古代の日本に、絶対神ヤハウェ=イエス・キリストが顕現するとともに、イエスの預言者となった復活体の大天使モーセが揃って現れた。もちろん世界の目を欺き、極東の島に「契約の聖櫃アーク」と「三種の神器」、さらには7本首の燭台「メノラー」、イエスの「聖十字架」に「聖釘」、「荊棘の冠」など、ユダヤ教、キリスト教に関する聖遺物をももたらし、それらを主要な神社に隠した。主要な物部系の古社は原始キリスト教の社へと変え
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その56ユダヤ教神秘主義カッバーラでは、預言者は死んだ後に「天使」になると説く。生きたまま天に上げられた預言者エノクは天使メタトロンとなり、預言者エリヤは天使サンダルフォンになったとされる。死んだ預言者たちでは、人祖アダムは大天使ミカエルで、ノアは大天使ガブリエルで、実はイエス・キリストもまた天使名を持っている。その名はエマヌエルであり、受肉する前はイスラエルの守護天使ヤハウェなのである。その意味ではアダムも人となる前はミカエルであった。モー
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その55「武内宿禰」は「仁徳天皇=継体天皇」であり、「聖徳太子」でもある。秦氏の大王であり、物部氏の八咫烏の大王であり、原始キリスト教徒の大預言者で、且つユダヤ教の大預言者モーセの末裔である。天皇であり裏天皇であり預言者でもあるのだ。そして表向きは日本初の「大臣」ともされており、その墓は世界一の広さを誇る前方後円墳なのである。どれだけ偉かったんだという話なのだが、どうしても腑に落ちないのが、「ヤハウェの預言者モーセ直系の末裔の人物が、いったい、い
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その54「竹内文書」の本質を理解するには「武内宿禰」の正体を明らかにしないといけない。但し、「武内宿禰」というのは日本の古代史の中のでも「聖徳太子」に並ぶほどの強力な暗合である。「竹内文書」を単なる「偽書」で片付けてしまう人にはそこが理解できていない。なにせ16代仁徳天皇でもあり26代継体天皇でもあり、モーセの末裔でもある。そして世界最大の陵墓に眠っているとされている人物だからである。◆「武内宿禰」はなぜ謎の人物なのか?「竹内文書」と同
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その53「武内宿禰」とは八咫烏の大王であり、「聖徳太子」として描かれた人物もまた「武内・建内・竹内宿禰」という暗合なのだとした。そして「武内宿禰」とは初のレビ族から出た天皇で、それは「仁徳天皇=継体天皇」でもあると。こう書くと、聖徳太子と仁徳天皇、継体天皇の時代は全然違うじゃないか、というご指摘があると思う。だが、これは「暗合」なのである。古代日本とこの国の正体を封印するために暗合なのである。よって、「武内宿禰」という人物の正体を明らかにしない限り、
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その52第25代の「武烈天皇」だが、一般的に最も残忍だった天皇として知られている。それは「日本書紀」による記述がそうなっているからだ。「長じて罪人を罰し、理非を判定する事をお好みになった。法令にお通じになり、日の暮れるまで政治をお執りになって、世に知られずにいる無実の罪は必ずお見抜きになり、それをおはらしになった。訴訟の審理はまことに当を得ておられた。また、しきりに多くの悪行をなさって、一つも善業を行われなかった。さまざな酷刑をご覧にならないこ
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その50修験道は神道と仏教を元にした神仏混交の宗教だが、もうひとつ「陰陽道」としての側面を持つ。陰陽道は陰陽五行の思想をもとに、縄文時代から続く古神道や日本にもたらされた密教の影響を受けながら、独自に発展したものである。つまり修験道の呪術大系の根底には陰陽道があり、この陰陽道の思想には「陰と陽」がある。表と裏、2つの陰陽道があり、裏の陰陽道のことを「迦波羅」(かばら)という。漢字によっては「伽波羅」「迦婆羅」と表記されることもあり、天狗でもある役小角
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その49南朝小倉宮竹内家を継承していた第七三世武内宿禰・竹内睦泰氏は、天津教の「竹内文書」に記された内容と竹内巨麿についての疑問を呈しているが、その中のいくつかの点が非常に気になる。何が気になるのかといえば、「竹内文書」そして「正統竹内文書」の正体について示唆していることだ。睦泰氏が継承した正統竹内家に伝えられてきた「正統竹内文書」はあくまで門外不出の極秘口伝であり、一般には非公開であるため、12家の長老以外ごく一部の人々しかその存在を知らない。よっ
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その46竹内巨麿は「竹内文書」を世に出す前、京都の鞍馬で修行している。鞍馬の山奥で巨麿を導いたとするのは「鞍馬天狗」である。竹内家の「竹内」とは京都の丹後に鎮座する「籠神社の内」で「籠神社の中」のことなのだと書いたが、さらに「竹内」は「籠の中」をも暗示し、それは「籠目=六芒星=カゴメ唄」で、日本の未来に関わる重要な預言の歌であると。大本教では後年に「御筆先/おふでさき」と呼ばれるなおの自動書記による記録が残されている。20年間あまりで半紙20万枚
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その45「竹内文書」について、ひとつの大きな謎がある。それは特高に逮捕された巨麿は裁判で勝訴しつつ、裁判の証拠として押収された4000点近い証拠品が、消え失せていることだ。表の話としては戦時中のアメリカの爆撃を受けて、跡形もなく消え失せたことになっている。だが、果たして4000点もの証拠品全てが何一つ残らずに消失してしまったというのだろうか。飛鳥昭雄氏は著書「『竹内文書』と月の先住宇宙人」の中で、飛鳥氏が「天津教事件」に関わっていたとされる某神道
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その43モーゼの墓、イエス・キリストの墓、そして釈迦の墓という「竹内文書」の記述にある場所とその所以を解読してきたが、ここでもう一度「竹内文書」とは何なのかを見てみよう。Wikipediaを見てみても、「竹内文書」は、古代の文書を装った最大の偽書と書かれている。神代文字で記された文書と、武烈天皇の勅命によって、武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫の平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字とカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣などを含む一連
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その28これまで見てきた「古史古伝」にはいくつかの共通点がある。それは神代文字、神武天皇以前の歴史、物部氏系の末裔による伝承、超古代からの歴史、歌という形式、などである。一旦、これまでの「古史古伝」のポイントをまとめてみた。◆「上記」・ウガヤフキアエズ王朝=神武天皇以前の歴史・神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の第73代・神代文字(豊国文字)・高千穂宮司家・天文学、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術、民話、民俗等の博物誌的内容・
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その3「竹内文献」とは、「磯原文書」、「天津教文書」とも呼ばれる「竹内文書」(たけうちもんじょ・たけのうちもんじょ)と下記に述べる神宝の類まで包括して呼ばれることが多い。神代文字で記された文書と、それを第25代・武烈天皇の勅命により「武内宿禰」(たけのうちのすくね)の孫の「平群真鳥」(へぐりのまとり)が漢字と片仮名交じり文に訳したとする写本群、そして文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称である。「竹内文書」はいわゆる古史古伝とされる書物であり、写本自
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その2「古史古伝」の中では『先代旧事本紀』が江戸時代にが発禁となったが、特に昭和に入ってから「偽書」の烙印を押され、封じ込められていた書物である。特に『竹内文書』は1936年(昭和11年)に詐欺罪、不敬罪によって竹内巨麿が特高警察に逮捕され、その際に押収された文書や神宝類は後に東京大空襲によりほぼ焼失したとされている。現人神を中心に据えた国家神道を推し進めようとした人たちにとっては、危険極まりない内容が書かれていたということである。「古史古伝
図書館に本を返す日が明日に迫って、慌てて、途中までしか読めてなかった『竹内文書の謎』を読み出したら、内容が濃くて面白くって〜‼️さすが、三神たける&飛鳥昭雄のムーコンビ❣️失われた八咫烏の古史古伝「竹内文書」の謎Amazon(アマゾン)891円竹内文書は、第73世竹内宿禰ことむっちゃん先生の方と、皇祖皇大神宮天津教の竹内巨麿の方と2通りあります。ずっと秘密裏に伝えられてきた竹内家の口伝をむっちゃん先生が世に出したのは、竹内巨麿の方が、真実でないことを語って
前回は→その②竹内文書を世に出した竹内氏のあらましと来歴です。竹内巨麿(1875年-1965年)以下の経歴は巨麿自身の主張による。※つまり自称という事か?後に特高警察調べ内容有り富山県上新川郡新保村生まれ。幼少のとき、母が暴漢に襲われ自殺、そのあだ討ちのために修行を思い立った。1893年(明治26年)、祖父から遺言で「世の中が平和になったときに公開せよ」として譲り受けた宝物・文献を携えて上京。宝物・文献は知人に預けて、東京御嶽教本部に入信。②彼の入信した御嶽教とは?『宗
ミステリー①7月6日の光輝書法会ミーティングで、急いでバス旅行のお知らせを作らなくては!との事になりました。1時間位で作ってプリントパックに入稿すれば、月曜日の東日本橋セミナーに間に合うと、急遽作成。文字を打つのが早い「ゆかいな仲間たち」のT君が手伝ってくれました。無事に入稿。入金も済ませた翌日、試に原稿をプリントアウトしてみると1日目(21日)の水前神社の説明に私が知らなかった内容が入っています。T君に聞いてみると「何も覚えていないし、打ち込んだ意識もない!?」とのこと。
≪目次≫~はじめに~【第一部】~諸行無常・祇園精舎の鐘の声~~諸行無常・一瞬一瞬に全てのものが生れて消えてゆく~~現実と想いとのギャップが「苦しみの元」になる~~釈迦の教え・四諦と「八正道」~~ブッダ最期の言葉とは~【第二部】~高野山・御衣干岩を護っているご主人の体験~~M・ジャクソンの『ゴースト』を彷彿とさせる人(1)~~M・ジャクソンの『ゴースト』を彷彿とさせる人(2)~~はじめに~16日はお盆の中日です。皆さん、如何お過ごしですか?14日に有料記事「京都か
青森県の「キリストの墓」訪問記このブログでは、主にキリスト教及び教会の取材ノートのような記事を載せようと思っていますが、他にも、許されれば、書いておきたい細切れのようなテーマがいくつもあります。東日本大震災で見た岩手・宮城沿岸で見た津波の惨状、消防団員で結婚間近だった息子さんを津波で亡くした畳屋さんのこと、豪雨による山崩れで亡くなった大島元村教会の信徒さんのこと、黒潮打ち寄せる室戸岬の民宿のおかみさんの話、農民福音学校のこと、また各地で出会った農民クリスチャンや農村教会のことなど、いろ
こんにちはMegumiです今朝は雪が☃️積もってましたね〜昨日届きました先日の講座で知りました。古事記が一番古い書物と思いきや、、、神倭朝の時代神武天皇〜今令和の天皇126代今上天皇不合朝(ふきあえずちょう)の時代73代この73代狭野尊天日嗣天皇(サヌノミコトアマツヒツギノスメラミコト)が神武天皇とのこと。上古の時代上古25代上古第4代天之御中主神身光天皇(あめのみなかぬしのかみみひかりすめらみこと)天之御中主神のこと。天神の時代宇宙根元神天
私達あるんあるん探検隊は、大石神ピラミッドでの遁走に意気消沈する・・・ことはなく最終目的地に向かった!現地での移動途中にゲリラ豪雨が探検隊の足を鈍くさせるが、わたしたちはあの地に向かった!来た!着いた!豪雨のおかげで吸血アブの姿は消えていた・・・さっと駐車場に車を止め地図をチェック!まだ本当の目的地は遠い!・・・道半ばではトラップか?それとも我々を歓迎しているのか火が焚かれていた!そういえば今日はお盆だ!そうか!送り火だ!えっ
青森県の旧戸来村にソレはあった!大石神ピラミッドという名前の山だ!私達あるんあるん探検隊は入り口看板に惹かれて自然とハンドルを切っていた・・・何の変哲もない林道とも農道ともとれる山道をしばらく登った・・・ふと目の前に突如ソレは現れた!ブ~~ンブ~~ンと音が聞こえる・・・やばい!これは・・・虻だ!出た!吸血アブだ!探検隊は怯んだ!特に隊長は!ダメだ・・・目的地はすぐ目の前なのに・・・撤収の号令が隊長の口から出るのはそう遅くなかっ
【竹内巨麿】空を飛んだ教祖(1)の続きになります。なお、明日から10日頃まで記事更新はお休みさせていただきます。m(__)m≪神影に教わった秘術≫皇祖皇太神宮の竹内康裕管長は、今でも巨麿を知る数少ない人物の一人だ。巨麿の孫に当たり、小学生のころまで巨麿と一緒に暮らしていた。巨麿はそのとき90歳になろうとしていた。康裕管長によると、巨麿は150センチぐらいの身長しかなかった。しかし、霊能力があったのは明白で、「神様が降りてくるときは目の色が変わり、別人のようになった」と、述懐
「位山を中心とする16方位と羽根ライン(3)」の文末におきまして、「次回は武内宿禰のことを記事にします」と述べましたが、竹内巨麿の間違いでした。お詫びして訂正いたします。m(__)m武内宿儺(Wikipedia)より武内宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣で、生没年不詳で謎の人物といわれていますし、前々記事でお伝えしたように、スメラミコトの代行として最後の万国巡幸をしています。竹内巨麿(1875年?~1965年
「いいね」、「リブログ」、「ペタ」大歓迎です(`ー´)ノバンコク在住のじゅーざです。以前、朝鮮料理について調べていてたどり着いた128年前の本を読んでいて読めない「活字文字」に出っくわしました。・過去エントリー「【新連載!朝鮮料理の歴史の一端】(8)128年前の朝鮮料理のメニュー&調理法♪(前編)」ここで取り上げた本『飯塚栄太郎編『日本支那朝鮮西洋料理料理独案内』(改良小説出版舎)この本は、明治20年(1887年)発行なんだけ