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9月9日、姉川古戦場の後は、関ヶ原古戦場へ。1600年に勃発した、有名な天下分け目の戦いの場です。まずは、徳川家康初陣の地へ。家康が関ヶ原に入り、最初に陣地を置いた場所。JR東海道線・関ヶ原駅から国道21号を東へ1.7kmの地点。小高くなった、特に何も無い場所狭い場所徳川家康本陣古趾の石碑趾(あと)は跡(あと)や址(あと)と同じ意味らしい。その後ろには、関ヶ原古戦場徳川家康最初陣地の石碑関ヶ原が見渡せるから、この場所に陣を構えたんですね。
2023年9月24日--------------------------------------------そんなに悪くもなっていないが、よくもない。戦争がなくなっていないから、人間は後退はしていないが進歩もしていないと思う。2022年9月24日--------------------------------------------今も昔もその繰り返しだ。あまり気にするなとな。なるほど。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
※こちらの記事は、令和元年6月3日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は3年ぶりのブックレビューでして、しかも3年前に読み終わって返してしまった本についてです笑司馬遼太郎氏の『関ヶ原(せきがはら)』の中の感想です。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。上巻についての記事を読みたい方は、下記リンクをクリックしてください:司馬遼太郎『関ヶ原』上何しろ読んだのは3年前でして、さらに僕は山岡荘八氏の『徳川家康』のファンでありつつも、同時進行で両書を読んだので、多少こ
福島正則は関ヶ原の戦いで、徳川家康の東軍の中心勢力として戦い、50万石の大名となったが、幕府の罠に落ち領地を召し上げられて失意のうちに没した。福島正則の最期を詳しく見ていこう。福島正則は1561年永禄4年、尾張海東郡二寺村の福島正信の子として生まれ、幼名を市松と名乗った。父親の正信は大工であったとも、桶屋であったとも言われているが、不明な点が多い。また正則の生母と豊臣秀吉の生母が姉妹で、正則は秀吉の従兄弟だったともいわれている。秀吉は姫路城主であった1574年天正6年頃、13歳の正則を
(2023年9月16日初回作成)コロナワクチン秋接種をする前に、接種希望者が知るべきニュースです!(いや、日本国民全員に見ていただきたい!)「ワクチン問題研究会発足!」【速報板】ワクチン問題研究会発足記者会見2023.09.07.【速報板】ワクチン問題研究会発足記者会見2023.09.07.[社会・政治・時事]【一般社団法人ワクチン問題研究会】公式サイト:https://jsvrc.jp/寄付先:https://kifusuru.net/js...www.ni
私も昨日リアルタイムで聴いてました❗福島先生の怒りが爆発してました。国がやらないから自分達がやるんだと。メディアやジャーナリストにも怒ってましたね❗YouTubeではサメジマタイムスで鮫島さんも一月万冊の佐藤章さんもメディアとジャーナリストに怒ってました。メディアはスポンサーが付いてるし、ジャーナリストは政府から締め出しを恐れてるとのことです。恐れず報道して欲しいです。マリンさんからのリブログです。
関ヶ原ガチャ、やってなかったのか。自分で驚き。先ず家康さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】7周年総選挙(4)』『【信長の野望20XX噺】7周年総選挙(1)』星4まで含めると総勢30名。全部で……5回くらいかなぁ。先ずは光秀さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】光秀ガ…ameblo.jp〈一言二言〉まだまだ現役の全体屋さん。固有は若干微妙かな?当たり。次の忠勝さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】天下への軌跡』こっちももうすぐ終わってしまうな。最初の宗矩さんはこちら。『【
期間:2023/09/05〜10/04天井:無し倍率:2倍(☆4武将獲得するまで確率アップ)武)本多忠勝:尽忠驍勇武)福島正則:賤ヶ岳の蛮勇武)黒田長政:天下取りの将射)加藤嘉明:沈勇の剛将戦)細川忠興:畿北の驍将戦)徳川家康:天下泰平の志星3武)蜂須賀至鎮:心眼・参武)永井直勝:波瀾万丈・弐薬)堀尾忠氏:即死耐性・参星2戦)酒井重忠:奇襲薬)津田秀政:専心・壱©コーエーテクモゲームス
そして城マニアの私としては広島城にももちろん登城します。広島城については1589年に毛利元就の孫・毛利輝元によって築城開始され10年の月日を要して完成した平城です。輝元は関ケ原の戦いで西軍の大将に奉り上げられたため敗戦後に周防・長門へと大幅に移・減封されてしまい代わって福島正則が入城します。しかし福島正則も勝手に石垣を修繕したことを幕府に咎められて改易されるなど、様々な歴史のエピソードを持つ日本100名城です。駅から広島城へ向かうにはめいぷるーぷバスが便利です。主だった観光地を回って乗り降りす
日本100名城と言うのがあり調べてみるとかなりのお城は訪問したことがありました。なんでもお城ごとにスタンプがありそれを押して回るスタンプラリーがあることを知りました。今回広島に行ったついでに広島城に立ち寄って初めて100名城のスタンプを押印しました。訪問したのは猛暑の日でした。なるべく直射日光には当たらないように車で移動。広島城址には観光バス用の駐車場はあるが、自家用車のものはなかった。広島市営の駐車場が市民病院の地下にあったので停めて歩きました。立派な堀と石垣です。広
江戸時代初期、全国の諸大名のうち、徳川将軍家の意向に逆らったり、将来逆らう可能性がある大名家の多くが取り潰しにあった。言いがかりをつけられ、取り潰された大名家も多い。広島藩主だった福島正則がそうである。大名が取り潰しされると、家臣とその家族は路頭に迷う。生きていくため、新たな就職先を探す、士官したいと江戸にたくさんの侍が集まった。江戸に浪人たちがあふれ、それが大きな社会問題となったので、徳川幕府は安易に大名を取り潰さないよう、政策の方針転換をした。大きな
今日は、前回に続き、第33話のエピソードの一つとなる上田合戦とそれに関連する人物の紹介をします。今日は、秀吉側の登場人物についてです。第31話辺りから急に、加藤清正と福島正則が登場して、歴史ファンを中心に盛り上がっていました。九州人であれば、この加藤清正と福島正則は非常にメジャーな武将ですが、全国的には、歴史に関心のある人しか知らない武将であると思います。まずは、この二人から紹介します。加藤清正この加藤清正は、三大名城の内の二つの城、熊本城、名古屋城(三大名城のも
毛利輝元は暗愚な3代目でした。家臣の妻を横取りしようとしたり、側で支えるおじ吉川元春や小早川隆景がいたころは良かったのでしうが、たがが外れてのか。関ヶ原の戦いでは西軍総大将に祭り上げられ、大阪城に入ります。城を出ることなく中途半端な姿勢です。関ヶ原の戦いで負けても大阪城に籠城してれば、豊臣恩顧の福島正則、加藤清正等は攻められず、別の選択肢も出ていたでしょう。関ヶ原の戦いが1日で終わらず、長期化していた可能性もあり、東北で伊達政宗が動くでしょうからら、徳川家康も、ずっとは上方にはいられな
生涯であげた首は76級。当に後藤又兵衛と並ぶ、福岡藩黒田家の2大豪傑。母里太兵衛の邸宅の長屋門です。福島正則から「大杯に注がれた酒を呑み干したら、望みの品をやる」と言われ、福島家の家宝である「名槍・日本号」を、当に「呑み取り」ました。その場所(黒田節発祥の地)は、伏見の御香宮神社の正門脇(駒札有。伏見シリーズを、ご参照)です。黒田家の豪放磊落な一面ですが、官兵衛は、より思慮深い「栗山利安」と義兄弟とさせることにより、彼の利点を更に活かす方策としました(大河ドラマでお馴染みのエピソード
2023年8月5日--------------------------------------------恩を忘れず、報いるために生きる。そんな生き方は素敵ですね。2022年8月5日--------------------------------------------罪を憎んで人を憎まず。茶坊主と罪を犯した武士を許した福島正則もさすがですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
サバ:八洞神仙レベ:195ボス:200討伐:200(8801万、68-52)訓練:-異境:-闘技:6皇室:-元宝:93007精華:160覚醒:2264神髄:192登用:福島正則UR閃、スキピオUR閃。収穫:なし。力点:李斯の聖淵装備指輪の無双神器(30)。李斯の聖淵装備兜の無双神器(3)。○ニニアンの王者装備書の無双神器(32)。ニニアンの深淵装備武器の伝説神器(10)。○李斯の聖淵装備兜の伝説神器(31)。○ブリュンヒルドの聖淵装備指輪指輪の伝説神器(16)、李斯の
こたえだよまぁタイトル見りゃ分かると思うが↓(゚д゚)なんでコレか分かるかい?(笑)まぁよく分からんが行けるとこ見てやなw
毎年11月初旬に催される東城町の祭礼『お通り』は400年の歴史がありますレプリカが三楽荘本館二階にありました大きな花をさした母衣(ほろ)が見どころのひとつ大名行列、武者行列、母衣、華童子など総勢200人の盛大なお祭り慶長6年、五品嶽城主となった長尾隼人正一勝(広島藩福島正則の三家老のひとり)が関ヶ原戦勝を祝して、祭礼御興行列に武者行列を加えたのが始まり浅野家の時代に秋祭りは十一月一日の川西八幡宮から五日の世直神社まで五日間に亘って催され「五日催し」と呼ば
広島県庄原市東城町へ行って来ました帝釈峡(たいしゃくきょう)という素晴らしい渓谷があるところですが今回は街中を歩きましたさて東城町は西城町と隣り合ってますなぜ東西?室町時代には、宮景友氏が五品嶽に五本竹城を築き、天文2年(1533)西へ16km離れた大富山城に本居を移し「西城」そして元の地は「東城」となりましたお城の歴史は◯天正19年(1591)-慶長5年(1600)花谷城:佐波越後守代石垣、石庭、瓦葺建物など築造◯慶長6年(1601)-慶長17年(1612)
7月17日月曜日〜その1016時、舞台に登壇。(写真提供・河井琴美さん)『第5回河内家菊水丸の河内音頭を聴く会in明日香』開演。本日の外題「福島正則報恩記」「河内十人斬りお縫いの不義」「乃木将軍伊勢参り」17時50分終演。
弱虫大名『福島正則』豪傑は虚像秀吉九州征伐天正十四年十二月一日。秀吉は九州征伐の命を下した。そしてまず、日本名小西弥十郎の名をもつ朝鮮人金隆佐に云いつけ、釜山浦より朝鮮米五万石を買付けさせた。ついで石田三成らに集めさせ、先に兵庫尼ガ埼に積ませてあった五万石と共に、朝鮮の高麗船まで微発し、これを今の下関である当時の赤間関へと運ばせた。まだこの時は朝鮮征伐の五年前だが、秀吉はもう既に朝鮮を属国扱いにしていたものらしい。(秀吉の野望は明国の北京周辺を占領し、天皇を取り巻く公家集団を
「福島正則」相手の情報みなさん、おはようございます今日から東京はお盆ですご先祖様の夢は何だったのでしょうご先祖様の夢を叶えてやりたいですさあ、今日「7月13日」の國史を学びましょう「福島正則」没寛永元年(1624年)豊臣秀吉と柴田勝家の戦いでは賤ケ岳の七本槍の一人と言われます関ヶ原の戦いでは先陣にしてくれという武断派、強い武将です秀吉とは従兄弟年齢差は24歳(相性が良い)血縁の加藤清正とともに秀吉にとって安心と信頼の存在です秀吉
阪急京都河原町駅から徒歩圏にある建仁寺塔頭正伝永源院に行きました(6月25日)。ここは明治維新後の廃仏毀釈の時に二つのお寺が「合体」したお寺で、一つは正伝院、もう一つは永源院です現在地には永源院がありました。永源院細川護熙元首相の先祖にあたる肥後の守護大名細川頼有が南北朝時代(12世紀中頃)に建立。室町時代(1398年)に現在地に移りました。細川頼有(ほそかわよりあり)とは?意味や使い方-コトバンクデジタル版日本人名大辞典+Plus-細川頼有の用語解説-1332
小布施町にある「岩松院」。葛飾北斎や小林一茶、福島正則ゆかりの古刹です。葛飾北斎が描いた「八方睨み鳳凰図」。迫力ある天井の絵をたっぷり堪能したあと、本堂を出て裏手に回ります。本堂裏手の墓地には「福島正則公霊廟」があります。福島正則は豊臣秀吉の重臣で、「賤ケ岳の七本槍」として知られる武将です。福島正則は、関ヶ原の戦いの功績から、安芸・備後50万石の大名になります。しかし、広島城の無断改修をとがめられ、信濃川中島4.5万石に改易されました。
夫婦と次女の三人で小布施の岩松院へ葛飾北斎と小林一茶のゆかりの寺です北斎の八方睨み鳳凰天井画は有名です。画像はパンフレットから、室内は撮影禁止どの位置からも目がこちらをにらんでいる畳21枚分の天井画痩せ蛙負けるな一茶是にあり・の俳句の蛙合戦の池白紫陽花が見ごろです岩松院には戦国武将・福島正則のお墓があります。コーヒータイム寺の前にあるKUTENFRUIT&CAKE古民家カフェで次女のおごりです美味しかっ
なんと申すか、久々にニーマルらしいネタ感の強い出で立ち……イイネ!先ず義重さん。前中後列全敵術ダメ0.80〈列不足時多段〉ボスラ2体追撃1.60鬼特効50%自身回復0.40&小溜め(1.5)自身後1マス移動なんでしょう、この盛り沢山。最近はこういう複雑と申すか、一回で色々やるのが増えたけど、トビキリだねこりゃ。まあ、普通だと全体0.80&ボス2体1.60のスキルなのだが、本領発揮は敵が減ってから。例えば、よくある横並び2体ボスなら0.80×3+1.60=4.00で、全く何
日光東照宮(日光東照社)が創建されると、なぜか津軽の地(弘前)にいち早く分霊され東照大権現が祀られている。『日光東照宮』いまや外国人観光客でごった返すようになるほど世界的に有名になった日光東照宮(総本宮)。栃木県日光市にある神社で、江戸幕府初代将軍:徳川家康を神格化した東照大…ameblo.jpそれは、津軽藩二代藩主:津軽信牧の正室:満天姫の願いによるものだという。なぜ満天姫は分霊してもらってまで家康を自分の近くに祀りたいと思ったのだろうか?〇満天姫(まてひめ)/葉縦院満天姫は
期間:2023/06/20〜06/28天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)佐竹義重:天魔鬼神の業覇)武田勝頼:かくれなき弓取覇)真田幸村:永劫無極の誉武)福島正則:賤ヶ岳の蛮勇武)圓久尼:風檣陣馬戦)島津日新斎:中興の仁政星3射)河原綱家:心眼・参©コーエーテクモゲームス
2023.6.6.いつもは、武将のお墓巡りしていますが、今回は、生誕地巡りです先日行った名古屋巡りで訪れた「豊臣秀吉」「加藤清正」「福島正則」の故郷へ先ずは、「尾張中村」へ。中村と言えば豊臣秀吉の生誕地です。現在でも中村町と言います。この地には豊国神社が建ち、秀吉の誕生の地には『常泉寺』が建立されました。秀吉公の産湯の井戸と伝わる井戸跡も豊臣秀吉公の銅像。こちらは少年期の秀吉像。おそらく!中央の像が秀吉かな?それから、直ぐ近くには加藤清正
こんにちは前記事「SEEHERELOVE見えなくても聞こえなくても愛してる」のレビューで気になる俳優さんと書いた深水元基さんが大河ドラマ「どうする家康」に福島正則役で出演決定だそうですおめでとうございます昨日記事にしたばかりなのでホント、タイムリーしかも深水元基さん、以前、大河ドラマ「真田丸」に出演した時もこの福島正則役だったそうです真田丸、観てましたけどゴメンナサイ🙏その時は気付きませんでした役柄によって印象に残る時、残らない時ってありま