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亀居城1977年(昭和52年)に大竹市による公園整備調査中に地面の下から姿を現した城です。約400年の眠りから覚めた。関ヶ原の戦いで防長二州に減封された毛利氏の後に広島城に入った福島正則によって築城された。5年かかって1608年に完成するも、3年後には破却された。その理由は謎のまま…。一国一城令の4年前のことです。城山の標高は88m。5年振りの「登城」です。右に墓地が見える。ぼちぼち登ってゆきます^^「大手門」ではないようですが…この辺りから本格的な石垣がはじ
朝7時にチェックアウトしてリムジンバス乗り場に一番近い、北口一階のロッカーに荷物を預けて広島市内観光へ路面電車に乗って広島城へ向かいます〜路面電車は、江ノ電で見慣れてるけど大都会の道路のど真ん中に走ってるのが衝撃的だったー!現在、広島駅南口は再開発が進み2025年春に、駅ビルの2階に乗降所が移るそうです。この雰囲気、姿は見納めですね。完成予定図↓お借りしました車両がレトロで可愛い。写真撮りまくりで観光客ってバレバレ駅ビル高層階に、JR西日本ホテルズの新規ブランド「ホテルヴ
愛知ウォーキング城巡り倶楽部で名古屋城の見学会に行ってきました!愛知ウォーキング城巡り倶楽部とは、愛知県西尾市教育委員会主催の吉良町公民館講座がキッカケで始まった民間の城巡りサークル。約2か月に1回、城巡りや神社、寺そして歴史史跡を見学する団体です。2019年6月現在で、107名の在籍者がいます。詳しくはこちら⇒愛知ウォーキング城巡り倶楽部今回の見学会城は日本100名城にも認定されている名古屋城。でも【名古屋城に入らない名古屋城巡り】という事で、周辺史跡の見学会です。今回の参加者
阪急京都河原町駅から徒歩圏にある建仁寺塔頭正伝永源院に行きました(6月25日)。ここは明治維新後の廃仏毀釈の時に二つのお寺が「合体」したお寺で、一つは正伝院、もう一つは永源院です現在地には永源院がありました。永源院細川護熙元首相の先祖にあたる肥後の守護大名細川頼有が南北朝時代(12世紀中頃)に建立。室町時代(1398年)に現在地に移りました。細川頼有(ほそかわよりあり)とは?意味や使い方-コトバンクデジタル版日本人名大辞典+Plus-細川頼有の用語解説-1332